13

 ある夏の日、いつものようにマネージャーの作る夕食に舌鼓を打っている時、目の前に座る彼女が何とも言い難い表情でこう告げてきた。

「あのー……すみません、食事終わったらいったん家戻っていいですか?」

「別にいいけど、珍しーな」

 普段は御幸が寝て起きるまでこっちの家に居付いている。『家戻るのだるいんで』と、最近じゃ仕事道具どころかパソコンのディスプレイさえを御幸の家に持ち込んでいるというのに。

 御幸の尤もな指摘に、彼女は非常に困ったような表情を浮かべる。

「実は、その、これから知人が来る予定で……」

「はあ? 今から?」

「はい……」

 時刻は二十一時を過ぎている。今日は金曜日、普通の会社員なら明日は休みだろうが、野球選手とその球団職員はそうはいかない。ただ、それが分からぬ彼女ではない。迷惑千万とばかりに溜息を零していた。

「どうもこの近くで飲み歩いてるみたいで、顔見せに来いって煩くて。仕事中だと言うと、じゃあ遊びに行ってやる、と……」

「そりゃ……まあ、いいけど。明日に響かないようにな」

「当然です。アルコールは一滴も入れません」

 確かにほぼ毎日一緒に居るが、彼女の空き時間に何をしようが御幸には関係はない。仕事に響かなければそれでいいと頷くと、彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。それすら許さないほど狭量と思われていたのかと思うと、何だか腹が立つ。好きにしろよとテーブルの下で足を軽く小突けば、足癖が悪いと彼女はいつものようにキャンキャン吠え始めた。見慣れた光景のはずなのに、何度見ても笑いが込み上げてくるのだった。

 そんなやり取りをしたのが、数十分前。とぼとぼと帰るマネージャーを他所に、御幸は今日の試合を振り返るためにテレビをつけて、スコアの書かれたタブレットを膝にソファに腰を下ろした時だった。玄関からドンドンドンッと戸を叩く音がしたのは。

「な、なんだ……?」

 何やら玄関の外が騒がしい。壁の厚さ故か話し声までは聞こえてこないが、明らかに外に喧しい集団がいる。それが御幸の家の戸をガンガン叩いているらしい。御幸はすぐに隣人の客だと察する。また家を間違えられているらしい。そろそろ表札でも掲げるべきかと思いつつ、御幸は重い腰を上げる。マネージャーが気付くまで放っておいてもいいが、明日も仕事だと言う彼女の無理を押し切ってやってきた知人とやらの顔を、拝んでやろうと思ったのだ。何故なら外にいる集団は明らかに──男の声がするからだ。

 御幸はドアスコープで外を確認する間もなく、重い扉を一気に押し開けた。

「あの、人違いじゃ──」

 そう言って、ドアを開けて凍り付いた。尤も、それは外の連中も同様だったが。

 外には若い男が五人ほどいる。御幸と同じぐらいの年齢で、どいつもこいつも縦にも横にも大きい。それが揃いも揃って酒に赤らんだ顔のまま、ポカンと御幸を見つめているのだから、間抜けも良いところである。だが、問題はそこじゃない。外にいた五人が五人、御幸の知る顔であったから。いや、訂正しよう。流石に五人ともすぐに思い出せたわけじゃない。けれど、先頭に立つ赤ら顔の男の顔から、全てを察したのだ。そして、理解したのだ。

 彼女が誰に憧れて、この道に進んだのかを。

「御幸……一也……?」

「薬師──明神の、真田……?」

 そう、玄関の外にいたのは、かつてしのぎを削ったライバル校の投手。高校卒業後は大学で野球を続けていた男。大学卒業後はてっきりドラフト会議指名が入るだろうと職業柄チェックしていたのだが、故障の多さがネックで結局この世界には踏み入れなかったと聞いた。だから結局、彼と──彼らと競い合ったのは、もう十年も前。それが最後だったというのに、その顔を見るだけで当時の記憶が洪水のように蘇る。

 真田俊平は、信じられない物を見るような目で御幸を見ていた。

「ほ、本物か……? いや、でもなんで……」

「なんでも何も、ここ俺の家」

 そう告げれば、全員狐に抓まれたような顔になる。真田の後ろにいるのも薬師高校の連中だ。懐かしい、十年程度じゃ人は変わらないらしい。無邪気に野球をしていた彼らの声が、今も耳に残っているほどだ。

