第3話 貴方の為に死にたい


肌寒い季節になってきた。そのせいか湯気を立てた紅茶が、より美味しそうに感じる。

「兵長。そろそろ休憩にしましょう」

そう声をかけて、兵長の机にティーカップを置いた。兵長が手を止めたのを確認して、少し離れたテーブルに自分の分のカップを置く。
あれからというもの。
時間の許す限り、私は兵長の元を訪れていた。もちろん紅茶を淹れるだけじゃなく、兵長の体調管理と仕事の手伝いもこなしている。
やましい気持ちがないと言ったら……自分のカップを見て思わずニヤニヤしてしまう。

兵長のお部屋に二回目の訪問をした時。
今日みたいに兵長に紅茶を淹れた時のこと。

『自分の分を淹れねぇバカがどこにいる』

兵長のバカという言葉も聞き慣れてきた。そう言いながらも兵長は優しいのだ。その証拠にその日兵長は、ちゃんと私の分のカップを用意してくれていた。
つまり今私が使っているこのカップは、“兵長の部屋に常時置かれている私だけのカップ”という訳だ。
あぁ、愛しすぎる。マイカップ。

「何度も言うが紅茶を飲むたびに見せる、そのだらしねぇ顔はどうにかならねぇのか」
「はっ……またしてましたか!?」
「むしろだらしねぇ顔しかしてねぇな」

慣れとはある意味恐ろしい。兵長の隣にいることでさえガチガチだった頃が懐かしいくらいだ。今やもうリヴァイ班で紅茶仲間とは、昔の自分が知ったら卒倒するだろう。

「そういえばこの間頼まれてた書類整理が終わりました」
「おい……まさか」
「ご心配なく。ちゃんと睡眠は取っています」

嘘だ。兵長の役に立てるのが嬉しくて睡眠時間を削ってしまった。

「そうか。ご苦労だったな」

兵長とこうして過ごせるなら寝不足の一つや二つ。それどころかこうして会うたび元気を貰ってるくらいだ。

「この茶葉、初めて飲みましたけど凄く美味しいですね」
「それは王都に行った帰りに手に入れた茶葉だな」
「王都ってどんなところなんですか?」
「クソみてぇなところだ」
「え、そんなにひどいところなんですか?もっと華やかなところを想像していました」

このティータイムで私と兵長は日々色んな会話をした。
一緒に過ごすようになってわかったことは、兵長は意外とよく喋るということだ。

「王都に興味があるのか?」
「いえいえ。そういう訳じゃないですよ」
「お前の成績なら憲兵団にも入れたはずだが……どうして調査兵団を選んだ?」

なぜ兵長が訓練生時代の成績を知っているのか驚いていると、すぐさま兵長が答えをくれた。

「お前の資料はひと通り目を通している」

沈黙が流れる。
私が調査兵団に入った理由、か。

「一番の理由は誰かの役に立ちたかったからです」

ここからは資料には載っていない話だ。

「そもそも私は成績なんて関係なく、初めから調査兵団に入るつもりでした」

少しだけ声が震えてしまう。

「昔の話ですけど、調査兵団に私の恩人が所属していたんです。兵団の詳しい存在を知ったのはその方からですね」
「していたということは……」
「はい。もう今はいません。壁外調査の時に、と聞きました」

私が入団した時にはもう遅かった。彼の最期を教えてくれた兵士も今はもういない。それほどまでに調査兵団は生存率が低い。私だって次の壁外調査で死ぬかもしれない。もちろんそれも覚悟の上で私も入団した。

「医学を教わったのはそいつからか?」
「それはここの医療班からですけど」
「ある程度誰かから教わっていたんだろ。そうじゃねぇと入団して二年で、あれほどの技術を身につけるのは到底無理だって話だ」

誰からそんなこと……。
そっか。でも医療班にいた頃も散々聞かれた話だから、今さら珍しい事じゃない。

「私に医学を教えてくれたのは、また別な人ですよ」

ここまで話したのは兵長が初めてだ。でも今はまだ、これ以上は話せない。

「ご馳走様でした。さて、兵長のお手伝いも終わりましたし、次はハンジさんのところに行ってきます」
「今日から一週間だったか」
「はい。捕獲装置の開発に関するお手伝いです」

