十月──つい一年前であれば、秋大真っ只中。新チームもどこかぎこちなく、とにかく部活に忙殺されていた時期だった。だが、夏が終わって部を引退してしまえば、その言い訳は通用しない。高校最後なのだからと気合を入れるクラスメイト達には、公欠で何度となく席を空けた為に十分に迷惑をかけてきた。その償いというわけではないが、最後ぐらいは祭りに興じるのも悪くないと、或いは最後の青春イベントに全力を注がねばと、元野球部員たちもまたクラス一丸となって来るべき日に向けて邁進するのであった。そう、一週間後の十月第二週の土日は『青涼祭』──文化祭の開催日であった。 喫茶店、演劇、展示物、お化け屋敷に迷路に縁日、各クラスごとに様々な催しが開催される、ごくごく普通の文化祭である。とはいえ高校生にしてみれば学年通しての巨大イベントのうちの一つ。吹奏楽、演劇部、軽音楽部、ダンス部、一部の部活動にとっても日ごろの練習の成果を発揮できる数少ない日だ。クラスにいるだけでその熱気に包まれたような気分になる。普段は公欠やら練習やらでほとんど関わってこれなかった野球部員たちは、三年生になって初めて『文化祭』というものに触れる。御幸一也も天城凪沙も、そのうちの一人だった。 「御幸くんのクラス、ロシアンたこ焼きだっけ?」 「そ。私物のたこ焼き機かき集めて、調理室でやるんだと」 「いいなあ、楽しそう! 御幸くんはやっぱ客引きや店番?」 「いや、ひたすらたこ焼き丸める係だけど」 「もったいなっっっ!! なんでっ!?」 「一度店番したら丸二日離れられなくなりそうだったから」 「ご尤も! うわー、マジかー! 正直御幸くんの顔と知名度だけでB組圧勝だと思ってたけど、これは大チャンス到来? うちの喫茶店にも勝機あり!?」 「俺そんな客引きパンダじゃねえから」 いつものように二人で帰路につきながら、そんな話で盛り上がる。青涼祭はクラス・部活別で催し物に学生・客含めた投票による順位付けがなされる。人気一位になると賞状が贈られるだけの実にささやかな賞与ではあるが、人間、順位付けされるとなると闘争本能に火が付くものである。一位を目指してクラス一丸で奮闘するのもまた、御幸たちにとっては最後のイベントである。 「天城んとこはコスプレ喫茶だっけ?」 「そうそう」 「……一応聞くけど、どんな?」 「それは当日のお楽しみ」 にこにこと楽しげに笑みを浮かべる凪沙に、御幸は苦い表情を返す。文化祭でのコスプレなどネタはたかが知れている。曲がりなりにも恋人が、やれメイドだの猫耳だのという姿を衆目に晒されると思うと、あまり気分はよくない。そんな御幸の心情を知ってか知らずか、凪沙は含みのある笑み一つ。 「うちのクラス全員、何かしらのコスプレをすることになったんだけどね」 「?」 「誰が何のコスプレするから完全ランダムのくじ引きで決めたわけですよ」 「……で?」 「まあまあ聞いてよ。くじは一人一枚、自分の名前と『やってみたい・見てみたいコスプレ』を書いて箱に入れて、一人ずつ引く、って戦法だったわけです」 なるほど、凪沙の余裕綽々といった表情に納得がいった。多感な男子女子高校生、お祭りごとを前にしては色々チャレンジしたコスプレもしたくなる。だが、自分の名前を書いたくじを用いることでその好奇心にセーブをかけることができる。下手なことを書けば性癖がクラスメイトの誰かに筒抜けになる上に、男女誰に当たるか分からない。つまり生徒たちは無難なコスプレを選ばざるを得なくなる、ということで。 「あったまいーな、担任の方針?」 「そう。羽目を外しすぎないように〜ってさ」 「なるほどな。んで、そういうお前は何書いたの」 「『ミニスカウェイトレス〜ローラースケート付き〜』」 「いやキッツ」 にこやかな顔から予想斜め上の回答が飛び出してきて、御幸はドン引きした。笑いどころかもしれないが、笑えない。全く笑えない斬れ味の刃だった。 「どういう趣味してたらそんな発想になんだよ」 「自分のくじ引いてもギリギリいけるレベルのラインを攻めてみた!」 「攻めすぎだろ。コーナー曲がる前に振り落とされるわ」 ここにきて一年以上付き合った彼女の趣味が分からなくなる。苦言を呈す御幸だが、凪沙は不思議そうに首を傾げるだけだった。 「そういえば男子のコスプレの方がまともって言うか、フツーだったなあ。『弓道着』とか、『チア部の衣装』とか、『吸血鬼』とか、当たり障りないのばっかだった気がする」 当たり前だ。馬鹿正直に書いて性癖を晒すわけにはいかないのだから。