第21話 嘘つき! 私と兵長の逢瀬は、基本夜のティータイムの時だけだ。私の配属は変わらず兵長の班だけど、まだ正式な復帰はしていない。 そのうえお互い忙しい身だ。すれ違いとまではいかないけれど、夜以外で会えることは珍しいことだった。 夕方特殊医療班の仕事を終え廊下を歩いていると、たまたま団長に遭遇した。一つ頼まれてくれないか。そう言われて兵長への書類を預かることになった。 鼻歌混じりで兵長の部屋へ向かう。以前までは日中に会う方が普通だったのに、今ではすっかり逆になってしまった。 この時間なら兵長も仕事が片付く頃だ。ついでに紅茶も淹れよう。 あれこれ考えていた矢先のことだった。 「…………さい」 扉が少し空いている。聞こえてきたのは部屋の主である兵長の声ではなく、女性の声だった。 「……リヴァイ兵長のことが好きなんです」 もしかして……兵長、誰かに告白されてる……!? 一気に冷や汗が出た。同時にペトラの言葉が蘇る。 “兵長って凄くモテるんだから” “チャンスだって思うのが普通だもの” “かなり積極的な子もいると思う” 彼女が強く警告していたことが、今目の前で現実に起こっていた。 急いでここから立ち去らなきゃ。 頭ではわかっているのに足が動かない。 「入団した時からずっと兵長のことを想い続けてきました」 それは私と同じ兵長への真っ直ぐな想いだった。 「悪いが俺には付き合っている奴がいる」 はっきりとそう言ったのが聞こえた。兵長がちゃんと断ってくれた。それだけで凄く凄く嬉しい……心変わりされなくて本当に良かった。 「そう、ですか……わかりました」 安心したところで踵を返そうとした私を止めたのは、その後に続く彼女のとんでもない一言だった。 「……私を抱いてくれませんか?」 はい──? 今、抱い、て……って聞こえた気がする。 「俺には付き合っている奴がいると言ったばかりだが」 「はい、そう伺いました」 「なら」 「一度だけでいいんです……!私に思い出を下さい……っ」 頭を殴られたような気分だった。 確かに兵長はモテる。それは私が片思いしている頃からわかっていた。 何て大胆なアプローチだろう。見てるだけで十分なんて言っていた昔の自分と彼女は、同じ片思いでもまるで違っていた。それどころか現時点で恋人である私にすら言えない台詞だ。 もしかしたら私が知らないだけで、兵長にとってはこういうことは日常茶飯事だったのかもしれない。前にもこうして、同じようにキスをする瞬間を目撃したこともあるし。 ここで誰かと一夜を過ごしたことだって……。 やだ。考えたくもない。 一気に涙が溢れそうになる。 「お願いです……兵長」 兵長を誘う甘ったるい声。 一刻も早くここから立ち去りたい。何も聞かなかったことに、何もなかったことにしてしまおう。 そして明日からいつも通りの日々を兵長と──。 ああ、そんなの。 「そんなの絶対ダメです……!」 そのまま立ち去るなんて絶対無理だ。だって兵長を取られちゃうかもしれないのに、みすみす見過ごせるはずがない。 「……な、何!?」 この女性からしてみれば、一世一代の告白に何てことをするのか、という気分だろう。 でもどうしても我慢出来なかった。塞ぐように兵長の前に立つ。 「……立ち聞きしていたことは謝ります。本当にごめんなさい。でも、その一夜とか……そういうのは、絶対ダメです!」 「貴方一体何なの……!?」 「私は、その、兵長とお付き合いしている者です!」 「じゃあ貴方が」 後ろにいる兵長がどんな顔をしているのか、どんなことを思っているのか全くわからない。 けれど兵長は私の、だ。 誰にも渡したくない。それだけは絶対に譲れない。 「……盗み聞きする彼女なんて、兵長も悪趣味ですね」 捨て台詞と共に彼女は兵長の部屋を後にした。 扉が勢いよくバタンと閉まると、その場に座り込みたくなるほど一気に脱力した。 「おい」 しかし座り込む暇などない。すぐ後ろから兵長の声がして、背筋をピンと伸ばす。 きっと怒られる。 ううん。