第12話 リヴァイの想い


『あの日、私は兵長に救って頂きました』

ナマエが繰り返し言う言葉。そのたびに思い出す。俺がナマエの存在を認識した日を。

──話は三年前の壁外調査に遡る。

俺がそこに居合わせたのは偶然だった。巨人に襲われそうになっている二人の兵士が視界に入り、立体機動で方向転換する。
よく見ると男を庇うように、一人の女が巨人と対峙していた。そのまま巨人達を一掃し、そいつらの顔を確認する。名前も知らない新兵だった。

「残ったのはお前らだけか?」
「……はい!」
「馬に乗れ。すぐにここから移動するぞ」

腰を抜かしていた男は涙を流していた。情けないと思う反面、新兵なら当然の反応だとも思う。おかしいのはもう一人の女の方だ。怖がる素振りも逃げる素振りもない。今もその場でただ立ち尽くしている。
死ぬことが怖くないのかそれとも生きることを諦めているのか。

「おい。何してやがる」
「は、はい!」
「さっきのといい、てめぇはさっさと死にてぇのか?」
「……それで誰かが助かるのなら」

女は何の躊躇いもなくそう答えた。死にたがりには変わりない。だが誰かのためなら自分は死んでもいい、という死にたがりなことがわかった。

「先ほどは助けて頂いてありがとうございました!」

死にたがりに命を救った礼を言われるのは妙な気分だ。
とにかく変わった奴に出逢ったと思った。これが名前も知らないあいつとの始まりだった。
ナマエの存在を再び知るきっかけになったのは、ハンジとの会話だった。

「最近私のところに、巨人を知りたいって熱心に通ってくれる新兵がいてね。その子がもう可愛くてしょうがないんだよ」
「お前みたいな変人が他にもいるなんざ、にわかに信じ難いな」
「本当なんだって!凄く真面目で勉強熱心で、私の話にも毎日付き合ってくれるし」
「良かったなハンジ。そりゃあ本物の変人に違いねぇぞ」

以前ハンジの巨人の話を聞いてしまった時には、かなり痛い目にあった。あれに耐えられる奴がいるのか。変わった奴の話をしていたら、あいつのことを思い出した。この前助けた死にたがりの女だ。

「彼女凄い面白い発想を持っててね。特殊医療班っていう班を結成したいんだって」
「特殊医療班?」
「戦闘技術も医療技術もトップクラスの集団を作りたいんだってさ。最前線で戦いながら人を救うんだって」
「はっ、欲張りすぎる理想だな」

人を救う側の話ならあいつのことじゃねぇな。最近の新兵は変わった奴が多いのか何なのか。

「でも彼女は本気なんだ」
「ちなみにそいつの名は?」
「ナマエ・ミョウジだよ」

俺はこの時初めてナマエの名前を耳にした。


まだ繋がらない点と点が線になったのは、エルヴィンの部屋を尋ねた時だった。扉の向こうから大きな声がして、俺は足を止める。

『お願いします団長。特殊医療班の件、もう一度考えてもらえませんか?』

──特殊医療班。この前ハンジから聞いたばかりだ。ということはこの扉の向こうにいる人物が、ナマエ・ミョウジか。

『率直に言おう。この班を結成させるには君ではまだまだ実力不足だ。身の程をわきまえなさい。まずは私を納得させるだけの高い技術を身に付けてから改めて来るといい』

エルヴィンの辛辣な言葉が聞こえる。だが俺も同感だ。名前も知れ渡ってない新兵にそう易々と出来る話じゃない。振り絞るような声の後に扉が開いた。すれ違い様に見たのは、悔しそうな表情をしたあいつで。

──あの日俺が助けた女が、ナマエだと繋がった瞬間だった。

高い理想は挫折もしやすい。特にこの調査兵団ではその理想そのもの、つまり人の命さえも簡単に失ってしまう。女ならエルヴィンの言葉で傷ついて諦める可能性の方が高いだろう。