その点女子からすると、コスプレ=『性癖』には直結し辛いためか、凪沙のように容赦ない攻め方ができるのかもしれない。 「逆にミニスカウェイトレスはギリギリいけんのかよ……」 「え? 変? 楽しそうじゃない? アメリカン・ダイナーみたいで!」 確かに彼女ほどの運動神経があればお盆を両手に乗せてなお、華麗に教室中を滑走も可能だろう。目を輝かせる凪沙は、御幸のようにこうしたお祭り事も不得手ではないのだろう。コスプレに対して極めて前向きな恋人になんと言葉をかけたものかと考えていると、ご安心を、と凪沙は肩を竦めた。 「運がいいんだか悪いんだか、私の引いたくじはギリギリコスプレになるかならないかってぐらい、ごくごくフッツーなものでしたので!」 「……露出は?」 「顔面以外ほぼゼロ!」 「……なら、いいけど」 コスプレに乗り気なところはやや不満が残るも、結果として無難な内容を引き当てたのなら、それ以上は何も言えない。彼女のクラスには白州や川上といった野球部レギュラーもいる。あとは彼らが女生徒たちのくじを引かぬことを祈るばかりだ。 「シフト、もう出た?」 「まだ。明日には決まると思うけど」 「私、初日の午前だけなんだけど、一緒に回る時間作れないかな?」 「じゃ、俺も同じ時間にシフトは入れるよう調整するわ」 「……い、いいの?」 「だめって言うと思った?」 質問に質問を返せば、凪沙は実に満足げににまーっと笑みを浮かべ、繋いだ手に、きゅっと力を籠められる。実に満足げな恋人を可愛いなと思いながら、慈しむようにその横顔を眺める。 「お前こそ、友達とはいいのかよ」 「どうせ集客のためにコスプレしたままうろうろするし、そのついでに回る予定!」 「せっこ」 「時間の使い方が上手いと言ってほしいな!」 確かにコスプレしながら看板の一つでも背負って歩くだけでも、集客効果は見込める。そう思うと、家庭科室に閉じこもってひたすらたこ焼きを焼くよりも、屋台で店番する方が楽しいかもしれない、なんてらしくないことを考えた。御幸を横にからから笑う凪沙が、そういえばと呟いた。 「御幸くん、招待券どうした?」 「あー……」 校舎のキャパシティ限界のため──という建前で、防犯やら何やらを理由に青涼祭は地域の中学生以外は完全招待制となっている。生徒一人につき数枚配られる招待券と身分証がなければ門を潜ることはできない。大体の生徒は家族や他の学校の友人に配り、配る相手のいない者──特に部活留学により地元から遠く離れて寮に住む野球部員のような生徒は、潔く友人に招待券を譲るなどしていた。 「何、足りない?」 「うん、実は二枚ほど工面してもらえたらありがたいんだけど……」 「別にいいけど、二枚で足りんの?」 「平気。お姉ちゃんと甥っ子の分だから」 「……流石、凪沙ちゃん大好きっ子だな」 彼女自身も溺愛し、そして彼女以上にラブコールを送っている凪沙の甥っ子の生意気な笑顔を思い描く。あの少年とまみえて、もう一年近く経過するのだと思うと時の流れの早さを痛感する。 「いーよ、二枚ぐらい。明日渡すんでいい?」 「ありがと、助かる〜!!」 「二枚と言わずにもっと余ってっけど、いる?」 「いやいや、それは御幸くんが使いなよ」 「使い道ねーから言ってんの」 「中学の友達とか、シニアの友達とかは?」 「卒業して以来ろくに連絡取ってねえしなあ」 「部活忙しいとそうなっちゃうかぁ。あ、成宮さんとかは?」 「別にあいつとは友達ってわけじゃねえし……」 決して友人がいないわけではない、というのが御幸の主張だ。しかし、青道に進み、寮に入った御幸は外部との交流はほぼ遮断された──否、遮断したに等しかった。加えて去年も一昨年も公欠で文化祭に出ていないのだから、高校最後だからと文化祭に呼ぶような顔ぶれを、御幸は即座に思い描けなかった。 「──お父さん、は?」 はた、と足が止まる。凪沙のきょとんとした目が、御幸の間抜け面を鮮やかに映し出している。まるで考えていなかった人選に、思わず思考が停止した。そんな御幸に、凪沙は慌てたように言葉を付け足す。 「あれ、えっと──お父さん、仲、悪くなかった、よね?」 「……まあ、そりゃ、悪くは、ねーけど」 家族仲は悪くはない。寧ろ同じ年齢の男子高校生と比較すれば、仲はいい方である、と断言する自信があった。そりゃあ、一緒にキャッチボールしたり、あちこちに遊びに連れて行ったり、といった『ドラマや漫画の中にある良き父親像』とは異なるだろうが、何不自由なく、いつだって御幸のやりたいようにやらせてきた父親を、御幸は純粋に感謝しているし、尊敬している。 