御幸一也とバッタリ会う

 その日、成宮鳴は高校から少し離れた場所にあるバッティングセンターに赴いた。普段はコインを投入せずとも学校で飽きるほど打ち込めるのだが、今日明日に限ってはそうはいかない。何故なら二月は受験シーズン、あと数か月もすれば後輩になる中学生たちが今必死で試験を受けているのだ。そうなると例え野球部だろうが部活は禁止、別グラへ赴こうにも牽引する監督や先生方は軒並み受験対応に奔走中。というわけで二月唯一のオフ日に割り当てられたその日にゴロゴロ寝入るだけでは勿体ない。最新機種のバッティングマシンが導入されたというそこへ、一人やってきたのだが。そうは言っても所詮はマシン。確かに臨場感溢れる巨大スクリーンに、多種多様な変化球を投げるマシンは魅力的だが、結局は生きた球ではないのだ。まあこんなものかと適当に打ち込んでいると。

 隣の打席に入ってくる、随分と低い位置にあるヘルメットに気を削がれた。

「(──子ども?)」

 成宮も決して大柄な方ではないはずだが、それに輪をかけて小さい。手足も細く、小学生かと思い服装を見て驚いた。もこもこのニットにショートパンツ、それから厚手のタイツを履いたその人物は、紛れもなく女の子だった。ちらりと周りを見回すと一人のようで、バットを構えたままじっとスクリーンを見ている。ヘルメットとネットのせいで顔はよく見えないが、不思議とその横顔に既視感を抱き、一足先にゲームを終えた成宮は休憩がてらそのバッティングを見ていたのだ、が。

「(──は?)」

 かきん、打つ。がきん、打つ。があん、打つ。MAX百六十キロは出るというそのマシンを、少女は涼しい顔で打ち込んでいる。流石に百四十キロ台になると球威に押し負けているが、それでもしっかりとミートしていくそのバット捌きに圧倒された。あんな華奢な体のどこにそんな力があるのか。いや、それ以上に『目』だ。目がいいのだろう。ほとんどの変化球に対しても芯で捉えている。そうして二十球ほど打ち込んだその背中を呆然と見る成宮を他所に、打席から出てきてヘルメットを外した。

「あ──っ!! 青道のマネさん!!」

「え?」

 騒がしいバッティングセンターだからこそ、成宮のどでかい声もさほど注目を集めずに済んだ。だが、着実にその人の耳には届いたようで、バットを戻しながら首を傾げたその人はとんでもないバッターと思いきや、ライバル校のマネージャーではないか。練習試合の際、何度も顔を見たから覚えている。流石に名前までは知らないが、いかにも気弱そうな見た目でゴリラ・ゴリ男と名高い元キャプテンに物怖じせず話しかけて牽引していたその小さな横顔が、妙に記憶に残っていた。

 そんな彼女も、流石に他校とはいえ成宮の顔と名前は知っていたらしく、目を丸くした。

「成宮、選手?」

 首を傾げるその姿は、どこにでもいそうな女子高校生。ただ、クラスでバカ騒ぎしている連中とは少し異なるその雰囲気。どちらかといえば、窓辺で読書が似合いそうなその少女は、たった今百四十キロの剛速球をマシン判定とはいえシングルヒットしていたのだから、成宮は我が目が信じられなくて。

「こんなところであの成宮選手にお会いできるなんて、すごい偶然ですね」

 しかし、そんな姿が嘘のようににこりと微笑んで話す彼女に、成宮の高い鼻はただでさえのびのびと高くなる。『あの成宮選手』──ライバル校のマネージャーにもそう思われているのかと、成宮の機嫌はエベレストの頂点だ。

「初めまして──ではないんですけど──天城凪沙です。お話するのは初めてだと思うんですが、よく私がマネージャーって分かりましたね!」

「まーね! 俺、人の顔覚えるの得意だし!」

 少女──天城凪沙は小さくお辞儀をしてそう名乗る。あまり野球部のマネージャーをやっているようには見えなかったのもあり、印象強く残っていたのが幸いしたようだ。

「ねえ! なんでマネージャーやってんの? あんだけ打てればソフト部やれたでしょ!」

「うち、ソフト部ないんですよ」

「ハアー!? 勿体な!! うちの部員並みにセンスあるでしょ!!」

「成宮選手のそこまで言っていただけるなんて、光栄です」

 にこにこと人のよさそうな笑みでドンドコ太鼓を叩く凪沙。実力はあるがつけあがらせるとめんどくさい、というのが野球部員からの成宮評のため、ここまで素直に褒めるタイプは成宮にとっては珍しく思えた。そりゃあ、野球の『や』の字も理解していないようなクラスメイトからはちやほやされることはあるが、曲がりなりにもライバル校のマネージャーを務め、冴え渡るセンスを見せつけられた後にここまで言われたのだから、成宮は有頂天になる一方だ。

