第17話 貴方の為に生きたい 真っ暗な世界にいた気がする。 でも今は少し瞼が眩しい。 「おはよう、ナマエ。今日は昨日とは打って変わって暖かくなりそうだよ」 ……聞き覚えのある声が聞こえる。私がずっと慕っている大好きな人の声。 瞼をゆっくり開けると、徐々に視界がはっきりとしてきた。そこに見えるのは、カーテンを開けるハンジさんの姿だった。 「今日は訓練日和だね。さてと私、も……」 振り返ったハンジさんと目が合う。 「……ナマエ!?ナマエ!わかる!?」 「…………はい」 「ああ良かった……!」 体が痛い。ここが現実なんだ。じゃあさっきまでのは──。 受け止めなければいけない現実が何なのか。教えてもらわなくとも、もう私には分かってしまっていた。 「……私だけが生き残ってしまったんですね」 その言葉をハンジさんは否定しなかった。徐々に蘇っていく記憶の中で、一つだけ疑問があった。倒れたはずの私がどうしてここにいるのか。それにちゃんと治療も施されてる。 「誰が私を助けてくれたんですか……?」 「リヴァイだよ」 ──兵長が。 「左翼索敵がほとんど拠点に辿り着いていないことを知って、単身で助けに戻ったんだ」 兵長の名前を聞いて途端に息が苦しくなった。 自分でもどうしてかわからない。 兵長……兵長──っ。 「ナマエ……!?すぐに医者を呼ぶから待ってて!」 残酷なまでの現実に溺れて、呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだった。 六日近く意識不明だったと聞かされた時は、さすがに自分でも驚いてしまった。 医療班から説明された病状は私の見立て通りで、しばらくの入院が必要だということが告げられた。兵士としての復帰はさらに遅れる、と聞かされても今は焦る気持ちは全くなかった。 「ナマエ、気分はどう?」 夜になり再びハンジさんが私の元を尋ねてくれた。 そしてテーブルに置かれた食事を見て、その顔が浮かない表情をしたように思えた。 「今朝目覚めたばっかだもんね。きっと少しずつ食欲も出てくるよ」 「すみません……」 もちろん体は痛いし少し熱っぽい気もする。でも食事が喉を通らない理由はそれじゃない。きっとハンジさんもわかってて、そこには触れないようにしてくれてるのだろう。 「リヴァイもタイミング悪いよね。今日から三日間不在だなんて」 「……王都で貴族とお茶会でしたっけ」 「資金集めという名のね。きっと物凄くイライラして帰ってくるよ」 思わずハンジさんの言う兵長を想像してしまう。私に怒る時と同じ、きっと眉間に皺を寄せた兵長なのだろう。 ……またいつものように私も怒られるかな。 今兵長に会ったとしても、どうしていいのかわからない。話がしたいと約束したけれど、今の私に気持ちを伝える資格なんてないと思う。誰かを救いたいと言いながら、誰かを犠牲にして生きている自分なんて。 「ナマエの意識が戻るまでの間、リヴァイは毎日ここに来てたんだよ」 それを嬉しいと感じてしまう自分が、まだ生にしがみついているようで吐き気がしてしまった。 ◇ 翌日、精神状態を察してか、私の病室はしばらく面会謝絶となった。泣いてもいいんだよとハンジさんは言ってくれた。 けれど私が涙を流すことは一度もなかった。 「私……まだ生きてる」 私は今まで誰かを救うことで、自分の存在価値を見出していただけのように思う。他人の命を利用して、何て浅ましい。 「……皆に会いたい」 眠る直前、無意識に発した言葉は天井へと消えていった。 それからどれぐらい眠っただろう。夢と現実の狭間で瞬きを繰り返してみる。 「……起こしちまったか?」 思いもよらない声に、一気に現実へと引き戻された。絶対に聞き間違えるはずなんてない。だってこれは一番大好きな人の声なのだから。 「兵、長……?」 「さっき王都から帰ってきて、お前の顔を一目見たら部屋に戻るつもりだったんだが……すまねぇな」 「いえ……全然、っ痛」 「おい、無茶するな」 体を起こそうとするも肋骨に激痛が走る。兵長はそんな私をすぐさま支えてくれた。 触れた兵長の手が温かい。それはちゃんと兵長が今を生きている証でもある。 「すみません、兵長…………私のせいで、ルッツさん達が……」 私の手も同じように温かい。私だけがこうして生き残ってしまった証。 「ルッツ達が死んだのはお前のせいじゃない。巨人のせいだ」 それでも兵長があまりにも優しく諭してくれるから、抑えていたはずの感情を涙と共に、止められなくなっしまった。 「違います、違うんです……。私誰も守れなくて、皆に庇ってもらってばかりで……っ!命を救いたいなんて言いながら、何にも出来なかったんです……!」 「ナマエ、落ち着け」 「特殊医療班なんて何の意味もなかった……!