第35話 いつか交わるその日まで


資料はちゃんと持った。
講習内容も散々確認した。
あとは深呼吸を一つして。

「おはようございます!」

開いた扉の向こうには、まだ幼さが残る訓練兵達がずらりと座っていた。
皆の視線が一気に集中する。
その様子に少し緊張しながらも、もう一度大きく息を吸った。

「調査兵団特殊医療班から参りました、ナマエ・ミョウジと申します」

この肩書きをまだ名乗れることを誇りに思おう。

「今日は皆さんに医療の基礎知識をお教えしたいと思います」
「「はい」」
「この先皆さんは訓練兵を経て憲兵団、駐屯兵団、調査兵団のどれかに所属することとなるでしょう」

この中に私達の仲間になってくれる兵士はいてくれるだろうか。
過酷な調査兵団に自ら志願する兵士など一人もいないかもしれない。

「どの兵団に属しても、民を守り仲間を守るのが私達の使命です。守るという手段は戦闘でも頭脳でも何でも構いません。そして私が今から教える医療も誰かを守る手段の一つです。ただしこの医療だけは、例え争いがない平和な世界でも必要不可欠なものです」

平和な世界でも私のように病気を患ったり怪我をする者もいる。
だからこれからも医療技術が向上するように、私の想いが紡がれるように精一杯伝えていこう。

「まずは簡単な気持ちでいいので医療というものに触れてみて下さい。もちろん興味がある人がいればいつでも医療班は歓迎します!」

私も見つめるたくさんの瞳。
その中で一人の男の子と目が合った。





「あれ、アルフレート一人?ナマエは?」

時刻はもうすぐお昼を迎えようとしている頃。
廊下から医務室を覗いた人物はハンジさんだった。

「ナマエさんなら訓練兵相手に講習会を開いてますよ」
「あー!あれって今日だったんだ」
「何か急ぎの用事でしたか?」
「いや、資料整理を手伝ってもらいたかっただけだから大丈夫」

そのままハンジさんが椅子に腰をかける。
ナマエさんはいないのにまだ何か用事があるのだろうか。
再び目が合うとハンジさんがニヤリと笑みを浮かべた。
一瞬で悪い予感がした。

「ナマエに告白したんだって?それもリヴァイがいる前で」
「……なっ……!何故、それを……」
「ナマエは私には何でも話してくれるからね」

誰もいないと分かっていながら、思わずキョロキョロと医務室を見渡す。
僕としたことが動揺して声が上ずってしまった。
いやしかし前から思っていたが、ハンジさんはデリカシーというものに少し欠けている。

「面白がってますよね、ハンジさん」
「違うよ!むしろアルフレートの男気に感心してるんだよ!あのリヴァイの前で言うなんて、正々堂々としててカッコいいし勇気もあるし」
「……恥ずかしいんで止めて下さい」

単純に面白がってるに違いない。
こんなことになるならナマエさんにちゃんと口止めしておくんだった。

「アルフレートは特殊医療班を一緒に守る同志なんでしょ?」
「え?」
「私の誇りを守ってくれる人って言ってたよ、ナマエは。それって凄いよね」

今度はハンジさんにとても柔らかい笑顔を向けられる。

「あのさ……聞いちゃいけないのかもしれないけど、アルフレートは気持ちの整理はついた?」
「そうですね……元より整理なんてする気はありませんから、どう答えていいのか……」
「どういうこと?」
「僕はナマエさんの担当医として、最後まで諦めるつもりはありませんから」

ハンジさんが目を見開いている。
変なことを言ったつもりはないが、何か変なことを言ってしまっただろうか。

「整理なんて出来ない、か」
「何かおかしなことを言いましたか?」
「いや。リヴァイも同じことを言ってたからさ」

リヴァイ兵長も同じことを……。
ナマエさんを頼むと言った時の兵長の顔を思い出すだけで胸が痛くなる。
もちろん僕だってやりきれない気持ちでいっぱいだ。
そもそも誰だって気持ちの整理なんかつけられなくて当然なんだ。

「そうだよね。無理して整理することなんてないんだ。それに私も最後まで諦めないよ。出来ることがあれば何だってする」
「でもハンジさんは嫌だって泣いたり、どうしてって悔しんだりしてもいいと思いますよ」
「それはどうして?」
「自分の気持ちに正直なのがいつものハンジさんじゃないですか。ナマエさんが今一番望んでいることは、いつもの通りでいることなので」