話を逸らすように立ち上がった。きっと兵長もそんな私に気付いているだろう。

「ナマエ。ハンジのところに行くならついでにこれも持っていけ」

あれ、今。
名前……呼んでくれた……?いつもはお前って言うのに。

「一週間後にまた紅茶を入れに来い」
「はい……!」

身に余る程の幸せに浸りながら、この時私はまた自惚れていた。


ハンジさんと開発作業に没頭してすっかり夜を迎えた頃。自室に戻る途中、抱えた書類の中から用事を一つ思い出した。

「そういえばこの資料……」

間違って兵長のところから持ってきてしまった資料だった。すぐに使うことはないとはいえ、明日から一週間兵長の部屋には行けない。
それならばもう一度、と方向転換して兵長の部屋に向かった。それが現実を知ることになろうとは思いもしなかった。
廊下に微かな明かりが漏れている。兵長の部屋の扉が少し開いてるのか。近づくとその隙間から、何やら声が聞こえた。
兵長の部屋に誰かがいる。誰だろう。
そっと扉を開けた瞬間見えたのは

兵長と──女の人。

開けなければよかった。
だって。

兵長がその人とキス……してた。

頭が真っ白になって、気がついたら廊下を全速力で走っていた。

息が上手く吸えない。私は今何を見たの?嫌だ。今は何も思い出したくない。

「はぁ、はぁ……っ!」

逃げるように部屋に飛び込み、そのままペタリと座りこんだ。
リヴァイ兵長は人類最強の兵士だ。その強さは皆の憧れであり誇りでもある。そんな兵長が好きだって人は私以外にもたくさんいるし、所謂男女の関係の噂も何度か耳にしたことはあった。

バカだな、私。兵長に恋人がいたっておかしくないのに。その可能性を全然考えてなかった。そっか、ああやって夜に会ってたんだ……。

「……っ」

泣く資格すらないのに涙が溢れて止まらない。そのまま私は一歩も動く事が出来ずに朝を迎えた。





一週間会えないと言っても、それは二人きりで過ごすティータイム限定の話であって、日々の訓練は当たり前にある。
しかも今日に限って立体起動の訓練だなんてついていない。あれから一睡も出来なかったせいで、体が鉛のように重い。

「どうした、寝不足か?」
「そうなんですよ。昨日ハンジさんと巨人の話で盛り上がっちゃって。結局朝までコースだったんです」
「おいおい。そんなんで大丈夫なのかよ」
「眠くて倒れたら、ルッツさんがおぶって下さいね」
「そういうのは俺に任せてよ」
「テオさんはダメ」

兵長に誤解されちゃうし……って、誤解されても別にいいのか。

「おいお前ら。さっさと並べ」

本当は兵長の顔を見るのも辛い。昨日の昼間にあんなに楽しかったのが嘘のよう。とりあえず一週間はハンジさんのところに行くことになっててある意味助かった。今なら変に避けちゃう気がするし……その間にちゃんと気持ちの整理をしよう。

そうだ。初日の自分に戻ればいいんだ。私は何があっても兵長が好き。それは変わらないけれど、その気持ちを伝えることだけはしない。今私のするべきことは特殊医療班の価値を団長に証明して一人でも多くの人を助けること。
何だ。簡単なことだ。だって兵長に恋人がいようがいまいが、私のやることに変わりはないもの。

だから兵長。今まで通り想うだけならいいですよね……?

「ナマエっ!」

兵長がまた私の名前を呼んでくれた。嬉しいと思う私は何て単純だろう。モノクロだった視界がクリアになった気がする。
でも気づいた時には遅かった。瞬間、私の体は思いきり木に激突していた。

「っ……痛ぁ」

骨は……折れてはいないようだ。

「馬鹿野郎!何してやがる!」
「すみません……っ、ちょっとヘマをしました。でも打撲だけなんで大丈夫です」

立ち上がろうとすると今度は眩暈が襲ってきた。打撲のせいか。寝不足のせいか。それとも兵長のせいか。

「ルッツ、こいつを医務室に連れていけ」

怒ってるけど優しい、いつもの大好きな兵長だ。それが今の私には皮肉にも苦しい。

「大丈夫です。一人で行けます」

このまま医務室に逃げ込みたいと思った自分は、医療班の人間として失格だと思う。でも今だけはそれすらも許してほしかった。





こんな気持ちで医務室を訪れるのは初めてだ。無音の部屋に扉を開ける音が響き渡る。
……あれ、誰もいない。そういえば今日は医療班全員が出席する会議があるんだっけ。でも一人になりたかったらちょうど良かった……。
症状に合わせた医療器具や薬を淡々と揃えていく。そしてそっと兵服をめくり、負傷した部分を露出させた。