「マジか! マジの御幸一也!?」

「じゃあハチの奴、御幸の隣に住んでるのか!」

「担当変わったって、あれ御幸のことだったのかな」

「ゲッ、よりによって御幸一也かよ!?」

「ハチの人生どうなってんだよ……」

 困惑する御幸を他所に、やいのやいのと騒ぎ出す元薬師高校の面々。サインくれだのなんだのと詰め寄られないだけマシだが、人の家の前で騒がないで欲しいと思っていた矢先、隣の家のドアがパッと開いた。

「げぇーっ!? 先輩方何してんスか!! そこお隣さんなんですけど!?」

 ハチ公、もといマネージャーが顔を引き攣らせながら玄関から飛び出してきた。知人が来る、と言う割に着替えてはおらず、色気の欠片もない球団のジャージ姿のままだった。たちまち薬師高校の連中がマネージャーの方へと顔を向ける。

「ハチお前! 御幸付きになったって言っとけよ!」

「守秘義務っスよ! スター選手のお付きなんてペラペラ言えるわけないでしょ!」

「裏切者め! 薬師魂忘れやがって!!」

「仕事ですよ仕事!! 私に選択権あるとでも!?」

「だから俺らが来るの嫌がったのか……なんか悪いね、ハチ」

「そう思うなら酔っ払いども連れて帰ってくれませんかね秋葉先輩!」

「あ、雷市は今日は来れないって!」

「それ今言うことじゃないですよねえ!?」

「まあまあ、詳しいことは中で話そうぜ」

「何我が物顔で家に上がり込んでるんすかナーダ先輩!! ちょっと!!」

 悪いな、お邪魔しました、そう言いながらぞろぞろと、酒やツマミの入った袋を抱えながら男たちは御幸に背を向けて隣の家に吸い込まれていく。このやり取りで、彼らが十年経てなお強い絆で結ばれていることが分かる。その光景を目の当たりにして、何とも言い難い感情が芽生える御幸に、彼女は喧しい男たちを家に押し込んでからぺこりとこちらに頭を下げた。

「すみませんっ! 弁明等々は後で行いますので!」

「あ、ああ……」

「あの酔っ払いどもは二時間以内に追い出しますので!! なので──ちょっと!! ミッシーマ先輩そこ風呂場なんですけどぉ!? 入るなあ!!」

 そう叫びながら、彼女は大慌てで家に戻る。ばたん、と締まるドアと共にエントランスに静寂が戻る。まるで嵐のようだ。吹き荒れた風に当てられた御幸は、呆然としながらひとまず家に戻る。思うところは山ほどある。言いたいこともだ。だが、どうせ彼女は数時間後には戻ってくる。それら全てとモヤモヤとした感情を飲み込んでから、御幸は再びソファへと向かうのだった。



***



 その後、きっちり二時間後、ゲッソリとした顔のマネージャーが御幸の家に戻ってきた。この二時間、隣は宴会会場ばりの喧しさで、それなりの家賃を払ったマンションとは思えないほどの喧騒が突き抜けてきた。あれを一人で諫め、日付が変わるギリギリに全員を叩き出した彼女の手腕は流石と言うべきか。

「すみません、遅くなりまして……あとお騒がせしました……」

「いや、いいけどさ……お前、やっぱ薬師だったんだな」

「まあその……はい、お察しの通りで……」

 ベッドに横たわる御幸の傍で仕事を進めながら、マネージャーは非常に気まずそうに答えた。先日のやり取りで、薬師や明川、桜沢あたりだとは思っていたが、まさかドンピシャとは。

