第10話 星 調査兵団の皆が待ちに待った長期休暇がやってきた。一年の終わりが近づいてくると与えられる、兵士達のために作られた新たな休暇らしい。 その休暇の使い方はそれぞれ自由だ。家族と過ごす者。友人と過ごす者。旅行をする者。許す限り遊び尽くしてくる者もいる。もちろん緊急事態が起きればすぐに召集されるし、基本的に幹部は兵舎に留まっていることが多い。 私はというと。 「何をサボってやがる」 「すみません。読んだことがない医学書を見つけてしまいまして」 「読むのは片付けが終わってからにしろ」 「はーい」 兵長と書庫にいた。 この長期休暇では毎年私は留守番組だ。ただ留守番とは言え訓練はないし、医療班としての仕事も数えるほどしかない。 そんな私が決まってやることが、大量の書物や資料が保管された書庫の整理だった。特にハンジさんの部屋には一年分の資料が溜まりに溜まっている。それらを片付けることから始まったのが、この仕事だった。 いつもは一人で黙々とやっていた作業だけど、今年は一味違う。 「兵長、これは右の棚にお願いします」 「ついでにそっちの本も持ってこい」 何と兵長が手伝ってくれているのだ。事の始まりはハンジさんの一言だった。 『ハンジさん。このへんも明日から片付けちゃいますね』 『毎年ありがとうね』 『いえいえどうせ毎年のごとく暇ですし、逆にやることがあって助かります』 『あ、あとそこのやつなんだけど』 ハンジさんが無造作に積み上げられた資料の山を指差した。そこは唯一私が手をつけていない箇所だ。 『それって奥の部屋の資料ですよね』 調査兵団が所有する書庫には、一般兵士には入ることが出来ない場所がある。鍵を持っているのは幹部に限られていて、私達一般兵士が利用するには申請して許可をもらい、そのうえで幹部の付き添いが必要だった。 『大事な資料をこんな無造作に置いてて大丈夫なんですか?』 『いやぁモブリットにはいつも注意されてるんだけど、整理するのが苦手で……悪いんだけどこれもナマエにお願い出来るかな』 『私一人じゃあそこには入れませんよ?』 『リヴァイがいるじゃない』 確かに兵長なら鍵は持ってる。でも兵長が手伝ってくれるかどうか。 『大丈夫大丈夫。リヴァイも毎年留守番組だし、ナマエが頼めば絶対に手伝うから』 ハンジさんの笑顔を疑いながら、ダメ元で兵長に相談してみた。 『という訳なんですが』 『……クソメガネが』 ハンジさん、手伝うどころかすこぶる機嫌が悪くなっています。 『えーと……ではハンジさんにもう一度相談してみますね。それか他の方にお願いしてみます』 『いやいい。俺が付き添う』 『本当ですか!?』 こうして兵長と一緒に書庫の整理をすることとなり、作業は休暇初日から開始された。しかし書庫の扉が開いたというのに、兵長が固まって全く動かない。 『……片付けは後だ。早急に掃除に取りかかれ』 舞っていた埃達に気分を害したらしい。結局連日書庫の掃除をして、肝心な書庫の整理は休暇の最終日まで時間を要するにこととなった。 「これで全て片付きましたね」 「ああ。ご苦労だったな」 「兵長も今日までお付き合い頂きありがとうございました」 今までにないくらい書庫がピカピカになっている。さすが兵長だ。それに中々入る機会のないこの部屋に長い時間いれたのは、私にとってとても貴重なことだった。 「あの兵長、ちょっと読みたい本がありまして」 扉を閉める前に兵長に恐る恐る伺う。 「さっきの医学書か」 「それともう一つあるんです。でもまだ申請書の記入もしていないので……」 「面倒だから俺が借りたことにしろ」 「いいんですか!?やったぁ!」 急いで二冊の本を取りに行く。私は初めて手にした本達をワクワクしながら握りしめた。 「もう一つはなんだ」 「天文学の本です」 誰にも話したことがなかったけど、兵長にだけは話してみてもいいだろうか……。 「兵長、海って知ってますか?」 「海?」 「はい、海です。幼い頃読んだ本に書いてあったんです。この世界の大半は、海と言う水で覆われているんだそうですよ」 その本を読んでから、私は天文学や地学にとても興味を持つようになった。けれど海に関して書かれた本は、その一冊以外見たことはなかった。 