「あちゃ……結構腫れ上がってる」

思ったよりも打撲の範囲も広い。
もうすぐ壁外調査なのに、とバカな自分を責めながら自身を治療した。

「ふぅ……」

治療を終え、ベッドち腰を下ろそうとした矢先だった。無音の部屋に誰かの気配と音がする。
誰だろう。訓練中に誰かが負傷したのかな?
扉に視線を向けると、そこには金色の髪を靡かせた女性の兵士が立っていた。

「こんにちは」
「こんにちは。怪我の治療ですか?あいにく今医療班の皆さんは会議で席を外してまして……」
「そう」
「もしよろしければ私が診察しましょうか?私、特殊医療班のナマエ・ミョウジと申します」
「ええ。知ってるわ」

この人……どこかで見たことあるような気がする。
この長い金色の髪。確か、あ……あの時の──。

「私の目的は貴方とお話することだから」

はっきりと鮮明に蘇る光景。間違いない。あの時兵長とキスしてた人だ。
つまりこの人が正真正銘兵長の恋人──。

「お話したいこととは何でしょうか?」
「貴方よね?最近兵長の班に配属された人って」
「はい、そうです」
「じゃあ一刻も早く抜けてちょうだい」

一瞬で理解した。これは明らかな敵意だ。

「ねぇ、どんな手を使って兵長に近づいたの?色仕掛け出来るような感じには到底思えないけど」

クスクスと見下した笑みを浮かべている。
どんな手って。

「……異動に関しては団長が決めたことです。ご不満があるのでしたら、私じゃなく団長にお話下さい」
「へぇ、団長まで。見境ないのね」

この人、さっきから失礼な事ばかり言って……。私は汚い手なんて一切使ってない。こうして団長に認めてもらうまで、どれほどの月日を費やしてきたことか。何度も何度も挫折しかけて、死ぬもの狂いでここまでやってきた。

「最近兵長の様子がおかしいのは、貴方がまとわりついているからよ。単刀直入に言うわ。目障りなの。兵長の前から消えて」

剥き出しの嫉妬に言いたい言葉を一度呑み込んだ。
兵長の恋人なのだから、必要以上に兵長に近づく女がいたらこう思うのもきっと無理はない。彼女の気持ちは全うなものなのだろう。
でもだからってそんな言い方……そもそも私は私の夢のために必死で…………あーもう、駄目だ。

兵長、ごめんなさい。
だってとにかく、あったまにきた!

「絶対嫌」
「何ですって?」
「貴方が私を不快に思ってるのは伝わったし、もう不必要に兵長には近づかない」

恋人がいるのに部屋で二人きりになってしまったのは、私にも落ち度がある。

「でもそれと兵長の班を抜けるのは別な話」
「貴方、何様……!」
「……私は生半可な気持ちでリヴァイ班にいる訳じゃない!私は調査兵団に、特殊医療班に命を懸けてるの!」

もちろん兵長の班に配属されて浮かれていたバカな自分もいた。けれど私は兵長に愛されたくて傍にいる訳じゃない。もう大切な人を失いたくないから、特殊医療班を結成して全てを懸けてきた。

私は誰かの役に立ちたい。願わくば私の命を救ってくれた兵長の役に立ちたい。

──そのためなら命を捨てても構わない。

「私の夢を邪魔をするなら全力で受けて立つよ。そのかわり貴方ももちろん命を懸けるのよね?」
「な、何よその目は……っ!」

そのまま睨み続けていると、先に目を逸らした彼女が何も言わずに部屋を出ていってしまった。
仮にも兵長の恋人なのに思わず怒鳴ってしまった。こんなことになるなら、もう不必要に兵長と一緒にいるのは止めよう。
それにしても兵長も、あんな風にネチネチ嫌みを言う人が好きなんだ。私のことバカなんて言えないですよ。

……兵長のバカ。


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