第2話 任務と責任 兵長の班に配属された運命の日から、二週間の月日が流れた。 「あっははははは!それで興奮して初日から熱を出したの?」 「はい……自分でも情けないことに」 この二週間について、事細かくハンジさんに話してみたらこの有り様だ。それもお腹を抱えて涙まで流してる。 「あー面白い!久々にこんなに笑ったよ」 「分隊長、そんなに笑っちゃ、ナマエに失礼……」 「いやいや!モブリットさんだって必死に笑いをこらえてるだけで、似たようなものですから!」 特殊医療班の自分が発熱するなんて、情けないにも程がある。それも原因は疲れでもなんでもなく、リヴァイ兵長と話して興奮したからです、なんてもう正直バカすぎて笑えない。目の前の二人には盛大に笑われているけれど。 「初日はともかく、話を聞く限りでは順調みたいだね」 「はい、自分でもかなり手応えを感じています。もちろん課題もたくさんありますし、訓練は凄く厳しいです。でも何より兵長の班にいると、たくさん学べることがあって楽しいんです」 厳しい訓練に慣れない任務。疲れていないと言えば嘘になる。けれど自分なんかにこれだけ大きなチャンスが与えられただけ、凄く恵まれていると思う。 「この前なんて、兵長が直々にアンカーの使い方を教えてくれたんですよ!それも凄く細かいところまで!」 教えてやる、と言われた時は心の中で思いっきりガッツポーズをした。 「そのおかげでかなり扱い方が上手くなった気がします。以前に比べてかなり速度も上がりましたし。何より兵長がお手本を見せてくれるんですけど、その動きが芸術的で本当に美しいんですよ。もう感動して涙を堪えるのに必死で……」 「ナマエ……あなた、本当にリヴァイのことが好きなんだね」 「今更ですか?これまでに何度も好きだってお話してるじゃないですか」 「いやそれはそうなんだけどさ。ねぇ、もういっそ本人に直接言えばいいんじゃない?」 「はい……!?直接なんて絶対無理ですよ!立ち直るどころか、生きていける気がしません……!」 「どうして振られることが前提なの?」 「振られる以外の選択肢があるとでも!?そもそも……」 そこで言葉に詰まってしまった。 「そもそも?」 「私……班員としてまだ全然信頼してもらってないですし……」 愛だの恋だの、私と兵長には程遠い話だ。まだ班に加入してから月日は浅いし、二週間で判断出来ることではないと、ハンジさんは口にするかもしれない。もちろん毎日楽しいのも嘘じゃない。 ただ私は自惚れていたのだ。 『兵長。班員の健康管理についてなんですが、毎週報告書を作成するので、兵長にはぜひ目を通して頂きたいと考えていまして』 『好きにしろ。そのへんは全てお前に任せる』 『それで、兵長の健康管理はどのようになさいますか?ご希望であれば……』 『いい』 『え?』 『必要ない』 『あ、でも……』 『必要ないと言っているのがわからねぇのか?何度も言わせるな』 兵長の冷たい表情とより低く圧のかかった声に、バカな私でも一瞬で理解した。 ──強い拒絶。 私は何を浮かれていたのか。まだ兵長の信頼を得るようなことは何も成し遂げてもいない。それなのにすっかり班員気取りしていた自分が、恥ずかしくてしょうがなかった。そして勝手に兵長の言葉に、寂しさと悲しさを感じていた。 そう事実を話すと、なぜかハンジさんは笑顔を浮かべていた。 「ナマエはリヴァイのどこが好きなんだっけ?」 幾度となくハンジさんとこのやりとりをしてきた。そして私はまた今日も同じ返答をする。 「仲間思いで優しくて、カッコ良くて強くて男らしくて……」 「うん、そうだったよね。じゃあ何かリヴァイにも、理由があるんじゃないかな」 ハンジさんの言葉にハッとする。私はやっぱりバカだ。兵長は仲間思いだって散々言っておきながら、傷つけられたって勝手に落ち込んでいる。 「まぁリヴァイは昔から言葉足らずだしなぁ。でもそれで落ち込むなんてナマエらしくないね。エルヴィンには却下されたり否定されても、何度も食い下がってたじゃない。そうして特殊医療班は結成されて今に至ったのに」 「うー……確かにそうですけど」 「さぁ今日の実験もあらかた終わったし……さっきから右手に持ってるその報告書を、さっさとリヴァイに渡しておいでよ」 ハンジさんの後ろで、モブリットさんも笑顔を向けてくれた。 