第5話 初陣 今でも鮮明に蘇ります。 あれは運命の日。何体もの巨人に囲まれた私は、ついに死を覚悟したのです。その時!光のような速さで巨人達が次々と倒れていくではありませんか……!そう、そこに現れたのは人類最強の兵士であるリヴァイ兵長。巨人を倒すその姿はまるで空を飛ぶ鳥のよう……いや!天を翔るペガサスのようだったのです! 「殴られたいなら素直にそう言え」 「なぜ私が殴られる展開に!」 「その話は散々聞き飽きた。その気色の悪い喋り方も癇に障る。ついでにペガサスだか何だか知らねぇが、バカみてぇな例えも止めろ」 兵長がそう言うのにも無理はない。私の初陣の思い出話は、ここ最近毎日のように兵長に話している内容だ。そのたび兵長には毎回怒られている。 「壁外調査が近づくたびに、いつも思い出すんですよねぇ」 思い出に浸る私を無視して、兵長は話を続ける。 「それと今日はここに来るなとも言ったはずだが」 「はい、言われました。でも好きな時に来て、好きなだけいろと言ったのも兵長です」 「屁理屈を言うな」 この前私に無責任な発言だみたいなこと言ってたくせに、兵長だって無責任じゃないですか……。 聞こえないように小声で言ったつもりなのに、睨まれているのは気のせいだと思いたい。 確かに兵長はここに来るなと言った。それも何度も念を押して言っていた。それは明日が壁外調査の日だからだ。 壁外調査前日は、多くの兵士がナーバスな時間を過ごす。死への恐怖からか、遺書を書いたりする者もいるらしい。でもゆっくり休んで備えろなんて言っておいて。 「兵長だって仕事してるじゃないですか」 「俺は特別備える必要もねぇし、死ぬ予定もねぇからな」 「私だって死ぬ予定はないですよ!」 リヴァイ班としての初めての壁外調査ということで、私の準備は全て整っていた。これほど入念に準備したのは、それこそ初陣の時以来だ。 「お前は怖くねぇのか?」 兵長からの唐突な質問に、私は躊躇わずに答える。 「死ぬのは怖くないですね」 嘘でも強がりでもない、紛れもない本心だった。 「そうだったな。死にたがりに聞いた俺がバカだった」 怖くはないとは言っても明日も生きている保証はないから、前日もこうして兵長と過ごせて良かった。 そう思いながら、私は兵長に満面の笑みを向けた。 二人きりの夜が明け、迎えた壁外調査の日。 調査兵団がずらりと隊列を整え、開門されるその時を待つ。 「よっし!兵長より一体でも多く討伐してやる」 「テオ、寝言は寝てから言え。お前は俺にも勝てねぇだろ」 「いやいや前回俺ルッツさんには勝ったもん」 「あぁ?そうだったか?」 「それとナマエちゃんは俺がしっかり守るからねー」 「ありがとうございます。でも皆さんをお守りするのが、今日の私の役目なので」 不安そうな者、殺気立っている者、皆それぞれの思いを抱えて門を見つめている。それに比べてリヴァイ班の皆は、通常運転なところが何とも頼もしい。 リヴァイ班としての初陣。ここで結果を出さなきゃ認めてもらえない。絶対に頑張らなきゃ……! 手綱を強く握りしめ歯を食いしばる。大丈夫大丈夫。私なら出来る。目を閉じて呪文のように繰り返していると、頭をグイっと鷲掴みにされた。 「おい」 「へ、兵長?」 「肩に力が入りすぎだ」 「そう……見えましたか?」 「お前ならいつも通りにやれば問題ない。お前の存在価値を証明してみろ。援護は俺がする」 怖くはない。けれど本当はずっと緊張していた。隠していたのにどうして兵長にはわかってしまうのだろう。兵長の言葉が私の心を解していく。 「だって兵長はペガサスですもんね」 「こんな時までいい度胸だな……帰ったら覚えておけ」 ええ。必ず生きて帰りましょう。私がお守りします。貴方もリヴァイ班も。 ゴゴゴゴゴ、と門が上がる音がする。 「間もなくです!開門30秒前!」 いよいよだ。 「開門です!」 「これより壁外調査を開始する!前進せよ!」 「援護班に任せて進め!」 広い大地の上で天を翔るように、兵長の背中に自由の翼がはためいている。 壁の外には、青空と緑の地平線が広がっていた。 「よっし、討伐二体目!」 「無駄にガスを使ってどうすんだ、あいつは」 「テオさーん!隊列を!」 「わかってるわかってる。お、緑」 「テオ。お前が撃て」 「はーい兵長!了解しました!」 門を出てからどれくらい経っただろうか。多分もうすぐ目的の補給拠点が見えてくるはずだ。