第13話 約束 会議室にはそうそうたるメンバーが集まっていた。団長を始め、兵長、各分隊長。調査兵団きっての実績と実力を兼ね備えた猛者達の集まりだ。その末席に私がいるなんて、にわかに信じられない。 「来週もう一度壁外調査を実施する」 エルヴィン団長の言葉に再び心が引き締まる。 「いくら犠牲者がいなかったからって、立て続けに壁外に行くのはどうなのかな……」 「確かにハンジの言うとおり、同月に二回の壁外調査を実施するのは異例のことだ。もちろん今回も無茶なルートや予定を組むつもりはない」 壁外調査が実施回数は基本的に月に一回。それが月に二回行われるというのは、調査兵団にとって初めてのことだった。前回の行軍ルートは、本来の目的地の半分までの距離だったらしい。犠牲がなかったことで今回はそのまた半分、本来の目的地までのルート開拓が予定された。 「それから次の壁外調査からは、特殊医療班を全員配属する予定だ」 「……全員!?」 突然のことに思わず立ち上がってしまった。 「そのために今日はナマエにも参加してもらっているんだが、不都合だったかな?」 「いえ、そんなことはありません……!」 全員配属されるとは予想もしてなかった。私が兵長の班に配属されたことだって、ついこの間のことのような気がするのに。やっと目標としていたところまできたんだ。 「ナマエにはまた負担をかけると思うが、残りの期間で特殊医療班の体制を整えてほしい」 「了解しました」 「それに伴って今回の壁外調査に限り、ナマエにはリヴァイの班ではなく、別の班での行動を命ずる」 一瞬、狼狽えてしまったけれどすぐに自分を律する。今優先すべきは私の感情じゃない。皆の命が懸かっているんだから。 「ナマエには今回だけルッツの班に入ってもらう」 テーブルを挟んで向かい側に座るルッツさんを見ると、口角を上げて笑ってくれた。なぜここにルッツさんがいるのかと言うと、この間の大幅な班編成の際に分隊長へと昇格したからだ。あのルッツさんのところなら一安心だ。 「次に目的地までのルートだが……」 エルヴィン団長の指示のもと、壁外調査に向けた話し合いは続いた。何せ異例のことだ。休んでいる暇など一秒たりともない。 会議が終わり各々が退出していく中、声をかけてくれたのはルッツさんだった。 「悪いな。俺のところに来てもらうことになって。何せまだ新米の分隊長なもんでな」 「いえいえ。こちらこそまたお世話になります、ルッツ分隊長」 「その呼び名は慣れねぇから本当勘弁してくれ」 そう照れて笑うルッツさんが、どこか可愛いらしく見えた。 「メンバーは俺とテオとアルネの班だ。あいつらと一緒ならお前も気を遣うことはねぇだろ」 「皆さん一緒なんですか!?では旧リヴァイ班の再結成ですね!」 「まぁそういうわけだから、連携なんかも最低限の確認で十分だ。そのかわりお前は自分の仕事に集中しろ」 一週間で特殊医療班の調整が間に合うか、正直不安な面もあった。だからルッツさんのこの気遣いはとても有難い。今回ばかりはお言葉に甘えさせてもらおう。 「あと俺の班は前日に一杯やるから覚悟しておけよ」 そう言ってルッツさんは訓練へと向かった。 それからの一週間はとても目まぐるしいものだった。 兵長の班を抜けて、特殊医療班での指導をする日々が続く。 けれど日に日に兵士達の士気が下がっているのは否めなかった。もちろん皆こんなに早く、次の壁外調査が来るとは思ってはいなかっただろう。 一人医務室で医療道具を整理していると、ふと兵長の顔が思い浮かぶ。 『あの時の死にたがりが、人を救う特殊医療班を結成するとはな』 初めて兵長の班に配属になった日。ここでそう言われたっけ。何だかとても懐かしいことのように思える。特殊医療班を結成して何度も悔しい思いもしてきた。でもやっとここまできたんだ。もうすぐで自分の理想へと辿り着ける。 兵長……どうしてるかな。前回の壁外調査が終わってから、兵長にはほとんど会えていない。もちろん紅茶を飲みに行く時間も全くない。帰ってきたら気持ちを伝えようと決めていたけど……もう一度壁外調査を終えてからにしよう。 「ナマエさーん。ちょっと聞きたいことがあったんですけど」 「はーい。今行きます」 とにかく今はこの壁外調査を成功させることを一番に考えよう。また誰も死なずにすむように。 ◇ 迎えた前日。 目の前に並ぶ料理やお酒を見て、皆驚きの表情を浮かべている。皆と言ってもここにいるのは、普段から私が親しくしてもらってる人達や幹部の人達だけだ。 「おいおい本当にいいのかよ。こんなに用意してもらって」 「ええ、明日に備えて景気づけです」 「ナマエちゃん女神すぎでしょう!」 ルッツさんから壁外調査の前日は一杯やるという話を聞いてから、どうせならばいっそ皆で美味しいご馳走を食べようと考えた私は、この日のために食堂のおばちゃんに協力をお願いしていた。 「おばちゃん、ありがとう」 「今までの往診分と考えたら安いもんさ。それにナマエちゃんの頼みとなれば断れないしね」 もちろん私からも出資して、いつもより豪華な食事とお酒を用意してもらった。 「ナマエ!お前飲んでるか!?」 「んーえっと、その……私はお酒はちょっと……」 「ダメだよルッツ。ナマエはお酒が凄く弱いんだから」 すかさずハンジさんがフォローしてくれた。この中で酔って失態を冒した私を知っているのはハンジさんだけ。