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 冬休みに入ったからといって、バレーを休んでいい理由にはならない。及川は自分の練習も兼ねて、既に部を引退した元チームメイトたちと共に何度目か分からぬ後輩しごきにやってきた。可愛い後輩たちが自分たち引退後も青葉城西バレー部を支えられるか、そんな親心故に来ているというのに、差し入れ片手に体育館をくぐった及川を迎えたのは、ドン引きした後輩たちの視線だった。

「お、及川さんが来てる……!」

「マジか、もうフラれたのかよ」

「可哀想に、寂しさ埋めるために部活に顔出すなんて……」

「ちょっと気ィ遣うよなあ」

「みんな、先輩には優しく接しろよ」

「そこ全部聞こえてるんですけど!! そんなに差し入れいらないのかなァ!?」

 失礼にも程がある後輩たちの陰口ですらない陰口に、及川はコンビニのおにぎりやパンを片手に叫ぶ。すると後輩たちは潔く手のひらを返し『ゴチでーす』と捕食を奪いにすっ飛んできたのだから、現金なものである。休憩におにぎりを頬張る後輩たち。けれど、その目はストレッチに精を出す及川に向けられている。

「どうしたんスか、及川先輩。今日、クリスマスっスよ……!?」

「うぐっ」

 金田一の悪意なき声が、及川の背中に突き刺さる。

 ──そう、誰もが驚きの視線を向ける理由。これが他の日だったら、別段注目も集めなかっただろうに、今日はよりにもよって十二月二十五日のクリスマス。及川には先日付き合い始めた恋人がいるのは周知の事実。部活を引退した及川に、此処に来る必要性はないわけで。実際、『その日はちょっと用事が』なんて逃げたOBもいるわけで。つまり及川はわざわざクリスマスに練習に来る程度には、予定がないというわけで。

 フラれたのか、喧嘩か、いつものことだ、なんて囁き出す後輩たちに、事情は説明したのに庇いもせずニヤつくOBの冷たさに涙しながら及川は叫ぶ。

「しょーがないじゃん! 天城さんイギリス行っちゃったんだしっ!!」

 そんな及川の悲痛な叫びが、体育館いっぱいに響いた。

 ──時は遡ること数日前。隣町の大学での練習の帰り、及川は凪沙に思い切って言った。クリスマスにデートをしよう、と。せっかくのクリスマスだ。今度こそ勉強なんて色気のないデートではなく、以前話したように買い物をしたり映画を見たり、そういうデートを、と。けれど、凪沙は心底申し訳なさそうに頭を下げた。

『ごめん!! クリスマスはホグワーツでパーティがあって……』

『……あ』

 そうだった。そういえば凪沙に興味を示したその日に、話していた。冬休みに、イギリスに行くとかなんとか、と。

『七年生のクリスマスはダンスパーティもあるから、割と早めにエントリーしちゃってて……』

『あー、あー……それは、大事なイベント、だよね……』

『あ、でもパートナーはいないよ。そもそも誘われてすらないんだけどね……』

 どこかげんなりした表情の凪沙。凪沙がモテないなんてにわかには信じられないが、西洋人の高い高い目には留まらないらしい。ダンスだのパーティーだの、日本にはまるで馴染みのない文化だが、ダンスをするということはそれなりに身体が密着するということだ。確かにそれは、胃の辺りがムカムカする。

『なもんで、ご馳走食べて女友達と踊って、それで終わりにするつもりだけど……前日はメイク用品買い出し行くし、当日はお昼から準備勧めなきゃいけなくて……』

 要はクリスマスは大層忙しいらしい。聞いた感じ結構大きなイベントらしいし、何より魔法学校での一、二を争うビッグイベントだという。流石に日本に帰って来いとは言い出せない。あっちは七年の付き合いのある友人たちとのイベント、こっちは二か月にも満たない付き合い。どっちが優先度が高いか言わずもがな。というわけで、恋人がいるにも関わらず一人ぼっちの及川は寂しさを埋めるようにバレー部の練習に顔を出したのだ。いや、普通に練習はしたかったのだけども。