「ハンジさん、モブリットさん……いつも本当にありがとうございます」 「こちらこそ。いつも手伝ってくれて感謝しているよ」 「兵長のところに行ってきます!」 いってらっしゃいと見送られた私は、足早に兵長の部屋へと向かった。 ◇ 先程の勢いはどこへいったのか。改めて扉の前に立つとこんなにも緊張するものだとは。ノックしようと上げたままの右手が震えている。 この扉の向こうが兵長の……自室……!平常心平常心平常心。よし、いざ! 「おい、人の部屋の前で何してやがる」 「っ……きゃあああああ!」 心臓が止まるかと思った。声のする方向にゆっくりと振り向くと、思わず叫んだ私にこれ以上ないくらい顔を歪めた兵長がいた。 「……何か用か?」 「は、はい。以前お話していた報告書に目を通して頂きたくて……」 「そうか。入れ」 カチャリと扉が開けられる。 初めて入る兵長の部屋は、真っ先に「綺麗」という文字が浮かぶほど、とても整理整頓されていた。無駄なものは何一つないシンプルな部屋だ。ここで兵長が毎日過ごしているのかと思ったら、無駄にドキドキしてしまった。 「それで報告書とやらは?」 「こちらです。私なりに、班員の状態と日々の様子をまとめてみました。例えばこれを参考に訓練内容の調整や、壁外調査での配置などを考えたり、状態を考慮した判断が出来ると思います。また該当者が異動になった場合も、特殊医療班の間で引き継ぎ可能です。今のところ週ごとに作成して提出する予定で考えています」 「ほう」 兵長が報告書を片手に、執務用の椅子へ向かった。目の前の机には書類が山積みにされている。 これを兵長が一人で処理してるのかな……? 以前所属していた班長の比じゃない量だ。私の作った報告書を、一枚一枚丁寧に確認してくれている。そんな兵長をじっと見つめる。 兵長の顔がなんだか昨日より……。 「お前の分の報告書はどうした」 「私の分は作成しておりません。当たり前の話ですが、自分のことは自分で把握しておりますので、わざわざ作る必要はないかなと」 それに一枚でも少ない方が、兵長が無駄な時間を使うこともないし。 「兵長……?」 無言でじっと見つめられる。あぁ、これが恋人達の甘いそれだったら。兵長の眉間に寄った皺を見つめながら、そんなバカな事を考えていた。 「一応俺には部下を管理する責任がある」 「はい」 「班員となれば尚更だ」 「承知しているつもりです」 「先日お前は俺の班に配属された。なら俺にはお前も含めて管理する責任があるはずだが」 「……え?」 聞き間違いでなければ兵長、それはつまり私はリヴァイ班の一員、ということでよろしいのでしょうか……? 「何寝ぼけたことを言ってやがる。それとももう根を上げたか?異動してぇならさっさと……」 「いえ!そんなことは全くないです!」 「ならいいが。お前にはまだしごく必要が十分にあるからな」 心のどこかで、兵長にだけは受け入れてもらえていないんじゃないかって思ってた。訓練だって多少なりとも、足を引っ張って迷惑をかけているのもわかっていた。 「お前の報告書はよく出来ている。エルヴィンには俺から話を通しておこう」 今なら聞ける。それにもし嫌がられても、納得するまでは引き下がる気もない。 「あの、どうして兵長の健康管理は必要ないんですか?」 「あ?」 「先程言ったように兵長に部下を管理する責任があるのなら、私には皆さんの健康状態を管理する責任があります。それにはもちろん兵長だって含まれています」 「必要ない」 「どうしてですか?もし私に何か不満な点があるのなら、どんな事でもおっしゃって下さい。精一杯努力して改善します。お願いします!」 頭を下げて懇願した。その上から兵長の溜め息が聞こえてくる。呆れたなら呆れたって言ってくれても構わない。受け止める準備は出来ている。 「……バカが。そういうことじゃねぇ」 「バ……バカ?」 「てめぇの面を鏡で見てみろ。日に日に疲れ切った顔しやがって。俺の健康管理をしてる暇があったら、さっさと自室に戻って寝ろ」 ……ハンジさんの言った通りだ。