第4話 信念に触れる


足早にナマエがいる医務室へと歩く。
今朝のあいつがいつもと違う様子なのはすぐにわかった。目が腫れているのは徹夜のせいか知らねぇが、クソメガネに関わるとロクな事がねぇのは確かだ。
わかっていたのなら尚更。立体起動の訓練をさせるべきじゃなかった。

後悔の気持ちが押し寄せてるうちに医務室が見えてきた。何故か扉の前に奴が一人で立っている。ほう。これは好都合だ。

「おい、クソメガネ。てめぇ」
「しー!静かに!」

何をしているのか知らねぇが、中を覗くように促されるも無視をする。そんなことより俺はてめぇに用があるんだ、と言いかけた時だった。扉の向こうにいる女の顔を見て、俺は言葉を呑み込んだ。

「彼女、リヴァイにしつこく付きまとってる子だよね?」
「……あぁ」
「あちゃー。じゃあやっぱりナマエは絡まれちゃってるのか」

何だあのクソみてぇな状況は。すぐに医務室に踏み込もうとした体は、ハンジによって全力で止められた。

「てめぇ……何しやがる」
「今リヴァイが行ったらもっとややこしくなるから!」
「うるせぇ。どけ」
「待って……!もう少し様子を見よう」

これ以上何を見るってんだ。

「多分、ナマエなら大丈夫だから」

そうこうしている内に、ナマエがあの女に悪意の限りをぶつけられていた。

「うわ……きっついな。リヴァイってあんな子と付き合ってたの?」
「付き合った覚えはねぇ」
「でもヤることはヤったんでしょ?」
「うるせぇな……かなり昔の話だ」
「ちゃんとけじめをつけないからだよ」

ムカつくがこいつの言う通りだった。あの女に特別な感情は全くない。言い寄ってくる女達の中から都合が良さそうな女を選んで、性欲処理として関係を持っただけだった。 それがあの女を勘違いさせてしまったらしい。最近はやたらと付きまとったり、部屋まで押し掛けてくるようになってうんざりしていたところだ。
俺に落ち度があることはわかっている。それでもナマエが俯く姿を見るのは何よりも不快で仕方なかった。
再びハンジの腕を振り切ろうとしたその時だった。ナマエの大きな声が廊下まで響いてきた。

「……私は生半可な気持ちでリヴァイ班にいる訳じゃない!私は調査兵団に、特殊医療班に命を懸けてるの!」

その声にいつぞやのナマエを思い出す。
それは数年前、エルヴィンの部屋を訪れた時──。

『お願いします団長。特殊医療班の件、もう一度考えてもらえませんか?』
『君の考えは悪くない。だが実行するにはまだ早い』
『でもその間にもまた多くの仲間を失ってしまいます。私は一人でも多くの人を助けたいんです!お願いします!』
『率直に言おう。この班を結成させるには、君ではまだまだ実力不足だ。身の程をわきまえなさい。まずは私を納得させるだけの高い技術を身に付けてから改めて来るといい』
『……わかりました』

振り絞るような声であいつは部屋を後にした。

『おい。あれが特殊医療班だかを作ろうとしている例の兵士か?』
『そうだ』
『お前にあれだけ言われちゃさすがに諦めるだろうな』
『いや、逆だよリヴァイ』
『あ?』
『いい目をしていた。信念を持った目だ。彼女は必ずまた私のところにくるはずだ』

あの時から何も変わらない。いつだってナマエは命懸けだった。そしてやっと俺のところまで辿り着いた。
落ち着きがなかったりヘラヘラ笑ってバカみてぇなことばかり言ったり妙な奴だが、時々見せる火の付いたような目はエルヴィンが見たそれと同じ。
ナマエに言い負かされた女がこちらに向かってくる。そして俺の顔を見るや否や、血の気の引いた顔をしていた。

「……あっ」

そのまま腕を引っ張って、人気のない廊下へ連れ出した。

「兵長……私、っ」
「いいか。金輪際俺とあいつの前に顔を見せるな」
「そんなっ!だって兵長は私を!」
「勘違いするな。特別な感情は一切ない。お前も分かっていたはずだ」

そう言うと女は泣きながら走り去って行った。

「それ、けじめをつけるって言うのかな」

そういえばこいつにはまだ言うことがあったか。

「おいクソメガネ。ナマエに徹夜させてまで巨人の話に付き合わせるのは大概にしろ」
「徹夜?何の話?」

何のって。確かにあいつはハンジと徹夜をしたと──もしかして嘘をついていたのか?
だとしたらそれも全て自分のせいだと理解しながらも、俺の苛立ちは増すばかりだった。





一週間と五日が過ぎた。
あれからまた兵長の恋人に何かされるんじゃないかと警戒していたけど、ビックリするほど平穏な毎日だった。何だか肩透かしをくらった気分だ。
兵長とは班行動の時以外は全く会ってはいない。もうあんな風に関わったりしないと決めたのだから、これが正しいと信じて疑わなかった。

「ハンジさーん!」
「おっ、ナマエー!」

廊下の向こうにハンジさんを見つけてブンブンと手を振る。

「こんな遅くまで何してたの?」
「怪我の状態の確認も兼ねて自主訓練です」
「なるほどね。壁外調査には間に合いそうかい?」
「はい。思ったより治りが早くて一安心です」

お手伝いの仕事は終わっちゃったけど、今日もハンジさんのところにお邪魔しようか。一人でいるとどうしても余計なことを考えてしまう。不安ばかりが募り声をかけようかと迷っていると。

