第28話 傍にいて、ずっと


見上げるといつも以上に眉間に皺を寄せた兵長の顔が見える。
いつものように怒られる、のではない。
もうすでに怒られた後のことだった。

「洒落にならねぇって言ったはずだ」
「確かにそう仰いましたね……すみません」
「昨日の夜よりひどくなってやがるじゃねぇか」

首元に触れる兵長の手が冷たくて気持ちが良い。

結局星を見た翌日、冗談ではなく本当に発熱してしまった。昨日一日寝ていれば治ると思ったのに、今朝は更に悪化している。
もちろん兵長にもすぐに気づかれた。朝の訓練開始前に様子を見に来てくれた兵長が、そっと額に濡れたタオルを乗せてくれた。

「アルフレートはハンジの班だったな」
「今はそうですね……」
「訓練前にここに来るように言っておく。ちゃんと診察してもらって薬を飲め」
「……自分でも出来ますよ?私これでも特殊医療班なので……」
「それも一番優秀な班員だったはずなんだがな。お前がお前を診るのだけは信用ならねぇ。ちゃんと他の奴に診てもらえ」

自分のことを軽視しているつもりはないんけれど、ここ最近の兵長は私による私の診察だけはいつも疑ってかかる。

「医務室で看護を受けたらダメですか?」
「駄目だ。いてもたってもいられなくなって働き出すのが目に見えてる」

何だかますます心配性に磨きがかかってる気がする。

「訓練が終わったらまた来る」
「駄目ですよ、ちゃんと休まなきゃ。それに本当に何か感染するような病気だったら……」
「そう思うなら一日でも早く治せ。夕方までに熱を下げておけ」
「ふふ……面白い無茶を言いますね」

私も頑固だと何度も言われてきたけれど、兵長もこういうところは負けないくらい頑固だと思う。
兵長の手が離れいく。

「では訓練頑張って下さいね。また後で」

自室から兵服姿の兵長を見送るのは初めてのことだった。


その後アルフレートが訪れたのは、兵長が部屋を出てからしばらくしてのことだった。
本当に彼を呼んできたんだ。

「やっぱり昨日は大したことないって嘘ついてたんですね」
「本当に寝れば治るって思ったんだもん……」
「今まで無茶してきた分が今になって出てきたんですよ。はい、腕を出して下さい」

左腕に針を刺す痛みが走る。自分が注射を打つなんていつぶりだろう。

「これである程度熱は下がると思いますけど、根本的解決にはなってませんからね」
「わかってる。無茶はしないよ」
「一応採血もしましょうか」
「バカな私が連日発熱してるのが珍しいからって、研究材料にでもするつもり?」

アルフレートが無言でこちらを睨んでいる。もちろん私も彼がそんな人じゃないってわかっている。多分私の周りで一番私に厳しく接してくれるのは彼だ。たかが風邪だろうと手は抜かない。

「……冗談だからそんなに睨まないで。結果が出たらすぐに教えてね」
「わかりました。その結果に合わせて再度僕が薬を調合します」
「お願いします」

アルフレートの手が止まり目が合う。
特に変なことは言ってないと思うんだけど……何か気に障ったかな。

「素直すぎるのも逆に気持ち悪いですね」
「どういう意味?それ」
「早く元気になって、いつもの全く言うことを聞かないナマエさんに戻って下さいってことですよ」

何だか子ども扱いされたみたい。でもアルフレートの言う通りだから反論は出来ない。
いつも以上に迷惑をかけてごめんね。
その言葉に彼はいつになく優しい笑顔を浮かべて部屋を後にした。

一人静かな部屋で天井を見つめる。
こんなにゆっくりした時間を過ごすのは、調査兵団に入団して以来初めてのことだった。
寝て起きてを繰り返して、時間の感覚まで失いそうな気さえする。
今頃兵長の班は訓練を開始した頃かな。特殊医療班はアルフレートがいれば心配することはないよね。
これ以上皆に迷惑かける訳にもいかない。早く元気にならなきゃ。
色々なことを考えていたらいつの間にか眠りに落ちていた。





何度目かの眠りから目を開ける。
何となく人の気配がして視線を向けた。

「……訓練、終わったんですか?」
「さっきな。調子はどうなんだ?熱は下がったのか?」
「アルフレートが注射してくれたおかげで大丈夫ですよ。昨日より大分楽になりました」

兵長の様子を見ると訓練を終えて、そのまま駆けつけてくれたことがわかる。もちろん兵長だって疲れてるはず。だけど一切そんな素振りは見せない。
弱い私ばかり見られて何だか情けない。

「兵長、私はもう大丈夫です。ゆっくり夕飯を食べてお風呂に入って、兵長こそ寝て下さい」
「俺のことはいいから余計な心配はするな」
「いいえ、余計な心配をしてでも兵長の健康を管理するのが私の役目です」

