第32話 愁


私に覆い被さってキスを落とした兵長。このまま抱かれるものだと思っていた。
でも兵長が取った行動は予想外のものだった。きっとどう反応をしても逃がしてはくれないだろう。いつかは話さなきゃいけない時が来る。
その覚悟は出来ていた。
そしてそれが今なんだ。

「いつから気付いていたんですか?」
「具体的にはわからねぇが……お前の体調と様子が変なのは何となく気付いていた。それをお前が隠したがっていることも何となくわかっていた」

本当は私を問い詰めたかったはずなのに。

「気付かないフリをしてくれていたんですね……やっぱり兵長はいつだって優しいです」
「……美化しすぎだ」

思わず笑みが零れてしまった。優しい兵長はどう受け止めてくれるだろうか。微かに震えた唇で真実を紡いだ。

「兵長。私、病気なんです」

兵長の顔が一瞬でひどく歪む。

「……何の病気だ」
「わからないんです」
「は…………?どういうことだそれは」
「そのままの意味です。私にも何の病気か突き止められないんです」
「おいおい……お前は何を言ってやがる。そんな説明じゃ俺にはさっぱり訳がわからねぇぞ。まさかここまできて冗談でも言って逃げようって魂胆か?」

これが冗談ならどれだけ嬉しいか。
これまで自分の診断を何度疑ってきたか。

「最初は軽い風邪のようなものだと思ってたんです。でも何度も発熱を繰り返しては、日々めまいや貧血が悪化していく一方でした。出来る限りの検査もしましたし薬もたくさん服用してきました。でも病状は治るどころか日に日に……」
「じゃあ何だ。お前は今も……」
「そうです、今もまだ治ってなんかいません。それどころか悪化しています。だから兵長だけではなく、兵団全員を騙す形で復帰しました」

兵長の瞳が怒りで揺れたのがわかった。

「馬鹿かてめぇは!何を考えて……っ」
「治ってもいないのに訓練したことを怒る気持ちはよくわかります……!だから私も必死に隠して復帰したんです!」
「だからってそうまでして復帰して何になる?意志か?夢か?そんなものより命の方が大事だとお前が一番分かってるんじゃねぇのか!?」
「……分かってるからこそですよ。一分でも一秒でも長くいたいから。大好きな皆とこの調査兵団で過ごしたいから――」

いつかこの話をする時が来たら絶対に涙は流さないと決めた。だから強く強く唇を噛みしめてから、兵長にちゃんと伝えなきゃ。

「この病気は多分私を死に至らしめるものです。そして現段階での治療方法はありません」

――私の命が終わりを迎えようとしていることを。

「…………それは誰の診断だ」
「もちろん私です。知っての通り私は特殊医療班ですから」
「じゃあお前の診断ミスなのは明らかじゃねぇか。今すぐ別の医者に診てもらって来い」
「……そう言われると思いました。でも実際言われるとやっぱり傷つきますね。これでも医師として誇りを持ってやってきたつもりですから」

納得などするはずがない。現に私がそうだった。
自分の運命をそうすんなりと受け入れた訳じゃない。

「クルトさんの親友でドミニク先生という、私が誰よりも信頼している医師が一人いるんです。もちろん彼にも診断をしてもらいました。兵長達が壁外調査に行っている時のことです」

けれど結果は同じだった。彼にも原因も治療法もわからなかった。それでも少しでも症状を和らげるためにと、新しい薬の調合や用法を一緒に考えてくれた。
そのおかげもあってか以前より体調が落ち着いていたのは確かだ。それがなかったら復帰も難しかっただろう。

「症状を抑えてるとしてもそれは一時的なものです。確実に病が進行していることには変わりありません」

確実にこの病気が私を蝕んでいってることは、私の体が一番感じ取っていた。それは医療をどれだけ学んだか、どれだけ経験を積んできたか、そんなことは関係ない。
迫りくる死の足音を本能で感じ取っているのだ。

「私がいつまで生きられるのかは、私にもわかりません」
「止めろ」
「でもそう長くは……」
「ふざけてんじゃねぇぞ」
「兵長」
「お前は俺と生きると約束したはずだ」
「はい」
「ずっと傍にいるとも言った」
「はい」

兵長が身を起こして私から離れていく。それを追うように私も身を起こす。
すると兵長は背を向け机の方へと歩いて行った。

「……お前がもうすぐ死ぬなんざ、そんな話受け入れられると思うか?」

とても低い声で兵長が呟いた。何も言葉を返せない。
もしそれが逆の立場なら、兵長が病気で死ぬかもしれないと言われたら、私だって絶対に受け入れたくないからだ。

「そんな話あってたまるかよ!」

兵長の振りかざした腕が机の上の書類を弾き飛ばしていく。勢いよく宙を舞った紙きれ達がバサバサと音を立てて崩れ落ちていった。

「おい。今から特殊医療班の奴らを全員起こせ。それから医者を集めれるだけ集めろ」
「……え?」
「ボサっとしてんじゃねぇ。さっさと行くぞ」

掴まれた腕があまりにも痛い。
私のためにやってくれようとしていることなのに、私を無理やり引きずろうとする兵長に心が苦しくなる一方だった。

「……兵長っ、待って」
「俺は信じねぇぞ」
「やだ……っ!」
「治らねぇなら治せる医者を探すまでだ」

もしかしたら探せば本当にいるのかもしれない。あるいは壁の向こうにはそんな医者がわんさかいるのかもしれない。
でも私もドミニク先生も誇りがある。この診断は間違っていない。
私は私の医療を信じることにしたんだ。
過去の私を否定しないために。