「中々上手くいかねーな」

 上体を倒す及川に追い打ちをかけるようにゆっくり体重をかけてくるのは岩泉だ。心なしか楽しそうに聞こえるのは、こちらが邪推してしまっているからだろうか。ただ、確かに岩泉の言うように、何かと上手くいかないことばかりである。

 いや、上手くいかないというと、些か語弊がある。凪沙との付き合いは今のところトラブルもないし、喧嘩もないし、上手くはいっている方だ。ただ、普段と違うというか、セオリーが通じないというか。経験豊富、と凪沙に買われて付き合い始めたのに、その力量がまるで発揮できていないのだ。それがこう悔しいというか、情けないというか、何とも言えないモヤモヤとした感情が芽生えるのだ。

「こないださー」

「おー」

「天城さんにさー」

「おー」

「奢るって言ったら、すごいやんわり断られてさー」

「おー」

 幼馴染は大して興味なさそうだった。喜べとは言わないが、せめてもっと興味を持ってほしい。やはり『アレ』は杞憂だったのだろうか。いや、いい情報だと内心ほくそ笑んでいるのだろうか。体重をかけてくる岩泉の顔は、見えないままだ。

 クリスマスデートの誘いを断られた後、凪沙と二人で馴染みの中華屋に向かった。店主にニヤニヤと意味深な笑みを向けられながら、味噌バターコーンラーメンを美味しい美味しいと凪沙はニコニコしていた。ただ、てっきり奢りが目的だと思っていたのに、店を出ようとした時、伝票を手にした及川に凪沙が待ったをかけたのだ。

『え、自分の分は払うけど』

『え? サーブミスったらって話じゃ──』

『いやいやジョークだってそんなの』

『まあでもいいよ。そんな高いもんじゃないし』

 ジョークだったのか。まあ、どちらにしても高い買い物ではない。この程度ならと及川は笑うが、凪沙は一切笑まない。

『でも及川ってバイトしてないよね?』

『うん。部活あるしね』

『じゃあ、他人から施された金銭で奢りはすべきじゃないよ』

 思ったより手厳しい言葉に面食らった。申し訳ない、と及川の善意を辞退する子はいたが、自分の金じゃないからなんて理由を突きつけられるなんて初めてだった。度肝抜かれる及川に、凪沙はニッといつものように笑った。

『そういうのは、自分で稼げるようになってからやるべきだよ。だから、気持ちだけもらっておくね!』

 そう言って及川に五百円託してコートを羽織って出ていく凪沙。『出来たカノジョじゃねえか』なんて店主がしみじみ頷くので、『お勘定ォ!』と人の少ない店内で大声を張り上げたのは、つい先日の話。こんな風に、他の子には喜ばれていたことが、全く以て凪沙に響かないのだ。それが何とももどかしいというか、なんというか。

「(喜んでほしいだけなんだけどなー……)」

 デートのことも、ラーメンのことも。彼氏がほしいと述べる凪沙が少しでもこの生活を楽しんでくれればと、そう思っただけなのだ。中々上手くいかないものだと零しながら、遠くイギリスにいるであろう恋人に思いを馳せる。そんな愚痴を聞きながらも、岩泉の反応はやはり鈍いものだった。



***



 クリスマスということもあり、練習は早めに上がった。どっか食べに行くかと誘うも、ほとんどの部員は家でチキンだのターキーだのが待っているからと辞退して。結局一人帰宅して両親と姉に囲まれ、『クリスマスにいるなんて珍しいね』なんて追い打ちをかけられながらもローストビーフやらケーキやら腹に入れ、のたのたと部屋に帰った。