何だかこのやりとり、兵長の班に配属されてすぐの頃を思い出す。
そう思っていたら

「……始めの頃にもこんなやりとりをしていたな」

兵長も同じことを思っていたのがわかって、思わず笑ってしまった。

「なら私が頑固なこともわかってますよね」
「あの頃よりひどくなってる気がしないでもねぇが」

それ以上の言葉は必要なかった。お互い何を思っているか十分理解している。だから兵長は私の気持ちを汲み取って、自室へと戻っていった。

昼間にたくさん寝すぎたせいか。
やけに目が冴えている。ベッドから身を起こし窓を覗いた。今夜は大きな雲に覆われて星は一つも見えそうにない。
小さな溜め息を一つ吐き、今度は書類が溜まった机に向かう。休んだ分を埋めないと。来週には壁外調査だってある。延期してもらった医療班の会議の日程も決めて、訓練メニューを再度練り直して……。

「体が楽になったからってこんなことしたら、また怒られちゃうか……」

結局ベッドに戻り腰を下ろした。
そして何かをする訳でもなくただぼーっとしていた。
どれくらいそうしていたのか。自分でもよくわからない。
ただ漠然とした不安と孤独が徐々に私を呑み込むような、そんな感覚だった。

――コンコン。

無音の部屋にノック音が響き渡る。
こんな時間に一体誰だろう……。

「俺だ」

頭の中の疑問に答えるかのように兵長の声がした。

「今開けます……!」

カチャリと鍵を外し扉を開ける。

「兵長、今日はもうお休みになられたんじゃ……」
「さっき渡し忘れた物があってな。ハンジからだ」

兵長から数枚の書類を渡される。
目を通すとそこには捕獲した巨人の調査報告が書かれてあった。

「あと伝言もあったな。手が空いたらで構わないから、これを基に考察や疑問があれば何でも上げてほしい、だとよ」
「……わかりました。お疲れのところわざわざ届けて下さってありがとうございます」

意識的に口角を上げて笑った。
何となく先ほどまでの不安や孤独な気持ちを、兵長には悟ってほしくなかったからだ。

「まだ起きていたのか?」
「まだというか、昼間にたくさん眠ったので目が冴えてしまって。あ、でもあれから発熱もしてないので本当に心配いらないですよ」
「熱が下がったのは良いことだが、胡散臭ぇ作り笑いはどういう病気が原因だ?」

言葉に詰まってしまった。
もちろんその一瞬さえも兵長は逃がさない。無言でいたことが、作り笑いだということを肯定してしまった。

「その前から様子がおかしいとは思っていたが、黙って見過ごすほど俺は疎くねぇぞ」

疎くないどころか鋭すぎるくらいだ。
そんな兵長を重々承知しているし、何度も降参してきた。今だってさすがにこれ以上誤魔化せるとは思っていない。

「少し寝込んだくらいなんですけどね。でも訓練にも医務室にも行かないでずっと部屋にいて……」

最近ぽつぽつと一人になる時間が増えた。ここに入団してから毎日忙しくて、毎日誰かと過ごして、そして兵長と過ごすようになった。
幸せの分だけそれはより際立つ。

――寂しい。

「兵長……傍にいてもらえませんか?私が眠るまで」

消え入りそうな小さい声で伝えた。兵長の服をきゅっと握ると、溜め息と共に頭にぽんと手を置かれる。

「そういうことは始めから素直に言え」
「でも……本当にこれ以上我が儘になりたくないんですよ」
「こんなの我が儘のうちに入らねぇだろ」
「それは兵長が優しいから――」
「うだうだ言ってねぇでさっさとベッドに戻れ」

腕を掴まれ強制的にベッドに体が沈んだ。
ベッドサイドの小さな椅子に腰をかけた兵長の様子は、何だか子どもの寝かしつけをしているみたいだった。
眠るまで、とは言え眠たくないのだからどうしようもない。
その旨を兵長に伝え、

「眠るまで何かお話しましょうか」

そう提案した。
もうすぐ壁外調査だし、作戦についてとかを話した方がお互いのためかな。でも疲れてるのにそういう話じゃ余計に疲れちゃうかもしれない。
あれこれ考えていると全く予想しない返答が兵長からきた。

「ガキの頃の話でもしてやろうか」
「え……でも海に行った時にって」
「別に隠すようなもんでも何でもねぇ、つまらねぇ話だがな」

苦笑しながら、でも兵長はぽつりぽつりと話始めてくれた。


始まりは地下街の娼館。
前にも一度聞いた通り兵長には母親が一人いた。そして兵長も私と同じ親を失った身だった。

「……どんなお母様だったんですか?」
「そうだな。ガキの頃の記憶だから曖昧かもしれねぇが、優しかったことは覚えている」
「では兵長が優しいのはお母様譲りなんですね」
「俺が優しいのはせいぜいお前にだけだろ」
「そんなことありませんよ。少なくとも調査兵団の兵士は皆ちゃんと兵長の優しさをわかっています」