私が巨人に食べられれば皆が逃げる時間くらい作れたかもしれないのに、私……っ、どうして私だけ……!」 「ナマエ。落ち着けと言っている」 グッと兵長に体ごと抱き寄せられた。 「兵長……っ、私、結局一人じゃ……何にも出来ないんです……」 「違う」 「それなのに思い上がって……っ、私の夢に付き合わせてしまったばかりに……皆が!」 「違う!」 抱きしめる力がより一層強くなり息苦しささえ覚える。 どうしてだろう。泣くことすら忘れてしまったはずなのに、この胸の中だと簡単に溢れてしまう。 「うううーー……っ!」 そのまま私は兵長の胸で咽び泣き続けた。そんな私を兵長は何も言わず、ただただ抱きしめてくれていた。 「ナマエ。お前が今思ってることを全て話せ」 「全……部?」 「どんなことでもいい。弱音でも何でもいいからとにかく吐き出せ」 「兵長……」 「お前は一人で抱え込みすぎだ。あいつらを失って辛い思いをしているのはお前だけじゃねぇぞ」 兵長がどんな意図でそう言ったのかはわからない。けれど兵長の言う通り、私は悲しい気持ちも後悔も意志も夢も何もかも、一人では抱え込めないところまで追いつめられていた。もしかしたら兵長だけには、全てを話せるかもしれない。 「その感情は俺が共有してやる」 この温かな腕の中がそう感じさせてくれた。 「上手く……、伝えられないかもしれません……っ」 「それでもいい」 私を抱きしめていた腕がそっと緩まる。改めて兵長の顔を見たら、また一筋涙が零れていく。 「長くなってしまうかもしれませんが……私の過去から、全てを聞いて頂けますか……?」 「ああ、朝までかかっても構わねぇ。ちゃんと全部聞いてやる」 誰にも話したことはなかった私の過去。ずっと一人で背負っていこうと思ってたのに。 兵長はやっぱり星のよう。その輝きが私の影を照らしてくれて。 そして兵長の光に導かれるように、私は一つ一つ自分の話をし始めた。その間、兵長はただただ静かに私の話を聞き続けてくれていた。 孤児院の話。事件の詳細。調査兵団までの道のり。そして今回の壁外調査での出来事。言葉に詰まったり、思いだして辛くなったり、時々話が止まってしまうこともあったけれど。話を終えた後の感情は、言葉では表現出来ないものがあった。 「これでお話は全てです……」 気が付いたら涙はすでに止まっていた。それでも私の中で罪悪感も喪失感も無くなった訳じゃない。ただ一つだけ変わらず残っているものがあるとすれば、伝えたかった兵長への気持ちだけ。 「兵長最後に一つだけいいですか……?生きて帰れたら聞いてほしい話のことです」 「その前に、俺もお前に話があると言ったな」 「……はい」 「お前の話は俺の話をした後に聞いてやる」 壁外調査の前に二人でした約束を、兵長は果たそうとしてくれていた。 「お前がどれだけ努力をしてきたか、どれだけ多くの仲間を救ってきたか、俺もここの奴らもよく分かってるつもりだ」 「……いえ、私は」 「お前は十分よくやっている。何も出来ないなんて言ったら、同じように努力してきた特殊医療班の奴らはどうなる?お前は自分の仲間や部下の努力もなかったことにするつもりか?」 何も言い返せなかった。兵長の言ってることは正論だ。今の私は感情にばかりに身を任せて、調査兵団の兵士として失格だ。情けなくて思わず顔を下げてしまった。 「まぁ今のは上官としての説教みてぇなもんだ」 不意に顎を持ち上げられ、再び兵長と視線がぶつかる。 「本題はここからだ」 瞬きをすることすら躊躇ってしまいそうな、真っ直ぐな眼差しだった。 「お前に生きる意味がないと言うなら俺が与えてやる。まわりくどいことは言わねぇぞ」 そう言ってわずかな沈黙が流れた後、兵長は力強い声ではっきりと私にその意思を伝えてくれた。 「ナマエ、お前が好きだ」 ────え……今、なんて。 「俺はお前と生きる道を選ぶぞ」 兵長が私を好き……って、言ってる。まさかそんなこと。でも確かに今──。 「あの……聞き間違いじゃなければ、私を好きって……言いました?」 「ああ。言ったな」 「……嘘、じゃないですよね?」 「嘘に聞こえたか?」 「だって私ですよ……?兵長の言う通りバカな女ですよ?」 「そうだな。一度言ったくらいじゃ伝わらねぇバカであることは間違いねぇな」 じゃああのキスも、あのヤキモチも。 「お前がわかるまで何度でも言ってやる」 「……兵長」 「好きだ、ナマエ。俺の傍で生きてくれ」 兵長はいつもそうやって私を救ってくれる。私に命の大切さを、生きる意味を教えてくれる。そしてその強さと優しさに私はずっと惹かれていく。 「約束の話は以上だ……返事の前にお前の話を聞こう」 伝えたい言葉よりも先に涙が溢れてしまう。