『いい目をしていた。信念を持った目だ。彼女は必ずまた私のところにくるはずだ』

エルヴィンがそんな風に言うのは珍しい。信念を持った目か。その目が見てみたいと俺の中で興味が湧いた。





興味が湧いたせいか、視界にナマエの存在を捕らえることが増えた気がする。それから夜遅くまで訓練を続けるナマエの姿も、何度か見かけるようになった。

「もっと素早く正確に……」

そう呟いては何度も何度も繰り返す。馬術も格闘術も怠ることなく、全ての訓練をいつも人一倍やっていた。ナマエのはっきりとした意志を知ったのは厩舎でのことで、居合わせたのは偶然のことだった。

「今日も疲れたでしょ。毎日お疲れ様」

厩舎に向かうと愛馬の手入れしているナマエの声が聞こえる。声をかけることはしなかった。

「私、どうしても叶えたい夢があるんだ」

特殊医療班の話だろうか。その先が聞きたくなって耳を傾ける。

「私ね、もっともっとたくさんの人達を救いたいの。あの日私を救ってくれた兵長みたいに」

ドクンと大きく心臓が鳴った。思い出すのは始まりのあの日。

「凄く長い道のりだし、叶わないかもしれないけど。でももう誰も失わなくて済むように、出来ることは何でも頑張りたいの。だからもう少し……ううん。私が死ぬまでは付き合ってね」

はっきりとした強い意志。それを叶えるための努力。ナマエは調査兵団に心臓を、いやその身全てを捧げていた。
あいつの努力は兵士としてのものだけじゃなかった。特殊医療班を結成するために最も必要なのは、高度な医療技術だ。むしろそれを身につける方が何倍も大変だろう。ナマエは通常の訓練だけじゃなく、医療技術を磨くための努力も惜しまなかった。
いつからなのかはっきりとはわからない。俺の中で少しずつナマエの存在が大きくなっていて。気がつけばその姿を探していて、気がつけば目で追っている。

「これはこれはリヴァイ兵士長。こんなところにいらっしゃるとは珍しいですな」

医務室の前で俺に声をかけてきたのは、長年ここの責任者を務めるじいさんだった。

「……あいつは新しい医療班の奴か?」

医務室の向こうにいるナマエを指差した。この時俺はあえてナマエのことを知らないフリをした。

「ああ。彼女は医療班の者ではないんですが、医療技術を身につけたいと毎日熱心に通っているんですよ」
「毎日?」
「そうです。訓練を終えたら毎日ここに来るんです」

普通は通常訓練でさえそれなりに疲れるだろうに、そうまでして叶えたいことなのか。あの小さい体のどこにそれだけの体力があるのか。

「とても飲み込みが早くて筋が良いんですよ。一体どこであれだけの医学を学んできたのかわかりませんが」
「どういうことだ?」
「最初は私も彼女がここに来た時は無謀だと思ったんです。でも素人じゃなかった。多分彼女はここに来る前に誰かから医学を教わってきているはずです。それもかなりの腕前の……もちろん実践経験はないので、それはこれから身に付けていくのですが」

ぜひ医療班に欲しいから俺からエルヴィンに上手く言ってくれないか。そう言い残してじいさんは去っていった。

「ナマエ、こういう時の施術は……」
「はい」

真剣な表情をしてひたむきに勉強をしている
まさしく──火の付いたような目だ。
俺が見たくて焦がれていたナマエの目だった。


特殊医療班を結成するまで、そしてそれが機能するまでのナマエの道のりは壮絶なものだっただろう。この調査兵団で誰よりも、血の滲むような努力をしてきたはずだ。そしてナマエは己の夢を次々と実現し、ついに俺の元に辿り着いた。