「バッセン来てるってことは、野球やりたかったんじゃないの?」

「いえいえ。今日は気晴らし兼試運転に来ただけなので」

「試運転?」

「最新のマシンがどんなものなのか、ちょっと試してみようと思いまして。青道は明日もお休みなんで、よさげだったらみんなに共有しようかと思った次第です!」

 マネージャーの鑑のような発言だ。自分で試し打ちできるマネージャーがこの世に何人いるのかという話だが。稲実にはマネージャーがいないため──見てくれこそは普通だが──献身的にサポートしてくれる女子マネージャーの存在が純粋に羨ましく映る。

「あ、もしかして、稲実も今日受験日ですか?」

「そ! やっぱ青道も今日明日は休みなんだ」

「私立は受験日を敢えて重ねるって聞きますもんねえ」

「ヤんなっちゃうよ、ほんと。練習も偵察もできないなんてさ!」

「意外です。成宮さん、偵察行ったりするんですか?」

「バッセンやロード行くよりは面白いでしょ!」

「確かに!」

 初対面とは思えないほど、会話がぽんぽんと弾んでいく。凪沙も成宮も他人に対して物怖じするタイプではなく、加えて何かとヨイショしてくれる凪沙と担がれて素直に喜ぶ成宮の相性は抜群だった。こんな素直なマネージャーがいればやる気も出るというものを、何故マネージャーを取らないのか成宮は心底強面の監督を恨みたくなった。

「いーなー! 青道は女子マネたくさんいて!」

「そういえば稲実にはマネージャーいないんですよね。大変じゃないですか?」

「どーだろ。俺、雑用当番になったことないし」

「じゃあ、補食とかドリンクとか、どなたが対応されるんですか?」

「んー、一年とかOBとかじゃない?」

「なるほど……OBはまだしも、一年生はたまらないでしょうね……」

「でも仕方ねーじゃん。実力なきゃベンチには入れないんだし」

「その実力を高めるための練習時間がとられるのは、勿体ないですよ。やはり練習の片手間にできるようなものではないですからね、マネージャー業は」

「あんなにいっぱいいても、大変なの?」

「大変ですよ。掃除に洗濯、補食やドリンク準備からスコア付けまで、朝から夜までずーっとお仕事しっぱなしです」

「バッティングマシンの試運転も?」

「それは趣味の範囲ですね!」

 マネージャーにはマネージャーの苦労があるらしい。一年の時からベンチ入りしてきた成宮にはとんと分からぬ話である。それでも、どこか誇らしげに自らの仕事を語る彼女は、見ていて不思議と心地がいい。

「ねえ!」

「はい?」

「終わったら飯行こうよ! 俺この辺よく知らないんだよね、案内して!」

 特に何の気なしに言った一言だった。どうせしばらく打ち込んだ後は一人で食事をして帰るつもりだった。別に、彼女をどうこう思ったわけではない──そもそも成宮の好みではない──が、一人より二人の方が楽しいに決まっている、というだけで。だが、そこで初めて凪沙は少し困ったように言葉を詰まらせた。

「えーと、うーん、そうですね……」

「なに、用事でもあんの?」

「そういうわけではないのですが、えーと……少々のっぴきならない事情が……」

「何だよそれ! いいじゃん飯ぐらい、暇なんだろ!」

「そうなんですが、えー……と……」

「なんだよ! 俺と飯行くのそんなに嫌なの!?」

「そ、そういうわけじゃないんですが……!!」

 急に歯切れが悪くなる凪沙に、成宮の不信感は募る一方だ。先ほどまで軽やかに会話が続いていたのが嘘のようだ。どうにか体よく断れないものか、そんな雰囲気を醸し出す凪沙に、却って成宮の闘争心に火が付いた。この都のプリンスの誘いを蹴ろうとは、いい度胸だ、と。

「じゃあさ、勝負しよう、勝負!」

「勝負?」

「そう、あのマシン対戦モードあるんだよ。ハイスコア出した方が勝ちってことで!」

「いやいや、成宮選手と勝負になるはずないですよ!」

「大丈夫だって、あんだけ打ててんだから!」

「無理言わないでください! というか、私が勝って何のメリットがあるんですか!」

「──お前が勝ったら、あっちでピッチング練習見せてやるけど」

「!!」

 ぎゃあぎゃあ言っていた凪沙が一瞬にしてぴたりと動きを止めた。表情からは抵抗の意が吹き飛び、天秤がぐらぐらと揺れるのが見える。当然、成宮だって本気のピッチングを見せる気はない。『ピッチング練習を見せてやる』と言っただけだ。他校のマネージャーに、しかもあれだけの『目』を持つ相手だ、下手な情報は出せない──という冷静さは流石に捨ててはいなかった。だが、顔に似合わず生意気だと成宮は思った。その勝負を受けるかどうか悩んでいるということは、勝利の見込みがあると彼女が判断したからだ。曲がりなりにも現役選手に、マネージャーが勝てると。確かにセンスは認めるが、流石に女子マネージャーに負けるつもりは毛頭ない成宮は、尻に火が付いたまま止まらない。

