第14話 真っ黒な世界


これで何回目の壁外調査になるだろう。いつの日か数えることすらしなくなった。正直ここまでよく生き残れたとも思う。それは自分の夢を一度も諦めることなく、頑張ってこれたからこそかもしれない。

「医療用具の最終チェックするね」
「ナマエさん……俺凄く不安になってきました」
「大丈夫、今まで頑張ってきた自分を信じて。それにここが一番安全な班なんだから」
「でも……」
「よし。準備はオッケーだね」

心配そうな目で見つめる彼の後ろに、兵長の姿が見えた。

「兵長、よろしくお願いします」
「あぁ」

言葉はそれしか交わさなかった。いや、それだけで十分だった。私達には昨日の約束があるから──。
私は兵長に背を向け、急いで自分の班へと戻った。

「おう、ナマエ。最終チェックは終わったのか?」
「はい。遅くなり申し訳ありません」
「いやご苦労だったな」

今日に至るまで、特殊医療班全員の体制は万全に整えたつもりだし、最終確認も全て終わった。後は門が開くのを待つだけだ。

「お前、緊張してるのか?」

ルッツさんに指摘されてそこで初めて気が付いた。手綱を持つ手が震えてる。

「……みたいですね」
「お前と初めて壁外調査に行った時のことを覚えているか?お前、新兵だったくせに全く緊張してなかったんだよな」

あの時は誰かの為なら死んでもいいと、簡単に思っていたからだ。でも今日は違う。私は死ぬ訳にはいかないし、誰にも死んでほしくない。この任務を成し遂げて約束を果たすんだ。

「いっちょお前の夢に付き合ってやるか」
「ぜひともよろしくお願いします」

ゆっくりと門が開いていく。それを静かに待っている間、何かが頬に触れた。

「……雨?」

そして私は降り出した雨の中、前だけを見据えて壁の外へと駆け出して行った。
私達の班は左翼側の初列索敵を担っている。

「早速巨人だ。アルネ、煙弾を打て」
「了解しました」

この位置は巨人との遭遇率が一番高い位置でもある。なるべく巨人を避けながら、必要とあらば戦闘へと移る。それが私達の役目だ。今もすでに何体もの巨人を避けながら進んでいる。

「しっかしどんどん強くなっていくね、この雨」
「これ以上強くなると信煙弾が見えなくなる危険がありますね。テオさ……じゃなくて、テオ副隊長」

ルッツさんが分隊長に上がると同時に、テオさんは副隊長へと昇進した。ついつい昔の癖で呼んでしまい訂正する。

「ナマエちゃん、今のもう一回」
「今の?」
「副隊長ってやつ」
「テオ副隊長、ですか?」
「あーすっごい良いねそれ。もう一回言って」

テオさん、改めテオ副隊長が何をしたいのかさっぱりわからない。少し困ってるとルッツさんが私達の会話を遮った。

「お前ら何遊んでんだよ。壁外調査中だぞ!」
「遊んでなんかいませんよ!」
「今のは確実にテオさんが悪い」
「ですよね!?アルネさん」

こうして皆で会話をしていると、とても壁外調査中とは思えない空気だ。まるで兵長の班で訓練していた時に戻ったみたいだ。

「うわー。さらに雨がひどくなってきたよ」
「さっさと拠点に着かねぇとやべぇな」
「ルッツさん!」

雨の中から突如現れた巨人を大声で、ルッツさんに知らせる。やはりこの雨のせいか。いつもより巨人に気づくのが遅れてしまった。避けて通るには少し無理がある。

「ちっ、やるぞお前ら!」
「「了解」」

ルッツさんの一声で全員が戦闘態勢に入った。変わらないどころか、皆それぞれより腕を上げている。正直私は三人についていくのが必死なくらいだ。簡単に巨人をしとめたのはいいものの。

「はぐれちまったか?」
「みたいだね。雨で全然見えないや」

戦闘している間に、陣形から外れてしまったようだ。

「でもルートは前回の拠点からさらに進むだけですよね」
「あぁ。あともう少しなはずなんだがな」
「ならこのまま急ぎましょう。この雨に体温を奪われる前に」

視界はどんどん悪くなる一方だ。地面もぬかるんで騎馬のスピードも落ちている。そのうえ冬の雨が私達の体温を奪っていく。とにかくこのまま進んで、一刻も早く補給拠点へ辿り着かなきゃ。
かじかむ手で手綱を強く握ると、雨の隙間から何かが見えた。