「なんで黙ってたんだよ」

「だ、だって……なんか、青道の人には言い辛いじゃないですか……」

「別に敵って訳でもねえよ。俺、薬師とは公式では二回しか当たってねえしな」

 別球団の人間ならまだしも、高校時代のライバル校相手に気まずさも何もない。変なところで気を遣う必要などないと告げると、彼女はほっと胸を撫で下ろした。

「仲いいんだな、薬師の奴らと」

「ええ。未だに集まって飲もう騒ごうって言ってくる高校の知人は、あの人たちぐらいですよ」

「お前、あいつらより世代下だろ? すげーな、俺二つ下のマネージャーとか顔も覚えてねーぞ」

「青道の規模とは違いますよ。私が初めての女子マネだったぐらいですし」

「え、じゃあ今までマネージャーいなかったわけ?」

「ええ。今までは弱小校で廃部危機とまで言われてましたが、雷市先輩たちが勝ち始めてからはマネージャー志望が殺到したんですよ。ほら、ナーダ先ぱ──真田先輩のイケメンっぷりが世に広まってしまって、ルールも分からないような子たちが押し寄せたんだとか」

「ふーん?」

「そこで轟監督がふるいをかけるために『轟雷市からヒット打った奴だけマネージャーにする』って試験を出したわけです」

「……で、名門桜が丘シニア一番打者がタイムリーを放ったと」

「はい──と言えればカッコよかったんですけどね。残念ながらデッドボールでした。おかげで雷市先輩、私の顔見るたびに謝り倒してくるんで、ほんと監督の思いつきも困ったものです……」

 苦々しげにそう語る轟雷市は、御幸が知る限り薬師で唯一プロ野球入りした選手だ。リーグは違うので中々顔を合わせることは無いが、怪物スラッガーの異名は文字通り球界を轟かせた。懐かしいものだ。

「でも、それ見た女の子たちが震えあがって、みんないなくなっちゃったんです。だから、あの世代のマネージャーは私しかいなかったんですよ」

「それで未だに可愛がられてる、ってわけね」

「いいように使われてるだけですよ。曲がりなりにも女の一人暮らしに男が集団で押しかけてくるなんて……ほんと、私のこと女の子扱いしてくれるのはナーダ先輩だけ……」

「……真田、なんだけど」

 ちょうどいい名前が出た。眠るまでまだ時間に余裕はある。先ほどの『出来事』も含めて、確認したいことがあった。不思議そうに首を傾げる女に、御幸はゆっくりと体を起こす。

「御幸さん?」

「お前さ、前言ってた『憧れの人』って真田?」

「……や、藪から棒に、な、なんですか」

「いーから」

 気まずそうに言葉を詰まらすマネージャー。名門シニアのレギュラーを取っていた彼女が、マネージャー転換した運命の出会い、憧れの選手。未だにその選手の写真を持ち歩いているという熱の入れよう。薬師にもいい選手は山ほどいるが、やはり目を引くのは轟か真田だろう。真田は彼女と同じ投手だし、見目もいい。二つに一つなら真田だろうか、そんなつもりで訊ねたのだった。

 数秒の沈黙の後、彼女はコクリと頷いた。気まずそうに、顔を背けている。

「……だとしたら、文句ありますか」

「やっぱりか。じゃあ毎日挨拶してるっていう写真見して」

「何でですか!! 恥ずかしいんスけどッ!!」

「お前が嘘吐いてないって証拠は?」

「別にそんな──」

 そこまで言って、彼女はぐっと言葉を飲み込んだ。御幸だって今更彼女がこんな嘘を吐くとは思わないが、それにしてはどうにも腑に落ちない点があった。だから、確かめたいのだ。嘘やら猜疑やらで人を疑う日々は、御免だったから。

 そんな思いが伝わったのだろうか。マネージャーは少しだけ目を泳がせたが、降参とばかりにジャージのポケットから革張りのキーケースを引っ張り出す。そこから彼女は、ラミネート加工された新聞の切り抜きを取り出して、御幸に突き付けた。予想通り、そこには薬師のユニフォームを着た真田の姿があった。

「うっわ、ほんとに写真持ち歩いてんだな……」

「恥ずかしいんで、ナーダ先輩には内緒でお願いしますねっ!」

 むくれたマネージャーは大事そうに新聞の切り抜きを名刺入れに仕舞い、ジャージのポケットに戻した。なるほど、彼女の言うことは本当だった。だとしたら、おかしいのは真田の方だろうか。腕を組む御幸に、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんですか、唐突に」

