第34話 悔いなき選択


どんな夜を過ごそうとも、朝は必ずやってくる。

「おはようございます、兵長」

目を開けるといつもと変わらないナマエの笑顔がそこにあった。
ただ昨夜のせいで泣き腫らしたその目だけは、とても痛々しいものだった。

「いつから起きてた……」

すでに身支度を整え、俺を覗き込むナマエに問いかける。

「私も少し前に起きたばかりですよ」
「体の方は大丈夫か?」
「はい、問題ありません。今日も変わらず元気です!」

優しく抱くことなど出来なかった。
思いの丈をぶつけ合いながら、欲望のままナマエを抱き潰してしまった。
ナマエが意識を失う前に何とか理性を持ち直したが、自分勝手でどうしようもないほどの夜だった。

「では私は朝ご飯を取りに行ってきますね」
「駄目だ俺が行く。お前はここにいろ」
「兵長、それって私の体が心配だからですよね。ダメですよ。昨日の夜二人で決めたじゃないですか」

ナマエの言葉に、昨夜眠りにつく前に交わした約束を思い出す。
病気だからといって互いに過度な行動はせず、なるべく今まで通り普通に過ごすこと。
この事は俺の他にエルヴィン、ハンジ、アルフレートの三名だけにしか打ち明けないこと。
ナマエの強い願いだった。

「いつも通り、ですよ」

その笑顔には不釣り合いな泣き腫らした目。
それを痛々しいと感じることすら、ナマエにとっては不本意なことなのだろう。
ナマエの言う“いつも通り”は、事実を受け止め前に進む覚悟がなければ出来ないことだった。

その後俺達はまずエルヴィンら三名に事実を告げることにした。もちろんすんなり受け入れてもらえた訳じゃない。

「嘘でしょ……?嘘だよね!?ナマエ!」
「ごめんなさい……ハンジさん」
「ナマエが謝らないでよ……だって、そんなのって……ねぇどうにかならないの!?」
「ハンジ」
「アルフレート何か言ってよ!助ける手段はないの!?このままじゃナマエが死んじゃうかもしれないんだよ……!?」
「ハンジ!」

アルフレートに掴みかかるハンジを無理やり引き剥がす。
取り乱すハンジを見て、ナマエが困ったような笑顔を見せた。
誰かに話すたびこうなる場面を迎えるのかと思うと、誰にも話さないでほしいと言ったナマエの気持ちがよく分かる。
自分のせいで仲間が悲しむ姿を見るのが何よりも心苦しいのだろう。
重苦しい空気の中、エルヴィンが口を開いた。

「ナマエ、ひとまず兵士としての君の役割を変更しよう」
「変更、ですか?」
「まずは君の体調を考慮して訓練や壁外調査への参加は全て中止とさせてもらう。その代わり特殊医療班としては今まで以上に任務を遂行してもらいたい」

エルヴィンの指示を俺達も静かに聞き入る。

「ナマエはこの調査兵団にまだまだ必要な存在だ。引き続き医療班としての任務、それから人材育成により力を入れてもらいたい。そうだな、出来れば訓練兵にも医療の基礎的な指導や講義もお願いしたいところだ」
「……それはつまり戦闘や訓練は一切せず医療班の仕事だけに専念しろということですね」
「そうだ。ただしそれらも主治医としてのアルフレートの診断を常に最優先することを条件とする」

エルヴィンの指示はとても的確なものだった。

「僕も団長の意見に賛同します」
「エルヴィンもアルフレートもそんな淡々と話してるけどさ、私はそんな風には割り切れないよ!だって……!」

アルフレートの言葉に再びハンジがつっかかる。

「ハンジ!」

それをまた俺は大きな声で制止した。
それでもなお声を荒げるハンジは、昨夜の俺と同じなのだろう。
だがエルヴィンは止まることなく話を続けた。

「……私だって受け入れた訳じゃないさ。ナマエが死ぬなんて信じられる訳がない。ここにいる全員が同じ気持ちだ。だが……」

エルヴィンがじっとナマエを見つめる。

「私達に病状を打ち明けたということは、ナマエ本人はもう全てを受け入れ覚悟をしたということだろう?」
「はい」
「特殊医療班の君がこの事実を受け止め、自分の結末を覚悟をするのはどれほどのことだったか……ハンジ、お前にはそれが理解出来ないのか?」