「……兵長!私は誰の診断も受けませんし、これからも誰にもこの症状を言う気はありません!」
「何……?」
「自分の診断を信じます。どうせ死ぬなら誇りを持って死なせて下さい」

一瞬で胸がざわついた。
兵長が見たこともない表情をしたからだ。
ああ、そんな顔をさせたいんじゃない。
大好きな兵長。
どうしたら貴方を傷つけないでいられるだろうか。

「兵長、よく聞いて下さい……」
「……これ以上まだ何かあるのか」
「私にとってこの調査兵団は私の家なんです。もう私には行く場所も帰る場所もありません。ここが私の居場所なんです。だから私はここにいたい……最期まで調査兵団の兵士として、特殊医療班として精一杯生きたいんです」

どうしたら貴方の未来を描けるだろうか。

「でも……兵長の傍にいる約束は守れません」
「俺から離れたいのか?」
「離れたくありません」
「なら約束通り傍にいろ」
「でもそれは兵長がちゃんとこの先の未来を考えて出した答えじゃありません」
「考える必要なんかねぇ」
「兵長に私の命を背負わせたくないんです!」
「お前は死なねぇんだから背負うも何もあるか!」
「……私を、今の私をちゃんと受け入れてからもう一度考えて下さい!じゃないと傍にはいれません」

何が兵長のためなのか私にはもうわからなかった。ただ兵長の役に立ちたいだけなのに。もうそれすらも出来ない未来が待っていた。

「そう言うならそもそも俺達調査兵団は心臓を捧げた身だ。命を背負うなんて今さらじゃねぇか」

兵長の言う通り、私達はいつ死んでもおかしくはない毎日を生きている。その覚悟も互いにしている。
でもそれはあくまで戦いや巨人によって命を失う結末であって、病魔によって徐々に死へと向かう結末ではない。
弱っていく私を見続けてほしいなど。
最愛の人だからこそさせたくない。

「……この話を知っている奴は他にいるのか?」
「いえ、誰にも話していません。でも多分……アルフレートだけは気付いていると思います」
「やっぱりな……。これで確信した。何か意図があるとは思ったが……。だからあいつは今さらあのタイミングでお前に気持ちを伝えたのか」

兵長は俯いたままだった。また無言の二人に戻ってしまう。
兵長こんな姿を見ることも私には耐え難い。こんなにも好きなのに一緒にいるのが辛い。

「今日はデートに誘って下さってありがとうございました。とっても楽しかったです」

兵長に向かって小さく頭を下げる。

「……兵長がどんな答えを出すかわかりませんが、どんな答えでも私は受け止めるつもりですから。あとそれから……やっぱり今日は自室に戻りますね」

きっと痛々しい作り笑いを私はしているだろう。

「おやすみなさい、兵長」

扉を閉めるその瞬間まで兵長と視線が交わることはなかった。
残酷なまでの現実が再び私を襲い始めていた。





ナマエが出て行ってからどれくらいの時間立ち尽くしていただろう。

“兵長。私、病気なんです”

“自分の診断を信じます。どうせ死ぬなら誇りを持って死なせて下さい”

“兵長に私の命を背負わせたくないんです!”

ナマエの声が何度も体中を駆け巡る。何度言葉の意味を理解しようとしても、俺の全てが拒絶をする。
ナマエが死ぬなんてそんな現実……どうやって受け止めろって言うんだ。
誰よりも命を重んじてきたあいつが、今もこの先も病魔に蝕まれ続ける現実なんてあってたまるかよ。

「……ナマエ」

小さな声で呼べば先ほどまでのナマエが蘇る。泣くことすらせず淡々と俺に現実を突きつけた。そんなあいつの姿が頭から離れなくなる。
死に至る病、それが本当なら。
ナマエはその残酷な現実にたった一人で今日まで向き合ってきたと言うのか。苦しむ体を抑え込んで訓練をして。自らの命を削りながら他人の命を救って……。

「馬鹿野郎……」

あいつじゃない。
本当の馬鹿は俺だ。
はっきりと気付いてやれなかった。無理にでも問い詰めればよかった。いつだって明日がどうなるかわからない。そう俺は分かった気でいただけだ。

ナマエの命、誇り、夢、意志、心。
俺は一体何を守ってやれるのか。
答えは見つからなかった。


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