御幸一也と借り人競争ReB

※バージョンB















「悪い、天城」

「ン?」

 ある日、いつものように御幸と昼食を摂るべく、寮へ向かう。引退した御幸は部屋を移動しており、今は麻生と二人部屋を満喫しているらしい。十二月には退寮するため、実家が東京の御幸は退寮も視野に入れたらしいが、やはり通学時間がネックだったらしい。そのため、麻生には断りを入れ──失恋したばかりの麻生に頼むのは忍びなかったが──、こうして昼休みに二人きりで過ごせるのだから、ありがたい。

「どうかした? また、呼び出し?」

 甲子園出場から遠のいていた青道を、二度も夢の舞台に導いた立役者。おまけに青道では幾年かぶりのドラフト一位指名を受けた御幸一也の人気は留まるところを知らず、昼休みに呼び出されることが増えてきた。無論、そのほとんどを御幸は応じることなく、時には無視すらしているのだが、稀に人目を気にせず喚く厄介なタイプもいるわけで。凪沙への二次被害が出るのを防ぐため、嫌々呼び出しに応じることもあったのだが。

 けれど予想に反し、御幸は「違う違う」と首を軽く振る。

「今度の体育祭のこと」

「体育祭?」

 意外なワードに、凪沙はぱちくりと目を瞬かせる。二週間後、青道高校で体育祭が行われる。高校最後の、ビッグイベントだ。だが、何故御幸が謝るのか。きょとんとする凪沙に、御幸は実に申し訳なさそうに視線を泳がせる。

「や、あの──去年、約束、したろ……?」

「約束って……借り人競争のこと?」

 そう訊ねれば、御幸は気まずそうに頷いた。『借り人競争』──青道高校体育祭におけるメインイベント。文字通り、借り物競争の人間バージョン。『好きな人』だの『可愛いと思う異性』だの、そんなお題ばかりで、いい意味でも悪い意味でも盛り上がる種目である。

 そんな中、去年御幸は凪沙に約束したのだ。来年は自分が、凪沙を借りに行くから、と。その約束は確かに覚えているが、謝罪の理由は分からない。

「あのさ、その、約束なんだけど……悪い、ちょっと、無理そうで……」

「それは別にいいんだけど……どうかしたの?」

「や……うちのクラス、借り人競争の人気すごくてさ……」

「え、抽選漏れたってこと?」

 御幸は実に申し訳なさそうに、コクンと頷いた。確かに、約束してくれた。その約束を嬉しく思ったのも本当だ。だが、そればっかりは仕方がないことだろうに。律儀な人だと、今日も一つ募る愛情にほっこりとしながら、凪沙は微笑む。

「いいよお、そんなの仕方ないって」

「でも、約束破ることになっちまったから」

「御幸くんは守ろうとしてくれた。それだけで十分だよ」

 まだ未来の先を、恐れることすらしなかった頃の約束。実にささやかで、下らない、取るに足らないその約束でさえ、御幸は覚えていてくれた。大事にしてくれていた。約束が守れないと、謝ってくれた。それだけで、その約束は万金に値するのだ。それで十分。過ぎるほどの、愛情だ。

 それでも御幸は申し訳なさそうに唇を噛むので、まあまあ、と凪沙は宥める。

「というか、B組すごいね。うちなんか去年と同じで、だーれも手を上げなかったから、ジャンケンで負けた人が出ることになったよ」

「あー……なんか、最後の思い出作りにって、殺到してさ……」

「B組わりと陽キャ多いよね。……御幸くんと倉持くんが浮いてそう」

「コラコラ、どういう意味だ」

 そんな凪沙のからかいに、御幸はようやく緩やかに笑みを零してくれた。頭をわしゃわしゃと撫で回してくる御幸に、人知れずホッと胸を撫で下ろす。嬉しかった。御幸が約束を覚えていてくれて。愛しかった。守れない約束に、落ち込む御幸が見れて。だから、凪沙はこれでいいのだと、笑みに込めて御幸の腕を払い除ける。

「もー! 髪ぐしゃぐしゃになる!」

「いーじゃん。犬みたいで」

「ヤだよ! 嬉しくないよ! 鏡貸して!!」

「へいへい」

 この話は、これでおしまい。弁当を片付けて、凪沙は御幸から手鏡を借りる。そうして御幸と取るに足らない話をしながら、ぼさぼさになった髪を手櫛で整える。その時、鏡に映る自分の目を見て、凪沙はあることを思い付いた。

