第27話 残雪のように


「そろそろ起きましょうか」
「……いいからまだここにいろ」
「でも兵長、今日は大事な会議じゃないですか」
「めんどくせぇ会議の間違いだろ」
「面倒くさくても行かなきゃダメですよ。私、先に起きますね」

私だって兵長から離れるのは名残惜しい。でももう時刻は朝を迎えていて、眩しいくらいの太陽が起床を促している。

あの幸せな誕生日から一週間。
再び変わらない日常が流れている。昨夜もまた兵長の部屋に泊まった私は、珍しく兵長より先にこのふわふわなベッドから降りることにした。
そのまま洗面所に向かおうとした途中、バランスを崩したようにふらついてしまった。

「……おい、どうした。体調でも悪いのか?」
「いえいえ、ちょっとよろけただけです。まだ半分寝ぼけてたみたいですね、私」
「ならいいが。気をつけろ」

誕生日に発熱して以来、兵長は私の体調をよく気にするようになった。
あの発熱だって次の日にはすぐに下がったのに。心配性というか過保護というか……。その反面心配してくれることが、本当は嬉しかったりもする。

「お前は今日の休みはどうするんだ。また医療班の手伝いか?」
「いえ今日はクルトさん達のお墓参りに行ってきます」
「そうか。夕方までには戻れそうか?」
「はい、その予定です。兵長は遅くなりそうですか?」
「多分な。どうせその後の食事が長引くだろうからな」
「では今夜は自分の部屋で過ごしますね」
「せっかくの休日だ。ゆっくり休め」

何だかいつも以上に気にかけてくれていることに、少し申し訳ない気もする。疲れが溜まってるのは本当だし、ここ最近は体もだるい日も増えてきた。
少しは兵長の言うことを聞いて、ちゃんと休む時間と仕事量を調節した方がいいかもしれない。
近いうちアルフレートに相談しよう。


そうして兵長と部屋で別れた後、私はクルトさんとアンナさんのお墓へと向かった。
冬の間はあまり来ることが出来なかったけど、春はここに来る頻度がもう少し増やせそうだ。
暖かい風を感じながら青空を見上げる。

「クルトさん、アンナさん。報告に来たよ」

ここに来ると必ずすることは私の近況報告だ。
調査兵団で病気が流行して大変だったこと。
特殊医療班の育成が上手くいっていること。
とても幸せな誕生日を過ごしたこと。

「じゃじゃーん!見て見て、このネックレス。兵長がプレゼントしてくれたんだよ。このお花は私のイメージなんだって。凄く綺麗でしょ?私、アクセサリーなんて一つも持ってないし、もちろん貰ったこともないから凄く嬉しかったんだ」

胸元のネックレスをお墓に向けて差し出すと、太陽に照らされたそれはより一層キラキラした。

「最近ね、兵長ってば何だか心配性なの。でもいつもより優しくしてくれることも多いから嬉しいっちゃ嬉しいんだけどね」

そういえば子供の頃、私が熱を出した時は二人で朝まで看病してくれたよね。それでクルトさんがいつも魔法みたいにすぐ治してくれたっけ。
最近は子供の頃の楽しい思い出や嬉しい思い出が、素直に思い出せるようになった。特に誕生日を境にだ。

それから今日はクルトさんに、どうしても聞きたいことが一つだけあった。

「あのね……あの時、ルッツさん達が死んじゃった時なんだけど。私の帰る場所を教えてくれたのはクルトさん……なんだよね?」

真っ黒な世界で兵長との約束を思い出させてくれた。ルッツさん達は任せなさいって言ってくれた。それから最後に言っていたあの言葉。

“お前にはまだ誰かを救う力も時間も残っている。ちゃんと見守っているから、もう少しだけ頑張りなさい。ナマエ”

