第30話 十六夜 「遅い遅い!それじゃあ巨人に捕まっちゃうよ!」 「っ……はい!」 「よし、じゃあもう一回私とやってみようか」 今日は複数班による合同訓練。 その中で一番はりきって訓練しているのが私だ。兵長を始め皆にはたくさん迷惑をかけてしまったけど、無事復帰をした私は以前と変わらない日常を送っていた。 毎日の訓練、それと平行した特殊医療班の任務、そして壁外調査。調査兵団に身も心も捧げた生活は何一つ変わらない。 その全てが私にとっては何にも変えがたい大切な日々だった。 「ナマエ!そろそろ降りて来い!」 「最後にもう一回だけダメですかー?」 「駄目だ!大体さっきも最後だとか言って終わらねぇのはどこのどいつだ」 もっと飛んでいたいのに。 少し口を尖らせて兵長の横に降りる。 「今日は雲一つない青空で特に綺麗なんですよ」 「空ばっかり見てねぇで部下の顔色を見ろ。お前のペースに付いていくのに必死で疲れ切ってんじゃねぇか」 「それは、確かにそうですけど……」 「仮にも特殊医療班のトップがこんな初歩的なことで注意されてんじゃねぇよ。ここのところ……いや、復帰してからのお前の行動は目に余るものがある」 兵長の言ってることは至極正論である。だから反論することなど一切ないし、全面的に私が悪いことも分かっている。怒られたから悲しいとも怖いとも思ってない。 むしろ改めてときめいている、なんて言ったら兵長は更に怒るだろうか。 訓練の終了と共に兵長が背を向けて兵舎へと帰っていく。後を追うことなくそのまま立ち尽くす私の元に、ペトラとオルオが駆け寄ってきた。 「今日のリヴァイ兵長はいつもより怒ってた気がするな」 「ナマエさん……あまり気を落とさずに」 どうしてペトラは宥めてくれているのか。気を落とす、なんて私には身に覚えのない話だ。 「気を落とすなんてとんでもない。むしろ惚れ直してるくらいだよ」 「惚れ直すってどういう意味ですか?」 「兵長は私が恋人だからって絶対甘やかしたりしないし、ちゃんと一人の兵士として常に対等でいてくれる。だからああやってちゃんと叱ってくれるのが何だか嬉しくて。あとは私達兵士全員のことを気にかけてくれる優しさが変わらないなぁって、改めて惚れ直しちゃったの」 「怒られて惚れ直すってナマエさんも相変わらずっすね」 理解不能だとでも言いたげな表情をしながらオルオが言った。 「でもオルオだってペトラに叱られたり指摘されてる時は、まんざらでもないように見えるけど」 「な……っ!勘違いっすよそれ!俺が何でペトラなんか……!」 「なんかとは何よ!なんかとは!」 「あはは、オルオの顔がどんどん赤くなってく」 鈍い私だってこれだけ共に過ごせばさすがに分かる。 オルオがペトラを慕っていること。 そのペトラは兵長を慕っていること。 以前ハンジさんが言っていた。 私が兵長を想い続けていた時。後悔しないように、と。 二人にも後悔はしないように生きてほしい。まぁオルオには余計なお世話だったかもしれないけれど。それはペトラにももちろんそう思ってる。ペトラの想い人が誰であろうと、彼女も私にとっては大切な仲間だから。 「さてそろそろ私は医務室に行くね」 「ナマエさん、夕ご飯はどうするんですか?」 「後でテキトーに食べるから大丈夫!じゃあまた明日ね」 そうして私はヒラヒラを手を振って駆け足で兵舎へと向かった。 ◇ 医務室の扉を開ける。 そこにいた思わぬ人物に私は声を上げてしまった。 「ハンジさん!どうしたんですか!?」 「ああナマエ。お疲れ様。ちょっと実験でやっちゃって」 ひらひらと私に向けて振る手の様子からすぐに火傷したのだとわかった。熱傷処置の準備をしていた班員に代わってもらい、改めてその症状を確認する。 「手間かけさせちゃって悪いね」 「そんなの気にしないで下さい……でもこれじゃあしばらく左手は使えないですね」 「利き手じゃないだけマシかな。ひとまず壁外調査前じゃなくて良かったよ」 熱傷の部位に薬を塗りながら包帯を巻いていく。