14

 日が暮れ、リズミカルな音楽と共にパーク内では大規模なパレートが開催されている。そんな喧騒が遠くに聞こえる場所なのだろう、と考えて御幸は首を動かさないように辺りを見回す。恐らく、パレードに使う機材や車などを保管しておく場所だ。天井は高く、だだっ広い倉庫のような場所に御幸と凪沙は連れてこられた。背中には恐らく凶器を突きつけられており、身動きはできない。だが、横を歩く凪沙の表情に陰りも焦りもない。ホールドアップしたまま、実に冷静な様子だ。だからこそ、こんな状況であっても、御幸も冷静でいられた。

 そんな中で、凪沙は呆れたように溜息を零した。

「名乗りもしないなんて、随分なエスコートね」

「……黙れ、意地汚い探偵風情め」

「あらあら、同業者に随分な物言いね」

「貴様らと一緒にするな!」

 男は苛立たしげに凪沙のか細い背中に何かを突きつけている。形状から、恐らく銃だろう。だが、凪沙はあくまで余裕の面持ちだ。

「じゃあ何なの。せっかくのデートなのよ、邪魔しないでくれる?」

 軽口を叩きながら、せせら笑う凪沙。だが、それを聞くな否や、背後の男たちがハッと息を呑んだのが聞こえた。そうしてすぐさま、ゴッという鈍い音共に、凪沙がその場に崩れ落ちた。四つん這いになる凪沙の後頭部に、銃を押し当てる。

「女は消していいとのお達しだ──おい、車を回せ。御幸はこのまま連れていく」

「分かってる。急かすな」

「天城ッ!!」

 けれど凪沙の横顔は、余裕綽々。寧ろ御幸を見上げて、ニヤリと笑ってすらいる。

「目的は誘拐ね。お喋りな仕事人は楽でいいわ」

 その言葉と共に、カァンッ、カァンッ、と甲高い音が二回。凪沙は勢いよく起き上がったかと思うと、グイっと御幸の腕を引っ張り、御幸を庇うように立ちはだかる。見れば男たちは手を押さえながら呻いており、床に落ちている銃にはナイフが突き刺さっていた。凪沙は銃を拾ってナイフを抜いてから、今度は男たちに銃を向ける。

「形勢逆転ね」

「ぐっ……!!」

「伏兵がいたのか……!」

「で、あなたたち誰に雇われたの? 誰の命令で御幸の誘拐を?」

 どうやら、凪沙たちを尾行している連中を尾行していた瑠夏のアシストだったらしい。武器を奪われた男たちは悔しげに拳を構えて後退るも、こちらはの手にあるのは銃だ。分が悪いにも程がある。

「こっちはねぇ、せっかく見れると思っていたパレードを邪魔されて苛々しているの。最後の花火は見たいんだから、終わる前に片を付けさせて頂戴」

 明らかに私情の入った脅しだった。だが事実、凪沙は苛立ち半分で迷うことなく銃を人に向けている。彼女のことだし撃つ気はないだろうが、機嫌が悪いのは明らかだ。そこで御幸は初めて、あまり意味のない結城夫妻の尾行を夜まで引っ張ろうとした凪沙の意図を理解した。目くらましになる、という理由も嘘ではないだろうが──彼女はこのテーマパークの目玉の一つであるパレードを、楽しみにしていたのだ。

「それとも、雇い主への忠義を貫いてもよろしくてよ?」

 ニヤリと笑みを浮かべてカチリと撃鉄を起こす凪沙に、男たちは二人して震え上がる。どっちが悪役か分かったもんじゃない。呆れつつも、これほど頼りがいのある背中も無いわけで、ひとまず窮地を脱したと一息ついた。

 その時。男たち二人はギュムっと腹を据えたように目を瞑った。

「こ、殺すなら殺せ!!」

「俺たちは、お嬢様のために命賭けてるんだ!!」

 脅し文句だったはずの一言だが、意外にも本気と取られてしまったらしい。男たちは正座をし、膝の上でギュッと拳を握っている。思わず、凪沙と目を合わせてしまった。

「(……お嬢様?)」

「(組長の娘さんを『お嬢』と呼ぶことはあるけれど……)」

 驚くべきはその覚悟だけではない。彼らは雇い主──と思われる相手を、『お嬢様』と称した。それ即ち、彼らの雇い主は『女性』である。しかも、年齢もかなり絞られる。年配の女性を『お嬢様』とは呼ぶまい。