灯りに照らされた兵長の顔を見つめる。お母様の面影は残っているのだろうか。きっと美人だったに違いない。

「お前が母親から譲り受けたものは料理だと言っていたな」
「はい。今度作ってみせましょうか?私が料理なんて信じられないかもしれないですけど、ぜひ食べてみてほしいです」

私は大勢での食事が当たり前だったけど、兵長は二人きりの食事が当たり前だったと言う。
ふとこの前の私の誕生日を思い出した。あの時兵長は皆での食事を楽しんでくれただろうか。

その後兵長を娼館から連れ出し、地下街での生き方を教えてくれた人がいたそうだ。

「その方は今どうしてるんですか?」
「さぁな。姿を消したきり俺にも一切わからねぇ」

そして兵長は地下街で一人で生きていくこととなる。
それがどんな暮らしで、どんな苦労があるのか私には想像もつかなかった。

「お前に聞かせられないのようなことも、数えきれねぇほどしてきた。話せば俺を見る目すら変わるかもしれねぇな」
「そんな……私はどんな兵長でも受け入れますよ?」
「……自惚れてる訳じゃねぇがナマエならそう言うだろうとも思った。それでも多分想像している以上にクソみてぇな暮らしだ」

兵長の視線が私から外される。

「命を救うのが日常だったお前の生活とは正反対だった」

それはつまり命を奪って生きてきた、と。
兵長は隠さず伝えてくれた。

私にもほんの少しだけ分かる。殺らなきゃ殺られてしまうということが。
実際クルトさんは私を庇って人を殺めた。でもそうしなきゃ私達は全員殺されていたかもしれない。
今思い出すだけでも鮮明に恐怖が蘇るのに、兵長はそれが日常だったなんて。
兵長の言う通り私の想像など遥かに超えた出来事もたくさんあったのだろう。

「その地下街で俺はイザベル、ファーランという二人の人間と共に暮らすようになった」

兵長の仲間であるその二人は調査兵団の兵士でもあったという。
そんな二人との出逢い始まった共同生活。その中でエルヴィン団長と初めて接触し、三人は調査兵団に入団したこと。

……そして二人は壁外調査で命を落としてしまい、兵長だけが生き残ったことを聞かされた。

「イザベルが生きてたらきっとお前に懐いていた気がする」
「本当ですか?何だか嬉しいです。話を聞く限りではとても愛らしい妹のような印象がありますね。ファーランさんは特殊医療班に向いてそうな気がします」
「言われてみればそうかもしれねぇな」

こうやって順に時を遡って、たくさん兵長の話を聞かせてくれた。どんな風に生きてきたのか、どんなことを思っていたのか。たくさん教えてくれた。
兵長はどれだけ仲間の死を受け止め、そしてその意志を継いできたのだろう。
最強の兵士としてずっと私達を守って引っ張ってくれてきた。その重圧も責任も私には計り知れない。

どうしてか。
急に兵長を抱き締めたくなった。
この人が愛しい。
誰よりも何よりも守りたい。支えたい。
傍で生きて未来永劫愛し続けたい。

「……兵長、傍にいて下さい」

すでに傍にいる。
そう言いたげな顔をしている。

「しょうがねぇ奴だな」

でももっと。触れ合える距離に。
その意図を汲んでくれた兵長が、ベッドの中に入ってきてくれた。そのまま兵長をぎゅっと抱き締める。
温かくて安心する。
頭を撫でられると気持ちが良くて目を閉じた。

「……ナマエ、お前」

何かを言いかけた兵長に気づかないフリをした。
今はまだこのまま傍に――。





後日、私の部屋に再びアルフレートが訪れた。

「検査結果です」

ありがとう、とお礼を言い受け取る。一通り目を通しているとアルフレートが先に口を開いた。

「診断はナマエさんにお任せします」
「あれ、担当医として何かないの?」
「まずはご自身でどうぞ」

あくまで自分の見解を優先してくれた。

「薬は調合してくれた?」
「ええ。既に用意してますよ」
「そう、じゃあ問題ないね。症状も治まってるし、ここにいるのも飽きてたからちょうど良かった。これで復帰出来るね」
「ただし壁外調査後にして下さいね」

数日後に控えた壁外調査に、アルフレートは参加するなと言った。

「病み上がりのうえ、壁の外で体調を崩されても困りますから」

確かに体力も筋力も落ちてしまっているし、正直100%の力で参加は出来ないだろう。
アルフレートの言う通り、万が一体調不良になったら重荷になるだけだ。

「そこだけは担当医の指示に従って下さい。すでに団長と兵長には不参加ということでお伝えしています」
「えー先手打つのが早いなぁ」
「打たないと行こうとするじゃないですか。強行突破しようものなら兵長に怒られますよ」

今まで以上に怒る兵長が容易に想像出来てしまった。

「分かった分かった。今回は大人しくお留守番しています」

その夜、部屋を訪れた兵長に何度も釘を刺されたのは言うまでもなかった。


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