「しかも海は全部塩水なんですって。きっと壁の外にはその海というものが広がっているはずなんですよ。私はいつか海というものが見てみたいんです」 兵長が少し笑った気がした。 「兵長、信じていませんね?」 「どうだろうな」 「嘘じゃないですよ?」 「閉めるぞ」 書庫を出る直前に頭をポンと叩かれる。その手が優しくて思わず見上げてしまった。 「まぁ、いつか壁の向こう側に見に行けたらいいな。その海とやらを」 「……兵長」 「さっさと飯に行くぞ」 「絶対絶対約束ですよ!絶対一緒に海を見に行きましょうね、兵長ー!」 どんどん先を歩く兵長。その背中をパタパタと追いかける。この日の夕食は何だか胸がいっぱいで、余り口に運ぶことが出来なかった。 「明日で長い休みも終わりですね」 食事を終え兵長の部屋で紅茶を啜る。このティータイムも今や私達には日常となっていた。 「この休みが終わったら壁外調査かぁ」 兵長の班に入ってから二度目の壁外調査。今回は更に班編成したし特殊医療班の追加加入もあったから前回とは別の緊張がある。 「あの子達は準備出来ていますかね?」 「まぁ今回は各班の調整もかねて、行軍ルートもかなり短距離だからな」 「そうでしたね。それに四人ともかなり上達してきましたし、チームバランスも凄く良いですよね。さすが兵長が見込んだ兵士達です」 「いや。今回はお前もよく指導してくれた」 兵長に誉められて目を丸くしてしまった。今まで直接誉められたことはあまりない気がするから、素直に凄く嬉しかった。 「あの子達、いつも兵長に尊敬の眼差しを向けていますよね。気づいていましたか?」 皆兵長がいるから頑張れるんです。その強さに憧れて追いつこうと必死になれるんです。 「……その話をそっくりそのまま返してやる」 「え?何ですか?」 聞き返すも兵長は答えてはくれず、そのままゆっくりと席を立ってしまった。空になったカップを見て急いで私も立ち上がる。 「私が片付けます」 二つ分のカップを下げてささっと洗った。再びソファに戻ろうとした途中、何気なく窓の景色を眺める。真っ暗な夜空だ。そこに大好きなものが見える。 「兵長!今日は星が凄く綺麗です!」 「そうか」 「せっかくだから、外に見に行きませんか?」 お休みの間、私の用事にたくさん付き合ってくれた兵長。今ならもう一つくらい我が儘を聞いてくれるんじゃないかと淡い期待をしてしまった。 「この寒空の下に出ろと?」 「冬の空は空気が澄んでいるので、星が凄く綺麗なんですよ」 「壁外調査前に風邪でも引いたらどうするつもりだ」 「大丈夫です私が治します。何たって特殊医療班ですから」 兵長が観念をしたのか。諦めたように息を一つ吐いた。 「……さっさと自分のコートを取ってこい」 最近わかったことがある。兵長は意外と押しに弱いということだ。私はコートを取りに自室に急いだ。 外に出ると冷たい冬の風が吹き抜けた。白い息を吐きながらギュッと身を縮める。 「結構寒いですね」 「外に出ようって提案した奴の言う台詞か」 「でもほら。星がとても綺麗です」 空一面の星だ。今日はいつもは見えない小さい星達までキラキラと瞬いている。散りばめられたような星空を、お互いしばらく無言で眺めていた。大好きな兵長と大好きな星に浸っていると兵長が口を開いた。 「お前は家に帰らなくていいのか?」 この休暇中、互いに今日までその話題には触れていなかった。皆実家に帰省したりする中、私は毎年兵舎に残り続けた。その理由を誰かに話したことはなかったし、話す必要もないと思ってた。だけど何故か兵長には嘘をつきたくなかった。 「私、孤児院育ちなんです」 誰も知らない私の話。 「生まれてすぐに孤児院の前で捨てられていたそうです。もちろん両親が誰かも一切知りません」 兵長にだけはこんなにも簡単に話せてしまう。 「あっ、可哀想とかそういう話じゃないですよ?孤児院ではちゃんと育ての親がいましたし、私を入れて十人くらいの子供達もいました。だから大家族みたいで毎日とても楽しかったんです」 自分の生い立ちを不幸だと思ったことはない。それどころか幸せだったくらいだ。 「私はそこで育って、そして調査兵団に入りました」 「……その孤児院には帰らねぇのか?」 