ここまで私のしたことと言えば、ただ皆の後ろをついて馬を走らせただけ。 そうなってしまった理由は、単純にリヴァイ班が強いからだ。それにつきる。能力、連携、判断、どれをとってもトップクラスの能力だ。何度も壁外調査には参加してきたけれど、これほどまでに強い班は初めてだった。 もしかしたら私の出番はないかもしれない。でもそれで良い。皆が無事に帰れることが、一番良いに決まってるから。 「何か全然巨人に出くわさないな」 「良かったよ。このまま順調に帰れそうだ」 補給拠点に着いてから、皆次々に似たようなことを口にしていた。 「帰る準備は出来たか、ナマエ」 「はい。ルッツさんは?」 「出来てるよ。あー早く帰って酒が飲みてぇな」 こうしていると壁の中にいる時と何ら変わりない。この近くをたくさんの巨人がうろついているなんて、嘘みたいに思えるほどだ。 「どうだ?リヴァイ班は」 「有難いことに皆さん強すぎて出番がありませんね」 「ははっ!そりゃ参ったな!」 「全くです。でも全員無事に帰還することが一番ですから」 「まぁな。生存者は多いにこしたことはねぇ」 「さぁ、生きて一緒に帰りましょう」 続々と隊員達が馬に跨がり、隊列を整える。開門前に比べて、笑顔を浮かべる兵士も増えた気がする。 自ら用意した医療用具を馬に括ってポンと叩いた。 ここまでついてきてくれてありがとう。さぁ、一緒に帰ろう。 道具に心はないと思うけど、相棒ともいえる医療用具に自然とそう呟いた。 「これより壁内へと帰還する!」 再び馬を走らせ兵長の背中を追った。不気味なくらい静かだった往路とは逆に、帰路は出発してすぐに左右から赤い信煙弾が上がっていた。 巨人の出現を表す赤い信煙弾。やはり一筋縄じゃ帰してもらえないらしい。でも出来る限り犠牲は最小限にしたい。どうかこのまま門まで行けたら。 願ったのもつかの間。予想外の出来事が私達を襲う。 左方向より上がったのは、緊急事態を表す紫の信煙弾だった。 「緊急事態です!左翼で何が……!」 「紫だぁ?嫌な予感しかしねぇな」 ルッツさんの言葉に、汗が一筋垂れた。 「このまま帰路を目指すぞ。隊列だけは乱すな」 兵長の指示に従ってひたすら馬を走らせる。まだ半分も進んでいないのに、門までが恐ろしく遠く感じる。 「口頭伝達です!」 今度は左翼側から、一人の兵士が大声でやって来た。 「左翼索的側に巨人の群れが発生!被害が拡大する前に、リヴァイ兵長に至急応援をとのことです!」 「兵長一人で!?なら、私も……っ」 「いや、お前達はこのまま進め。指揮はルッツに任せる」 「兵長……!待って下さい!兵長!」 私の声に振り返ることなく、兵長は左翼へと行ってしまった。 どうしよう。兵長に何かあったら──。 「リヴァイ兵長なら大丈夫だ。人類最強だぞ?状況を見て壊滅的だったらちゃんと撤退してくるはずだ。俺たちはとにかくこのまま帰ることだけ考えろ」 その矢先、今度は前方右側から黒い信煙弾が上がる。 「次は奇行種かよ!どうなってやがんだ!」 間髪入れずに真横から、再び赤い信煙弾が上がった。 「おいおい何だよ。あいつらまるで待ち伏せてたみてぇに湧いてきやがって」 「ルッツさん。あれ、隣の隊の奴じゃないですか?」 同じリヴァイ班のアルネさんが、右から駆けてくる兵士を指差して言った。青ざめた顔した兵士が私達に合流する。 「おい!どうした!?」 「巨人の群れです……!右翼が、右翼がそいつらにやられています……っ!」 左右どちらも一斉に巨人に襲われたという事実に、思いきり歯を食いしばった。誰も乗っていない馬が駆けて行くのが見える。主は死んでしまったのだろうか。 最悪な展開すら想像してしまう。 「きやがったな」 ルッツさんが見つめた方向に三体の巨人。まだ私達のところまで距離はあるけれど、こちらへ向かっているのは間違いない。 「こりゃ兵長が向かった左翼だけじゃなくて、右翼もやべぇことになってんな」 「これ以上深く入られたらヤバいんじゃない?俺らである程度始末しとく?」 「どうしますか!?」 「すぐ近くに森があるのが見えるか!?まずはあそこに誘導して一蹴するぞ!」 「りょーかい!」 ルッツさんは先ほど助けを求めに来た兵士に、後方の班に合流するよう促した。 残った私達は巨人と戦うため、森へと全速力で向かった。つられるようにして、巨人達がゾロゾロと集まりだす。 「アルネは右翼索的の様子を見てきてくれ。