「いや……さっき真田がうちに来てさ」

「はい?」

「お前のことで話があるって言うから」

「ハア!?」

 どうやら彼女も知らなかったらしい。目玉が飛び出さんばかりに驚く彼女に、御幸はつい数十分前の出来事を思い出す。

 隣のどんちゃん騒ぎにを見身にしながら部屋でトレーニングを始めようかと思った時だった、再びドアがノックされた。また酔っ払いが部屋を間違えたのかとドアを開けると、そこには案の定酔っ払いの姿があった。けれど、真田俊平は赤ら顔であったが、目はしっかりと御幸を見据えていた。

『だから部屋間違ってるっつの』

『間違えてねえよ、イケ捕。アンタに話が合ってさ』

『話ィ?』

『ハチのことで』

『……あいつの?』

 すぐ終わる、と告げる男は半ば睨むように御幸を見る。只ならぬ雰囲気に、御幸もまた訝しみながらも会話に付き合うことにしたのだ。

『あのさ……ハチとはどういう関係?』

『どういう、て……マネージャーと、雇用主じゃねえの』

『それだけか?』

『それ以外に何があるんだよ』

 男女の仲を疑われているのは分かる。だが、その真偽がどうであれ、どうして第三者の真田にそれを指摘されなければならないのか。何故か苛立ち半分で答えると、真田もムッとしたように眼光が鋭くなる。そうして成人男性二人、睨みあうこと数秒。

『──よかった、ならいーんだ!』

 数秒前までの殺気立った顔はどこへやら、真田は晴れやかな表情で胸を撫で下ろした。一体何のつもりなのか、そもそも彼女の何なのか、御幸も思わず脱力する。

『なに? お前、あいつと付き合ってんの?』

『いや、全然。ただの後輩』

 ただの後輩に──年齢的に、たかだか数か月部活動が一緒だっただけの後輩の──たまたま近くにいる男を牽制するだろうか。二人がどれほどの仲かは御幸の知ったことではないが、どうもただならぬ空気を感じる。

『そう? ただの先輩後輩には見えねえけどな』

『可愛い後輩だからな、俺らちょっと過保護なんだよ』

『過保護、ねえ……』

 たった一人のマネージャーを重宝する、という気持ちは分からないでもないが、だからってただの隣人相手に牽制するほどだろうか。言っては何だが、御幸一也もそれなりに著名なプロ野球選手である。遊ぶ相手には困らない──と一般的に言われる中、わざわざ一般人に手出しするなと釘を刺すなんて、どうにも不自然に思えてならないのだ。そんな御幸の不信感を読み取ったのか、真田は少しばかり恥ずかしそうに鼻を擦った。

『なんつーかさ、ハチには幸せになってほしいわけ』

『……なんて?』

 突如胡散臭いことを言い出す真田に、御幸は軽く引いた。顔を引き攣らせる御幸に、真田は違う違うとかぶりを振る。

『ほら、あいつって人に尽くしてばっかだろ。それこそ、忠犬みたいに』

『……まあ、それが仕事だしな』

『仕事抜きでもそうなんだって、昔から。自分のことは二の次で、ぶっ倒れる直前まで駆けずり回って。それで俺も昔──まあいいや、だから、その、ちゃんと幸せになってっか、心配なんだよ』

『ぶっ倒れる直前、ね……それはまあ、分かる』

『だろ? だからさ──つい、色々口挟みたくなってさ』

 真田の話が全く理解できなかった御幸だが、唯一それだけは共感できた。毎晩毎晩御幸が起きるまで夜を共にする彼女の献身はありがたい半面、不安にもなった。本人曰く体調管理は行っているとのことだが、それでも身体に負荷は掛かっているはずだ。そんな苦労一つ顔に出さず、淡々と仕事をこなす彼女はマネージャーの鑑なのだろうが、彼女本人を思う者からすると心配でならないのだろう。山田も、真田も、そのクチなのだろうと思う。

 それだけ確認できれば満足なのか、真田はさっさと隣の部屋に戻っていく。ドアを少し開けるだけで喧騒が漏れ出してくるのだから、それだけで彼らの仲が窺える。性別や年齢を感じさせない関係は素直に羨ましくもあるが、こちらを巻き込まないでほしいものである。真田にはぜひそう伝えてくれと、事のあらましを告げれば、彼女は心底申し訳なさそうに項垂れた。