ハンジは無言のまま俯いた。
こいつも頭の悪い奴じゃない。
どこかでは分かっているんだ。
分かった上で感情が抑えられないんだ。
俺だってそうだった。

「理解出来ないんじゃない。したくないんだよ……!」

悲痛な表情を浮かべるハンジを見てぎゅっと拳を握る。
重苦しい空気だけが部屋を覆っている。
それでもナマエだけはその空気に呑まれることはなかった。

「団長、私の体調も意志もどちらも尊重して下さってありがとうございます。ご迷惑おかけしますが、お言葉に甘えて医療班の任務に専念させて頂きます」
「ああ。ただしどんな些細なことでも、もし何かあればここにいる誰にでもいい。すぐに報告するようにしてくれ」
「了解しました。では早速、ハンジさん」

ナマエの声にハンジが顔を上げる。

「確かハンジさんは今日一日巨人の実験をする予定でしたよね」
「うん……そうだったけど」
「ぜひ私も今日一日お手伝いさせて下さい」

あれだけ涙を流していたナマエが、この先涙を流すことはあるのだろうか。
そう思わせる程の笑顔だった。

それからのナマエはエルヴィンの提案通り、医療班としての任務だけを遂行することとなった。
もちろん病状を打ち明けた俺達以外は、ナマエが病気だと言うことは誰も知らない。
表向きは特殊医療班の更なる必要性を重視し人材育成に力を入れる、ということなっている。

それを疑問に思う奴がいるかどうかはわからない。
ただ――。

「兵長!また迎えに来て下さったんですか?」

こんなんに元気に駆けよってきたナマエが、病に侵されているなど誰も分からないだろう。

「食堂で待ち合わせしようって約束したじゃないですか」
「そうだな」

約束しても医務室まで足を運んでしまう。
ナマエの様子に変わりはないか。
少しでも早く会いたい。
少しでも長く一緒にいたい。
それらの感情を俺には抑えることなど出来なかった。

「大丈夫か?」
「大丈夫ですから普通にして下さい。いつも通り、ですよ。それに今日はアルフレートもいてくれてますから」

ちらりと医務室の中を覗くと、アルフレートと目が合った。小さく会釈をされ俺も小さく手を上げる。

奴とはこの前のエルヴィンの部屋を出た後、少し話をする機会があった。
それ以来になるか。

『お前は気づいていたのか』
『何か重い病気だとは思っていましたが、一人で死を覚悟するまでのものとは……』
『どうにもならねぇのか?万が一でも治る可能性は?』
『ナマエさんが治せないなら僕にもきっと……。ただ絶対とは言い切れません。駐屯兵団にも憲兵団にも王都にも、もちろん町にも医者はいますから』
『ナマエが他者に診断されるのを受け入れれば、の話なんだな』

アルフレートの顔が険しくなる。
俺はどうにかしてでも可能な限り他の医者に診てもらいたい、という気持ちを捨てられないでいた。
だがアルフレートからの返答は思いもよらないものだった。

『もちろんナマエさんの診断が絶対に正しいとは言えません。リヴァイ兵長の言う通り治る可能性はあるのかもしれない。でも……』
『でも、何だ?』
『自分の診断が間違っているかもしれないと思いながら、医療を続けられるほどナマエさんは器用じゃないと思います。きっと彼女の誇りが許さないでしょうね』

誇り――ナマエが何度も口にしていた言葉だ。

『もし他の医者に診てもらって見立て通り治せないと診断されれば、その都度自分の診断に間違いなかったと確信します。 治せないという事実で皮肉にも誇りを保つことが出来る。しかし誇りと同時に治らないという絶望もその都度味わうことになります。とても酷な話です』

それ以上俺は何も言えなかった。
そしてこれほど悔しいこともない。
アルフレートはナマエの世界において、唯一ナマエの気持ちを共感出来る人間なのだということを痛感した。