 だが、それでも素直にウンと言わずにうんうん唸る凪沙。奇跡の一つでも起きたら──しかしもし負けたら──ぐらぐらする天秤を前に、ついに凪沙はスマホを引っ張り出す。

「み、御幸くんに聞いてみます!」

「はあ?」

 目をぐるぐるさせながらそんなことを言い、彼女は耳にスマホを当てる。何故、そこで野球部キャプテンの名前が出てくるのか。だが、喋り出すより先に、彼女の背後に立つ男がその手からするりとスマホを抜き取って──。

「聞かなくていーよ」

「え!?」

「あーっ!?」

 凪沙は振り向き、成宮は唖然とその人物を見た。まさに今話題に上がっていた、その男は呆れたように凪沙を見下ろす。ジャージにパーカー、ラフな格好をした御幸一也その人が、凪沙のスマホを握りしめて苦い顔をしている。

「御幸くん!? なんで!?」

「お前と一緒、マシンの試し打ち。真面目にやってっから後で声かけようと思ってたのに、お前、のこのこ鳴にナンパされてっから」

「ナッ──だ、だから今、御幸くんに確認しようと思って!!」

「そもそもナンパじゃねーし! 勝負だし!」

「何が勝負だ馬鹿。相手、女子だぞ」

「百四十キロ打てるんならもう女子じゃねえよ!」

「女子です! 私ちゃんと女子です成宮選手!!」

 キャンキャン吠える凪沙だが、そればっかりは成宮も異を唱えたいところである。言い方は悪いが、あれだけ動ける凪沙を異性としてカウントはしていなかったので、ナンパだなどと言われるのは心外だった。そんな二人を見下ろしつつ、御幸は呆れながらスマホを返す。

「あのなー、男の誘いにホイホイ乗っかるな、危ねえだろ」

「いやいやだってあの成宮選手のピッチングだよ? なんか癖でも見つけたら儲けだと思って!」

「ねえなんか勝てると思われてんの腹立つんですけど!!」

「いや流石に真っ向勝負で勝てる気はしないですけど、女子相手だからって見くびってもらえたらワンチャンスあるかなあ、と……」

「見くびるわけねーだろ!」

 悔しいが天城凪沙のセンスは『ちょっと運動神経の良い女子』の範疇を軽く超えている。最初から手を抜くつもりなどさらさらなかった成宮は、ふんと鼻を鳴らす。凪沙は居心地悪そうにへらへらと笑みを浮かべてスマホを仕舞う。ふと、凪沙が御幸に対して敬語を使っていないことを思い出す。

「つーか何、お前タメなの?」

「え、あ、はい。私、二年です」

「なんだよ年下かと思ったじゃん! なんで敬語なんだよ!」

「他校の選手ですし、馴れ馴れしくするのはどうかと……」

「いーよ別に! 俺は気にしない! はい、気軽に『めーちゃん』って呼ぶ!」

「だそうです、御幸くん」

「野郎に呼ばれても嬉しくねーだろ、めーちゃん」

「オマエじゃねーよ、一也ァ!!」

 ギャンギャン騒ぐ成宮に、凪沙はのほほんと笑って受け流すばかり。見事な連係プレーと言えば聞こえはいいが、いなされる方は遊ばれているようで気分はよくない。肩を竦める凪沙はまだしも、にたにた笑う御幸一也の顔は心底鬱陶しい。その余裕を崩したいがために、少年は二人に噛みつく。

「大体、休み中に二人でこんなとこ来るとか!! なんなのお前ら!! 付き合ってんの!?」

「そうだけど」

「違いますよ」

「は?」

「えっ?」

「は!?」

 誰が何を言ったのか一瞬理解できずに成宮の脳がスパークした。からかい半分で──あの御幸一也が恋愛に現抜かしてるわけがないという確信の元──そんなことを口に出したが、信じがたいことに御幸は成宮の言葉を肯定した。その一方で、凪沙は静かに成宮の言葉を否定して、御幸と凪沙は互いに顔を見合わせている。