ただし深追いはするな。ヤバくなったらすぐに逃げろ。近くに兵士がいたらこの森より向こうに誘導してくれ」 「了解しました!」 アルネさんの背中を見送りながら、木の下に馬を繋ぐ。そして巨人の足音が大きくなるのを感じながら、急いで木の上に飛び乗った。 「ナマエ。お前は待機してろ」 「嫌です。一体でも多く削ぎます」 「さすがナマエちゃん。怖くはないの?」 「大丈夫です。私、死ぬのは怖くないので」 「はっ、やっぱそんじゃそこらの男達より肝が据わってるな。よし行くぞお前ら!」 まず追いかけてきた三体を、それぞれ一体ずつ仕留めていく。 さすがルッツさんとテオさんだ。二人の的確な動きを見て私も力が入る。 「そら次が来たぞ」 「はーい、いらっしゃいませ。巨人御一行様」 どれくらいの時間、森へ誘導されてきた巨人をひたすら倒したのか。体感ではもう分からなかった。 「はぁはぁ。あらかたやったか?」 「そうですね……そろそろ戻りますか?」 「ふぅ……討伐数増えるのは嬉しいけど、これ以上はキツいね」 さすがにこれだけの数を相手にしたのは初めてだ。汗を拭って下で待つ愛馬を確認する。するとそこにアルネさんが戻ってきた。 「索的はかなりやられてましたが、残った兵士の誘導は無事完了しました!」 「よし、よくやった!俺らも帰るぞ!」 「ルッツさん。もう一仕事必要かも。滑り込みの奴がいる」 「ちっ。あの一体を仕留めたら休まずすぐ馬に飛び乗るぞ!」 その言葉を聞いて、一番最初に飛び込んで行ったのはテオさんだった。この森で一番討伐してたのも彼だ。 誰よりも勇ましいその姿が、一瞬で変わり果てることなど誰が予想出来ただろうか。 切りかかろうとした瞬間、テオさんのワイヤーが巨人に掴まれる。そしてテオさんの体は軽々と飛ばされ、木へと思いきり激突していった。 「テオさん……っ!!」 そしてテオさんの体は、そのまま木の下へと落下して行った。 「こんのっ……野郎!」 続いたルッツさんが、その隙をついて巨人を一発で仕留める。その間私はすぐさま、テオさんの元へと向かった。 「テオさん!わかりますか!?」 「うぅ……っ、腹が……痛ぇ」 意識はある。腹部は……折れた木の枝が刺さってかなり出血している。それから右足の骨折か。 「待ってて下さい!」 急いで医療用具を取りに走る。そして再びテオさんのところに戻ると、ルッツさんとアルネさんも駆け付けていた。 「はっ、はっ……」 「テオさん大丈夫ですよ!私が絶対助けますからね!」 「おい!どうなんだ!」 「足の骨折は固定すれば大丈夫です。問題は……」 腹部のこの出血だ。臓器か血管が大きく損傷している。門までの距離を考えると、このままにしておいたら確実にテオさんの命は危ない。 「アルネさん、輸血の準備をするので手伝って下さい!」 「わかった……!」 後ろからまた大きな足音が聞こえてくる。けれど振り向いてる余裕など一切なかった。 「俺が仕留めるから続けろ!」 ルッツさんが再び木に上っていくとその数秒後。巨人が倒れ込む音が響いた。 これ以上巨人が来なければ間に合う。ルッツさんが足止めしてくれている。だから大丈夫。あと少し。あともう少しだけ……! 「おい何だよあれ!」 アルネさんが大声で私の背後を指差した。あまりにも怯えるその様子に、思わず私も振り返ってしまった。 視線の先に見えるは、こちらを目指して走ってくる四体の巨人。一瞬で絶望が私達を呑み込んでいく。 「お前ら今すぐ木に上がってこい!」 ルッツさんが叫んだ。その指示にすぐさまアルネさんが反応する。 「ナマエ!何してんだ!」 「嫌です!離れません!」 だって私がここを離れたら、真っ先にテオさんが食べられてしまう。それに今ここで応急処置をしないとテオさんは助からない。 「……っ、ナマエ、ちゃん」 「テオさん!?テオさん!分かりますか!?」 「早く……逃げろ」 「嫌です!」 「……っ、どのみち、助からない、だろ……」 「私が絶対に助けます!」 「ナマエ!早くしろ!」 私の任務はリヴァイ班全員の命を守ること。何があろうと命に換えてでも守ってみせる。そう誓った。 もう一度振り返ると、巨人がすぐ側まで迫っていた。 あぁやっぱり怖くない。 だって私が一番怖いのは……。 死を覚悟したはずなのに。 目に飛び込んできたのはあの日と同じ。 ──何よりも眩しい閃光。 次に瞼を開けた時には、巨人がゆっくりと倒れていくのが見えた。