気付けば早いもので、青涼祭の開催日になった。凪沙たちのクラスの『男女平等コスプレ喫茶』の悪名高さは野球部全体に周知されていたため、秋大で公欠の後輩たちから『絶対写真に収めてくだせえ!』と言われた三年生たちはさっそく三年A組にやってきた。 「いらっしゃ──お、野球部!」 入り口で看板片手に呼び込みをしていた黒スーツの女生徒──元マネージャーの梅本が振り返る。頬には大きなオレンジ色のフェイスペイントが入っており、よく見たらレタリングされた『3年A組』という文字だった。そんなペイントが霞むような大きなサングラスをかけ、両腕で抱えるほどの水鉄砲を抱える彼女に、野球部一同は「オオー」と声を上げる。 「何それ、マフィアのコスプレ?」 「そう。今の時間、野球部全員シフト入ってるわよ、見てく?」 そのつもりだ、とばかりに御幸、倉持、小野、渡辺、麻生の五人はコスプレ喫茶に入る。内装は思いのほかシンプルで、レースのテーブルクロスやどこから調達してきたのかシックなソファが並べられており、品のいいカフェのようだった。ただ、店員が全員コスプレしているせいで、その品性は地に蹴落とされているといっていい。着ぐるみから魔女っ娘(男子)、学ランから着物、統一性のないコスプレ店員が注文票やトレーを片手に闊歩している。せめてもの一体感を出す為なのか、みな右頬に梅本同じA組のロゴが入ったオレンジのフェイスペイントをしている。 梅本に席に案内され、調子に乗ってバシャバシャと野球部員の店員を撮影していると、学ランを着た小柄な少年が近付いてきた。 「お客様ご注文は〜?」 「うおっ!?」 「は!?」 「えっ、みゆ──天城さん!?」 少年だと思った学ランから、聞き覚えがありすぎる声が聞こえてきて皆飛び上がった。小柄な少年だと思っていたその人物の顔をよく見れば、御幸の恋人である天城凪沙だった。短い茶髪に、四角いフレームのメガネ、そして真っ黒な学ランを着た彼女は一見するとただの少年にしか見えない。しかも。 「っくりした……」 「ほんと……御幸の弟かと思った」 「いやいや、似ても似つかないでしょ」 そう言って肩をすくめる凪沙。御幸も同意見だが、確かに普段の雰囲気は異なると思った。いつもの明るく華やかな空気と違い、メガネのせいか物静かな面持ちはどこかアンニュイに見える。髪型とメガネ、服装だけでこんなに変わるのかと御幸も驚くが、周りにはどうやらそれが御幸に見えるらしい。 「流石に似てねえだろ、顔全然違うだろ」 「いや似てるって、ちょっとお前ら並んでみろよ」 「えー、そんなことないと思うけどなあ」 そう麻生に言われるがまま、御幸と凪沙が肩を並べて立つ。そんな二人を、おおー、と感心したようにシャッターを切る野球部員たち。 「これは弟だわ」 「うん、完全に御幸ジュニアだね」 「哲さんとこも似てると思ったけど、お前らも負けてねえぞ」 ふうん、と凪沙は御幸を見上げる。こうして見ても似ているとは思わないが、自分よりも低い位置にある学ラン姿の少年を見ると、確かに弟がいたらこんな感じだろうかと思う。凪沙は不思議そうな表情のまま、こう言った。 「お兄ちゃん、注文は?」 『『『ブフッ!!』』』 絶句する御幸以外の全員が顔を背けて噴き出した。確かにコスプレ喫茶だし、そもそも語源で言えば正しいっちゃ正しいのだが、御幸にそういう趣味は──ない、はずだ、断じて。ただ、どうしてか胃の底が無性にぞわぞわする。その理由を、御幸は知りたくもなかった。 「俺、ミックスジュース……ぶふっ、」 「アフォガードを──ン、フフ……ッ」 「クリーム、ソーダッ、と、ぶはッ」 麻生、渡辺、倉持がメニューに目を落とすフリをしながら必死に笑いをこらえている。笑いのツボが浅いなと思いながら、凪沙は注文票にさらさらとペンを走らせる。そして、答えない小野と御幸のキャッチャーコンビを見る。 「そちらさん、ご注文は?」 「お、俺は、えーと、アイスコーヒー」 「……俺も」 「はいはーい」 苦虫をこれでもかと噛み潰したような御幸に敢えて触れず、凪沙は涼しい顔のまま返事をする。