もっと上手に伝えるつもりだったのに、言葉を紡ぐだけで精一杯だ。 でも不格好でもいいから、私も兵長にこの気持ちを届けたい。 「兵長っ……生きて帰れたら、私も伝えたかったことがあったんです……」 兵長、兵長兵長。 あの日からずっと貴方のことが──。 「好きなんです……っ」 一度この気持ちの蓋を開けたら止められない。 いや。もう止めたくなどない。 「兵長のことが……好き……」 兵長の手が頬に触れる。あの星の下と同じ兵長の瞳に捕えられて動けない。 「今度は逃げるなよ」 「……はい」 ゆっくりと唇が重なり合う。初めての時と同じ触れるだけのキス。そして一度唇を離したかと思えば、今度はチュっと小さな音を立てて啄まれた。 「ナマエ」 体が熱い。艶っぽい兵長の声が私の体温を上昇させていく。 「ん……」 兵長、大好きです。 どうか私の醜い生き様を許して下さい。助けられなかった後悔も助けたい夢も、全てを背負ってもう一度だけこの人の傍で生きてみたい。 そう強く願いながら兵長を強く抱きしめた。それに応えるかのように、兵長は再び私にキスを落としていく。 「んんっ……」 角度を変えては何度も重なる唇を割って、口内に何かが侵入してきた。それが舌だとわかった瞬間、私は兵長の体を押し戻していた。 「何だ?」 「い、今……舌、舌が!」 「それがどうした?」 「どうしたじゃないですよ……!」 一瞬兵長の眉間に皺が寄った気がしたけれど、見なかったことにしよう。むしろ最初からこんな、その……大人のキス。とにかく私にはこれ以上は限界だ。 「まぁ今はいいが、そのうち慣れろ」 慣れる?これに!?そんな日が来るなんて正直信じられない。しかも今になって急に恥ずかしくなってきた。俯く私に兵長がそっと語りかける。 「……俺も同じような雨の日に仲間を失ったことがある」 「兵長も……ですか?」 「その日だけじゃねぇ。これまでに仲間や部下を幾度となく失ってきた」 そのたびに兵長はこんな思いを繰り返してきたのだろうか。 「結果は誰にも分からない。俺もずっとそうだ」 きっと兵長は私なんかとは比べ物にならないくらい、多くの期待も後悔も、そして人々の命を背負ってきただろう。 「それでも死んでいった奴らの意志を力に変えて、ここまでやってきた」 「……意志」 「そうだ。お前も家族や仲間の意志を継いで生きろ。じゃねぇとあいつらの命を本当の意味で絶ってしまうことになるぞ」 誰かを救いたいというクルトさん達の意志。巨人を殲滅させたいと心臓を捧げたルッツさん達の意志。 そうか。私にはこれを未来へと繋ぐ義務があるんだ。それが生き残った者に出来ること。 ならばこの命は兵長のために使うのではなく。 ──兵長と生きていくために使おう。 「兵長……やっぱりもう一度、キス、しても……いいですか?生きていることを実感したいんです……」 「……どうなっても知らねぇぞ」 欲を宿した兵長の瞳が私を誘う。心臓がうるさいくらい大きく拍動していた。お互いの存在を確認するように口付け。 再び侵入してきた舌が、私の舌を器用に絡めとる。歯列をなぞられ粘膜を刺激されていく。もちろん応えることなど出来なくて、受け止めるだけで精一杯だ。 ただ一つだけ感じるのは、甘くてとても気持ちが良いということ。零れる唾液に気付かず、私は兵長のキスに溺れていた。 兵長の手が首筋を掠め鎖骨の下へと伸びて、押し倒されていく途中だった。 「痛……っ」 折れた肋骨の痛みに顔が歪んでしまった。我に返ったように体を離すも、まだ上手く呼吸を整えられない。 「……煽ったお前が悪い」 「ですね……すみません」 兵長を責める気などさらさらない。兵長を求めてしまったのは間違いなく自分の方だ。 「あっ……えと、ついでという訳ではないんですけど、一つ謝りたいこともあるんです……」 「何だ?」 「私がすぐに目を開けないばかりに、兵長の誕生日が過ぎてしまいました……」 兵長が大きな溜め息をついた。 「何かと思えばそんなどうでもいいことで、一々謝る必要なんざねぇだろ」 「どうでもよくなんかありませんよ……!」 「前にも言ったが、俺は誕生日がきて喜ぶような歳でもねぇぞ」 「兵長が喜ばなくても、私が世界で一番喜ぶ日なんです」 兵長の手が髪を掬って撫でる。それがとても心地が良い。 「誕生日なんざ嫌でも毎年来るんだ。これからいくらでも祝えるだろ」 バカな私でも今度は一度で理解出来たと思う。 「それは、毎年私が兵長の傍にいてもいいってことですか?」 「離れたいって言っても離す気はねぇから、覚悟しておくんだな」 この日、私は兵長に誓った。 もう一度貴方の傍で夢を見て、貴方の傍でこの世界を生き抜いてみせる。この命が尽きるその時まで、と。 ←back next→ |