第39話 命


私には家族がいない。
生まれ落ちた理由も知らない。
命の始まりは独りぼっちだった。

そんな私を迎え入れてくれた血の繋がらない両親と家族がいた。
家族を失った私を導いてくれた勇敢な兵士がいた。
生きる理由を最後に見つけた居場所は“調査兵団”という組織だった。
そこには共に戦い、笑い、泣き、共に生きる大切な仲間達がいた。
大切な居場所は最愛の人とめぐり逢わせてくれた。

リヴァイ兵長。

私を愛してくれた人。
私が愛する人。
後悔はない。
迷いもない。
怖いものは何もない。

私には家族がいる。
生まれ落ちた理由も知っている。
命の終わりは独りぼっちなんかじゃない。





目を開けると真っ白な天井が目に入った。
ここはどこなのか聞かなくても分かる。

「……ナマエ?ナマエ!」

次に目に入ってきたのはリヴァイ兵長の顔だった。

「ナマエ分かるか!おい、アルフレート!」
「目を覚ましたんですか!?」

二人の慌てた様子を見て頭の中を整理する。
見慣れたこの部屋は医務室のベッド。
最後の記憶は自分の部屋にいた記憶。
日に日に体が限界に近づいていて、起き上がろうとしたら……意識を失った。

「ナマエさん、僕達が分かりますか!?」
「……うん。大丈夫だよ。私……倒れたの?」
「自室で倒れてたところを、ちょうど部屋を伺ったハンジさんが見つけたんです。すみません、診察をするので触りますよ」
「どんなことでもいい。少しでも気になることがあれば我慢せずにアルフレートに言え」
「今は……不思議とどこも。あの……私、どれくらい眠ってました……?」
「丸二日だ」

二日も意識が戻らなかったんだ。
あの日から二日経ったということは、今日は──。

「あの、兵長。すみませんが……そろそろ時間です」
「……ああ」

カーテンが開けられ兵長を呼ぶ声がする。
現れたのはペトラだった。
ペトラの声に反応はしても、兵長は振り返ることもせず私の手を握りしめたままだった。
この手を振りほどかなければならないのに上手く力が入らない。

「兵長……その、団長が」
「んなこた分かってんだよ!」

兵長の怒声が部屋中に響き渡り、その場にいた全員に緊張感が走った。
こんな兵長を見るのは私も初めてだ。
強張った表情を浮かべているペトラに申し訳なく思う。
兵長をこんな風にさせてる原因は私だからだ。

「ペトラ、団長には僕が話をつける。だからリヴァイ兵長にはここにいてもらって――」
「ダメだよ……アルフレート」

やっとの力で兵長の手を払いのけて、アルフレートを制止した。

「……あ?」
「今日は壁外調査なんですよね……?なら兵長は行って下さい」
「お前、自分の状況が分かっているのか?」
「私がどうとかなんて関係ないです……貴方は調査兵団の兵士長なんです。その人類最強の力で……任務を遂行し部下を守る義務があるはずです……」
「兵士長なんて肩書き今の俺にはどうでもいい。その前に俺はお前の恋人だ」
「……そうですよ。だから恋人の我が儘を聞いて下さい」
「……ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!お前が死にそうな時に壁の外なんざ行ってられねぇだろ!」
「私はまだ生きてます……っ。だから私もまだ兵士なんです。私達は恋人の前に、心臓を捧げた調査兵団の兵士なんです……。兵長は私の意志を継ぐと誓ってくれたことを忘れたんですか……?兵長がここにいることで多くの犠牲者が出てしまったら、それは私の意志に反することに他なりません」

大きな声を出した反動で咳込んでしまう私に、すぐさまアルフレートが寄り添った。
深呼吸を繰り返すように促され大きく息を吸い込む。
このまま兵長を強く抱きしめたい。
不安そうな顔を拭い去ってあげたい。
でもたったこの程度の距離すら、今の私には動いて縮めることも出来ない。

「兵長……」

だから必死に名前を呼んで手を伸ばした。
自らふりほどいたのにまた繋いでほしいなんて。
それでもそんな我が儘を兵長はいとも簡単に聞いてくれる。

「私も誓いましたよ……兵長が帰還するのを待ってるって」
「ナマエ……」
「大丈夫です。私は死んだりしません……生きて、待ってます」

繋いだ手を強く握り返される。

「約束……絶対破るなよ」
「兵長も……ですよ」
「はっ、誰に向かって言ってやがる」
「ふふ。そうですね……」
「ペトラ、さっきはすまなかったな。さっさと行って片付けてくるぞ」
「……は、はい!」
「アルフレート、ナマエを頼んだ」
「ご武運をお祈りします」