それからハンジさんには、しばらくはここに通ってもらう必要があることを伝えた。 「完治まで私が治療に当たりますね。それから実験にはしばらく私も参加させて下さい」 「ダメだよ。そんなことしたらまたリヴァイに無茶させるなって怒られるだろうし」 「いいえ、そこは譲りません。兵長には私からちゃんとお話しておきますから……っと、はい。終わりました」 「ありがとう。助かったよ」 使用した医療器具を片づけている途中、ハンジさんにじっと見つめられていることに気が付き首を傾けた。 「いや、ナマエも変わったなぁって思ってさ」 「私がですか?」 「リヴァイのことは影から見てるだけでいい、とか言ってたあのナマエが懐かしいくらいにね」 確かに言われてみればあの頃はこんな風に兵長に意見を言ったり、対等の立場になれるなんて微塵も思ってなかった。ましてや恋人になるなんて期待すらしたことなかった。 「明日の休みは二人で過ごすの?」 「そういえば明日は休暇でしたね」 言われて気付いたくらいなのだから、もちろん何も予定は入っていない。そもそも兵長と過ごすのに約束なんてしたこと自体あまりない気がする。 「ねぇ二人ってちゃんとデートとかしてるの?」 デートってどこまでを言うのだろう。 星を見るくらいじゃデートとは言えないのかな。ちゃんとお休みの日に二人きりで出掛けるとかまで?じゃあそれなら――。 「一度もしたことはないと思います」 そう言った瞬間ハンジさんの目が大きく見開いた。 「……嘘でしょ!?たったの一回も!?」 「そんなに驚くことなんですか?」 「驚くことって……リヴァイは一体今まで何をしてたんだか……」 唸りながら頭を抱え込むハンジさん。その様子になぜか申し訳なくなってしまった。 そっか。普通はするものなんだ。 「でも私この調査兵団の中にいるのが一番好きなので、どこかに出かけたりしなくても全然不満とかはないですよ?」 「そんなところまで天使にならなくていいんだって!もっとここ行きたいとかこれ買ってほしいとか、彼女なんだからガンガン我が儘言わないと!」 「そうですねぇ……そうだ!一緒にお墓参りに行きたいとは思ってました」 ハンジさんが更に頭を抱え込み項垂れていく。行きたいところを言っただけなのに、何がまずかったのかよくわからない……。 「……まぁそういうことに一切欲がないナマエが、リヴァイは好きなんだろうけど」 「兵長がどうかしましたか?」 「いや……こっちの話」 手当てを終えたハンジさんを出口まで見送る。 「夕飯は食べた?まだなら一緒にどう?」 「せっかく誘って下さったのにすみません、先に頂いてきてしまいました」 「そう、それは残念だな。じゃあまたの機会に誘うとするよ」 ハンジさんはぜひと頷く私に、包帯が巻かれた手をひらひらと振ってその場を去っていった。 次の実験も無茶しないといいんだけど。しばらくはモブリットさんに予定を確認して私も参加させてもらおう。 再び医務室へと戻るとすでに班員達が片づけを終えようとしているところだった。どうやら今日最後の患者はハンジさんだったようだ。 「皆、片付けは軽くでいいから先にご飯に行ってきていいよー!」 「でもこのへんはまだ全然片付いていなくて……」 「私がやっておくから大丈夫。ほら早く早く」 班員達を半ば無理やりご飯に行くように促す。何度か躊躇ってはいたけど結局観念した班員達も、ハンジさんの後に続くように皆ゾロゾロと部屋を後にした。 皆の背中を見送った後、無意識に溜め息を吐いていた私がいた。一気に肩の力が抜けて再び医務室へと体を向ける。 「また嘘をついたんですか?」 その声に思わず後ずさってしまった。 「アルフレート!貴方もご飯に行ったんじゃなかったの?」 「ええ。誰かさんがどうせ夕飯も食べずにここに来たと思ったところから、夕飯を食べたとハンジさんに嘘をついていたところまでしっかり見てしまったせいで、ここを離れられなくなってしまいまして」 どうしてこうも鋭いのかな。 兵長とアルフレートは。 彼の右手に何か持っているのが見えたと思ったら、それを顔の近くにぐいっと差し出された。 