【if】御幸一也は嫉妬した

※おお振りクロスオーバー

※が、いうほど振りキャラは出てきません

※あったかもしれないし、なかったかもしれない半ifストーリー

※なので読まなくても特に問題はないです

※何でも許せる方向け

















 冬休み目前、期末テストも間近になり、青道野球部も食後の自由時間にノートや教科書を広げる者が増え始める頃。人に教えるほどではないにしろ、人に教えを乞うほど勉強を苦としていない御幸は何となしに部員たちと顔を突き合わせながら、食堂で勉強をしていた。そんな中で、マネージャーの天城凪沙はいつものように食堂の隅っこでデータ入力という地味な作業を行っていた。そんな中、彼女がスマホを手に取って怪訝そうな顔をしたのが視界の端に映って、思わずそちらに目を向ける。凪沙は少し躊躇った後、指を滑らせてスマホを肩と耳の間で挟む。

「もしもし、ユウ?」

 少し声のトーンを落としながら、彼女は電話をし始めた。その間、指はひたすらキーボードを叩き続けているのだから、器用な奴だと感心した。

「うん。どうしたの、こんな時間に」

『──』

「そっち、まだ練習中じゃないの?」

『──』

「へー、公立はテスト早いんだね。うちは来週から」

『──』

「うん、ちょっと残って仕事してる」

『──』

「いいよ。何かあったんでしょ、仕事しながらでいいなら聞くよ」

 ぽつぽつと、彼女の柔らかな声が電話先の相手にそう語る。話しぶりから、他校の友人だろうか、なんて勝手に想像する。普段あまり人の名前を呼び捨てにしない彼女が──マネージャー同士ですらあだ名かちゃん付けをしている──名前を呼ぶなど、珍しい。よほど随分親しい相手なのだろう、と御幸は思った。小声で穏やかな会話を続けながらも、きっちりいつものペースで仕事を片付けていく彼女にどこか誇らしく思いながら、御幸の視線は手元の英文の並ぶ教科書へと落とされた。が。

「──え」

 そんな和やかな雰囲気が、一転した彼女が息を呑む声がした。が、流石にジロジロ見るのも露骨すぎると、視線は寄越さず頬杖をつく。手に顎を乗せて、あくまで自然体を装いながら耳だけそちらに傾ける。

「恋愛って──ユウ、もしかして好きなの?」

『オレじゃねーッ!!』

「うわっ、大きな声出さないでよ」

 がくん、と腕から頭が落ちた。その声量に、何人かが驚いて凪沙を振り返ったほど。一音一音がはっきりと聞こえるぐらい、凪沙のスマホから声が聞こえたのは、少年の声。恐らく、『ユウ』と親しげに呼んでいる相手の──とんだ先入観だった。相手の名前、彼女の性格、話し方だけで、相手が女だと思い込んでいたなんて。

「好きなら好きでいい、それじゃだめ? ユウの口出す問題じゃないでしょ」

『──』

「そりゃ、今はね。でも、いつまでも高校生じゃないんだし、あと二年もすればユウたちだって結婚できるようになるんだよ。まずいことないでしょ」

『──』

「そうだよ、結婚。ユズさんたちみたいに、さ」

 御幸の動揺など露とも知らぬ凪沙は、淡々と『ユウ』相手に語る。相手も相手なら、会話の内容も会話の内容だった。どんな話の流れなのかまるで分らないが、一つ確かなことがある。『恋愛』──『好き』──『結婚』──そう、彼女たちは今、恋愛に関する話をしているということ。

 御幸は『ユウ』という相手に心当たりはまるでない。先の話しぶり──テスト期間の話が出たところから、恐らく他校の、公立の、高校生、ということしか分からない。高校生の、男子。恋愛話。それも、他校の、異性相手に。

「(──ある、か?)」

 分からない。そもそも親しい異性の友達などいない御幸にとって、それが『当たり前のこと』か判断ができない。だが、仮に御幸が恋愛に関する話をしようと思ったら、まず恋人にするだろう。それがだめなら──本当に嫌々だが──部員、つまり同性を選ぶだろう。仲が悪いわけではないが、間違っても梅本や夏川を選ぶことはないはずだ。