兵長が私に背を向ける。
視界に移るは大好きな自由の翼。
私はその翼に向かって右の拳を左胸に当て敬礼をした。





ナマエがいない壁外調査はこれが初めてではない。
それなのにこれほどまでに胸が張り裂けそうなことはあっただろうか。
目の前に現れる巨人全てを全力で削いでいく。
削いで削いで削いで。
削ぎ続けてもこの苦しみは一向に消えてはくれない。

「がああああっ!」
「……何だあの奇行種!」

隣の班が奇襲を受け、負傷した兵士の叫び声が響く。
すぐさま俺は馬から飛び降り、アンカーを刺して巨人を一蹴した。

「うう……痛ぇ」
「おい、馬には乗れるか?俺の班が後ろから援護するから、早いところ隊列に戻れ」
「……はい!」

命に別状はないようだ。
だが傷は深く出血がひどい。

“兵長、五分だけ下さい!この場で応急処置をします”

──ナマエの声が聞こえた。

“私が絶対に治します。お願いします!”

そうか。なら巨人は俺が殺るからお前は手当てを急げ。

“ありがとうございます!”

礼を言うのは俺の方だ。
お前はそうやって幾度となく俺の部下を救ってくれた。

「……ちょう……兵長!彼の応急処置だけでもさせてもらえませんか!?」

何度目かの呼びかけにふと我に返る。
今度はナマエの声じゃない。
俺にそう提案してきたのは、隣の班に配属されていた特殊医療班の班員だった。

「出来るのか?」
「俺が絶対に治します。お願いします!」
「そうか。なら巨人は俺が殺るからお前は手当てを急げ」
「ありがとうございます!」

ナマエ、お前の意志はちゃんとこいつらに、調査兵団に受け継がれているぞ。
お前は兵士としてちゃんと生きている。
今もこれからもずっと俺達と共に……。





ナマエの約束を守り壁外調査を終え帰還した時には、時刻は夕方を迎えていた。
馬を降り兵舎に入ると一番に医務室へ向かった。
戦った姿のままナマエが眠るベッドのカーテンを開ける。

「ナマエ……っ!」

そこには静かに眠るナマエの姿があった。

「寝ているだけなので大丈夫ですよ」

隣に座るアルフレートの言葉にほっと胸を撫で下ろす。
すぐさまナマエの隣に駆け寄り頬に触れた。
温かい……ちゃんと生きている。

「お互いちゃんと約束は果たせたようだな……」

そのままナマエの頬を撫で続ける。
この体温をずっと感じていたい。
離れることなど出来やしない。

そのまま時間だけが経過し、医務室が少しずつ騒がしくなってきた。
帰還した負傷者達が続々と到着したのだろう。

「……ナマエ!」
「ナマエさんは!?」
「おいっ、オルオ!押すなよ!」

勢いよくカーテンが開けられ一斉に声がする。
その煩さに思わず力いっぱい眉間に皺を寄せてしまった。

「……お前ら、うるせぇぞ」
「ナマエは……!?寝てるの!?」
「今はな。とりあえず大丈夫だ」
「良かったぁ……!」

ハンジを筆頭に続々とナマエを慕う仲間達が入ってきた。
それぞれ顔を覗いては安堵の表情を浮かべていく。

「早く起きないかなぁ!」
「ここでうるさくしてれば逆に起きるんじゃないんすか?」
「皆さん気持ちは分かりますが、医務室では静かにして下さい」
「アルフレートは相変わらず堅い男だねぇ。だからナマエに……」
「な、何言ってるんですか貴方は……!」
「何?なんの話?」
「……てめぇら、いい加減削ぐぞ」

ナマエが眠る傍らには、いつもの調査兵団の姿があった。
ナマエが望んだいつも通り、だ。
きっと起きたら一番に喜んで笑うのだろう。
そんな想像をしながら俺達はナマエの目覚めを待った。


