第7話 愛とは歪なもの


一日の訓練や仕事を終え部屋へと戻る。扉を開けると昨日と同じ溜め息が出た。

また来てる。

床にあるのは一枚の手紙。多分扉の下の小さな隙間から入れられているのだと思う。手紙の内容は所謂ラブレターというやつに該当するのだろうか。このラブレターが私には困った物でしかなく、ここ最近の一番大きな悩みでもあった。


後日その悩みを、思いきってハンジさんとモブリットさんに相談することにした。

「えーと“訓練の後、お疲れみたいだったけど大丈夫?心配だな。それから夕食は一緒に食べられて嬉しかったよ。今日も愛してるよ”って、うわ……!気持ち悪!」

ハンジさんが昨日の分の手紙を読み上げる。

「もちろん夕食なんて一緒に食べていません。この人も同じ時間に食堂にいたんですかね?何だか日に日に手紙の内容が、エスカレートしてるんですよ」
「これはかなり悪質ですよ分隊長」

最初はたまに一通入ってる程度で、内容も好きだということくらいだった。差出人の名前がないから対処のしようがなく、ひとまずは様子を見ていたのだけど。

「頻繁に届くようになったのはいつから?」
「兵長の班に配属されてくらいからですかね」
「犯人に心当たりはないの?」
「ええ。全く」
「でもこれナマエを監視してるみたいな内容だよね」

ハンジさんの言う通り、最近の手紙は私の行動が事細かく記されていることが多く、さすがの私も気味が悪い。

「どうやって尻尾を掴もうか」
「とりあえずナマエの身辺を毎日警護しますか?」
「いやそうしたら今度は別な方法でナマエに接触してくるはずだよ。やるなら犯人に気づかれない範囲内で警護するべきだ」

今後もしかしたら直接接触してくることもあるかもしれない。そうとなれば話は早いけれど、正直怖くないと言ったら嘘になる。

「とにかくナマエはなるべく一人にならないように。夜は毎日私の部屋で過ごしても構わないよ」
「ありがとうございます」

今まで念のため証拠として残しておいた手紙は、ハンジさんに預けることにした。

「エルヴィンには話したの?」
「いいえまだ。今のところ直接的に何かされた訳じゃないですし、逆に話が大きくなってしまいそうな気もして」

出来ることならイタズラの範囲で終わってほしい。だけどもし本当に私のことを好きなのだとしたら、それはそれでちゃんとお断りしたい。私には好きな人がいますって。

「リヴァイにも言わないつもり?」
「……兵長には一番迷惑かけたくないんです。だから絶対に言わないで下さい」

ハンジさんが何か言おうするより先に、珍しくモブリットさんが口を開いた。

「いいかナマエ。君がどれだけ強くとも女の子なんだし、何かあってからじゃ遅いんだ。軽く考えちゃ駄目だよ」
「それは……その、すみません……」

いつも優しいモブリットさんに強い口調で諭された。その様子から改めて、自分の置かれている状況が良くないものだということを思い知らされる。

「ナマエは大切な仲間なんだから、もっと頼ってくれて構わないし心配ぐらいさせてほしい」
「そうだね。私もモブリットと同意見だ」

いつも以上に優しい二人に頭が上がらない。こんなに心配してくれる人がいて私は幸せ者だ。

「筆跡とかに特徴がないかこの手紙も調べてみるよ」
「私は出来る限りナマエの身辺を見張るようにします。あとは夜間の巡回もしましょう」
「ハンジさん、モブリットさん。本当にありがとうございます」