自分の病気が原因で周りも生活も何もかも変わってしまうのは、そうすんなりとは受け入れられることじゃない。
だから彼女の思うようにしてあげたい。

「やっぱりアルフレート、貴方は良い男だね」

いつも通りのストレートな言葉に照れてしまった僕は、ハンジさんに背を向け作業を再開するのだった。





「以上で講習を終わります。本日はありがとうございました」

無事講習を終えた私は、教壇で一礼をして教室を後にした。
扉を閉めると同時にほっと胸を撫で下ろす。
何事もなくスムーズに終えることが出来た。
皆とても真剣に話を聞いて取り組んでくれたし、何人か特殊医療班に興味を持ってくれてる子もいた。
とても有意義のある時間だった。
すぐに団長にお礼を言って報告書をまとめ上げよう。
そうとなればと早足で進む私を、後方から呼び止める声がした。

「ナマエさん!」

聞き慣れない声がする。
そう思って振り向くとそこには一人の訓練兵がいた。

「ナマエさん、オレのこと覚えてますか?」

その成長ぶりに思わず笑みが零れる。
忘れる訳なんてない。

「もちろん!エレンこそよく私のことを覚えてたね」

彼は104期生エレン・イェーガー。
家族以外で私の幼少期を知る唯一の人物である。

「最後に会った時は七歳になるちょっと前だったから、七年?八年ぶり?」
「ナマエさんが訓練兵になる前に会いに来てくれた時以来ですもんね」

「敬語なんて使わなくていいよ。エレンが私に敬語だなんて何だか気持ち悪いし」
「一応そこは上下関係を気にしたつもりなんだけど、気持ち悪いって」

お互い顔を見合せて吹き出してしまった。
たったそれだけなのに一瞬で幼い頃の二人に戻ることが出来た。

エレンと初めて出逢ったのは、クルトさんに連れられてイェーガー先生の家に遊びに行った時のことだった。
私が医療に興味があったからか。
他の子達よりイェーガー先生やドミニク先生と交流があったからか。
理由はわからないけれど、クルトさんはいつも私だけ特別に付き添わせてくれた。

まだ幼かったエレンはすぐに私に懐いてくれたのを覚えている。
いつも元気でヤンチャで私も弟のように可愛がっていた。
確かその頃はナマエお姉ちゃんって呼んでくれていたはずなのに。

「まぁオレもこうして兵士になったのに、お姉ちゃんはまずいだろ……」

照れくさそうにエレンは言った。
確かに思春期の男の子にそこまで要求するのは酷かもしれない。

「それよりさオレ本当にびっくりしたんだからな。まさかナマエさんが調査兵団に入団してるなんて思わなかったから」

思えばエレンには最初から調査兵団に入るつもりだったことは伝えていなかった。
兵士になるから会えなくなるとだけ伝えた気がする。

「訓練兵になってから特殊医療班の存在を知って、そこでナマエさんの名前を聞いたんだ」
「じゃあ今日の講習に来る前から私のことは知ってたの?」
「もちろん。つかそもそもナマエさんは訓練兵の間でも有名だし、今日は俺だけじゃなくて皆楽しみにしてたんだ」
「本当?お世辞でもそんな嬉しいこと言われたら照れちゃうな」
「オレ、本当に兵士としてナマエさんを尊敬してる。調査兵団で生き抜いて特殊医療班ってすげぇもんまで作っちまうんだもんな。思い返せばナマエさん、いつも親父と難しい話ばっかしてた気がするし」

エレンの父であり、私のもう一人の恩師であるイェーガー先生。
ドミニク先生からは消息不明と聞かされていた。
イェーガー先生はクルトさんともドミニク先生とも違う、その発想や観点がとても斬新な先生だった。
そんな彼から教わる知識や聞かされる話を、私は子供ながらにとても貴重で面白いと思っていた。
決して悪い意味ではなくイェーガー先生は私にとって極めて異質な存在、そして尊敬する人物であった。

「エレン」

私と立ち話をするエレンの背後から声がした。

「ああ、お前らか」
「こんなところでどうしたの?」
「どうって別に……お前には関係のないことだから先に行ってろ」

その言葉に元々無表情に近かった彼女の顔に怒りの感情が見てとれる。
そしてそんな彼女を瞬時に察したのか、もう一人の男の子は少し慌てた様子を見せた。
なるほど。この三人はいつも一緒なんだ。