壁外調査での負傷者の治療も終え、医務室がまた静寂へと戻ってからどれくらいの時間が経っただろうか。
散々騒いだハンジ達も治療に奔走していた医療班も誰一人いない。
ずっとナマエを看ていてくれたアルフレートにも、ひとまず今夜は休んでもらうことにした。
だからここにいるのは俺とナマエだけだ。

未だ眠るナマエの傍を、俺は一度も離れることはなかった。
帰還してから兵服のまま飲食すらしていない。
ナマエが傍で生きている。
その事実さえあればそれ以外はどうでも良かった。

ふと窓から空を眺める。
そこにはナマエの大好きな星達が瞬いていた。
しばらくそのまま眺めていると、

「…………兵長」

ずっと聞きたかった声が耳を掠めた。

「ナマエ……!?」

急いで振り返ると目を覚ましたナマエと視線が交わった。

「ナマエ……!大丈夫か?」
「はい……」
「今アルフレートを呼んでくるから待っていろ」

俺の言葉にナマエがゆっくりと首を横に振っている。
そして唇に人差し指を立てて子どものように笑った。
今すぐアルフレートにナマエの状態を診てもらうべきだが、ナマエ自身がそれを拒否している。
葛藤する俺にナマエが小さな声で言った。

「……おかえりなさい、兵長」

そうだ。
生きて帰りを待つと誓ってくれた。
今はその約束を果たしてくれたナマエを受け止めたい。
ナマエの髪を撫で唇を重ねる。
そのキスはとても甘い味がした気がした。

「……今何時くらいですか?」
「大体夜明け前だ」

何か考えこんでいるようだ。
無言になるナマエの様子を黙って見続けてると、ナマエの瞳が大きく揺れた気がした。

「兵長……一緒に星を見に行きましょうか」
「あ?星……だと?」

確かに先ほど窓から覗いた時には、ナマエが喜びそうな星空が一面に広がっていた。
だからと言ってこんな時間にその体で外に行くなんて、いくら何でも無茶な話だ。

「駄目だ。大人しくここにいろ」
「やです……」
「我が儘言うな」

大人しく言うことを聞いたかと思えば、ベッドの中からナマエの腕が伸びてきた。
何も言わず俺の裾を掴むその手は、小刻みに震えていた。

「ナマエ、お前……」

そして訴えかけるその目には、今にも零れ落ちそうなくらい涙が溜まっていた。

そうか、そうだったのか。
約束を果たすために最後の力を振り絞って、俺を待っていてくれたのか……。
残された時間を数える猶予すら俺達にはないことを、ナマエの震える手を握って察した。

「俺が抱いて行ってやる」
「……それってお姫様抱っこですか?恥ずかしいから自分で歩きますよ……」
「遠慮するな。なんならこのまま立体起動で飛んでやろうか?」
「わぁ……ぜひそれでお願いしたいです」

俺はらしくない冗談を言いながら、ナマエを抱え外へと向かった。


満天の星空だ。
これほど一面に散りばめられた星空を見た記憶はおそらくない。
ナマエを抱いたままその場に腰を下ろし、二人で空を見上げた。

「やっぱりあった……この時期でも夜明け前なら、シリウスが見えるんですよ……」
「確かあの星だったか」
「……はい。この空で一番輝いている、兵長の星です」
「その俺の星って例えはどうかと思うぞ」

ナマエがクスクスと小さく笑った。

「そういえば……兵長。兵服のままですね……」
「帰還した時のままだからな。汚くて悪い」
「いえ、兵服姿の兵長が一番カッコ良くて好きなので、最期に見れて良かったです……」

初めてナマエと見上げた星空を思い出す。
星もナマエも何もかもが煌いていて、あの一瞬に俺は確かに永遠を感じていた。
傍にいて俺の為に生きると言っていたはずなのに。
あんなに命を慈しみ救ってきたはずなのに。
どうしてお前ばかりが……。

「……このネックレスは一緒にあちらに持って行きますね。私の大事な宝物なので」

そんなものいくらでもくれてやる。
だからどうか。

「兵長からはもう十分すぎるくらい頂きましたよ……」
「もういい。止めろ」
「兵長」
「お前も最期とか言ってんじゃねぇよ……」

情けないくらい自分の声はか細く掠れていた。
何もかも分かってる。
だがどうしても抗いたい。
連れていかれてたまるか。
この腕の中にずっといてくれ。
俺はナマエを失いたくないんだ。
 