「……っきゃあ!」

いきなり目の前が塞がれた。

「悪いな。こいつを借りるぞ」

その声に全身にぎゅっと力が入る。後ろから顔を覆ってるこの手は間違いない。

「……兵長!?」
「ついてこい」

視界が明るくなったと思ったら、今度は腕を掴まれ引っ張られる。解こうとしてもびくともしない。何度かよろけながら着いた先は、二度と訪れないと決めた兵長の部屋だった。

「入れ」
「ちょっ……待って下さい!わぁ、っ!」

半ば押し込まれるような形で踏み入れてしまった。相変わらず綺麗な部屋。って違う違う……!
振り向くと兵長の眉間にまた皺が寄っている。私も少しは分かってきた。これは多分、いやかなり怒っているに違いない。

「今日で一週間と五日だ」

いきなり何を言うかと思えば。

「てめぇはいつになったら紅茶を入れに来るつもりだ。俺の健康管理がしたいとか頭を下げてた割にはもう職務放棄か。威勢ばかりよくて無責任な奴だな」

早口で捲し立てられ、呆気に取られてしまった。
だって……だって、来られるはずないじゃないですか。あんなところを見させられて、恋人に邪魔者扱いされて。私だって約束を破りたくなかった。兵長とまた紅茶を飲みたかった。
全部全部兵長のせいじゃないですか!

「兵長のバカ……っ!」
「……何だと?」

こんなこと言うつもりじゃなかったのに。兵長にバカだなんて。今さら口を押さえたってもう遅い。
何もかも終わったかも……。
ならいっそ本当のことを言うまでだ。

「バカって言った理由はですね。しょ、正直に言いますから怒らないで下さいね……?」
「それはその理由とやらによるが」
「……私、見ちゃったんです」
「何をだ」
「兵長が、その、キス……しているところをです。もちろん覗くつもりなんてこれっぽっちもなかったんです!たまたまなんですよ!悪気は全くないんです!」
「おい……それはいつだ」
「一週間と五日前……です」

兵長が一瞬フリーズしたように見えた。よくよく考えれば、部下にそんな場面を見られていい気分はしないだろう。

「仕事以外の用事で何度もこちらをお尋ねしてしまって、兵長の恋人には本当に申し訳ないことをしました。今後一切こちらにはお邪魔しないようにします。ということで」
「おい、待て。勝手に話を終わらせるな」

強い口調で引き止められた。

「あいつは俺の恋人なんかじゃねぇし、そもそも俺には恋人なんていない」
「え?え……?どういうことですか?」

あの人が恋人じゃないの……?どういうことだろう。それじゃあ私が見たものって。

「つまり兵長は、恋人じゃない人ともキスをするということが言いたいんですか……?」
「馬鹿野郎。どうしてそうなるんだ」

全然理解が出来ない。兵長に恋人がいないのはわかった。けれどキスをしたのは事実で、私は馬鹿野郎。なんて理解不能で理不尽な!

「あれは……俺の意思じゃない」
「そ、そうなんですか?」
「好きでもねぇ奴とするか」

急に真っ直ぐな目を向けられて、思わず逸らしてしまった。今日の兵長はいつもと違う。どこがと聞かれても難しいけれど、何だか妙だ。
でもこれでようやくわかった。

「そうですか、私やっと理解しました……!つまり兵長は襲われた、ということですね?」

こう言っちゃ失礼だけどあの人ちょっと不気味だったもんね。しかし世の中には積極的すぎる女性もいるものなんだな。

「まぁ……そういうことでいいかもな」
「え?何ですか?」
「いや。こっちの話だ。とにかくあいつの話はもう二度とするな」

兵長がそこまで言うなんて、よっぽどのことがあったんだろうか。

「……そんな事情があるとは知らずに、バカだなんて言って本当にすみませんでした」
「いや。あいつはもう退団したから気にする必要はない。というか全部忘れろ」
「え!?退団した!?」

う、嘘。もしかして。

「すみません兵長……!私、あの人と一度だけ接点がありまして、その際揉めてしまって……もしかして退団したのは私が原因なんじゃ……」
「バカ言え。お前は全く関係ない。さっきも言ったがとにかく早急に全部忘れろ。いいな」

まさかあの人……兵長にキスしたからクビになった、とか……。ありえない話じゃない。班内恋愛禁止なんてルールがあるのに、キスなんてしたら切腹ものなのかも。いっそ兵長に聞いてみたいけど絶対に聞けない。
でも何だかほっとした。兵長に恋人はいないんだ。まだ私は兵長の傍にいてもいいんだ。
それにあの人にもう会わなくて済む。万年人手不足の兵団なのに私は薄情者だ。こんなことを思ってごめんなさい団長。

「あの……私は以前のように、兵長の部屋をお尋ねしてもよろしいのでしょうか?」
「あぁ。別に好きな時に来て好きなだけいればいい」

いつも以上に山積みになっている書類が見えて、不謹慎にも笑みが零れてしまった。これならまた兵長のお役に立てそうだ。

「でもいつか私がお邪魔になる時が来たら、その時はいつでも遠慮なく言って下さいね」
「余計な心配はするな。俺はお前以外を部屋に入れる気は毛頭ねぇぞ」

やっぱり今日の兵長はどこか変だ……いくら私がバカだからってそういうのは勘違いしちゃいますよ。だから襲われちゃうんですよ、きっと。

「それよりナマエ、昨日はどこで徹夜した」
「どこってハンジさんの部屋ですよ?」
「夜には部屋に戻ったと聞いているが」

どうしてそれを……!

「もしかしてその目の腫れ」
「えーっと……そ、そうだ!兵長の言う通りもう全部忘れましたということで!」

急いで背を向けて茶葉を取りに行く。
さぁ今夜も一緒に紅茶を飲みましょう。


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