Reversi小説 | ナノ



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 辺りの温度が急激に下がり、大量の水蒸気が上がる。ショウタの背中から噴き出た血液が宙を舞う。その傷はヒカルの剣によって受けたものではなかった。

 地面に張り付いた氷をたどり、行きついた先をヒカルがにらむ。そこには高圧的な笑みをたたえたケントがいた。

「……後ろからなんて、卑怯ですね。さすが王族様」
「戦いに卑怯も何もあるか。俺様はお前に一発入れるために来たんだ。おかげですっきりした」

 堂々と言いきるケントに、ショウタは少し笑った。今度はヒカルが口を開く。

「毒で動けないんじゃなかったの」
「誰がそんなことを言った?」

 ヒカルは言葉を返すのも面倒になって、ため息で会話を終わらせた。この男の自信に満ちた顔を見ていると心がざわつく。心臓をざらついた猫の舌で舐められたみたいな気分になるのだ。今までも、兄の約束の件もありケントと顔を合わせるのは嫌だった。そしてさきほどの会話でさらに確信した、そもそも性格が、考え方が壊滅的に合わない。

 だけどこの場では協力するしかない。苦手だからと、わがままを言っている場合ではないのだ。覚悟を決めて剣を握る。

 ふと、ぞくりと嫌な感覚がヒカルの背中を這った。はっきりとした理由は説明できないが、勘が働いたというのだろう。先ほど斬り倒したはずの魔女を見る。倒れていた場所に、魔女はいなかった。

「マロンッ!?」

 反射的に弟子の名を呼ぶが、返ってくる声が聞こえない。唐突に脳内を焦りが支配する。油断していた。魔女にはかなりのダメージを与えていたはずなのに、マロンがすぐこちらに加勢してこないと気付くべきだった。

 焦燥を感じ取ったのか、後ろからケントがどついてきた。

「落ち着け。あの傷じゃ遠くには行けないはずだ。となると上か……」

 ケントとヒカルが同時に空を仰ぐ。広い青を、薄い雲がゆったりと流れている。それだけだ。ケントは靴で地面を軽く削った。

「下だろうな」

 ケントが魔力を込めた斧を振り下ろす。霜が広がり、乾いた亀裂が生まれる。土埃が舞う中、ビビットな桃色が目に入った。

「わぁ、見つかっちゃったハート

 ぺろりと赤い舌を出しコミカルな表情を見せるメイの後ろで、アンがマロンを抱きかかえていた。マロンはぐったりとした様子で、手足に力が入っていないように見える。逆にメイとアンはさきほどの傷がふさがっており、むしろ肌ツヤが良くなったようにさえ思える。

 そこでヒカルは、一番最初に魔女たちに近付いた時のことを思い出した。そうだ、あいつらは人の魔力を吸収することができる。もしかしたらそれで回復する効果だってあるのかもしれない。単純といえば単純なのに、盲点だった。

 メイとアンは二人同時にほうきを手に持ち、持ち手を地面に軽く刺す。刺された地面から植物の根が無数に生え出てきて、みるみるうちに辺りを覆いつくす巨大なバラの花に成長した。バラは花びらの中心部分が空洞になっており、その内壁にはびっしりと鋭い歯が並んでいた。

「おいしかったよ、ごちそうさま

 アンはそう言うと、抱えていたマロンを花に向かって放り投げた。

「くそっ」

 ケントが斧を振るが、腕のようにうごめく葉によって防がれてしまった。ヒカルが花に向かって走るが少し遠い。かと言ってここから届くほどの攻撃を打てば確実にマロンも巻き込んでしまう。このままでは間に合わない。

 マロンの頭が花の口に吸いこまれる。そのままずるりと呑み込もうとする花の茎に、ヒカルが飛び乗って剣を突き立てた。硬い。もっと魔力を込めないと。

 そう思い力を込めた時、急に刃が茎を切断した。というより、茎が溶けた。みずみずしい緑色だった茎も葉もしなびた茶色に変色し、うなだれた花びらの中からマロンが降ってきた。

「マロン!」

 ヒカルが受け止める。マロンは眉間にシワを寄せ、ほんの薄く目を開けた。

「おし、しょ……さま、ごめんなさ……」
「いいから、喋らないで。無事でよかった」

 マロンをそっと地面に寝かせ、周りを見渡す。花が急に枯れたのは何故だ?
 ヒカルの疑問の答えは頭上から降ってきた。

「お久しぶりですね、メイ、アン」

 ふわりと涼し気な風を連れて空から降り立ったのはセレナだった。彼女を見るなり、双子の魔女は苦い顔をする。

「……セレ姉」
「裏切者のセレ姉じゃん」
「ごめんなさい。『仲間』を見つけてしまったので」

 セレナはヒカルに背を向けていたため、ヒカルからはその表情は見えない。だけど彼女の声は穏やかだった。

「うーん、まぁ充分ですかね。メイ、アン、戻りましょう」

 後ろでショウタがそう呟くのが聞こえた。振り返ると、すでに彼の姿は消えていた。視線を戻すと、メイとアンも空に浮かび上がってどこかへ行くところだった。

「待て!」
「ヒカルさん、まずはマロンちゃんの様子を見ましょう」

 追いかけようとするヒカルを、セレナがやんわり静止する。一瞬彼女が魔女たちの肩を持っているのではと疑心が生まれたが、たしかにマロンのことは心配だ。素直に従うことにした。