「な……っ、どうしてそれをアルフレートが持ってるの?」 急いで掴もうとするもすぐさま私の届かない高さまで手を上げられてしまった。 まるで悪戯されているみたいだ。いや悪戯ならいいけどそうじゃないのだから余計にタチが悪い。 「これは誰の薬ですか?」 「内緒」 「では誰が用意した薬なんですか?」 「もちろん私だよ」 「こんな調合や用法見たことがない。一体何の薬なんですかこれは。本当にナマエさんが一人でこれを――」 何も答えはせずただただじっとアルフレートを見つめる。 そんな私をどう思ったのかわからないけれど、彼も無言になってしまった。流れる沈黙が空気を更に重くしていく。 「ナマエさん。一度話をさせて下さい」 「やだ。しない」 「そんな子どもみたいなこと言って……もし」 「わかってる!」 思わず声を張り上げてしまった。 こんな自分を彼に見せるのは初めてだし、彼のこれほど驚いた表情を見たのも初めてだと思う。そしてその驚いた表情が、瞬く間に悲しい表情となっていくのが目に見えてわかってしまった。もちろん私だってそんな表情をさせたい訳じゃない。 「いきなり大きい声を出しちゃってごめん……びっくりさせちゃったね」 「いえ……そんなことは気になさらないで下さい」 「……アルフレートが言いたいことも聞きたいことも全部分かってるよ。長い付き合いだからね」 アルフレートは一期下の後輩だった。 仲が深まったきっかけは同じ班に配属されたこと。そこで彼は私の夢物語をいつも聞いてくれていた。 ――特殊医療班を作りたい。 誰に話しても叶わない理想だとはねのけられた。そのたび何度も悔しい思いをしていた私に、彼は迷うことなく言ってくれた。 一緒に作りましょう、と。 それからずっと私達は同じ目標に向かって努力し続けてきた。この特殊医療班は私とアルフレートが作り上げたものだと言っても過言ではない。 私達二人の付き合いが長いとはそういうことだ。 「…………分かりました。元の場所に戻しておきます」 大きな溜め息をつきながら諦めた表情をしている。 いや呆れたと言った方が正しいか。スタスタと歩き出した彼を見つめていると、初めに私が置いておいた場所にちゃんと戻しておいてくれた。 そして再び私の方へと戻ってくる。 その途中アルフレートが唐突にぽつりと呟いた。 「ナマエさんとは確かに付き合いは長いですけど、僕のことを全て分かってるとは思えませんね」 「どうして?ちゃんと分かってるつもりだよ?」 「じゃあ前に僕に好きな人がいるって話をしたことがありますよね」 あれは私の誕生日の時。 確かにアルフレートはそう言った。一生片思いだって言ってたことも覚えている。 「それが誰だか分かります?」 「そ、そこまでは確かに分からないけど……でも」 「貴方ですよ。ナマエさん」 え、と…………今、何て。 思考が停止して、頭が真っ白になった。 次に私の頭が彼の言葉を一気に否定した。そんなことあるはずがない。もしくは聞き間違えかもしれない、と。 「やだな、こんな時にそんな冗談……」 「冗談を言っているように見えますか?」 長い付き合いだから分かると言ったのは嘘じゃない。だから今アルフレートの目が本気であることも、はっきりと分かってしまっている。 ならば彼は本当に私のことを――。 それゆえに一生片想いだと言ったんだ。私の心が一生揺るがないことをちゃんと分かっているからこそ。 それでもこうして気持ちを伝えてくれた。だから私も正面から向き合わなくちゃ。 「私は兵長のことが好きだよ。この気持ちは生涯変わることはないから……その、ごめんなさい……」 「もちろんナマエさんと出逢った当初からその気持ちはずっと分かっていますよ。僕も生涯言うつもりなんてなかったんですけどね」 それなのにどうして。それに私なんかを。 聞きたいことは他にもあったけど、何も聞くことは出来なかった。 「最初にナマエさんの命を救ったのは兵長ですけど、ずっと傍で支えてきたのは僕の方だとも思うんですけどね。