名前がペドフィリアに未熟な体躯を蹂躙されかけてから尾形は尚一層名前に執着を強めた。長い間放置していた期間を埋めようとしていたため娘に対する執着心は元から強かったが、限度を超えはじめたのである。
街へいく時は必ず逸れぬように名前の手首を掴み、握り込んで離さなかった。手と手首を糊で貼り付けられた気分であった。
もう手を繋いで歩く幼子でもないのだからと名前は不服を挙げたが「この前みたいになったらどうする」などと全身に暗い影を落として言われれば頷くより他なかった。
コタンで友達と遊ぶ約束を取り付けた時も再三早く帰ってくるよう言い、迎えにまで来るようになってしまった。名前が何か行動を起こせば尾形は必ず口を挟んでくるのである。
文句を垂れると「お前を心配しているから言ってるんだ」と言いそれでも名前が眉を狭めて拒否を示せば「お前は良い子だから父ちゃんの言うこと聞けるよな…?」と暗澹たる微笑みで優しくまろやかに言い聞かせるのだ。

父に心配されているのは理解している。親が子を思い心を擦り減らしている行為、言動であるというのも理解しているが少々、いや大分過剰ではないだろうか。四六時中尾形の監視下に置かれているようで居心地が悪い。
今もまさにそうだ。銭湯に来店した名前は尾形の目が届くように男湯に入っている。他の客が少ない時間帯を狙ったので、丁度良い温度の低い湯船に肩まで浸かる名前と名前を膝上に乗せた尾形の他に客は三人しか居なかった。

「尾形…?」

薄っぺらな湯気の奥から名前を呼ばれる。そこに居たのは月島であった。腹の下に大きな傷を刻んだ歴戦の体は岸壁のようである。
尾形親子が浸かっている風呂桶に月島はお邪魔することにしたらしく、片足を湯に突っ込みながら尾形の膝上でちんまり存在を主張する名前に頬の力が緩む。以前より親子仲が進展したようであった。
尾形に娘がいることは前々から知っていたが、親子仲が上手くいっているとはとても思えていなかった。名前が誘拐される随分前に一度銭湯で鉢合わせしたことがあるが、名前と会話らしい会話を交えず別れ、男湯の暖簾をくぐった。
娘がいたのかと話題を振っても、尾形は娘について特にこれといったことは話さなかった。それがこうして一緒に入浴している、とそこで思考の電流が神経を走り動きが停止する。

「娘も一緒なのか?!」

男湯に月島の叫びがぐわんと反響した。もう一人で女湯に入れる年頃だろうに何故男湯にいるのだ。そもそも一人で入らせていただろ。どういう風の吹き回しだ。

「えぇ。一人で入らせるのは心配ですので」
「いやもう一人で入れるだろう!」
「性懲りもなく蛆は沸きやがるもんです。女湯で名前に何かあったらと思うとゆっくり風呂に入れませんよ」
「女湯で何かあるってなんだ転ぶとかか」
「変態野郎に襲われるとかですかね」

途中、尾形から名前の方を見やれば戦場で絶命してしまった者に負けず劣らずの目をしている。推測になるが、抵抗したが尾形に押し切られたのだろう。とても少女がしていい目つきではないそれに苦労がありあり伺えた。
以前とは比べ物にならない心配具合である。以前は娘を心配しないどころか寧ろ血の繋がった赤の他人のようであったのに、今回は何重にも箱に入れられた箱入り娘だ。この振り幅の大きさは何だ。一体全体尾形に何があったというのだ。

「女湯で変態に襲われるのは中々なさそうだが…」
「家永とか」
「家永は…特殊だろう…」

戦場で磨かれた体を風呂桶に浸らせるが疲れが緩和されない。湯に発散されるはずの疲れが増している。銃を構え続けた逞しい腕を尾形は名前の腹に回す。なされるがままの名前に正体不明の危機感を覚えた月島は抵抗の意思を呼び覚まさんと発破をかけた。

「お嬢ちゃん…名前と呼んでいいか?」
「…はい」
「嫌じゃないのか?」
「………」
「嫌なら嫌だと言っていいんだぞ。父親の言いなりになることはない」
「……いやです。一人で入れるのに…」

なんとも痩せた声であった。燻り始めた意思の灯火を掻き消されぬよう月島は名前を擁護する。

「娘もこう言っている。親なら子の意思を尊重してやったらどうだ」
「嫌ですよ。何かあってからじゃ遅いんですから」
「娘を私物化するんじゃない」
「私物化なんざしちゃいませんよ。心配しているだけです」
「それは心配じゃなく私物化だ。嫌がる子供の意見を無視して行き過ぎた心配をするのはやめろ」

湯気に炙られつつ尾形を見据えて注意する。娘に対する姿勢が改善されたと思えばこれである。胃が痛いが痛みを堪えることなど何度でもあった。重い声をぶつける月島とそれを飄々と躱す父親に身を縮めて名前は口を挟むかまごつく。月島の台詞で会話はぷつんと途切れ沈黙が訪れた。

「月島さん…大丈夫です。お父さん、言えばわかってくれるから…」

尋常ではない密封された空気についに名前は耐えきれず、尾形を擁護した。過剰だと名前もわかっているが心配してくれる父親が責められる姿を見ていられなかったのである。月島が名前に近くに来るよう促せば、名前は尾形の腕から逃れて月島の側へ移動した。

「いいか、もし尾形が嫌なことを拒否しても押し付けてくるなら頼れる人の所へ逃げろ。コタンの人の所でもいい。何処かへ逃げるんだぞ」

名前の髪を撫でて月島はそう言った。

「今、コタンで生活しているので無理です…」
「なら俺の所に逃げてこい。師団の方に月島基に用がありますとでも言えばいい」

優しさに溢れた手つきで再び湿気た髪を指先で撫でる。未来ある子供に親に人生をいいように扱われて欲しくないことと、この親子の行く末が幸せであって欲しいと、いつもは動くことをさぼりがちな固い目尻を下へ動かした。
そんな撫でられるままの名前に背後から尾形が腹に響く太鼓のような重量のある音程を出す。


「俺から逃げるのか」
「お前がそれを直せば名前は逃げん。逃げられたくないならせいぜい心配と体良く言葉を変えた私物化を治す事だ」

この親子はまだ歪であるが、歪なままでも上手くいくならこうも気を割かなくていい。上手くいきそうな道のりではないから月島が横から割って入ったのだ。胃を痛ませた意趣返しに名前を膝に乗せ、風呂上がりに飲み物を奢ろうと前はできなかったお喋りをし、名前の水滴の流れる頬をつついた。