テーブルの上に置かれた改めて手紙を眺める。

あなたのことが好きです。

シンプルにそれだけ書いた手紙。私の元に一番最初に届いた手紙だ。そもそも私を好きになるなんて、そんな物好きな人がいることすらにわかに信じがたい。

「ナマエは今話題の人だしね」
「え?私がですか?」
「そ。この前の壁外調査の後から特にね。テオが白衣の天使だーって言って回ってたのが始まりじゃないかな?」

はい?天使!?テオさんってば何てことを……!
でもなるほど。これで少し納得した。
最近特殊医療班に対する兵士達の態度が変わってきたことと、医務室を気軽に利用する人が増えたきたことは、テオさんのおかげだったんだ。そこは凄く感謝しなきゃ。ただし天使なんてバカな例えは絶対訂正してもらわなきゃ。


それからの数日間、連日届いていた手紙がピタっと止まる。理由は全くわからない。

「……い、ナマエ」

やっぱり私の杞憂だったのかな。このまま本当に何事もなく終わってくれるなら、それはそれで有難いのだけど。

「ナマエ!」
「はい!すみません……!」
「今日はもう終わりにしていいぞ」
「え?」

兵長からそう促されるのはとても珍しい。いつもは約束通り、必ず私がここにいたい時間までいさせてくれるし、それに今日の分の書類整理だってまだ残っている。

「……嫌です」

私がちゃんと話を聞いてなかったのが悪い。邪魔をしてるっていうのも分かってる。でももう少し兵長といたいし……やっぱり部屋に帰るのは少し怖い気もする。

「まだ帰りたくない……です」

兵長が溜め息をついた。
うう、我が儘言っちゃった。また怒られるかな……。

「お前は何を勘違いしているか知らねぇが、俺は仕事を終わりにしていいと言っただけで、帰れとは言ってねぇぞ」
「へ?」

兵長が立ち上がる。そのまま間抜けな顔をした私の元に近づいてくると、両の手の平を出すように言われた。

「お前にやる」

ポトリと落ちてきたのは、綺麗に包装された焼菓子だった。

「兵長……これ!」

砂糖やミルクといった貴重品から作るお菓子は、中々手に入れることが出来ない贅沢品だ。

「こんな高価な物を私なんかが頂いていいんですか?」
「ああ」
「わぁ……凄く嬉しいです」
「そのかわり早く紅茶を入れろ」

結局この日は早く帰らされるどころか、いつもより遅い時間まで兵長と過ごすことが出来た。
美味しい焼菓子と兵長の優しさに幸せを感じながら、自室の灯りをつける。良かった。今日も手紙はない。
だがほっとしたのもつかの間。ジャケットを脱ぎ部屋着に着替えようとした時だった。
扉の下から何かが入ってきたのをこの目でしっかりと見てしまった。

あれは──手紙だ。

悪寒が走る。
だって、つまり今。

──そこに犯人がいる。

躊躇している暇はない。

「誰!?」

意を決して扉を開けると、誰の姿も見当たらなかった。残ったのはまたいつもの手紙だけ。

「ひっ……!」

その内容を見て背筋が凍った。

“あんまり遅くまで男の部屋にいちゃダメだよ”

彼の異常な想いはまだ続いていたのだった。





明くる日から昼夜問わず、なるべく誰かと過ごすように心がけ、夜は連日ハンジさんの部屋で過ごした。
今この瞬間も誰かに見られてるかもしれない。そう考えると体が上手く動かない。そんな調子だからか、今日は兵長にも訓練中に怒られてしまった。本当のことを言うべきなのかもしれないけれど、どうしても兵長には話したくなかった。

「テオさん。自主訓練に付き合ってもらえませんか?」
「いいけど、ナマエちゃんから誘ってくるなんて珍しいね」

テオさんの言葉に苦笑いを浮かべた。
いつまでこうして警戒し続けなきゃいけないんだろう。見えない恐怖に蝕まれていく毎日は、私を心身ともに疲れ果てさせた。
差出人がわかれば、何かしら対策がうてるかもしれない。話し合うことが出来れば、私の気持ちをわかってくれるかもしれない。
この時すでに私はいっそ姿を現してくれたら、とまで思うようになっていた。