 セレナがマロンの身体を何ヵ所か確認し、ぱん、と手を叩いた。

「心配ないです。魔力を吸われたみたいですが、それだけです。休めば戻ります」

 それを聞き、ヒカルの肩からふっと力が抜けた。本当に良かった。

「……ありがとう。他のみんなは?」
「私はニーナと合流していました。今は寝ていますけど……あ、」

 彼女が左を見てまぬけな声を出したのでヒカルも目線をたどる。その先には褐色肌の少女が、ドラゴンのような黄金の目をきょろきょろさせていた。彼女がたしかニーナだ。セレナの顔が明るくなる。

「おはようございますニーナ」
「えっと、おはよう……? ごめん、アタシ気を失ってたみたいで……どういう状況?」
「ヒカルさんとケントさんがショウタさんたちと戦っていて、マロンちゃんはメイとアンに吸われてしまいました。でもみなさん元気ですよ〜」

 説明になっているのかよくわからないが、それを聞いてニーナは大事なことを思い出したかのようにはっと目を見開いた。

「ケント!」

 セレナが現れてから言葉を発していなかったケントが、駆け寄ってくるニーナを見て少し眉を上げた。

「よかった無事で……! 光一は?」
「最初はいた。今は本拠地に向かっているはずだ」

 ニーナはそれを聞いて、あからさまに顔をしかめた。ヒカルもそのあたりはよく見ていなかったが、そういえば初めはたしかに一緒にいた。

「……ケントを置いて? 敵がいたのに? 光一が一人で向かったの? 本当に?」

 鋭さを増したニーナの声に、ケントは少したじろいでいた。そんな彼を初めて見たので、ヒカルは少しだけ、こっそり愉快な気持ちになっていた。

 当のニーナはおそらく怒っている。目を逸らしたケントを逃がすものかと、視線でまっすぐに射抜いていた。

「それはちょっと変。アタシ頼んだんだもん。光一に、ケントのことよろしくねって。ううん、頼まなくても、光一がケントを置いていくわけない。ケントが行けって言ったんでしょ」
「……だったらなんだよ」

 ケントは首のうしろを触りながら厄介そうに答える。ケントの首元を見て、ニーナは目を見開いた。

「え、ケント、ちょっと待って!」
「わ、なんだよ、バカ、辞め……!」

 なんとニーナは、突然ケントのシャツを脱がせ始めた。何が始まったのかと身を固めるヒカルだったが、ケントの肌が見えた途端に別の衝撃がヒカルを襲った。

 彼の肌には樹木が枝を伸ばしているような、真っ黒い模様が刻まれていた。それは左わき腹から徐々に広がっていて、鎖骨のあたりまで伸びていた。ニーナはそれに気付いたのだろう。

「【 魔傷痕 ましょうこん 】ですね」

 セレナが幾分か低い声で言い放った。ヒカルも聞いたことがある。本体側が魔力の含まれた攻撃を受けた場合、それは【魔傷】と呼ばれ、放っておくと闇の魔力に飲まれてしまう。本体の肉体は、体内で魔力を分解できないからだ。魔傷は時間をかけて徐々に広がっていくが、その間リバーシ側の身体にも傷跡が現れる。それが【魔傷痕】だ。以前本で読んだ程度の知識だが、この範囲まで広がっているというのはなかなか危険な状態なのではないだろうか。

 セレナがめずらしく眉根を寄せた。

「少し……急いだほうがいいかもしれませんね」

 さっきまでニーナの瞳の底にあった怒りが、瞬く間に心配の色に変わる。

「これ……ッ、ずっと黙ってたの?」
「……言ってどうにかなるもんじゃないだろ」
「それは……そうかもしれないけど……っ!」

 ニーナは眉をゆがめ、苦痛そうにケントを見つめた。どうやら悠長に話をしている時間はありそうにない。

 どうしようかと思案するヒカルの目の前を、紫色の光が横切る。焦点を合わせると、それは魔力でできた蝶だった。蝶はひらりとセレナの指にとまり、外側の輪郭から溶けるように消えた。セレナが二度、まばたきをする。

「光一さんはイリア様と合流したみたいです。私たちも直接カナタ様の方に向かった方が早そうですね。マロンちゃんは、どうします?」

 セレナは宝石を思わせる紫の瞳をきょろりとヒカルに向けた。すぅすぅと整った寝息をたてているマロンに目を向ける。

「できれば……ここでニーナに見ていてもらいたいんだけど、いいかな」

 たしかドラゴン使いは防御系の魔法が得意だったはずだ。動けないマロンはここに置いておく方が安全だろう。ニーナは力強くうなずいてくれた。

「わかった、任せて! もちろんケントもここに残るんだよ?」
「俺は本体と……」
「いいから。いるの」

 有無を言わさぬニーナの口調に、ケントは観念したのか反論しようとしていた口を閉じた。ヒカルは上がりそうになる口角を努めて抑え込んだ。

「そこまで魔傷が進んでいるなら、あまり本体に近付かない方がいいと思います〜。お互いの魔力が干渉し合って、よくないことになりますよ」
「……ちっ」

 セレナの言葉に忌々しそうな舌打ちで返すケントだが、彼女はそれを気にしないそぶりですっと目を逸らした。セレナが何かを受け止めるように右手を開くと、そこからぼんやりとした薄紫の光をまとった蝶が放たれる。先ほど飛んできたものと同じ蝶だ。それはゆらゆら漂い、ニーナの肩に止まった。

「なにかあればその子で私とお話できるので呼んで下さい。さ、行きましょうか、ヒカルさん」
「気を付けてね、二人とも」

 ニーナの心配する声に、セレナが柔らかい笑みで返した。マロンのことよろしくね、とニーナに念をおし、ヒカルはセレナと共にその場をあとにした。


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