俺には分かってやれない感情だ。

悔しさが心の中に広がる。
だが俺は前からこいつのことを認めていた。
その実力も努力も意志も、そしてナマエに対する想いも全てだ。
ナマエにとっても俺にとっても、アルフレートは必要不可欠な仲間であることには変わりない。

『……ナマエをよろしく頼む』
『もちろんです。僕に出来ることはどんなことでも全力を尽くします』
『少しでも変化があった時はすぐに報告してくれ』

少しの沈黙が流れる。
そしてアルフレートが小さく呟いた。

『…………リヴァイ兵長、一つだけ覚えておいて下さい。ナマエさんは貴方の傍にいることが一番の幸せなんです。今日まであの人が僕に向かってする話はいつも医療班のことか兵長、貴方のことばかりでした』
『……アルフレート』
『きっとナマエさんにとって兵長の傍にいることが一番の薬ですよ』


――俺といることが一番。
目の前のナマエを見ていたら、アルフレートの言葉を思い出した。

「兵長?ぼーっとしてどうしました?」
「……いや。よく食べるなと思って」
「そうなんです。最近食欲が凄いんですよ!こうして毎日兵長とご飯を食べられるようになったからですかね?毎日デートしてるみたいで浮かれてるのかもです」

そう言って笑うナマエに胸が締め付けられる。
こいつはいつもそうだ。
どんな些細なことでもこんなにも幸せそうに笑いやがる。

「今夜も俺の部屋に来い」
「いいんですか?このところ毎日伺ってますけど兵長は疲れたりしませんか?」
「全くしねぇから余計な心配はするな。あれだな……いちいち誘うのも面倒くせぇから今日から夜は毎日俺の部屋に来い」
「ええ!?そ、それじゃあまるで一緒に暮らしてるみたいじゃないですか……!」
「ああ、それが一番いいな。今日から俺の部屋で一緒に住めばいいだけの話だ」

顔を赤らめるナマエを見て笑みが零れた。
俺だってお前の傍にいる時が一番幸せなんだ。
そう、強く思った。

ナマエと別れて自室に戻った俺は山積みの書類と向かい合う。
しばらくすると部屋の扉からノック音がした。

「失礼するよ」

扉の向こうから現れたのはハンジだった。

「はい、確認してほしい書類」
「ああ。ご苦労だったな」

いつもは聞いてもいない余計な話をベラベラ喋り出すハンジだが、今日は不気味なくらい大人しい。
正直ハンジの考えそうなことは分かっていた。
俺達もそれなりに長い付き合いだ。

「あのさ……変なこと、聞いてもいいかな?」
「何だ?」
「……リヴァイはどうやって気持ちの整理をしたの?」
「俺だってまだ出来たかどうかすらわからねぇ。いや、違うな。そんなもの多分ずっと出来ねぇだろうな」

ナマエが死ぬその瞬間まで、俺はきっと現実なんて受け止められないのだろう。
そんなこと自体あってたまるか。
そうとしか思えなかった。

「でも二人共いつも通りに見えるよ」
「あいつが思った以上に普段通りにしてるからだろ」
「うん……私と話してる時もさ何も変わらないんだ。いつもみたく笑って、私の話を聞いてくれて……とても病気だなんて……っ」

ハンジが涙を拭う。

「ごめん……っ、私がこんなんじゃ駄目なのに……」

これまで俺達は多くの仲間を失ってきた。
そのたび互いに乗り越えて変わらず兵士を続けてきた。
これからもきっと俺達はそうして生きていく。

「ナマエと今後について話し合った夜、エルヴィンとアルフレートに現状を話すように提案したのは俺だ」

あの夜、誰にどこまで話すか悩んでいたナマエが自ら決めたことがある。

「だがお前だけは違う。ナマエ自ら病気のことを打ち明けたいと言ったのはハンジ、お前だけだった」
「そっか……ナマエが……そっかぁ……」
「ナマエが言っていたことをそのまま伝えるぞ」