「じゃあ俺は先に戻るね」
「はい。ありがとうございました」

自主練が終わると、テオさんと別れ自室に戻る準備をする。

「あ。しまい忘れちゃった」

訓練に使用した道具を片手に考える。
まだ明るいし急いで片付ければ大丈夫だよね。
そう思い薄暗い道具室に入って数秒後のことだった。

──バタン。

開けっ放しにしていたたずの道具室の扉が閉まる音が全身に響いた。
自分でもとても冷静だったと思う。
最初に想定したのは最悪のシナリオ──つまり犯人との接触だった。そのままゆっくりと振り返ると、扉の前に男が一人立っていた。暗くて顔がよく見えず目を細める。

「用があるのは道具室ですか?それとも、私?」
「君に」

的中した。最悪のシナリオだ。

「……それじゃあ私の部屋に手紙を入れていたのはクラウス、貴方だったの?」
「ははっ!僕のことを知っててくれてたんだ!とても光栄だよ」

彼の名前はクラウス・ブレーメ。
私が彼を覚えていたのは、基本的に医務室を利用した患者の情報は全て記憶しているからであって、そこに特別な感情は何もない。もちろんそれ以上の接点もないし、私の記憶ではほとんど会話をしたことすらないはずだ。
そんな人がどうして。
目を逸らさず彼をじっと見つめる。

「やっと一人になってくれたね。最近やたらと君の周りを見張ってる奴がうっとおしくてさ」

モブリットさんのことだろう。やっぱりこの人、私の行動をずっと監視していたんだ。

「手紙を送るたびに君がどんどん警戒していくのがわかって、とても嬉しかったよ」
「……嬉しい?」
「だってそれだけ僕のことを考えてしまうってことだろ?」

あんな手紙を出すくらいなのだから当然だろうけど、予想通り悪趣味な思考回路をしている。

「どうしてこんなことをするの?」
「何度も手紙に書いたよね?君のことが好きだからさ」

彼が本気である以上は、私も本気で話をしなきゃいけない。

「貴方の気持ちが偽りなく本当なのだとしたら、私なんかのことを好きになってくれたことには素直に感謝してる。でも私には他に好きな人がいるの。だから貴方の気持ちには応えられない」
「もちろん知っているよ」

クラウスがニヤリと笑った。

「リヴァイ兵長でしょ?僕にはすぐわかったよ。だってずっと君を見ていたんだから」

この人は自分のしてきたことが悪いだなんて一切思ってないんだ。それどころか、さも正しいことをしてきたかのように喋っている。

「彼が一番邪魔なんだよなぁ……どうやって君の傍から消そうかずっと考えているんだけど、中々上手くいかなくてさぁ」

今、なんて言ったの?兵長を消すって、そう言った……?

「君がリヴァイ兵長に笑いかける姿を見るたびに、彼を殺したくて堪らなくなるんだ」
「……兵長に何かしたら絶対に私が許さない。その前に私が貴方を殺すから」
「あはは!いやぁ君に殺すって言われると最高にゾクゾクするね!それに怒った顔も可愛いよ」

姿を現してくれれば、なんて思っていた自分が甘かった。まともな話が出来る相手じゃない。この人、相当狂ってる……!

「さて。どうする?君次第だよ」

兵長にはもう近づかない。そう言えばこの人は正気に戻るのだろうか。

「いや……でももういいか」

彼がじっとりした視線を向けながら近づいてくる。

「どうせ最後は僕を好きになるんだし」

どうやって逃げる?それとも先手を打つ?