「うーっ、さぶっ」

 部屋に入るなり、冷え切った空気が及川を迎える。まるで自分の心のようだ、なんて寒いことを言っても突っ込んでくれる人はいないわけで。

 スマホをちらりと見ると、針は二十一時を指し示している。時差は九時間。凪沙は今頃、ドレスアップの最中だろうか。モテないモテないと僻んでいたが、彼女だって十分可愛いと思っている。パーティのノリで魔法使いたちからダンスの申し込み、なんてことになったらどうしよう。いや、向こうじゃちょっと友達と話すぐらいの感覚なのだろうか。そもそも、どうしようも何も及川側にそんなことを危惧する必要はないはずなのに──。

「……ん?」

 コンコン、と、何かをノックする音がする。ドアじゃない。窓の方だ。今日は寒く、冷たい風が吹きつけている。何か飛んできたのだろうと思いながら、及川はいそいそとテレビをつける。凪沙が教えてくれたように、映画でも見て、少しは英語力でも磨くか。クリスマスにうってつけの映画など、ごまんとあるわけだし。

 けれど、窓を叩く音は止まない。それどころか音はどんどん大きくなり、映画の導入の音楽を遮るほどの音が鳴り始めた。

「え、ちょっとなに、こわ──うおっ!?」

 折れた枝葉でも引っかかっているのだろうか、シャッとカーテンを開けて不審な音の正体を見ようとした及川は、そのまま驚きのあまり仰け反った。何故なら、窓の外にはイギリスにいるはずの天城凪沙がいたのだから。

「ちょ、何して──ってか、ここ何階だと思ってんの!?」

「せっかくドレスに着替えたし、お披露目しようかな〜などと」

「いやあのっ、ああもう、とりあえず入って入って!!」

「お邪魔しまーす」

 飛んでいるのか浮いているのか分からないが、とにかくこのクソ寒い冬の夜に窓の外にいる凪沙を迎え入れる。何せ、凪沙はドレス姿だったのだ。可愛いとか綺麗以前に風邪を引きかねない。

 靴卸したてなので、と言いながらふわりと窓から入り込んで、ニッコリと笑う凪沙。コーラルピンクのドレスは腰の辺りがきゅっと絞られており、膝が隠れないぐらいのシンプルな装束だった。いつも下ろしている髪はアップにされ、きらきらした金色の髪飾りや鎖などが編み込まれている。ドレスと同じ色のリボンがあしらわれた高いヒールのパンプスのおかげか、普段よりほんの少し目線が近い。顔も、念入りに化粧をしているのだろう。瞼は水晶のように煌めいているし、瞳はどんな魔法がかかっているのやら、星空のように瞬いている。柔らかそうな頬はほんのりピンク色に彩られているし、唇もいつもよりツヤツヤで、美味しそうだ。

「あ、えっと──き、きれい、だね!」

「ありがとう。着替えてダッシュで戻ってきた甲斐あったよ」

 さらりと言いながら、杖を振ってくるりとその場で一回転する凪沙。ふわりとスカートが揺れ、真っ白な太腿が一瞬見えて肩が跳ねる。そんな動揺も知らず、凪沙はのほほんと笑みながら杖をクラッチバッグに押し込んだ。どう見ても杖の方が長いのに、何故か杖はバッグの中に消えていった。魔法使い相手に何故かも何もないと思うが。

「え、ええと──」

 魔法を使っているとはいえ、遠路はるばるイギリスからドレスアップを見せに来てくれたことは、勿論嬉しい。煌びやかな衣装をまとう彼女を素敵だなと思うし、見せたいから来たというその動機も可愛いと思う。

 ただ、この先どうすればいいのか及川の経験を以てしても分からない。綺麗だね、天使かと思った、なんて褒めちぎるべきなのか。それとも膝でもついてダンスに誘えばいいのか。或いは抱き締めてキスでもすればいいのか。実姉がよく新しい服を買った時に見せびらかしに来るし、それの良し悪しを述べることは儘あるが、いくら何でもクリスマスのダンスパーティー用のドレスを見せに来たことはない。どう反応すべきか分からないまま凍り付く及川に、凪沙はくすりと笑ってくるりとドレスを翻す。