慣れない手つきでメガネのブリッジを指で押し上げて、店中に聞こえる声で注文を繰り返す。 「ミックスジュースとアフォガードとクリームソーダとアイスコーヒー二つ入りまーす」 『『『はい喜んでー!』』』 コスプレ店員たちがこぞって返事をした。何故そこだけ居酒屋風なのか。踵を返して教室から出ていく凪沙を見送りながら、御幸は首を傾げる。 「あいつ、どこ行くんだよ」 「あー、キッチンはB組なんだ。食材とかは全部あっちで用意しててさ」 突如横から話しかけられ、全員がぎょっとして振り返った。鮮やかな藍色の浴衣を着た女生徒だと思っていたその人物は、なんと我らがピッチャー・川上だったのだ。金髪の長い髪を結い上げており、化粧が施されているのか肌も唇もつやつやだ。 「ヒャハ! ノリお前、ずいぶん美人にされたなぁ!」 「生まれて初めて化粧されたよ……もー女子怖い……」 「すげー、ちゃんとしてんな。髪どうなってんだこれ」 「天城と同じ、カツラだよ」 あまりに似合わないなら笑い飛ばすところだったが、しっかりと施された化粧やフェイスラインを隠すよう結われた髪型と、川上の童顔が見事に相まってか、不思議とちゃんと可愛く見えるのだからA組のやる気が窺える。へえー、と川上の衣装や髪をいじりだす野球部員。 「そういや、天城のあれって御幸のコスプレ?」 「んなわけねえだろ」 「流石にね。なんだっけ、『メガネ+学ラン』だっけか」 「なんか明らかに個人的な願望入り混じってない?」 「ちなみに俺は『金髪浴衣美人』だった」 「AVのタイトルかよ」 「やっぱ性癖露出大会みたいになってんな……」 この様子だと他の生徒もろくなコスプレをしていないのだろう。無難なくじを引き当てた凪沙の強運に感謝すべきだろうか、なんて思いながら御幸が教室の周りを見回している、と──。 「いらっしゃいませお客様、ご注文は〜?」 「おれ! 凪沙ちゃん!」 「お客様申し訳ございません〜店員のテイクアウトは受け付けておりません〜」 後ろのテーブルから聞き覚えのある声が二つ、突如漫才を始めて御幸は振り返る。想像の通り、そこには見覚えのある生意気な顔と、それをいなす男装の恋人の姿。彼女の甥っ子である天城和哉と、その母親──凪沙にとっての姉──が二人で席に座している。姉の方はこちらに気付くなりひらひらと気だるげに手を振り、息子の方は顔を思いっきり顰めていた。 「げげ! みゆき!」 「……おめー、あんなチビッ子にも嫌われてんのか?」 「『にも』ってどういう意味だよ」 呆れたような倉持に、御幸は思わず渋い顔。叔母に当たる凪沙を実母以上に慕っている少年にしてみれば、彼女の恋人である御幸が憎たらしくて仕方がないのだろう。だが、そんなチビッ子よりも、同席する若き母親の方に野球部員たちは色めき立っていた。 「てかあの美人、誰だよ」 「御幸の知り合いか?」 「天城のねーさんとその子ども」 「マ、マジか……あれで一児の母かよ……」 「甥っ子って確かあれだよな、去年うちの部に来てた」 「そうそう」 「天城さん、お姉さんとあんまり似てないんだね」 学生用の椅子に腰を下ろし、ぼんやりとした表情で教室を見まわしている女性は凪沙の実姉だ。渡辺の言うように、あまり凪沙とは似ていない。いかにも気の強そうな美人は子どもと瓜二つだ、と御幸は思う。彼女は時折スマホを凪沙に向けながら、妹と談笑をしている。 「ふうん、なかなかサマになってるじゃない」 「それほどでも。あ、ウィッグありがとね、お姉ちゃん。買わずに済んだよ」 「昔のだしね、あんなぼっさぼさのでよけりゃいくらでも。……しっかし、統一性のない店員たちねえ。コミケ会場みたいだわ」 「こみけ会場?」 「なんでもない」 そんな風に会話をしながら凪沙は姉と甥っ子から注文を取って、再び教室から出ていく。凪沙ちゃーん、とラブコールを送っている少年の声を背中にぐっと伸びをしている御幸の顔に、ふっと影が落ちた。