「……なるほど。あなたたちからは色々お話が聞けそうね。瑠夏!」

「へい!」

 威勢のいい返事と共に、どこからともなく天井から瑠夏がシュタッと降りてきた。忍者か。なんてツッコミをしている余裕はなく、瑠夏と凪沙は男たちの身体をまさぐり始めた。

「何か身分に繋がる物はないのかしら……お、スマホゲット」

「こっちは何も──お、なんだコレ」

 そう言って、瑠夏は男のポケットから手のひらサイズのメモを引っ張り出した。メモを眺めて顔を顰める瑠夏の手元を、凪沙も覗き込む。

「ンだ、これ……そう、かく……?」

「……総巻[あげまき]、じゃないかしら」

 ギクリ、と男たちの方が震える。そう言って凪沙が御幸に見せたメモにも確かに、『総角へ至急折り返し』と走り書きされている。

「あげまき、って読むのか、これで?」

「ええ……源氏物語の巻名の一つだけど……そんな組あったかしら」

「近江の組じゃねェと思いますが……」

「東城会でもないわね。何かの暗号かもしれないわ」

「……あげ、まき?」

 ふと、目の前がフラッシュしたような、そんな気分。走馬灯が走ったような、そんな感覚に近い。なんだろう、その響きを聞いて、何か過ったような。そんな御幸に、凪沙と瑠夏が不思議そうに振り返る。

「御幸?」

「何か覚えが?」

「え──あ──いや……」

 だが、それは新幹線よりも素早く御幸の脳から去っていく。あれ、何だったか。今、何か、思い出したような。けれどそれを言葉にすることはできず、思わず口を覆って視線を下に向ける。今、何か、過ったのだ。なんだ、それは。あげまき──総角。確かにこんな珍しい名前、一度聞いたら忘れそうにないのに。

 そんな御幸に、凪沙はやむなしと肩を竦めた。

「まあいいわ。情報源はゲットしたし、パレードが終わる前にさっさと──」

 その言葉を最後まで言い切る前に、凪沙と瑠夏が跳躍した。

 いつか見た光景と同じだ。凪沙は御幸を庇うように押し倒し、その際に敵から回収したスマホがカラァンと男たちの方へと転がる。瑠夏は凪沙が奪った銃を手に天井の方に向けたが、その引き金を引くより先に拳銃は弾かれたように瑠夏の手から離れて床を滑る。

 凪沙の腕の隙間から、再び黒服の男たちを垣間見た──亜門レイと名乗った黒服の男が、銃を構えて佇んでいた。

「ったく、次から次へと……」

「依頼人がモテモテで困るわね、全く!」

 二人は御幸を庇うように態勢を整えながら、亜門と対峙する。亜門は相変わらず不気味な雰囲気で、まるで幽霊のような男だと思った。けれど不思議なことに、亜門の登場に誰よりも驚いたのは御幸たちを尾行していた男たちだ。

「あ、亜門!? お前、一体何しに来たんだ!!」

「俺たちの仕事だと言ったはずだろう!!」

 その言葉に、今度は御幸たちが驚かされた。何故なら、凪沙たちの推理なら、『御幸を殺したい』と考えている亜門派と、『御幸を生かしたい──誘拐したい』と考えている尾行派はお互いに連携が取れていない、という前提だった。だから二つの組織が正反対の目的でぶつかり合っているのだと、そう思っていたのに。どう見てもこの口ぶりは、少なくとも初対面ではなさそうだ。一体どういうことなのだ。御幸も必死に頭を回すも、やいのやいのと言い合っている男たちが、亜門によって蹴り飛ばされたのを見て考えは吹き飛んだ。