「エレン、女の子に対してはもっと優しくしなきゃダメじゃない。ね、ミカサ」
「……優しくったって別にミカサは」
「エレンは分かってないなぁ。ね、アルミンもそう思うでしょ?」
「あ、はい……っ!えと……あれ、どうして僕達の名前を……」
「団員の顔と健康状態を全て把握するのが特殊医療班である私の基本なの。もちろんそれには訓練兵である貴方達も含まれているよ」

団長から訓練兵への指導の話を頂いた時から、全ての訓練兵の情報は頭に叩き込んだ。

「ミカサは全ての科目で最高評価を貰えるほどの実力の持ち主だし、アルミンは座学において高い評価と発想力を認められている。エレンだって誰よりも努力してもちろん結果を残しているし、皆どの兵団もぜひ入団してほしいって思う人材だよ」

まだ幼さが残る三人の瞳がじっとこちらを見つめていた。

「オレ、調査兵団に入るよ。そもそも訓練兵になる前から調査兵団以外は興味なかったしな」
「……エレンが、調査兵団に?それ……本気なの?」
「何だよナマエさん。本気だと何か都合でも悪いのかよ?」
「ううん……!違うの。単純にビックリしちゃって」

エレンが調査兵団に入る?
てっきりこの子達はこのまま上位を維持して憲兵団に入るものだと思っていた。
調査兵団に入る目的は、エレンの住んでいたシガンシナ区の壁が破られたことが発端なのだろうか。
それともその前から……。

「自分は入団しておいて反対するとかなしだからな?」
「まさか!反対どころか大歓迎だよ!」
「……エレンが入るなら私も入る」
「何でだよ。お前こそ憲兵団にしろよ」
「僕は……」
「アルミンは絶対技巧だろ」

そっか……エレンが調査兵団に入団する日がやってくるかもしれないんだ。
訓練一緒にしたいなぁ。
食堂の裏メニューも食べさせてあげたいし、ハンジさんの実験も手伝ってもらったり。
きっと楽しいだろうなぁ。

でもその日を一緒に迎えることは私には――。

「ナマエさん?どうかしたのか?」
「ううん、何でもないよ!もしエレンが調査兵団に入ってきたら、ビシバシしごいてあげるから覚悟しておいてね」
「ああ。望むところだ」

少しだけ油断した。
そのせいで胸が苦しくなる。
不意に込み上げてきたものを私はぐっと堪えていつもの笑顔を向けた。

「調査兵団と言えばさリヴァイ兵長ってどんな人なんだ?やっぱめちゃくちゃ強いんだろ!?」

いきなりエレンの口から兵長の名前が出てきて思わず心臓が跳ねた。
エレンの目が真っ直ぐ私に向けられている。
これまで幾度となく見てきた兵長に対する憧れの目、それと同じだ。

「うん、人類最強だからね!本当に誰よりも強いよ」
「へぇ!やっぱりそうなんだ」
「強くてカッコ良くて優しくて仲間思いで、それに努力家で真面目で正義感が強くて厳しい中にも愛情があって……」
「ナマエさん、すげぇ詳しいんだな」
「これでも一応リヴァイ班所属だからね」
「え!?ほらお前ら、やっぱナマエさんってすげぇんだよ!」

今はもう医療班として皆の健康状態を管理することしか出来ないけれど。
それでも兵長は班の一員として居続けることを許してくれた。
兵長のことに詳しいのはもちろんそれだけじゃない。
恋人、という形でも傍にいるからという理由ももちろんある。
でもそれは今あえて言うことじゃないか。

「皆、この先調査兵団に入るかはまだわからないけれど、もし本当に入団した時はどうか兵長をお願いね」
「リヴァイ兵長を?お願いって何を。オレ達新兵なんかがどうこう出来るような人なのか?だって人類最強なんだろ?」
「だからこそ支えてほしいの。決して独りにならないように」
「……あんまりよくわかんねぇけどわかったよ」
「ふふ。わかんないけどわかった、か。ありがとう。それで十分だよ」
「何だか変なナマエさんだな」
「その変っていうの、よく言われる」

兵長、もしかしたらこの子達が調査兵団で貴方の力になってくれるかもしれません。
まだまだ未熟な子達です。
だからどうか導いてあげて下さい。

そう、心の中で願う。
けれどきっと兵長なら私が言わずともそうするだろう。
兵長は誰よりも強く優しい人だから。


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