「(ねえ、よな)」

 今一度、御幸は脳内でシミュレーションする。ない、断じてない。彼女と『ユウ』の関係は分からないが、少なくとも同じぐらい部活に時間を割かれている彼女が、他校の友人と遊んだ、なんて話はここ半年聞いたことはない。故にこそ、名前で呼び合うような、親しい異性の存在をこんな場所で、しかもこんな形で知った御幸は想像以上にショックを受けていた。

 だが、それを顔を出さずに済んだのは、周りも周りで勉強するふりして凪沙の話を一言一句聞き漏らすかとばかりに聞き耳を立てていたことに、御幸は気付いていたからだ。ともすれば自分よりもずっと早くに、彼女たちの会話に気を取られ、手にしたシャーペンは空を描くばかりの男たちを見て、御幸は自分のシミュレーションが誤っていないことを確信する。誰もが耳をそばだてるほどに、イレギュラーな事態が発生しているのだ、と。

「ユウはさ、何がそんな引っかかるの」

『──』

「ざわざわかあ」

『──』

「なんで? 変じゃないでしょ」

『──』

「別かな? 好きな人の為だなんて、素敵だよ。憧れるなあ」

 御幸たちの間に走る緊張など全く気付いていないらしく、凪沙はそれはもう柔らかな眼差しで語るもんだから、少年たちの動揺は留まるところを知らない。もう彼らは来週のテストのことなど、頭からすっぽり抜け落ちていた。知りたいのはただ一つ。電話の向こうの相手。異性と親しげに恋愛話をする、凪沙との関係性。ただそれだけ。

 だが、此処で一つのアクシデントが発生した。

「だああああ!! 俺はもうだめだ……留年してしまう……!!」

「だーかーらー、そうならないように教えてるんだろうが!! いいから集中しろ!!」

「カネマールゥウウ……こんなの覚えられる気がしねえよ〜〜〜!!」

「二人とも静かに! 先輩方も勉強してるんだから!」

 こちらの緊迫感など露とも知らぬ一年組──彼らもまた、額を突き合わせて勉強に専念していた──にまぎれていた沢村が大騒ぎし始め、彼女たちの会話がほとんど聞こえなくなってしまった。そこですかさず立ち上がり、沢村を沈めに──もとい鎮めに行く倉持の横顔はまるでアサシンのようだったと、後に東条は語った。閑話休題。

「ブッ……」

 徐々に沢村の声が遠ざかっていく──本体はそこにあるのに、だ──そんな中、突如凪沙が吹き出した。笑い、ではない。明らかに相手から何かを言われ、動揺した様子だ。だがすぐに落ち着きを取り戻したように努めて冷静な顔でキーボードに打ち込み始める。だが、二、三言声を潜めて語る彼女は何かを堪えるような顔をして──その堪忍袋が、突如として爆発した!

「あーもーほんとこういう時鋭いよねユウはさあ!」

『──』

「あーあー聞こえない! 声が遠くてよく聞こえないなあ!」

『──』

「だからヤだったの! ほんと誰にも言わないでよ!?」

『──』

「私の話はいいでしょ! もう電話切るよ!」

『ワーッごめんて! まだ聞きてーことがあるから待って!!』

 怒り半分、恥じらい半分、普段にこにこへらへらと穏やかそうな彼女とは思えないほどの怒鳴り声に、『ユウ』もまたスピーカーを貫通せんばかりの声で引き留める。凪沙は顔を赤らめたままスマホの画面を睨みつけていたが、ごめん切るな待ってと引き留める声にがっくりと項垂れながら彼女は再びスマホを耳にあてる。それから盗み聞きのできないぐらいの声量で、彼女はぼそぼそと電話に向かって何か話し始める。