見間違えるはずなんかない。倒れた巨人の上に立っているのは、間違いなく貴方だった。 「っ、兵長──!」 左翼にいたはずの兵長がどうしてここに……! 兵長が瞬く間に巨人達を一掃していく。そうして兵長は圧倒的な力で巨人達を仕留め終わると、すぐに私のところへ駆け寄ってくれた。 「テオの状態は?」 「腹部損傷と右足骨折です。腹部は出血が多く、早急に手術が必要です。しかしこのままでは壁に着く前に危険な状態になりかねませんので、輸血をしながら帰路を急ぎます」 「手術をすれば助かるんだな?」 「はい!絶対に助けます!」 「俺が巨人をやる。お前はなるべく早く処置を終わらせろ」 出発前に、俺が援護すると言ってくれた時の兵長を思い出す。私は何故だか溢れ出てしまいそうな涙を堪えて、テオさんの処置を再開した。 兵長が最後にもう一体現れた巨人を仕留めたと同時に、私の処置も無事終わることが出来た。 後はテオさんを馬に乗せて戻るだけだ。 「ルッツさん。この輸血スタンドは特殊な装置で足元に固定していますが、一応こうして手で支えていてもらえますか?」 「わかった」 「テオさん。ルッツさんにくくりつけますからね。痛いでしょうけど、もう少しの辛抱ですよ」 よし。これで後は私と兵長が後方から守るようにして走れば大丈夫。 「行きましょう!」 私の合図と共にリヴァイ班が走り出した。もう隊列を離れてしまったから、広い平原には私達以外は誰も見当たらなかった。少しずつあの高い壁が見えてくる。振り向くと兵長と目が合った。兵長と話したいことがたくさんあるけれど、今は無事に帰還することが先決だ。 「よし、着いたぞ!」 「テオさん大丈夫ですか!?これから医務室に移動して緊急手術をします!」 私達の元へすぐさま担架が運ばれてくる。駆け付けてくれた兵士達の顔を見て、思わず安堵のため息が溢れた。そこにいたのは、調査兵団の帰還を待っていた特殊医療班の皆だった。 「彼の緊急手術を行います!医務室までお願いします!」 「了解しました!」 テオさんの手術へと向かう。その間も私は兵長と言葉を交わすことはなかった。 ◇ 数時間に渡る手術を終え、手術着を脱ぎ捨てる。渇いた喉に紅茶を流し込みたい。そう思いながら手術室を後にした。 その途中、薄暗い廊下の向こうで誰かが壁に持たれているのが見えた。それが誰だかわかると、肩の力が一気に抜けた。 「……手術は無事成功しました」 「そうか」 もしかして待っていてくれただなんて、そんな都合の良いことを考えてしまうのは、私もよほど疲れているからなのだろうか。 「……また兵長に命を救って頂きました。ダメですね私……助けてもらってばかりで、一人じゃ何も出来ないんですから」 私のバカ。助けてもらったお礼をするつもりだったのに、真っ先に弱音なんか吐いて……。 「兵長がいなければ、私は死んでいました……」 それでも兵長はいつだって、弱い私を受け止めてくれる。 「だがお前がいなければテオは死んでいた」 兵長。私、少しでも頑張れましたか?少しでもお役に立てましたか? まだ体が震えているんです。もう壁の外じゃないのに、恐怖が私を支配しているんです。 「お前は死ぬのは怖くないと言ったが」 兵長の目が私を捕らえて離さない。 「自分が死ぬのは怖くないだけで、誰かが死ぬのは怖くてたまらねぇんだろ」 気が付いたらポタリと涙が落ちていた。誰も知らない私の心。どうして兵長だけは見透かしてしまうのだろう。 ダメですよ兵長。わかっていても知らない振りをしなくちゃ。じゃないとこうして涙が止まらなくなってしまいます。 「……っ、怖かった、です」 次々に涙が溢れていく。これ以上弱い自分を見られたくなくて、手の甲で顔を覆いながら俯いた。 早く止めなきゃ。止まれ止まれ。 ──瞬間、ふわりと香りが掠めていく。 何が起きたかわからなかった。温かい体が私を丸ごと包み込み、優しい手が私の頭を掴んで胸へと沈みこませる。それが兵長に抱きしめられているのだとわかると、体が硬直し身動き一つとれなくなってしまった。 「お前はよくやった」 「っ……へいちょ」 「バカには変わりねぇがな」 「……少しも成長していませんか?」 「あぁ、あの日からずっとな。お前はもっと自分の命を大切にしろ」 この日、特殊医療班は確実な一歩を踏み出した。 ここからまた私の生活は、色を変えていくのだった。 ←back next→ |