「ふげらっ!!」

「キサマッ、なにす──おげっ!?」

 亜門は蹲る無言で男たちを足で掬い上げ、蹴り飛ばし、踏みにじる。ドカッ、バキッ、と骨が砕ける痛々しい音が広い倉庫に響く。仲間割れか、それならそれでありがたい。凪沙の計画では、この二つの組織をぶつける、という話だった。だから計画通りのはずだが──これは、あまりに異様な光景だ。

「何してる。何してる。何してる。勝手に、勝手に、勝手に!!」

 亜門はグチグチと何か小声で呟きながら、男たちを足蹴にしている。怨嗟の念でも籠っているとしか思えないぐらい執拗に痛めつけているその光景は、ただただおぞましい。瑠夏が暴力を揮っている時は、ただただ圧倒された。その力は敵をねじ伏せて、道を開くために使われた。まるでモーセが海を割った時のような、神々しささえ感じられた。

 けれど、亜門のそれは違う。ただ、人の肉体を壊したいだけ。痛めつけて、粉々にすることだけに特化した暴力だ。結果に明確な違いはないはずだが、それでも、一方的な暴力も、骨が歪む音も、血のにじむ臭いも、ただただ不快だった。

「(……どうしやす?)」

「(亜門との戦闘は避けたいわね……)」

 そんな中で、瑠夏と凪沙が唇を動かさずに会話を始める。ある程度は準備していたとはいえ、亜門は二人にとってはなるべく戦いたくない強敵らしい。ちらり、と御幸を見てから、凪沙はコクリと頷いた。

「(盛り上がってるみたいだし、ずらかりましょうか──)」

「逃がすか」

 けれどこちらの思惑は、亜門に聞こえていたのだろうか。男たちを痛めつけてほくそ笑んでいた男は、物凄い勢いでぐるりと御幸たちに身体を向けた。血走った眼に、ぞくりと背筋が凍る。

「俺の、エモノ、だ、ぞ」

 ぎろり、と御幸たちをねめつける亜門の目のヤバさは、サングラス程度では隠しきれない。イカれている、なんてレベルではない。ドラッグでもキメているとしか思えなかった。血走っているのに、どこか虚構を映しているような瞳。視線は覚束ず、誰を視認しているのかも分からない。

「勝手に、勝手に殺そうと、許さねえ──俺の、俺のエモノだ。俺の、マトだ。どいつもこいつの大事な者も全部全部全部全部俺が殺すなのになのになのに!! あいつも!! こいつらも!! 俺の!! 邪魔をする!!」

「うげえっ……!!」

 亜門は容赦なく、尾行してきた男の喉元を踏みつける。苦しそうにジタバタもがく男なんか見えていないかのように、亜門は狂気的な笑みを浮かべて御幸たちを視界に収めている。

 ジリ、と後ずさる凪沙と瑠夏。それでも、背中に御幸を守るように庇うことだけは揺らがない。威嚇するように瑠夏が銃を向けるも、亜門は止まらない。ぱぁん、と瑠夏が引き金を引き、振動に鼓膜が震える。けれど亜門は銃弾を紙一重で交わしたかと思うと、瑠夏の脇を掻い潜って凪沙の正面に立ち──。

「しまっ──」

「まずは、オマエ」

 ニタリと笑みを浮かべる亜門が突っ込んでくる。御幸の前に立ちふさがった凪沙に向かって、煌めく銀のナイフを振りかざした。声も出なかった。恐怖すら、感じている暇はなかった。息を呑む御幸を背後に、けれど御幸よりずっと小さな背中は一歩と引かない。

「所長──ッ!!」

「ぜんぶ、ころしてやる」

 振り下ろされるナイフ。叫ぶ瑠夏。けれど微動だにしないその背中に、御幸も初めて恐怖が込み上げた。天城、そんな声が無意識のうちに零れていた。だが、女の背中はただの一度も怯まない。

「──やってみなさいよ」

 グチャッア、と肉の斬れる嫌な音が、信じられないぐらい鮮明に鼓膜に響いた。強烈な血の臭いが充満し、誰もが息を呑んだ。凪沙は、天城凪沙は、振り下ろされたナイフをそのまま手のひらで受け止めていたのだ。流石の亜門も驚いたように一瞬怯んでいるほどに、彼女は堂々と仁王立ちしていた。けれど凪沙本人は自らの手のひらにナイフが食い込むことを恐れずに、亜門の拳にギリッと爪を立ててニヤリと笑んだ。