怒られる必要なんてない。 だって私は恋人なんだから。何も悪いことなんてしていない。 「こっちを向け、ナマエ」 そもそも兵長が前に言ったんですよ。 「兵長の嘘つき!」 「……あ?」 一度口を開けば止まらない。 「兵長前に言ったじゃないですか……!私以外この部屋には入れないって!それなのに、さっきの人……それに前みたいに襲われたらどうするつもりだったんですか!?そりゃあ私みたいな恋人じゃ全然満足していないのもわかりますけど……でも、それでも私は絶対に嫌なんです……!」 勢いのまま兵長を捲し立ててしまった。 いつもは捲くし立てられる側なのに、これじゃあ逆になってしまっている。 いや逆どころか最悪だ。 半ベソをかきながら駄々をこねている私は、子ども以外の何者でもない。 ありのままの気持ちをぶつけすぎた私は、肩で呼吸を繰り返しながら恐る恐る兵長を見つめた。 「な、何が可笑しいんですか……!?」 「いや……悪い」 目を疑う光景だった。あの兵長が肩を震わせて笑っている。 怒られるようなことをした自覚はあるけれど、笑われるようなことをした自覚はない。 「兵長……?」 「……そうだな。嘘をついたのは俺の方だ。悪かったな」 素直に謝られるとは思ってなかったから、何だか拍子抜けしてしまった。というか、どうしてそんなに嬉しそうに笑っているのかがわからない。 「どうして怒らずに笑ってるんですか……?」 「ヤキモチを焼くお前が可愛くてつい、な」 思考が一度停止した。 まだ少し笑っている兵長をよそに、私は無言でソファにふらふらと向かう。ひとまず腰を下ろして小さく息を吐いた。可愛いと言ってくれたことは、後々じっくり喜ぶとして。 「どうかしたか?」 「ちょっと、待って下さい。今頭の中で整理を……」 ヤキモチ……それだ。 ペトラの話を聞いた時から、ずーっとモヤモヤしていたものの正体はそれだったんだ。確かに片思いの時は思いもしなかった。 でも今は誰にも兵長を奪われたくない。その嫉妬心が大きくなって。抑えられなくなって兵長に……。 「私ってば、子どもみたいにヤキモチを焼いて、そのうえどれだけ恥ずかしいことを……!」 「どこがだ。大いに妬いてもらって構わねぇぞ」 な、何ですか。 その兵長の大人の余裕みたいなのは。 「まぁあそこで怒って入ってくるぐらい嫉妬深い奴だったとは、俺も予想外ではあったが」 「うう……だって」 「俺にとっては嬉しい誤算だ」 兵長が上機嫌で隣に座る。 「兵長、聞いてもいいですか?」 「何だ」 「こういうことってよくあるんですか……?」 告白だけならもちろん予想はしていた。キスをしていたのだって、今日と同じように見ちゃったこともある。 でもその……一夜とか、そういう類いのことまで本当にあるなんて。もしかしたらそれに兵長が応えて、ここで……なんてことも過去にはあったのかもしれない。 「……たまたまだ」 「そう、ですか。兵長は今まで、えっと……」 誰かと付き合ったことなんてあると思う。もちろんその先の経験だってあるはずだ。そんなことは重々承知している。 例え何があったとしても、過去は変えられない。けれどその過去にさえ嫉妬してしまう。 問いかけの途中で黙ってしまった私に、今度は兵長が問いかけてきた。 「聞きたいか?」 私の気持ちを察しての言葉だと思う。 もちろん聞きたい気持ちはあった。今までどんな恋をしてきたのか。どんな人を好きになったのか。 気にならない訳がない。 「私が聞いて楽しい話ですか?」 「楽しくはねぇだろうな」 「……ですよね」 「それでもお前が聞きたいと言うのなら、俺はお前に嘘をつくつもりはねぇし、ありのままを話すつもりだ」 過去は変えられない。だからこその兵長の今の気持ちだろう。それが痛いほど伝わる。 それでもどうしようもなく過去に嫉妬している。 誰かの髪をといたり好きだって言ったり、キスしたことも、もちろんその先もあるんだ。 同じようにその口で、手で。 普段見ることが出来ない兵長を知っているのは、私だけじゃない。 