「帰らないんじゃなくて帰れないんです。もうその孤児院は無くなってしまったので」 かじかむ手を白い息で暖めながら話を続けた。 「調査兵団に入る時に身元保証人になって頂いた方は、お名前をお借りしただけで本当の家族ではないんです」 本当の家族は最初からいない。本当の家族のように過ごしてきた人ももういない。確かに私は独りぼっちだった。 ──そしてここに辿り着いた。 「バレたら偽証罪で退団になりますか?」 「今さらだな。それに……それなら俺も似たようなものだ」 兵長は地下街出身だとハンジさんから聞いたことがある。そこに触れてもいいのだろうか。 「……兵長にはご家族はいらっしゃるんですか?」 ほんの少しの間をおいて兵長も質問に答えてくれた。 「母親だけ。それも小さい頃に亡くしたが」 なぜだろう。そう話す兵長の横顔を見ながら、無性に抱きしめたくなってしまった。同情でも共感でもない。ただ好きという気持ちが降り積もって。それが今にも溢れそうになっているだけ。 「私、兵長に感謝しています。だって兵長のおかげで今もこうして生きることが出来て、おこがましいかもしれませんけど……今は調査兵団というこの場所が、私の居場所のように感じているんです。兵長に出逢えてこうして傍にいれて私は幸せです」 兵長が何度も命を救ってくれたから、兵長のように多くの命を救いたいと思ったから今の私が存在している。 「そうだ!兵長のお誕生日はいつですか?」 「12月25日だ」 「それってもうすぐじゃないですか!」 絶対に生きて帰らなきゃ。そして大好きな兵長の誕生日を皆で祝おう。 「まずは壁外調査から無事に帰還しないとですね」 「ああ」 「帰ってきたら盛大にお祝いしましょう」 「別に喜ぶような歳でもねぇぞ」 「ダメですよ!約束ですからね?」 帰ったらすぐに兵長のお誕生日の準備をしなきゃ。やることはまた山積みだ。 「お前の誕生日はいつだ?」 「私ですか?私は春生まれとしかわからないんです。なので一応孤児院に入所した日を誕生日ってことにしていました」 兵長の誕生日をお祝いして冬が過ぎて、暖かくなったら今度は春の星を見ましょう。そうして私の生まれた季節を一緒に過ごせたら。その言葉は口には出さず、願いとして胸の奥に閉じ込めておくことにした。 兵長は冬生まれだったんだ。それなら。 「兵長はあの星ですね」 兵長が私の指差した方向を見上げる。 それはオリオン座の左下に光る冬の星。 「シリウスです」 たくさんの星に包まれる中、たった一つの星だけを兵長と一緒に見つめる。とても不思議な感覚だった。星に照らされた私達だけがこの世界にいるような、そんな錯覚さえも覚えてしまう。 「シリウスは全ての星の中でも一番明るい星なんです。だから兵長に似てるなぁって。だって兵長は誰よりも一番輝いていますから」 またきっと兵長にバカだって言われるのだろう。でもそれは変わることのない兵長への気持ち。 とても満ち足りた一日だった。だって今日は兵長のことが少しでも知れた。私のことを少しだけ知ってもらえた。また一つ兵長との距離が縮まった気がする。 「そろそろ本当に風邪を引いてしまいそうなので、戻りましょう」 くるりと兵長に体を向けるも兵長に動く気配はない。視線だけが交わり続けている。そのまま兵長の瞳に捕らえられてしまったのか。まるで時が止まったかのように、そこから一歩も動けない。 今日は一緒に星を見てくれてありがとうございました。そう言いたかった言葉は、兵長によって塞がれた。 ──兵長と私の唇が重なっている。 一体何が起こっているのか。唇がそっと離れると、止まっていた私の呼吸が再び繰り返された。 「へい、ちょう……?」 熱も感触もまだはっきりと残っている。もしかして。今、兵長、キス──した? 全く動けないでいる私の顔に兵長の手が添えられる。温かいその手に顎を掴まれ、そしてもう一度兵長の顔が近づいてきた。 「待っ……!」 思わず手で防いでしまった。 今、何が。 「嫌か?」 大好きな兵長がそう聞いている。何か答えなきゃいけないのに頭が真っ白になった私は、何も言わずその場から逃げてしまった。 ←back next→ |