「え……」

にわかに信じがたいその光景に、思わず全員が馬を止めてしまう。私達の行く手に広がっているのは、変わり果てた兵士達の姿だった。

「何……これ……」

雨に流される赤い血。バラバラに散らばった仲間の体。誰が見ても一目瞭然だった。

「巨人の仕業か……?」
「初列の七と九だね」

テオさんが兵士の顔を確認しながら言った。

「やられたのはここだけか?」
「わからないけど……やばい感じしかしないのは確実だ。とにかく先を急ごう」

この辺は戦闘に使える木があまりないうえ平地が続く。それを考えたらとにかく先を急ぐしかない。助けられなかったことを悔やみながら、この場を離れようとした。
まさにその時だった。雨の中から現れたのは一体の巨人だった。

「立体機動に移れ!」

ルッツさんが叫ぶと同時に、私達は全員馬から降りてアンカーを木に刺していた。

「やるぞ!」

その一瞬の出来事だった。一番最初に飛び出していったアルネさんのワイヤーが、いとも簡単に巨人に掴まれる。

「アルネさんっ!」

すぐさま助けに動こうとしたその時。

「があああああっ!」

巨人に掴まれたアルネさんの下半身が噛み千切られ、彼の絶叫がこだました。

「こんの、野郎……っ!」

すかさずルッツさんが巨人のうなじを切りにかかる。

「クソ……っ!浅い!」

一度で仕留ることは出来なかった巨人が、今度はルッツさんの方へと向きを変える。巨人は軽々とワイヤーを振り回し、おもちゃのようにアルネさんを放り投げた。
同時に凄まじい速さで私の元へ飛んできたのは、アルネさんのブレードだった。

「きゃあっっ!!」

ブレードが飛んできたと気付いた時には、すでに鎖骨下に強烈な痛みが走っていた。そして間髪入れず、アルネさんの体が私の体に激突する。まるで岩でも投げられたような衝撃だった。私の体はアルネさんと共に、そのまま木から落下していった。

「ナマエ!」
「っ……ナマエちゃん!」

二人が大声で名前を呼んでくれているのに、すぐに反応して動くことが出来ない。朦朧とした意識の中で目を開くと、受け入れられない現実が視界に入ってきた。

「アルネ……さん……?アルネさん……っ!」

医療班じゃなくても一目ではっきりとわかる。私の足元にあるそれは、絶命したアルネさんの上半身だった。

「アルネさんっ!ぐぅ……っ!」

傍に行こうとするも、激痛が走って上手く動けない。飛んできたアルネさんのブレードに深く抉られた右鎖骨下の切創。それから複数本の肋骨骨折。おまけに右足はヒビか最悪骨折か。自身の兵服も赤く染まっていく。

「テオ、お前は足をやれ!俺が仕留める!」
「了解!」

でもうずくまっている時間なんてない。大切な仲間を一瞬で奪ったあいつを何としても仕留めないと。

「うっ……!」

痛みをこらえて体を起こす。私もすぐに行かなきゃ。私の命に換えても二人を守ってみせる。

「っ……ルッツさん!?」

だってそう誓ったもの。
もう二度と大切な人を失いたくないから。誰よりも強くなって頑張ろうって。特殊医療班を作って一人でも多く助けようって。
そうして今日までやってきた。

「……離せ……っ!くそっ、くそおおっ!」

それなのに。

「お願い……っ、やだ!やめて!」
「離せっ、はな」
「やめてーーーーっ!」

ルッツさんが私に向かって必死に手を伸ばしている。私もテオさんもルッツさんが捕食されるところを、ただ見ていることしか出来なかった。
私は何を思い上がっていたのだろう。命に換えて守るだなんて口先だけで、いつも誰かに守られて一人じゃ何も出来ない。
放心している私の元へ、テオさんがアンカーを刺して移動してきた。

「ナマエちゃん。あいつの捕食が終わったら次は俺が行くから、そのうちに逃げるんだ」
「何、言ってるんですか……テオさん」
「さん、じゃなくて副隊長だよ。これは上官命令だ」
「嫌です!聞けません……っ!」

テオさんの大きな手が私の頭を優しく包む。
お願いだからそんな顔しないで。いつもみたく冗談を言って笑って。

「ナマエちゃん、よく聞いて。僕は本当はあの壁外調査の時に死ぬはずだったんだ。でもナマエちゃんが命を懸けて救ってくれた」
「何で今さらそんな話……」
「だからこの命は君のために使わせて」