 今まで御幸との仲をからかわれたりして、照れたり恥じらったり、或いは肩身の狭そうな凪沙を何度となく見てきた。だが、あんな風に顔を真っ赤にして、怒って、それでも電話を切ることなく、渋々会話を続けるその横顔──彼女と出会って二年、付き合いだして数か月経て尚、見たことのないもので。それも相手は、御幸たちの知らぬ、男。めき、と手元から音がする。それに目を落とす余裕もなく気付けば彼女を凝視していていると、その瞬間、凪沙は顔を真っ赤にして椅子を引っくり返して立ち上がった。

「──っ、やだよ!! ほんととんでもないこと言い出すね!?」

『だぁってカレシ側の意見の方が参考になりそーだし!! カレシー!! 凪沙のカレシー!! その辺にいねえのー!?』

 突如スピーカーからかっ飛んでくる『ユウ』の声に、御幸よりも先に川上と麻生と前園が同時に吹き出した。ばきりと手元から何か音がしたが、御幸の目には何も映っていない。

「もうそれ楽しんでるでしょ!? あああもおおお!!」

 凪沙はそこで初めてハッとして周りを見回した。今や食堂にいるほどんどが凪沙──或いは御幸──を凝視していることにようやく気付いたらしい彼女は、スマホを握り締めたまま脱兎の如く食堂から飛び出していった。流石の脚力、誰もが引き留めるよりも先にすっ飛んでいく背中を見ながら御幸もまた立ち上がった。勉強なんてもう頭から抜け落ちた男の去った後には、真っ二つにへし折られた安物のシャーペンが転がっていた。

 衝動のまま食堂を飛び出すも、小さな背中は猛スピードで暗闇に溶けていくため、探すのに少し手間取った。彼女の丸まった背中が見つかる頃には、カッと頭に昇った血もほんの少しだけ収まってきた。また部員たちにぎゃあぎゃあ言われると辟易しながら、凍るような風に身を震わせながらそっと彼女に近付く。凪沙はブルペン付近でしゃがみ込んでおり、未だ耳にスマホを宛がっていた。夜のグラウンドということもあり、先ほどよりも『ユウ』の声がはっきりと聞こえて──。

『そんな有名な選手なのか!? もしかして相手一軍!?』

「さあ、どうでしょうね! もういいでしょ、テスト勉強に戻りなさい!」

『ここまで引っ張ってそりゃねーよ!! 名前! カレシの名前だけ聞いたら勉強に戻るから!』

「ええいしつこい! いい加減にしないとおばさんに──」

 未だ陰りを見せぬ、二人の会話に静まった筈の熱が再び沸騰し始めた。気付けば彼女の手からするりとスマホを抜き取って耳に宛がっていた。口をあんぐり開けたままこちらを見上げる凪沙には、目もくれず。

「どーも」

『……ダレ? 凪沙は?』

 どこか、聞き覚えがある気がする声だった。だが、やはり分からない。少なくとも、彼女を名で呼ぶような男など、御幸は知らない。怪訝そうに、けれど迷いなく呼ばれた『凪沙』という声に、御幸のボルテージは最高潮に達していて。

「御幸一也」

『は?』

「お前が呼んだんだろ。凪沙のカレシだよ」

 当たり前のように『ユウ』の口から出てくるその名前に、意地や下らないプライドに突き動かされ、御幸もまた彼女の名を口にした。苗字で呼び合うことがほぼ当たり前になっていた御幸にとっては慣れぬ響きであったが、そんなことを気にしている余裕もなく、電話を切るとぽかんと口を開けたまま見上げる凪沙に差し出す。

「……今の、誰」

「誰、って……」

「──元カレ?」

 そんなことはないと、御幸が一番分かっているはずなのに、出てくる言葉は彼女にいらぬ喧嘩を売るだけで。それほどまでにコントロールできない自信に嫌気が差す一方で、相手の正体を突き止めたいと思ったのもまた確か。年頃の男女が気兼ねなく名前を呼び合い、恋愛に関する話題で盛り上がり、挙句の果てに『カレシに代われ』ときたもんだ。お前は何様だと、言ってやりたい御幸の怒りも、まあ当然と言えば当然だった。