「ごめん、それだけ。帰るね」

「か、帰る!?」

 そう言いながら窓枠に手をかける凪沙に、思わず待ったをかけてしまった。いやまあ、ドレスを見せに来たと本人が言っているのだから、その目的は達成されているわけで。いやでも、わざわざ来てくれたのに、これで終わりというのも味気ないわけで。わたわたする及川に、凪沙は不思議そうに首を傾げるばかり。

「いや──あ、あの──お、踊ってく?」

 なんだそのドライブスルー感覚のお誘いは。自分で言ってて馬鹿かと思った。踊ってくも何も、小学校の頃にやった盆踊りぐらいしか踊れないのに、こんなフォーマルな姿をしている凪沙に何を言っているのだろう。凍り付く及川に、凪沙は驚いたように目を丸くした。

「及川、踊れるの?」

「や、ゴメン、俺、そういうのは全然で──」

「よかったー。私もダンスしたことないから、焦った」

 ケラケラ笑う凪沙に、及川はほっと胸を撫で下ろす。ようしそれじゃあ一曲踊りますか、なんて言われたらどうしようかと思った。自分から誘っておいてなんてザマだと肩を落とす及川に、凪沙はくるりと身体をこちらに向けた。

「じゃあさ、写真撮りたいな」

「写真? 勿論、それは、全然、いいけど」

「やった!」

 そう言いながら、凪沙はクラッチバッグから携帯──ではなく、鞄の容量をガン無視した大きさの古びた一眼レフを引っ張り出した。ドザえもんみたいだな、なんて未来の猫型ロボットを思い出す。

「こっちのカメラでもいい? 友達が私のボーイフレンド見たいってうるさくて」

「あー、ああー……向こう、携帯使えないんだっけ?」

「そうそう。電子機器持ち込むとメッチャクチャになるから、現像するか向こうのカメラで撮るしかないんだよね。ってことで、借りてきた!」

「すげーレトロなカメラだね。高そう」

「そうだね。魔法界に『壊れて捨てる』なんて概念ないからさ」

 なるほど、壊れても魔法で直せばいいのだから、当たり前だ。見るからに高そうなカメラを凪沙は杖でコンコン叩くと、カメラがふわりと宙に浮いた。

「ほら、及川! 笑って!」

「ちょっ、せめて着替え──!」

 スウェット姿でドレスの横に並ぶのは流石に恥ずかしい、と思う間もなく凪沙がくっついてきた。そして次の瞬間にはバシャリとカメラがフラッシュを焚き、余りのまぶしさに目がくらんだ。しぱしぱと瞬く及川に、凪沙はクスクス笑う。

「いい写真撮れたよ」

「撮るなら言ってよー……スーツじゃないにしても、もうちょっとマシな服に着替え──あれ?」

 と、思ったのだが、いつの間にか及川は自宅で着るようのグレーのスウェットではなかった。黒に近い緑色のゆったりとした──何といえばいいのか。いかにも魔法使いといった、袖と丈の長いガウンのようなものを身に纏っていたのだった。ローブ、というものだろうか。スーツと違ってあちこちがひらひらしている。困惑がちに自分の纏っている衣服を見下ろす及川に、凪沙はからかいがちに笑う。

「そりゃ、せっかくなんだもん。かっこよくしないとね」

「あ、う、うん。あり、がと」

「現像したら持ってくるね! メリークリスマス、及川!」

 そう言って、凪沙は今度こそ窓に手をかけるや否や飛び降りて行ってしまった。ギョッとして追いかける及川だが、窓の外に彼女の姿はなく、バシッという音と共に影も形もなくなっていた。確かに姿が現れたり消えたりする魔法は心臓に悪いと言ったが、こんな風に使われるのはもっと心臓に悪い。

 胸を撫で下ろしながらベッドに倒れ込む及川が、いつものグレーのスウェットに着替えていることに気付く。魔法使い相手にセオリーも何もないかもしれないなと、少年は今更ながらにそんなことを思ったのだった。

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