ナマエがすぐにでも消えてしまいそうで、力いっぱい抱きしめる。
それでもナマエは苦しむ様子など見せず、いつもの笑顔を浮かべていた。

「人は誰しも必ず死を迎えるものです……いつかまたあちらで会えますよ……私は一足先に行って、お待ちするだけです……」
「行かせるかよ……いいから黙って俺の傍にいろ」
「……私の心は全てここに置いていきます。だから……どれだけ離れても、いつも傍にいますよ……」

ナマエの頬を撫で続ける。
温かい。生きている。
まだ行かせない。

「私は……兵長の役に立てましたか?」

出逢った頃のナマエをまるで昨日のことのように思い出す。
──俺の役に立ちたい。
ナマエが言い続けてきた言葉だ。
そのたび俺が馬鹿だと言っても、ナマエは嬉しそうに笑っていた。
お前がいなかったら知ることのなかった感情や景色がたくさんあった。

「俺はお前から誰よりも強い心と命の大切さを教わった。お前がいたから人を愛するということを知った」

そうして俺の全てが彩られていった。

「お前の役目は俺に出逢えた時点でもう果たしている」
「へい、ちょう……」
「生まれてきてくれて、俺の傍で生きてくれて……ありがとうな」

ナマエの目から涙が一筋流れた。
本当は泣き虫のくせに、どこまでも強がって我慢しやがって。
それ以上何も言えないでいると、ナマエの手がゆっくりと上がっていく。

「あれ……兵長……?」

その手が何かを探しているかのように彷徨っている。
一瞬、何が起きているのか分からなかった。
確実なことはナマエの声が、より弱々しくなっているということだった。

「どこ……ですか?……兵長」
「……お前もしかして」
「兵長……?」

──もう、目が。

俺を探し続けるナマエの手を力の限り強く握った。

「ここにいる……!お前の傍にずっといるぞ!」
「っ……良か、ったぁ」

まだ温かい。
まだナマエは生きている。

「私……生まれてきて、本当に良かった。とても幸せでした……」
「ああ……」
「私と……出逢って下さって、愛して下さって……ありがとうございました……」
「駄目だ!ナマエ……っ!」
「兵長……愛しています」
「俺も愛している……!だから逝くな!」
「はい……ずっと、傍に…………」
「ナマエ!ナマエ……っ!」

俺の声は届くことなく秋の星空に舞っていく。
そして冬を迎えることなく、ナマエの瞼はゆっくりと閉じられてしまった。

「ナマエっ……起きろ」

「何度でも起こしてやるから……」

「っ……いつもみたく笑ってくれ」

涙が頬を伝い、ナマエの顔に落ちていく。

「馬鹿野郎…………っ」

短い生涯の中で使命を終えたナマエは、約束通り俺の腕の中で死を迎えたのだった。






真っ黒な世界だ。
ここには前に一度来たことがある。
確か壁外調査の時に……。

『よう、お疲れさん』
『ナマエちゃん、こっちこっち!』
『よく頑張ったね』

ルッツさん、テオさん、アルネさん……!
どうして皆がいるの?

『もちろんナマエを迎えに来たんだ』
『積もる話は後にするとして、まずは』

テオさんが私を手を引いて進んで行く。
右も左も分からない世界。
でも一つだけ分かる。
ここはきっと死後の世界だ。
皆に連れられて歩いた先に三人の人影が見えた。

『……フーゴさん!』
『おう、久しぶりだな。すっかりいい女になりやがって。そのうえ今や俺より強いっていうんだから参ったな』

幼い頃の記憶と同じ変わらない笑顔がそこにはあった。
そしてあとの二人は……。

『クルトさん!アンナさん!』

その名前を呼ぶだけで一気に涙が溢れてしまった。
無意識に走り出した体が、必死で二人に抱きついていた。

『ナマエ、貴方のことはずっと見守っていたわ。最期まで良く頑張ったわね』
『私、わたし……っ!』
『全部分かっているよ』
『クルトさん……!』
『今日までずっと俺の意志を継いでくれてありがとう。ナマエはやっぱり自慢の娘だ』

私には家族も仲間も生涯愛する人もいる。
生まれ落ちた理由は皆が教えてくれた。

命は終わってもまだ続いていく。

私の意志は今もなお皆が、そして兵長が継いでくれているから。


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