「ほらおいでよ。君も僕と肌を重ねればきっと……!」

クラウスの体が私に覆い被さろうと一気に襲いかかってきた。構えていた私は彼の手や体を掴み力の限り抵抗した。

「止めてっ!」
「っ……往生際が、悪いな」

この前みたく投げ飛ばしてやりたいのにそう上手くはいかない。彼も調査兵団の兵士であり、そして男なのだ。

「止め……あっ!」

揉み合いの末、お互いの体が雪崩れ込む。大きな音を立てて私達は道具箱と共に床に転がった。同時に私のこめかみに鋭い痛みが走った。

「っ……痛……」

倒れた拍子に道具箱にぶつけたのか。頭がじんじんと熱くなったと思ったら、こめかみから首元に血が流れていく。

「ああ……綺麗な肌なのに」

虚ろな意識のなか目を開けると、彼が私の上に覆い被さっていた。今度はその顔が首元に沈み、ジュルリと音を立てた。

「や……、やだっ!」

ねっとりとした舌の感触も、体を這う指も、まるで蛇のようだ。
気持ち悪い。
キモチワルイ。

「嫌、やめて……っ!やめて!」
「大人しくしなよ……!」
「やだっ、や……っ」

でもこの人の言うとおり大人しくしていれば、私以外の誰も傷つかないで済むのかもしれない。兵長だって何もされずに済む。兵長やハンジさん、側にいてくれる大切な人達に万が一何かあったら……。

もう私は誰も何も奪われたくない。

「……やっと素直になってくれた」

体に力が入らない。でもきっとこれが一番正しい……これで誰も……。

“お前はもっと自分の命を大切にしろ”

真っ暗な記憶の中から大好きな兵長の声がした。確かに兵長はそう言って私の命を尊重してくれた。だから私はまだ生きることを諦める訳にはいかない。
兵長。私の大好きな人。
この気持ちは生涯消えることはない。
だから絶対にこいつのことなんか好きにならない……!

「ぐああっ……!」
「はぁ……はぁ」
「こんなもの……っ、隠し持っていたのか!」

クラウスは左脇腹に刺さった医療用メスを叫びながら抜いた。刺したのはもちろん私だ。万が一のために隠し持っていたけど、大事な医療器具をこんな風に使いたくなかった。
彼がずるりと倒れこむ。その隙に私は全力でそこから逃げた。


無音の自室に私の息遣いだけが響く。ハンジさんのところに行きたいけれど、怖くてこの部屋から一歩も動けない。

「気持ち……悪い」

込み上げる胃酸を抑えきれずに、洗面所へと走った。何度嘔吐しても胸の苦しさは消えてくれない。
どれくらいの時間そこにいただろう。いつの間にか気を失っていた。これからどうするべきか、考えなきゃいけないのに。朝なんて来なければいい。夢の中でもそんなことを思っていた。


それでも朝は変わることなく無情にもやってくる。

「おっはよーナマエちゃん……ってそれどうしたの?」
「これは昨日寝ぼけてベッドから落ちちゃって……」

テオさんが指摘したのは、今朝自分で治療したこめかみの傷だ。白いガーゼがすぐ目に留まるだろう。多分、兵長にも。

「今日の訓練は格闘術なのに大丈夫なの?ていうかどんな寝方したらそうなるのさ」
「あはは、返す言葉もないです。でも訓練には支障はないので大丈夫です」

もしかしたら兵長だけじゃなく班の皆にも危害を加えられたら、なんて考えれば考えるほど体が強張っていく。
体が鉛のように重い。今日の私の動きは今までで一番最悪だ。

「ナマエ」

兵長の声がして心臓が跳ねた。きっと動きが悪いと怒られるのだろう。そう思っていたのに、兵長は予想外の言葉を私にかけた。

「血が滲んでるぞ」

兵長の手が私の顔へ伸びてくる。あの人の手じゃないのに。

「やだっ……!」

咄嗟にはねのけてしまった。

「……っ、すみません……はぁ、は……っ」

息が苦しい。相手は兵長なのに。ひどい恐怖が私を襲う。

「……体調が悪いんなら医務室へ行け」

兵長の声のトーンが明らかに変わった。
兵長、違うんです。
苦しいんです。
怖いんです。
だから誤解しないで。

喉まで出かかった言葉は全て呑み込んだ。拒絶したのは私なのに勝手に傷ついている自分がいる。私は誰を、何を、一番に守るべきなのか。答えはわからなかった。


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