 だが、凪沙の答えは御幸の想像だにしないもので。

「まさか!! い、いとこだよ、従兄弟!!」

 信じられないとばかりにかぶりを振って、彼女はそう口にする。従兄弟──従兄弟。父母の兄弟姉妹の子どもを差す言葉。四親等の傍系親族の一つ。親族。誰が。彼女と、『ユウ』が。

「……従兄弟?」

「そう! 何なら、御幸くんも知ってる相手です!」

「俺、『ユウ』なんて男、知り合いにいねえけど」

 力強く言い切る凪沙に、御幸は真っ向から否定する。異性ならまだしも、同性で御幸も知る相手──いくつもの顔と名前が脳裏をよぎるも、『ユウ』と名の付く男はいない。確かに声は聞き覚えがある気がしたが、知り合いなら電話に出た時点で気付くはずだ。だが、凪沙はどこか居心地悪そうに言葉を続ける。

「田島悠一郎、いとこの名前。だから『悠』」

「田島……悠一郎──」

 そんな知り合いは、と言いかけた御幸がはたと止まる。確かに、その名は覚えがある。記憶に過るのは土砂降りのグラウンド──甲子園出場校が一回戦で敗退──相手は新設野球部で部員は全員一年生──監督が若い女性──クセ球の細っこい投手──そして、最後の打席に立つ小さな背番号四番。田島悠一郎。

「あ、でも御幸くんシニアだし、知らないか。結構有名なボーイズリーグの出身でね。えーと、前に私がビデオ見せたことあるんだけど、西浦高校っていう──」

「や、覚えてる。あのちっこい四番だろ、桐青戦の決勝打の」

「そうそう! ほんとよく覚えてるね!」

 他県の、それも夏の一回戦だ。普通は記憶にとどめる必要のないデータ。御幸がそれを記憶していたのは、その西浦の対戦校が昨年の甲子園出場校だったからだ。夏はこれがあるから怖いと、三年生たちも話題にしていたし、何より妙なストレートを投げる投手だったため、捕手として興味を引かれた。そんな時、凪沙が『西浦と桐青高校のビデオ手に入ったよ!』と言って現れ、何人かと食堂で観戦したのだ。他県の試合のビデオがよく手に入ったと思ったものだが、彼女は確かその時『身内が埼玉で野球やってて』なんて言ってた気がする。小柄ながらもセンスを光らす四番バッターに、ボーイズでは有名な選手だったと誰かが言っていたのも、御幸はキッチリ記憶していた。結局彼らが甲子園まで勝ち上がることはなかったため、御幸も今の今まで忘れていたのだが、まさか、その『身内』が──。

「……え、お前ら、従兄弟だったの?」

「うん。……えーと、一応、小さい頃の写真もある、よ?」

 田島悠一郎と天城凪沙。田島の顔はさほど記憶にないが、顔は似ていない──いとことはそういうものかもしれないが──。しいて言えば、運動部で発揮することなく埋もれている凪沙の運動神経は、田島の家系譲りなのかもしれないが。脳内で情報を整理するのでいっぱいいっぱいの御幸に、凪沙は申し訳なさそうに弁明する。

「わ、割と仲良くて……野球、やってるしさ……」

「……」

「家族、みたいなもんだし、苗字で呼ぶのも、ね」

「……」

「部内恋愛で揉めそうって相談受けてて、それで……その、」

「……」

「ご、ごめん。誤解させるようなこと、言っちゃって」

 立ち上がって御幸の顔をしっかり見て、彼女は真剣な表情で謝罪する。嘘を言わぬ彼女の言葉を、御幸は決して疑わない。ただただ自分たちが勝手に早とちりして、勘違いして、騒いでいただけだった。それが分かるや否や、全身から力が抜けたように御幸はその場に崩れ落ちた。

「……てっきり、元カレとかそういうのかと……」

「い、いないよそんなの……御幸くんが初めての彼氏です……」

「すげえ親しそうだし、名前で呼んでるし、最初女友達かと思ったら電話から男の声するし、『好き』とか『結婚』とか聞こえるし……」

「やあ、まあ、そういう話題でしたので……」

 どういう経緯で他校の野球部員と他校の野球部マネージャーが恋愛相談になったかまでは分からないが、疚しいところはないのだと彼女の顔を見れば分かる。そもそも、聞かれてまずいような電話であれば、人目のある場所で受ける訳がない。なんて紛らわしい、と御幸は情けなさで消えてしまいたくなる。勝手に勘違いして、嫉妬して、怒りをぶつけた自分が馬鹿みたいだと。