「ほんとナーダ先輩……何考えてんスか……すみませんご迷惑を……」

「いやまぁ俺は良いんだけど……あいつお前の何なの?」

「何と言われましても、ただの先輩だと思うんですが……」

「……真田の奴さあ、お前に気があるんじゃねえの」

 からかう、というよりは半信半疑の問いかけだった。憧れの人にそんな風に心配され、彼女はどう反応するのか──と思ったが、彼女は困ったように顔を顰めるだけだった。

「……正直、変に好かれてるなあ、とは思ってはいます」

「あ、やっぱり?」

「でも、仮にナーダ先輩が私のことそういう感情で好いてるとして、だったらめっちゃ合コンのセッティングしてくる意味って何なんですかね?」

「は? 合コン?」

「はい。私が今まで付き合ってきた人って、全員ナーダ先輩の紹介だったり、合コンだったりなんですよ……だから気がある人の行動ではないかなあ、と」

 なんだそりゃ、と呟く御幸の横で彼女はシニカルに肩を竦めるばかりだ。そういえば以前、お節介な先輩が合コンをしようと誘ってくると言っていたような。あれは真田のことだったらしい。確かに、好きなら付き合うなりなんなりできるだろうに、恋愛感情があるとはあまり思えない行動だ。

 というか、そもそも──だ。

「お前はどうなの」

「……どう、とは?」

「真田に憧れてマネージャーになったんだろ? 付き合ったりしなかったのか?」

「とんでもない。あんなイケメン殿上人、恐れ多すぎます」

 御幸の尤もな問いかけに、彼女はきっぱりと否定する。

 ……これだ、この反応が妙に引っかかるのだ。以前、『憧れの人』を語った彼女はもっと夢を見るような、少女のような顔をしていた。仮にもそんな相手が男を紹介してくるだの、他の男に牽制をするだの、そういう話を振れば少しは動揺するかと思えば、全くそんなことはなく。では、彼女は嘘を吐いているのか──それはないだろう。だが、先ほどの新聞の切り抜きがその証拠だ。わざわざラミネート加工して持ち歩いている写真が二枚も三枚もあるわけがない。

 であれば、真田に対する彼女の感情は何なのか。いまいちマネージャーの胸中が分からない御幸は、首を傾げながら大きな枕に身を預けるようにもたれる。そんな御幸に、心外とばかりにマネージャーは溜息を吐いた。

「第一、選手として尊敬できるのと恋愛感情を抱くのとは別物ですよ」

「そういうもんかあ?」

「じゃあ聞きますけど、御幸さんってコタさんのこと恋愛的に好きですか?」

「コタさんは男だろ」

「古いですねえ、別に恋愛に男も女もありませんよ」

「……そう、か」

「ほら、尊敬と恋愛は違うでしょう?」

「……まあ、違う、な」

「そういうことです。これで満足ですか?」

 完全に論破された御幸は、言葉を詰まらせる。では、あの時見た彼女の表情は御幸の見間違いだったのだろうか。何分寝る前の暗い部屋の中での話だ、無くはない。真田は単純に彼女の滅私奉公精神を案じ、マネージャーは憧れの人と青春を共にしたが、そこに恋愛の『れ』の字もなかった。紐解けば、実にシンプルな関係だ。

「なーんだ。そういう関係なら面白かったのに」

「勘弁してくださいよ……その手の話はさっきしこまたしてきたんですから……」

「ああ、こないだ男と別れてたもんな。あれも真田の紹介ってことか」

「ゲゲッ、なんで知ってるんスか!?」

「ゴミ出し前の朝っぱらから玄関先で別れ話する方が悪いだろ」

「ご尤も……だから早く帰れって言ったのに……」

 ぐぎぎ、と歯を食いしばって苦々しげな横顔に、御幸はけらけらと笑い飛ばす。とんでもない一日だったが、彼女の弱く青い部分を見れて気分が良かった。自分ばかりが弱味を晒しているからだろうか、青春時代を弄られて憤慨する姿は中々胸がスッとする。他にも思うところがないとは言わないが、それでも今だけは──このキャンキャンと吠える声だけで、十分だった。

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