「(──あ、そうだ)」

 その時自分の顔は、まるで悪戯好きの子どものようだった。変なところ似てきちゃったな、なんて少女は密かにほくそ笑んだ。



***



 さて、そんなこんなで体育祭当日。御幸は倉持共々リレー選手として抜擢され、あっちこっちへと駆けずり回っていた。一方で凪沙もまた、あらゆる種目に引っ張りだこのようで、常にどこかの競技に名前を連ねていた。あいつは禁止カードだろと呟く倉持に、御幸は全くだと深々と頷く。つい先ほどまでスウェーデンリレーのアンカーとしてその脚力をいかんなく発揮していた恋人は、再び出場者待機列に並んでいる。きっと彼女は座席で応援する時間よりも、出場する時間の方が長いに違いない。

 すると、倉持が凪沙の後ろ姿を見送りながら、間の抜けた声を上げた。

「ああ? あいつ、なんであんなとこいンだ?」

「なんでって、次の種目に出るんじゃねえの」

「次ってお前──借り人競争だろ」

「は?」

 その次の瞬間、流れる包装委員のアナウンス。借り人競争出場者は、ゲートに並んでください──と。つまり、あのゲートに並んでいる凪沙は、その出場者ということに他ならず。

「ヒャハハッ! なんだあいつ、また押し付けられたのかよ」

「いやでも、そんな話、一言も──……」

 確か、一昨年の体育祭はクラスで欠場者が出てしまい、ジャンケンで負けた凪沙が借り人競争に参戦していた。彼女は恐るべきことに片岡鉄心を『借り』、青道野球部ではちょっとしたヒーローとなっていた。また巻き込まれたのかと憐れみながら二人でゲートをくぐって席に戻る。その間、借り物競争はスタートし、あっちこっちでワーキャーという興奮気味の悲鳴が聞こえてくる。それを遠巻きで眺めながら、倉持と二人で下らぬ雑談に興じるつもりだった。

 けれど。


「御幸くーん、まだ残ってるー?」


 少なくとも、恋人が自分の元にやってくるまでは。

 御幸と凪沙が付き合っていることは、少なくとも同学年には周知の事実だった。何だかんだずば抜けた運動神経に加え、あの御幸一也と対等に付き合えているという意味でも、凪沙は有名だったからだ。なので、ただ、付き合っていると分かっていても、こうして借り人競争として恋人を『借り』に来るなんて見せつけるような光景に、少年少女たちが湧きたたないはずもなく。ヒューヒューとからかうような口笛が四方八方から飛んでくるものだから、顔に熱が集まるのは自然なこと。凪沙も照れたように赤面しているが、どこか吹っ切れたように快活に歯を見せて笑っていて。

「誰にも借りられてないなら、私に借りられてほしいなー?」

 少しばかりヤケクソ気味に、気取った口ぶりで誘う凪沙にA組の男たちはよく言ったとばかりに拍手喝采で、口笛を吹いたり、歓声を上げたりしている。凪沙は御幸に向き合いながら、指に挟んだお題の書かれた紙をピラリと見せる。

 そこに書かれているお題は、『かっこいいと思う異性』。

「今なら監督と並び立てるけど、どう?」

 ──ああ、全く。そんな誘いがなくたって、答えなど決まっているだろうに。差し出された手を取って、御幸は凪沙と共にゴールテープに向かって走り出す。そんなバカップル極まりない姿に、ヤジやら拍手やら口笛やら悲鳴が飛び交う。そんなものを一身に浴びながら、二人は真っ赤な顔をそのままに、やけっぱちに笑い飛ばす。

「お前ほんと何してんだよ!」

「せっかくだしジャンケン負けた友達に代わってもらったの!」

「なんでまたそんなこと──」

「こうしたら、約束守ったことになるかなって!」

 逆だけどね、と照れくさそうに笑う恋人に、ぎゅ、と繋がれた手に力が籠る。

 ああ、全く、彼女には何年経っても、勝てる気がしない。

(体育祭リベンジされちゃったお話/3年秋)

*PREV | TOP | NEXT#