兵長は言葉足らずすぎる。それとこれで確信した。兵長はやっぱり仲間思いで優しい人だって。 「……兵長、少しお時間よろしいですか?」 「何だ」 「サッと行ってすぐに戻ってきますので、少々お待ち下さい」 「あ?それはどういう……」 何か言いかけていた兵長を置き去りにして、私は部屋を飛び出した。行き先は私の自室。扉を開け急いでカップを取り出す。 「これでよし」 後は零れないようにして急いで兵長の部屋に戻るだけ。あれほど躊躇していた扉がとても軽い。自分が単純で良かったのか悪かったのか。 「すみません。お待たせしました」 「おい、一体」 「どうぞ。ハーブティです」 ハンジさんから兵長は紅茶がお好きだという事は聞いていた。実は私自身も紅茶が好きで、たまにしか手に入らない茶葉を集めるのが、趣味の一環でもあった。 「このハーブティには安眠効果があるんです」 黙ったままの兵長を見つめながら話を続ける。 「その、兵長も昨日より顔色が優れていないようなので……あまり眠れていないんじゃないかなぁって思いまして」 兵長には拒否されたけれどそれでも自分なりに顔色や動きで、変わりはないか体調変化がないか、毎日気にはしていたつもりだった。 「お、お気に召さないのであれば、すぐにお下げしますが……」 「いや……頂こう」 兵長が変わったカップの持ち方でハーブティを口へと運ぶ。 「悪くねぇな」 「本当ですか?良かった……!」 お世辞かとも思ったけど、再度紅茶を口に運ぶ姿を見て一安心した。 「兵長はまだお仕事なさるんですか?」 「あぁ」 やはりこの山積みの書類がそうなんだ。到底今日中には終わる量じゃないけど、明日も訓練の後に遅くまで仕事するのだろうか。 「書類の整理とか資料集めとか、私に出来る事があれば何でも言って下さいね。いつでもお手伝いしますから」 「そこまでバカだと救いようがねぇぞ」 兵長が休めと言ってくれたこと、本当に嬉しかった。自分から仕事を増やして、またバカだって言われたって、これだけは譲れない。 「バカでいいんです。私は兵長のお役に立てればそれでいいんです」 兵長がフーっと長い息を吐いた。ゆっくりと顔を上げた兵長と視線がぶつかる。それは初めて見る兵長の凄く穏やかな目。続けて発せられた言葉は意外なものだった。 「……お前が暇な時でいい。たまにこうして紅茶を用意しろ」 「紅茶を、ですか?」 「その時ついでに俺の健康状態も確認すればいい」 まさかの展開に驚きを隠せない。これは多分兵長が私のために折れてくれた、ということだろう。 「茶葉は俺の物を好きに使え。そこの棚に入っている」 「そ、そんなこと言って私が毎日来たらどうするんですか?」 「構わねぇが」 「……本当に来ちゃいますよ?」 「そのかわり訓練に身が入ってなかったり、他の仕事を疎かにしてたら、その時は容赦しねぇぞ」 駄目だ。やっぱり兵長が大好きで大好きでどうしようもない。その気持ちを噛み締めていると、兵長から難しい質問を投げかけられた。 「それからお前……テオとはどういう関係だ」 どうして今ここで、テオさんの名前が出てくるのだろう。 「付き合っているのか?」 「え!?私とテオさんがですか?まさか!全然そんな関係じゃないです……!」 確かに班の中では一番歳が近いし、よく話しかけてくれるのもテオさんだ。色々と冗談も言ってくるけれど、私の事をからかって遊んでいるのだと思う。そもそも好きな人にそんな誤解されるなんて心外だ。 「そうか」 「あの……どうしてそんな事を聞くんですか?」 「……班内でデキてたりでもしたらめんどくせぇからな」 も、もしかして班内恋愛禁止なの!?リヴァイ班にそんなルールがあるなんて!そっか……じゃあ兵長への気持ちは絶対にバレないようにしなきゃ。まぁよくよく考えてみれば。 「やだな兵長。私みたいなバカな女を好きだなんて言う人、いる訳ないですよ」 生まれてこのかた告白されたことも付き合ったこともないのに。それに私はこうして兵長の傍にいられたら、それだけで満足な生き物なのだ。 「そうだ、少し茶葉を見せてもらっていいですか?」 「好きにしろ」 運命が少しずつ廻り出す。私と兵長の距離を縮めながら。 ←back next→ |