だが、そんな父親を文化祭に招きたいかと言われたらそうでもなく。仮に父親が沢村栄純のような、騒がしく、いかにも祭り好き、といったタイプだったらそんな考えも浮かんだかもしれない。実際の父親は比較的寡黙で物静か、高校生たちが集まる文化祭に喜んで身を投じるような人ではなかった。だから、そもそもそんな選択肢は浮かんでこなかったので、困惑してしまう。 そんな御幸を前に、凪沙はどこか慎重な面持ちだ。 「会うの、気まずかったり?」 「気まずいっつーか……親父一人呼んでもな……お前んちみたいに甥っ子連れてくる、とかでもねえのに、文化祭に来て何見るんだって話で……」 御幸は努めて真っ当なことを言っているつもりだった。男親が一人、高校生溢れる文化祭に足を踏み入れる。地元から離れたこの地で知り合いがいるとも思えないし、天城家のように文化祭を楽しまんとする子どもの保護者として参加することもできない。子どもだましというつもりはないが、所詮は学生の祭典だ。大の大人が楽しめるかどうかは分からない──というのが御幸の考えだった。 凪沙は少しだけ考えるそぶりを見せてから、それから御幸の手を引いてガードレールにもたれかかるように腰かけた。 「……うちも呼んだんだけどさ、両親二人とも仕事なんだって」 「来て欲しかった?」 「うん。その代わり、お姉ちゃんが来てくれるからいいんだけどね!」 そう言って、どこか寂しげな瞳を揺らして強がる凪沙。家族を呼びたいという彼女の気持ちは、御幸はあまり理解できなかった。そりゃあ、両親共に呼べればある程度話の間も持つだろう。ただ、大人一人で文化祭を楽しめというには、些か酷だと御幸は思う。理解できない。だが、母親のいない御幸と、両親健在の凪沙の価値観が違うのは当然だ。だから何を告げることもない。 そりゃあ、招待券一枚送るだけなのだから、別段手間暇はかからないだろう。ただ、送ったからには『来て欲しい』と思われかねない、という危機感にも似た焦りが過った。会いたくないわけではないのだが、来て欲しい訳でもない。そもそも平日は夜遅くまで仕事に打ち込んでいる父親だ、たまの休みの日ぐらいはゆっくりして欲しい。なのにわざわざ招待券を送ってしまうと、暗に来て欲しいと言っているように捉えかねないし──。 「それに、天城は誘いたい友達、山ほどいるんだろ?」 「山ほどってわけじゃないけど……」 「だったら俺の分の招待券使えって。そもそも親父、仕事かもしれねえし」 「あれ、御幸くんちって不定期休みだっけ?」 「部品壊れたとかで至急納品があったりするしな」 「あー、そっかー」 不定期とまではいかないが、得意先にどうしてもと、休みの日にもかかわらずトラックに乗り込む父親の背中を何度となく見送ってきた。それを寂しく思うには、御幸は大人になりすぎていた。生きていく上で仕事は仕方のないことだ、自分たちの為なのだと、幼い御幸はよくよく理解していた。そんな御幸に、父親はいつからか『応援に行く』とは言わなくなって──。 「(──うわ、あったなそんなこと)」 思わず目を見張った。遠い昔に片づけた箱から、自分でも忘れ去っていたはずの古い記憶が飛び出してきて驚いた。そうだ、いつからか父は試合の応援に行く、とは言わなくなった。『すまん、明日仕事が』なんて謝罪を、いつから聞かなくなったのだろう。それでも忙しい合間を縫って、たびたび試合の応援に来てくれていたから、御幸に文句はなかった。父親が見に来る時、試合が終わった後にそれを知ることになっても、御幸にとってはかけがえのない思い出の一つだったから。 そんな遥か彼方の思い出に予想外に浸ってしまったせいだろうか。口を閉ざした御幸に、凪沙は不安げに顔を覗き込んできた。 「御幸くん、大丈夫?」 「なーんでも」 そう言って、御幸はガードレールを椅子代わりにする凪沙の手を引く。腕を引かれるがままにすっと立ち上がる凪沙と共に、御幸は夜道を行く。思いがけずに蘇った記憶に驚いたが、悪い気はしなかった。確かに、思うところが一切なかったとは言わない。『寂しい』『理不尽』『どうして』そんな負の感情を一切抱かなかったわけではないし、それを父親に吐露したこともあっただろう。それでも、あんな日々もあったなと思い返せる程度には、大人に近づいたのかもしれない。そう思うと、不思議と足取りが軽くなったのだった。 「……」 故に、そんな御幸を半歩後ろから見上げる凪沙がどんな目をしてたか、知ることはなかった。 |