「え、言って大丈夫?」

「逆に隠す必要あるか?」

「それもそっか──すみません嘘でした、実は付き合ってます」

「はああああっ!?」

 突如手の平を返す凪沙に、成宮の脳はいよいよ追い付かなくなる。付き合っている。あの御幸一也が、このマネージャーと。まさか現役中に恋愛するタイプとは思わなかったし、付き合ってるのに嘘を吐こうとした凪沙も意味が分からないし、そもそもバッティングセンターでデートすんな、色々言いたいことが多すぎて喉元でつっかえてしまう。

「何お前ら、付き合っ──デート!?」

「違えよ、偶然だって」

「そうそう。此処で会ったのはたまたまですよ」

「まさか、お互い同じこと考えてるとはなあ」

「だったら一緒に来ればよかったね、主将が来るなら経費で落ちたかも!」

「そりゃ流石に無茶だろ、部長もそこまで甘くねえし」

 そう語る二人は実に仲睦まじい。だが、それを見せつけられている成宮にしてみればたまったものではない。二人は付き合っている。百歩譲ってまだいい。凪沙が嘘を吐こうとした。これももういいだろう。成宮の誘いに渋い反応を示したのも御幸の存在があったからで、だからこそ『確認します』発言だったのだろう、それも分かる。だが、成宮には一つどうしても理解しがたいことがあって。

 しかし当の恋人たちは何でもないように会話を続けるだけ。

「御幸くんこれからどうするの?」

「期待するほどでもなかったし、飯食ってジム行こうかと思ったけど、天城は?」

「駅で買い物して帰るつもり。マシンもねえー、悪くないけど、交通費とプレイ代考えると、コスパちょっと悪い気がするね」

「それだけ分かれば十分だって。じゃあ飯行く?」

「行く──けど、成宮、さんは?」

「いーよほっとけ」

 そう言いながら、御幸は何でもないように彼女の腕を取る。ニッと挑発的に微笑む御幸に、ついに成宮の火山からマグマがごぽごぽとこぼれ出る。

「付き合ってて──今日オフで──デートでもないのに──同じ場所に来てる!?」

「そーだけど」

「そうなりますね」

 当たり前のように、しれっと返す二人。御幸と凪沙のすっ呆けたようで大真面目な顔を見て、成宮の火山はついに噴火した。

「なんでだよ!? おかしーだろ!! お前ら何なの!?」

「……何って、主将とマネージャー?」

「うん、そうだね」

「彼氏と彼女だろ!? 何こんなとこで偶然出会ってんの!? 馬鹿なの!?」

「成宮さんは何がそんなに気に食わないんですか……」

「俺らがオフの日何しようが俺らの勝手だろ」

「そうだけど!! そうですけど!? なんかこう、なに!? 見ててモヤモヤするっていうか!! 気持ち悪いっていうか!!」

「「ええー……」」

 御幸も凪沙も『そんなことを言われても』とばかりに困惑して顔を見合わせて、キーキー騒ぐ成宮を見る。成宮にしてみれば曲がりなりにも付き合ってる二人が数少ないオフの日にデートの約束もせずにいることも、何故か偶然出会うことも、出会う場所がバッティングセンターなんていう色気のない場所なのも、何もかも、こう、ちぐはぐだ。その不釣り合いさが、見ていてモヤモヤするのだ。だが、この感覚は二人には伝わっていないようで、それがなおのこと成宮の中のモヤモヤを加速させるのだ。故に、二人の背中をぐいぐいと押してバッティングセンターの入口の方へと押しやる。

「ほら、さっさとデートでもどこでも行けって!」

「分かった分かった、押すなって」

「ほーんと信じらんない! 休み中に彼女ほっぽってバッセン来る奴いる!?」

「鳴には関係ねえだろ」

「まあ、結果的に会えましたし」

「結果的にだろ!? はー、なんでこんな奴にカノジョができんの、意味わかんねー! 凪沙もさあ、一也みたいな奴と付き合ってて楽しいの? こいつ面白いとこなくない?」

「いやいやそんなこと──てか名前っ、」

「なに? そっちだって俺のこと好きに呼んでるんだから、俺だって好きに呼ぶから! ハイ論破ね!」

「御幸くんどうしよう、論破されちゃった」

「俺を差し置いて漫才しないでくんない?」

 そうしてやいのやいのと言いながら、二人をバッティングセンターから追い出す。困惑したまま二人は手をつないだままその場を後にするのを見て、成宮はにんまり笑みを浮かべてその後ろ姿を激写する。それをそのまま稲実野球部の共通グループにアップロードし、『あの一也に彼女が!!』と一文添えておけば、御幸一也を知る主に同学年は、成宮の想像以上に騒いでみせたのだった。

(成宮鳴とバッタリするお話/2年冬)

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