詮索なんて野暮なことしなければいいのに。やっぱり私はバカだ。 「ちょっと、待って下さいね……」 そう言って兵長に背を向けた。鼻をすすり、熱くなった目頭を押さえる。 「おい」 「すみません……っ、すぐに落ち着きますから」 「ナマエ」 兵長、ダメです。名前を呼ばれるともっと涙が溢れそうになるから。 わかってるけど止められなかった。やっぱり私、どんどん欲張りになってる。 最初は見てるだけで良かったのに。こんなにも兵長が好きで好きで。過去も今も未来も全てが欲しくなってしまう。 自分がこんなにも独占欲と嫉妬にまみれるとは思ってもみなかった。 「ナマエ、お前が好きだ」 「……はい」 「俺はお前以外誰も好きにならねぇぞ」 その言葉と共に、後ろからぎゅっと抱きしめられる。兵長の気持ちと体温が背中越しに伝わってきた。 「この先ずっとですか?」 「ああ。もちろんだ」 「こんな子どもみたいな彼女だと、もっともっと面倒くさくなるかもしれませんよ?」 「望むところだな」 そう優しく耳元で囁かれた。それだけで私の嫉妬心も独占欲もかき消され、幸せな気持ちでいっぱいになっていく。 「まだ拗ねているのか?」 そろそろこっちを向けと言わんばかりの兵長に観念して、腕の中で振り返る。 先ほどまで濡れていた目尻に、兵長の指が触れた。 「さっきの嘘つきの件だが、一つだけ訂正させろ」 「……はい」 「一応仕事の用があると言うから部屋に入れたまでだ。実際に書類も預かっている。むやみやたらには入れてねぇぞ」 ちゃんと分かってる。兵長がはっきりと断ってくれたこともこの目で見ていたから。 「私も、書類が」 扉の前に飛び散らかった書類を思い出す。 「こっちが先だ」 「あっ……」 強く抱き締められ身動きがとれない。団長に頼まれたのに悪い部下だ。書類よりも兵長のキスを優先してしまった。 「ふ……っ、ん」 兵長が好き。 「兵長、っん」 言葉を紡ぎたいのに、何度もその唇に阻止される。 「……っ、は」 言葉に出来ないならと、その舌を追いかけ絡ませ必死にキスを繰り返した。 「……過去は変えられないが」 触れるか触れられないかの距離で、兵長がそっと囁く。 「俺の未来は全部お前のものだ」 「……返せって言われても絶対に返しませんからね」 言葉で伝えても伝えても伝えきれない。兵長に対する喜びも不安も嫉妬も、そして大好きの気持ちも。 もっと兵長の傍にいたい。 触れ合って確かめって。 ああ。わかった気がする。 準備なんて頑張ってしなくても、こうして自然に出来るものなんだ。 「兵長、今夜もう一度会いに来てもいいですか?」 「駄目だ。来るな」 崩れ落ちそうになった。 まさかこの流れで断られる展開になるなんて、誰が予想出来ただろう。 「わかりました……では、仕事に戻りますね……」 「おい。何か悪い意味に捉えてねぇか?」 見るからに生気を失った私に、兵長が変な質問を投げかけた。 「来るなと言われて悪い意味以外にありますか……?」 「お前、そりゃなんて面だ」 そうした張本人がよくもそんなことを。 兵長に来るなとはっきり拒否されたら、この世の終わりみたいな顔にもなりますよ。 「あれだ……今日はお前に何もしないと言いきれねぇからだ」 珍しく兵長が私から視線を外して言った。 そっか……そういうことだったんだ。いつもそうして私の気持ちを優先してくれていたんですね。私が子どもなばっかりに。 今ならわかる。このもどかしい気持ち、溢れていく好きの気持ち、それらを表現する別の方法。 「私、やっぱり夜にもう一度伺います」 「馬鹿野郎。人の話をちゃんと聞け」 「ちゃんと聞いています」 「じゃあ理解出来てねぇのか」 「理解もしています」 兵長の言いたいことは重々承知している。 そのうえで私は夜に会いに来ると言っているのだ。 「来たら抱くぞ」 兵長からのだめ押しの一言。 「とにかく……夜、来ますからね!」 まるで売り言葉に買い言葉だ。 可愛い返事など一切出来ずに、私は兵長の部屋を飛び出てしまった。 ←back next→ |