「特殊医療班のナマエ・ミョウジを、リヴァイ班に入れて検証してみてほしい」
「了解だ」

特殊医療班の結成までに二年。そして俺の班に加入されるまでに一年。初めて出逢ったあの日からここまで、実に三年もの月日を要した。
その間も俺達にはほとんど接点はなかった。もちろん俺があいつに興味があったのは事実だ。他の兵士達のように、普通に会話をするぐらいの関係になろうと思えばすぐになれたと思う。
だが、あえてそうしなかった。必死に前に進み続けるナマエの夢がどうなるのか、俺はあえて見守っていた。ナマエの努力が続けば、自ずと俺のところに辿り着くだろうと思っていたからだ。

『特殊医療班から参りましたナマエ・ミョウジです』

厳しい訓練についてこれるか、なんて心配は微塵もなかった。今まで通り必ずこいつは乗り越えてくる。その期待に応えるかのように、ナマエは更に成長を遂げていった。
こいつはいつ寝ているのか。どうしてこんなに頑張ることが出来るのか。その強い意志はどこからくるのか。ナマエのことが知りたい。もっとナマエに近づきたい。
その気持ちが膨らんで最初にわかったことは、あいつは案外バカだということだ。よく勘違いしたりちゃんと考えずに突っ走ったり、そのうえ人一倍我慢や余計な気遣いをする。素直に甘えればいいものを、結局泣いてちゃ世話がねぇ。
そして一番バカなのは。

『バカでいいんです。私は兵長のお役に立てればそれでいいんです』
『兵長が救ってくれたこの命は……兵長のために使いますね』

相変わらず誰かの為なら自分の命を投げ出せるところだった。変わらないところはそれだけじゃない。

『……私は生半可な気持ちでリヴァイ班にいる訳じゃない!私は調査兵団に、特殊医療班に命を懸けてるの!』

叶えたいことがあると言った強い意志。あいつの中でその火は消えることなく燃え続けていた。
いつしかナマエには死んでほしくない。死なせたくない。俺がこの手で守りたいと思うようになっていた。

迎えた壁外調査で、俺は再びナマエの命を救うこととなる。

『手術をすれば助かるんだな?』
『はい!絶対に助けます!』

──ゾクっとした。
そうこの目だ。ナマエの強い意志とこの目が俺を捕らえて離さない。
兵長と呼ぶその声が心地良くてもっと聞きたくなる。怖いと泣けば抱き締めてやりたくなるし、その不安を全部取り除いてやりたくなる。必要以上に近づく奴がいたらイライラするし、誰かに手を出されたようものならそいつを殺したくなる。その笑顔をいつも見ていたい。

──俺の傍で生きてほしい。

こんな気持ちは初めてだった。その気持ちが日に日に大きくなっていく。あんなに簡単に女を抱いてきたのに、ナマエ相手だと嘘のように戸惑ってしまう。この歳になって自分でも情けねぇ。距離が近づけば近づくほど、溢れていく想いを抑えるのも限界だった。

『兵長はあの星ですね』
『シリウスです』
『だって兵長は誰よりも一番輝いていますから』

やっぱりこいつはバカだ。だが俺はそのバカにずっと前から惚れていた。
触れたい。抱き締めたい。髪を掬って頬に触れてキスしたい。惚れたこの目に俺しか映らないようにしてしまいたい。

──好きだ。ナマエ。

俺はお前のことが好きだ。誰よりも。

気づいた時には唇を重ねていた。たった数秒触れただけなのに、ナマエの唇はとても甘かった。その一度を知ってしまったらもう止めることは出来ない。もう一度味わいたくて言葉をかけるよりも、先に行動してしまった自分をナマエは制御した。

『嫌か?』

この時は答えをもらえず、逃げ出されるとは思ってもみなかった。だかよくよく考えれば俺はまだ好きだと伝えてすらいないことに気づく。ガキみてぇに盛って、バカなのは俺の方だ。

空を見上げ思う。俺が冬の星ならさしずめお前は春の華だ。純粋でひたむきで真っ直ぐで、そうして咲いた美しい華に俺は魅了されている。
壁外調査から帰還したらこの想いを伝えるとしよう。俺はそう、心に決めていた。


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