兵長に泥酔姿を晒してしまって以来、お酒はもうこりごりだった。 「ナマエ、一週間ご苦労だったな」 「ミケさん!お久しぶりです」 後ろからミケさんに声をかけられる。隣にはナナバさんも一緒にいる。二人にはミケさんの班に配属された時期にお世話になっていた。最近は中々喋る機会もなかったけど元気そうで良かった。 「リヴァイも呼んでるのか?」 「一応ハンジさんが声をかけてくれたみたいなんですけど……」 「そうか」 頭を優しく撫でられた。ミケさんには私の気持ちを話していないはずなのに、多分バレている気がする。二人とも昔からそういうところには鋭い。 お酒も進み話がさらに弾んでいくと、今度はなぜか私の話題になっていた。 「いやぁあのクソガキだったナマエが、こんなに成長したなんてなぁ……」 確かに新兵の頃はしばらくルッツさんの班でお世話になっていたから、私自身も感慨深いものがある。 「私のところに来た時も目をキラキラ輝かせて、巨人について朝まで考察し合ってさ。ねぇモブリット!」 「そうですね。初々しくて可愛かったですよね」 「へぇ、ナマエちゃんの新兵の時の話もっと聞きたいなぁ」 テオさん、これ以上はさすがに。 「訓練しすぎだって言っても、絶対言うことを聞かなかったな」 「本当訓練バカだったもんね」 ミケさん、ナナバさん。その節は大変ご迷惑をおかけしました……というか。 「皆さん私の話はこのへんで止めにしませんか……?」 これ以上はさすがに私も恥ずかしい。そう伝えると皆顔を見合わせて笑っていた。 「でもさ、本当にナマエはここまでよく頑張ったよ。この調査兵団で誰よりも努力してきたんじゃないかな」 「ハンジさん……」 「それはここにいる私達が一番良くわかってるよ」 「いえ、皆さんのご指導とご協力があったからですよ。私一人じゃ絶対にここまで来られませんでした」 ここにいるのは壁が破壊される前から戦い続けている兵士達。私もその中の一人として、今も一緒に過ごすことが出来ている。それがどれだけ幸せなことか。たくさんの仲間を失って、たくさんの辛い日々を乗り越えてきた。私達はかけがえのない戦友だ。そしてここが私の居場所なんだと改めて噛み締めていた。 皆の酔いもかなり回ったところで、私は一人席を離れ外へと出た。 「ふぅ……」 外の階段に座りこんで空を見上げる。この前ほどではないけれど、今日も冬の星が広がっている。そして今日も一番、兵長の星──シリウスが輝いている。 『嫌か?』 思い出すのはあの時の兵長の声と表情。嫌なはずがない。今になってもう一度……だなんて、はしたないことまで考えてしまっている。 どうしてあの時何も言わずに逃げちゃったんだろう。私って本当バカだなぁ。 「風邪引くぞ」 「いえいえバカは風邪引かないって言いますから……」 今しがた思い浮かべていた人物の声が真横から聞こえた。 「え、あ、兵長……!?」 「遅くなった」 不意打ちにも程がある。 何もあの時の兵長を思い出してる時に来なくても……! 「お前は飲んでねぇだろうな?」 「えっと、お酒のことですよね?もちろんです。あれ以来懲りてますから……」 「ならいいが」 こうして二人きりで話すのは久しぶりだ。そう、あのキスの日以来──。 「お前が食堂に伝があったとはな」 「驚きました?」 「いや。往診をしてたあたりお前らしい気もする」 何とか普通に話せてもまともに顔を見ることが出来ない。だから私はずっと兵長の星を見ていた。 兵長は今何を見ているのだろう。そして何を思っているのだろう。兵長のことが知りたい。生きて帰れたら今度こそ兵長の気持ちが聞きたい。 「兵長、お願いがあるんですけど」 「何だ」 「明日の壁外調査が終わったら、聞いて頂きたいお話があります」 ちらりと横を見る。やっと兵長と目を合わすことが出来た。変わらない大好きな瞳だ。今はとても穏やかに揺れている。 「奇遇だな。俺もお前に話がある」 「兵長が私に、ですか?」 予想だにしていない返答に驚いてしまった。兵長のお話って何だろう。凄く気になるけどでも今は。 「では約束ですね」 壁外調査を成功させることが最優先だ。だからそれ以上は聞けない。 「これで約束が三つになりました」 「三つ?」 「一つ目は、壁外調査が終わったらお互いのお話を聞くこと。二つ目は、兵長のお誕生日をお祝いをすること。三つ目は」 「海を見に行くこと、か」 「……覚えててくれたんですか?」 「あるかどうかは抜きにして一応な」 嬉しくて胸がきゅっと締め付けられた。今日はたくさんの幸せが私の心をいっぱいにしてくれる。そしてこの約束が私を明日へ繋げてくれる。 「夜はちゃんと寝てるのか?」 「いえ、それがあまり……さすがに一週間しか猶予がなかったものですから。でも全然大丈夫です。やっとここまで来たので、無茶してでも頑張りたいんです」 「……そうか」 少し間をおいて兵長が頷く。何か言いたげに思えたけれど沈黙になってしまった。冷たい風に体が身震いする。このままここにいたら今度こそ本当に風邪を引かせてしまいそうだ。 「兵長、中に入りましょうか」 声をかけ立ち上がろとするも、兵長に手を掴まれて引き戻されてしまった。 「ナマエ」 兵長が私の名前を呼ぶ。とても力強い声だ。 「死ぬなよ」 「はい。もちろんです」 「必ず生きて帰って、早く俺の班に戻ってこい」 必ず生きて帰ります。大好きな貴方の元へ。 その約束を胸に刻んで私達は夜を明かした。 ←back next→ |