ねぇ、兵長」 その呼びかけと同時にアルフレートの視線が私から逸れて、私の後方にある扉へと向けられる。 咄嗟に後ろを振り返るとそこには無言で佇む兵長が確かにいた。 「自惚れてんじゃねぇよ」 「僕は事実を言ったまでですよ」 ぴんと空気が張りつめて一気に緊張感が走った。 何か言わなきゃ。そう思うのに言葉が詰まってしまって、一言も発せられない。 この状況、一体どうしたら……。 「そんなに睨まないで下さい。二人の仲を壊そうなんてことは一切考えていませんので」 「はっ……そいつはどうだかな」 「本当ですよ。ナマエさんが今十分すぎるくらい幸せなことは、痛いほど良く分かっていますから」 そう言ってアルフレートはとても柔らかい笑顔を兵長に見せた。 「さて僕も夕飯を頂いてきます。後の片付けはお任せしました」 「アルフレート……っその」 「ではお二人でどうぞごゆっくり」 先ほどのハンジさんと同じく手をひらひらと振りながら、アルフレートはそのままこの部屋を後にした。 パタンと扉が閉まる音が響く。 途端に彼に対する申し訳ない気持ちと不安でいっぱいになってしまった。兵長はいつからここに立っていたのか。どこから私達の会話を聞いていたのか。先ほどと同じように聞きたいのに言葉が詰まってしまう。 「本当にあいつの気持ちは知らなかったのか?」 「っ……はい、全く何も」 「あいつ、俺がここに来たのが分かってからあえて告白しやがった。どういう意図か知らねぇがいい度胸してやがる」 じゃあ告白される前はまだいなかったと推測出来る。 薬の話は聞かれていない、はず。 兵長が来たのが分かったなら、どうしてアルフレートはそのタイミングであんなことを言ったのだろう。伝えるつもりはなかったとも言ってた。 考えこんでいる私に兵長は話を続けた。 「……明日の休暇だが何か予定はあるか?」 「明日、ですか?私は何の予定もありませんけど……」 「ならどこか好きな場所に連れて行ってやる」 いきなり何の話をし出したかと思えば、つまりこれはデートのお誘いだ。 今の話の流れで何がどうなっているのか。兵長の考えてることも全くわからない。 「明日出かける前に、アルフレートともう一度ちゃんと話をしておけ」 こんな兵長は初めてだった。 てっきりいつもみたいに怒られると思っていたのに。そのうえ明日ちゃんと話せだなんて。 「どうした。そんな難しい顔をして。何か俺に言えないことでもしてたのか?」 「……いえ!そうじゃなくて……いつもならもっと、その」 「これでも腹が立ってない訳じゃねぇが、お前がはっきりと断っているのも見てたからな」 そう言われると納得は出来る。でも私ははっきりと断る兵長を見て嫉妬心を抑えきれなかった。そういうのとはまた違うのかな……。 ああ……また少しクラクラする。 「……明日私とデートをしてくれるって言いましたよね、兵長」 「行きたいところかやりたいことがあれば、だが」 体がとても重い。 「ではせっかくなので待ち合わせしましょう」 「あ?待ち合わせ?同じ兵舎にいて何を言ってやがる」 「だからですよ。あえて一緒に出発はしないで外で待ち合わせをするんです。よりデートっぽいじゃないですか」 「そんな余計な手間……」 「場所は……そうですね。私の誕生日を祝って下さったあのお店のあたりにしましょう。時間はお昼ちょうどで。では今日は自室に戻りますね」 「おい、ナマエ」 「楽しみにしてます、兵長」 まだ話が終わっていない兵長を置いてその場を離れた。アルフレートにも片付けを頼まれていたのに無責任なことをした。 部屋が近づくにつれどんどん息がしづらくて苦しくなる。 アルフレートが告白なんてしたから? 兵長が思ってもみないことを言ったから? それだけじゃない。その前から苦しかった。 だから拍車がかかったと言う方が正しい。 「……大丈夫大丈夫。もう少しだけ頑張れる」 兵長もアルフレートも何かがおかしい。 でも一番おかしいのは私だ。 そろそろ向き合わなきゃいけないのはわかっていた。 ←back next→ |