目を瞬かすと、虚ろな目をしたピンクのウサギの着ぐるみが御幸たちを見下ろしてた。 「うおっ!?」 まさか着ぐるみまでいるとは思わなかった。ただ、俗にいうゆるキャラ的なしっかりとした着ぐるみと異なり、ぺらっぺらの布でできた見るからに安っちい着ぐるみだ。だぼだぼのその姿は男女どちらかも分からない。ただ、こうして野球部集まるテーブルに近寄ってくるということは──。 「……し、白州?」 小野が訊ねるも、ピンクウサギは無言のまま。ズモモモ、なんて重たげなプレッシャーすら感じる。A組には何人もの野球部員がいる。そのうち一軍は二人、そして、マネージャーは三人。外にはマフィアコスの梅本、ホールには学ランコスの凪沙がいて、白州という名前に反応しないということは──。 「夏川、か?」 「あったりー!」 そんなくぐもった明るい声が虚ろなピンクウサギから響いてくる。間違いなく、マネージャーの夏川の声だった。 「着ぐるみなんて初めて着たよ! 結構面白いね、これ!」 「そ、そう……」 何故か楽しそうな声の夏川に、渡辺は引き気味で答えた。野球部のアイドル、と名高い夏川のコスプレが不気味さすら感じる着ぐるみでは、その勿体なさに泣き崩れる生徒も少なからずいただろう、と誰もが思った。 「すげー不気味だな……」 「そんなことないよ、可愛いでしょ!?」 誰もが思ったことをドストレートに呟く御幸に、夏川はオーバーに驚いて見せる。顔が見えない分、身振り手振りで感情を伝えようとしてくれているらしいが、不気味な着ぐるみが賑やかしい動きをすることでますます気味の悪い光景に映る。 「これレンタル? もっとこう、親しみやすいのあったろ……」 「ううん。衣装は基本的にクラスで持ち寄りだよ」 「マジ? この着ぐるみも? ノリの浴衣も?」 「そうだよ。まさか着ぐるみ持ってる人がいるとは思わなかったけどね〜」 「天城さんの学ランも?」 「従兄弟に借りたって言ってたかな」 確かに、凪沙には同年代の従兄弟がいる。着られなくなった学ランを取り寄せるのも、さほど難しくはなかったのだろう。なるべく費用を抑えようと各自衣装を持ち寄ったのは容易に想像できる。 「まあ、 「──どうしても」 「調達……できない……」 「衣装……?」 ──どうしてだろう。着ぐるみを着た夏川のはしゃいだ声に、不思議と第六感が警鐘を鳴らし始める。周りには浴衣やらマフィアやら着ぐるみやらがいる中で、『どうしても調達できない衣装』のハードルの高さは言うまでもない。いや、でも、流石に、と野球部員たちの視線が交差する。途轍もない“引き”としか思えない流れ。まさかな、なんて男たちは無言のまま引き攣った笑顔を浮かべたまま注文を待っている、と。 「──お待たせしました」 男の低い声と共に、シャッと教室の床タイルが鳴く。顔を上げた野球部員たちの前には、両手にトレーを持った男の姿。コーヒーやらクリームソーダやら注文した品々を運ぶ男の足にはローラースケート。膝や肘を保護し、頭にはヘルメット、しかしその服はミニスカートのふりふりのゴシックメイド服。逞しい筋肉がついた太ももを惜しげもなく晒してなお、堂々と白州健二郎は佇んでいた。 「ミックスジュースとアフォガードとクリームソーダとアイスコーヒー二つです」 静かに告げて、テーブルに商品を並べる白州の横顔に照れや恥じらいは一切ない。きりりとした表情に、誰もからかいの言葉をかけることはできない。明らかに女性物のアメリカンダイナー風の衣装ではあるが、寧ろこの堂々たる佇まいはどこか男気すら感じる。 「白州……なんか……悪いな……」 「御幸のせいじゃないが……天城の趣味は……だいぶ、変わってるな……」 どこか噛み締めるような白州のセリフに、御幸は乾いた笑いを浮かべる他なく。彼女曰く、『自分もギリギリいけるレベルのライン』にものの見事に引っかかった白州を誰もからかうことなく、寧ろ畏敬の念を籠めて売り上げに貢献すべく今一度メニューに手を伸ばしたのだった。 なお、茶化しに先輩たちは死ぬほど笑い転げた。 |