確かにそう言っていた。
私の名前を呼ぶその声を絶対に間違えたりしない。

「私には誰かを救う力も時間も残っている……か」

クルトさんはいつも私を見ていてくれてるんだね。もしかしたら私がこうして報告しなくても全部分かっているのかもしれない。
それも私以上に私のことを――。

「クルトさんの言う通り最後まで頑張ってみるね。だからまだ見守っていてね」

そろそろ帰らないと暗くなってしまう。立ち上がり衣服についた草を払い落とす。

「そうだ、今度は兵長を連れてくるね。何度も言うけど私にはもったいないくらい素敵な人なんだよ。強くて優しくてカッコ良くて……二人も絶対にすぐ好きになるよ」

次来る時は思い切って兵長も誘ってみよう。

「じゃあまたね」

そうして私は兵舎への道を戻っていった。





今夜は自分の部屋で過ごします。確かに自らそう言ったはずだった。けれど気が付けばこの足は兵長の部屋へと向かっていた。
以前渡された合鍵で部屋の扉を開ける。薄暗くなった部屋にはもちろん人の気配は一切ない。

「……何だか疲れた」

そのまま倒れこむようにベッドに身を投げた。
ああ。兵長の匂いがする。まるで兵長の腕の中にいるみたいで何だか安心する。

「兵長……早く帰ってこないかなぁ」

ぽつりぽつりと呟きながら、落ちてくる瞼に逆らえずそのまま目を閉じてしまった。

「…………おい」
「んー……」
「……い、起きろ」
「もうこれ以上食べられませんよぉ……」
「ナマエ」
「はいいい!すみません兵長の分も食べちゃいました……っ!」

なので怒らないで……ってあれ……?
私を見下ろす兵長と目が合う。

「よぉ起きたか。随分食い意地の張った夢だな」

夢……って言いました?もしかしなくとも私ってば完全に寝ぼけて……!
口元に冷たい感触があり急いで拭う。さらに恥ずかしいことに涎まで垂らしていた。

「お……、おかえりなさいです」
「今日は自分の部屋で休むんじゃなかったのか?」
「あ……えっと、少し立ち寄っただけで、すぐに戻るつもりだったんですよ?でもベッドで横になったらふわふわしている上に、兵長の匂いがして安心しちゃってつい……」

すぐに何か返してくれるのかと思ったけど、兵長が黙りこんでしまうものだから一気に汗が吹き出てしまった。

「……またバカなことを言いましたね。すみません、勝手に兵長の部屋で寝てしまって」
「ナマエ」
「えっ、待っ、んん」

何を思ったのか突然唇を塞がれた。胸板を押し返そうとしてもびくともしない。

「んっ、……ふ」

抵抗も空しく一通り口内を犯され味わい尽くされた。

「……っ、は。どうかしたんですか……っ?」
「いや……お前のそういうバカ正直なところが可愛く思えただけだ。くだらねぇ会議の後だと特にな」

か、可愛い……!?兵長がそんな風に直球で言ってくれるのは珍しい。

「着替えてくる」
「あ、はい!」

赤く火照る顔を手で扇ぎながら兵長の背中を見送った。

窓の外を見るともうすっかり夜も深くなっていた。真っ暗な夜空にキラキラ輝くものが見える。
そういえば前もこうして兵長を誘ったんだっけ。そしてキスをして……。何だか随分昔のことのように感じる。

「兵長、久しぶりに星を見に行きませんか?」

着替え終えた兵長にそう声をかけた。

「さっきまで寝てたやつの言うことか。疲れてるんだろ?」
「いえ、ここで眠った分元気になりました」
「随分単純な奴だな」
「春の星座はまだ一緒に見たことがないのでぜひ行きましょう!ほら」

しょうがねぇと溜め息をつく兵長の腕を引っ張り外へと促す。兵長も観念したのか結局抵抗することなく、私の後をちゃんと着いてきてくれた。
向かった先は前回観察した時と同じ場所。
あの日と同じく星が一面に瞬いている。あの日と違うのは見える星座の種類と私達の関係。