どうしてハンジにだけは伝えようと思ったのか。
俺の問いにナマエはこう答えた。

「ハンジの存在を一番家族のように感じていた、だそうだ」
「私が家族?」
「詳しいことは話せねぇがあいつは本当の家族を失って、そして調査兵団へ辿り着いた」
「初めて聞いたよそんな話……全然知らなかった」
「ナマエにとってこの調査兵団は家で、団員は家族なんだそうだ」
「……その中で一番だなんて」
「ハンジ、最期まであいつの傍にいてやってくれ」

残された時間をどう過ごすか。
俺に出来ることがあれば何だってしてやる。
その思いから初めてハンジに頭を下げた。

「やだなリヴァイ!こんな、貴方らしくないことまでして……!」

ハンジが慌てて俺に駆け寄る。

「傍にいるに決まってるじゃないか……!もちろん私だってナマエのことが大好きだし、それに妹みたいに可愛くてしょうがないんだから」
「そうか……余計な心配だったな。思えば最初からそうだった。お前のクソみたいな長話に唯一付き合える時点で、お前らは変人同士だしな」
「皆私達を変人だってよく言うけど、それを言うなら調査兵団自体が変人の集まりみたいなものでしょう?」

ハンジが笑いながら涙を拭う。
こんなに弱音を吐くハンジを見るのは初めてだったかもしれない。
だがハンジもまたこれ以降、涙を見せるようなことはなかった。

その夜、ナマエは約束通り俺の部屋を訪ねてきた。
二人で紅茶を呑みながら今日の出来事を互いに共有する。
いい時間になるとベッドに潜りこみナマエを抱き寄せた。
正直毎晩こうしてナマエの体温を感じないと、上手く眠りにつけなくなっていた。

「そういえば私、近々訓練兵の子達に講習を開くことになりました」
「前にエルヴィンが言ってたやつか」
「講習を開くなんて初めてのことなので、これでも結構緊張してるんですよ」

胸元から響くナマエの声が心地良い。

「訓練兵かぁ……懐かしいですね」

まだ俺達が出逢う前の話だ。
そこからどれだけの月日が流れただろう。
そしてあとどれくらいの月日を一緒に過ごせるのか。

ナマエを失いたくなんてない。
だが時間は止まってはくれない。
無情にも刻一刻と流れていく。
自分の無力さを恨みたくなる。
ただこうして傍にいるだけで何も出来やしない。
人類最強だなんて言われたところで、たった一人の愛する恋人を守れやしない。

「……兵長?」

苦しくてナマエを更に強く抱き締める。

「……何だか寝るのが惜しいですね」
「じゃあまだ起きていろ」
「お付き合いしてくれますか?」
「いくらでも構わねぇぞ」

ナマエが眠りについたのはいつ頃だったか。
それを見届けるまで俺達は夜深くまで語り合った。

『兵長!巨人です!』
『ナマエ、お前は逃げろ!』
『嫌です……!私も一緒に!兵長……!?ダメ!そっちは……!!』
『ナマエ……っ!』

伸ばした手は届かない。
兵長に届いたのは巨人の手だった。
そして兵長は――。





「……いやあああ!」

伸ばした手は暗闇の中を彷徨う。
しかしその手はすぐに大きな手に包まれた。

「……ナマエ!何があった」
「……はぁ、はぁ…………へい、ちょう」
「大丈夫か」
「……夢、を」
「何か嫌な夢でも見たのか?」

夢を見た。

――兵長が死ぬ夢を。

突如絶望が私を襲って目の前が真っ暗になった。
クルトさんとアンナさんを失った時と同じ。
一瞬にして生きる意味を失ったあの感覚を思い出した。
夢だと分かっているのに。
胸が張り裂けそうなくらい痛い。
涙が溢れて止まらない。

「……本当にどうしたんだ」

兵長の胸元に顔を沈める。
そして出来るだけ声を押し殺して泣いた。
私は兵長に同じ思いをさせてしまうんだ。
こんなに苦しくて辛い。
失うという現実を……。

兵長、ごめんなさい。
傍にいれなくてごめんなさい。
どうか兵長が独りになりませんように。

強く、強く。
私のいない未来に向かって願い続けた。


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