「銃で勝負しなかったあなたの負けよ、亜門」

「な──」

 その瞬間、亜門が目の前から吹っ飛んだ。

 なんと脇を抜かれた瑠夏が、飛び膝蹴りをかましてきたのだ。亜門は横腹にその蹴りを見事に食らって吹き飛び、倉庫の壁に激突するほどの衝撃を受けた。フーフーと肩で息をする瑠夏は怒り心頭で、まさに龍の逆鱗に触れたとばかりの形相だ。

「所長!!」

「私は平気! それより奴に集中ッ!!」

 苦い表情で瑠夏を叱責する凪沙。手のひらからナイフを引き抜きと、パタパタッ、と凪沙の血が滴る。見るからに痛そうだが、凪沙は唇を噛み締めて耐え忍ぶ。

「……なるほど、フフ、抵抗するか。それもいい。きっと殺し甲斐がある。フ、フ──悪くない──悪くないぞ、天城凪沙ッ!!」

 亜門は高らかに笑っていた。けれどその目は憎悪にギラついており、意思疎通はできているのに、言葉が通じない怪物のように見える。血の滴る腕を押さえながら後退る凪沙を守るように瑠夏が庇い、尻ポケットに銃を挟んで拳を構える。

 それを見たもう一人の尾行男が、スマホを掲げて叫んだ。

「ま、待て! 亜門!! 女も殺すな!!」

「……あ?」

「れ、連絡があったんだ──お嬢様から、お、女も、連れて来いと、今!」

 そうしてバックライトの光るスマホを掲げている。スマホに何が書かれているのだろうが、流石に遠すぎて見えない。だが、その程度で止まる亜門ではない。内ポケットから腕程ある拳銃を取り出したかと思うと、そのスマホをぶち抜いたのだ。

 ぱあんっ、という音と共に、外から、どおん、と何かが爆発したような音がした。恐らく、パレードが終わって、凪沙のいう花火が始まったのかもしれない。だが、そんなこと、この血なまぐさい人間たちに何の関心があるだろう。

「関係ない。関係ねえ。全部殺す。殺す殺す殺す!! この間はそのデカブツに邪魔された!! 次はお前らか!! なら殺す!! 殺す殺す殺す!!」

「ふ──ふざけるな!! お嬢様の命令が聞けないのか、キサマ!!」

「俺は誰の命令も聞かねえ!!」

 やはり亜門派と尾行派には明確な目的の違いがあるようだ。御幸たちを放って言い合いを始め、ついに尾行派が腰に差したナイフを抜いた。それを見計らって、凪沙は瑠夏の背中に飛びついた。

「今よ瑠夏! 逃げるが勝ち!!」

「よしきた! 走れ御幸オラァ!」

「お、おお!」

 瑠夏に背負われた凪沙に小突かれ、二人して御幸も走り出す。凪沙は瑠夏から銃を受け取って鞄の陰に隠し、コッソリと背後に向ける。そんな凪沙を背負ったまま、瑠夏は力強い足取りで駆け出す。御幸もまた、普段から鍛えている肉体にここぞとばかりに鞭を打つ。あくまで御幸を庇いながら走る瑠夏を背に、ちらりと背後を見るも、亜門も尾行男たちも追ってこない。ただ、花火の音と共に彼らがどのような顛末を迎えたかは、想像に難くない。

「……あーあ。花火、見たかったのに」

 血の滲む手のひらを鞄に突っ込んで血が垂れないようにしながら、瑠夏の背中で凪沙は空を仰ぐ。明るい夜空には、色とりどりの花火が打ち上がっており、パーク内の客たちも空を見上げていたり、帰りの支度をしていたりと、猛ダッシュで駆け抜ける御幸たちの異様さには誰も目を向けない。

 そうして凪沙曰く『デート』は、色々な情報と引き換えに大きな傷を残して終了したのだった。



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