「春の星座はあれがまず北斗七星ですね。それからあのオレンジ色のがアークトゥルス、青白いのがスピカ、白黄色はデネボラです」

指で三角形を描き説明をする。顔を上げ頷く兵長に笑みが零れてしまう。やっぱり私は兵長と星を見るこの時間が堪らなく好きだ。

「本当に星には詳しいんだな」
「そうですね。医学書の次によく読んでいたのが天文学の書物だった気がします。だからよく変わった子どもだなって言われていました」

でもあの頃は本当にそれが一番楽しい遊びだった。

「……くしゅんっ」
「これを着てろ。また熱でも出したら洒落にならねぇぞ」
「すみません、ありがとうございます」

渡されたジャケットに身を包むと、ベッド同様兵長の匂いがふわりとした。

「海とやらを知ったのはその時か?」
「そうですね。多分誰かに話しちゃいけないことなんだとは思いますけど」
「どういう意味だ?」

私が初めてその本を手にしたのは偶然だった。クルトさんにはとても仲の良い医者仲間が二人いた。

一人の名はドミニク先生、もう一人の名はイェーガー先生。

二人はよく孤児院に遊びに来てくれた。
特に医学について学ぶのが大好きだった私は、他の子達よりも接する機会が多かったように思う。
彼らにも様々なことを教わった。特にイェーガー先生の腕や知識は誰よりも凄かったことを記憶している。医者を目指してた私は、二人の先生をとても尊敬していた。

そんなある日たまたま夜中に目が覚めた私は、三人の難しい話を聞いてしまったことがあった。
幼い私には詳しいことは分からなかったけど、政府や壁の外の話だった気がする。
同時期に医学書で埋もれた棚から、とある一冊の本を見つけた。その本に記された海、というものが当時私の好奇心をどれだけ掻き立てたことか。今でも興奮したことを覚えている。
翌日再びその本を読みに訪れると、本はすでに無くなっていた。

『ナマエ、ここの本を読む時は私に一声かけなさい』
『……はーい』

クルトさんから言われたのはたったそれだけ。
夜の会話、突如消えた海の本。
子どもながらに触れてはいけないことなのだと何となく察した。もちろん誰かに話したことも今まで一度もなかった。

「じゃあどうして俺に話したんだ?」
「私、調査兵団に入って驚いたことがあったんですよ」

私達は外の世界には興味を持たないように育てられる。もちろん私もむやみやたらに壁外の話はするなと言われてきた。

「それなのにここの皆さんはいつも壁外の話をしていて、どれだけひどい目に合っても外の世界に踏み出すことを諦めない……。ハンジさんと初めて巨人についてお話をした時は、あまりの楽しさに幼少期の好奇心が一気に蘇りましたね」

そうして私自身も壁の外へ行くたびに、また少しずつ考えるようになっていた。
海は必ずこの世界のどこかにあるんだって。

「兵長にお話したのは、兵長となら絶対一緒に海に辿り着けると思ったからです」

人類最強の兵長とならきっと。

「それは責任重大だな」
「私も必死に着いていきます。だから先に一人で行ったらダメですよ?」
「普通の女ならいつか連れて行けって言うのだろうが、お前は一緒に探しに行くって言うんだからつくづく変人だな本当」
「だから言ったじゃないですか。子どもの頃から変わってたって」

この星のようにいつかこうして海を眺める日がくるのだろうか。絶対に来るって信じたい。死んでいった皆と約束した通り、巨人を絶滅させて海へ。

「……兵長は子どもの頃……って、ごめんなさい」
「謝る必要がどこにある?別に――」
「いいんですいいんです……!」

自分から語らないことは聞かれたくないことだとも思うし、私から無理やり聞き出すことじゃない。

「そうだ。兵長の昔話は海で聞かせて下さい」
「そいつは何年も先の話かもしれねぇな」
「そうですか?私はそう遠くない気がするんですけどね。あ、流れ星!」

そんな願いを星に込めて私達は明日も生きていく。


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