言葉を失ってしまった。私はそんなことのためにテオさんの命を救った訳じゃない。反論したかったけど言葉が出てこなかった。それはテオさんの言葉が私が兵長に言い続けてきた言葉と全く一緒だったからだ。
きっと兵長も同じことを思ってたんだ。今になってようやく分かった。

──自分の命を大切にしろ。

その言葉の意味が。

「ナマエちゃん、ありがとう。必ず生きてリヴァイ兵長と、ね」
「待って……っ!テオさん……行かないでっ!待って!」

ここからの記憶はあまり定かではない。もうすでに体の痛みは麻痺して何も感じなくなっていた。ただただ失いたくない一心で、無意識にテオさんの後を追っていた。
全てがスローモーションのように流れていく。はっきりと覚えているのは、テオさんが捕食されている間に、私が巨人を仕留めたことだけだった。

再び体に痛みが戻る。徐々に薄れていく意識に逆らう気力も全く残っていない。
皆、私を庇って死んでいく。
皆、私のせいで死んでいく。 

人は死んだらどこへ行くのだろう。このまま目を閉じれば会いに行けるのだろうか。そうして私は彼らと共にその場に倒れてしまった。 





降りしきる雨の中、俺達はどうにか目的の補給拠点へと辿り着いた。この雨のせいで隊列から外れた班がいくつかあったようだ。左翼から何度も信煙弾が上がっていた。

「リヴァイ……!」

兵士達の顔を確認していると、ハンジが血相を変えて俺のところに走ってきた。

「……左翼の索敵のほとんどがここに着いてないみたいなんだ」
「左翼……索敵?」
「ルッツの班もまだいない」

左翼索敵の中でも一番強い班はルッツの班だったはずだ。さっきからあいつの姿が見当たらなかったのは……くそ!

「リヴァイどこ行くの!?」
「決まってんだろ」
「待って!この雨の中……!」
「リヴァイ。どこへ行く」

ハンジの後に俺を制止したのはエルヴィンだった。こいつの言いたいことは分かっていた。

「……三十分で戻る」

拠点に着いたばかりなこと。雨で疲労した兵士達を休ませなければならないこと。この二つだけ見てもすぐにここを離れることはないと踏んだ俺は、エルヴィンがギリギリ許すであろう時間を提示する。そしてエルヴィンは俺の読み通り、俺の単独行動を了承した。

「ただし、あくまで兵団としての行動をしろ。お前の勝手な感情で行動はするな」
「了解だ」

俺は全速力で馬を走らせた。
あぁ、くそ。この雨は俺の忌々しい過去を嫌と言うほど思い出させる。
ナマエ、どこにいる?絶対に見つけ出してやるから、約束を破るんじゃねぇぞ。必ず生きて待っていろ。
蘇る過去を振りほどきながら、何度も心の中てナマエの名前を呼び続けた。

辿り着いた光景は実に悲惨なものだった。何人もの遺体が無残に転がっている。俺は馬から降りて、その中から一人一人の顔を確認していった。やられたのは左翼の索敵一帯で間違いないようだ。襲ってきたのは巨人の群れか、それとも奇行種か。命が絶えた者ばかりで生存者は一人も見つからない。
そんな中最初に見つけたのがアルネだった。

「くそ……っ」

やはりルッツの班もやられていたようだ。もう少し歩くと今度はテオの遺体を見つける。その傍で横たわる兵士を見て血の気が引いた。雨で濡れた前髪を掻き分け目を凝らした。

「……ナマエ!」

横たわっていた兵士は紛れもなくナマエだった。

「おい!ナマエ!」

急いで抱き起したナマエの体は真っ赤に染まっていた。それが己の血なのか誰かの血なのかはわからない。ただ最悪の事態は免れたようだ。ナマエが小さく呼吸を繰り返している。
この地獄のような光景の中でナマエが生きている。もう一度その命を確認するように、そっとナマエの頬を撫でた。

「よく生き残ってくれた……」

届かない声は止まない雨の中に流されていった。

その後ナマエ以外の生存者がいないことを確認すると、急いでナマエを連れて無事拠点で合流した。

壁の中に戻るや否や、ナマエは緊急手術をすることとなった。医師によれば骨折よりも大量の出血の方が危ないらしい。俺は濡れた兵服を着替えることもなく、手術室の前で待ち続けた。

ナマエに再び会えたのはその数時間後。しかしナマエの目は一向に閉じられたまま開くことはなかった。


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