 純粋に落ち込む御幸に、凪沙は腰を落として顔を近づける。乾いた風の中に、桃の匂いが混じる。彼女の、匂いだ。

「悠は、そういうのじゃないよ」

「……分かってる」

「好きなのは──か、かずやくん、だけ、ですので……」

 躊躇いがちにそんな声が降り注ぎ、御幸は思わずバッと顔を上げる。凪沙は暗がりでも分かるぐらい顔を赤らめながら、口元をごにょごにょとさせている。全身が火を点けられたかのように熱くなり、ここがグラウンドでなければ──もっと言うと遠くに素振りをする二軍の部員たちが見えなければ──思い切り抱き締めていただろう。だがすぐに、凪沙は目を逸らした。

「ご、ごめんやっぱ名前はちょっと待って!! これ思ったより恥ずかしい!! 練習しますので!! 何卒!! 何卒時間を!!」

「あ、あー……まあ、部活中に呼ぶわけにもいかねえしな」

 お互い二年も苗字で呼び合ったのだ、気恥ずかしさが勝るのだろう。部活中に名前で呼び合うと周りに示しがつかないし、何より死ぬほどからかわれるのは目に見えている。やむを得ないと御幸は納得し、いつかの楽しみにと決めて立ち上がる。未だしゃがみ込む凪沙に手を差し出し、凪沙はその手を取ってゆっくりと腰を上げる。

「……悪い。ちょっと、苛ついてた」

「う、ううん」

 素直に謝罪すれば、凪沙はその理由まで深く追求してこなかった。だが、どうせ鋭い彼女にはお見通しなのだろうと、御幸は益々居心地悪い気分になる。故に、話を変えようと御幸は先ほどから気になっていることを指摘する。

「……ところでさあ」

「うん」

「それ、ずっと鳴ってっけど」

「……知ってる」

 それ──凪沙の手に握られたスマホのことだ。さっきからずっとブーブーとバイブレーションが機能している。着信画面には『悠』の文字。向こうとしても、家族と話しているところ見知らぬ男に邪魔されたのだ、素直にそうですか勉強に戻ります、とはならないのだろう。そもそも、向こうは御幸に話がある様子だったし。

「悠、御幸くんと話したがるだろうなあ……」

「なんで?」

「捕手としても、部内恋愛についても、意見が聞きたいみたい」

「あれ、あいつ捕手だっけ?」

「控えのね。この夏始めたばっかで、リードは全然だけど」

「なるほどな。ま、いいか」

 そういうことならと、御幸は凪沙の手から今一度スマホを引き抜く。御幸としても、思うところはある訳で。ぎょっとする凪沙を他所に画面に指を滑らせれば、突如、田島の声が爆音で響く。

『やっと出たな、凪沙!! さっきの誰──御幸一也!? ドーユーことだよ!? ミユキってあの、青道の四番でキャプテンだろ!? カレシ!? マジで!? なんで!?』

「すげー言われよう」

「『なんで』はおかしくない?」

 どうも向こうも御幸のことを知っていたらしい。やいのやいのと騒ぐ田島にどうしたものかと困惑する凪沙を他所に、御幸は凪沙の手を取ったままそのままスマホを耳元にあてる。

「ちょっ──」

「ドーモ、田島悠一郎」

『……ミユキ?』

「はっはっは。ご名答」

『……ホンモノ?』

「一応な」

『凪沙のカレシ?』

「ああ。さっきはわりーな、お前のこと元カレかなんかだと思ってさ」

『……』

 電話の向こうの田島は、先ほどまでの騒ぎようが嘘のように落ち着き、静かな声で返してくる。礼儀を重んじる性質か、人見知りをしているか──どちらも違うな、と御幸の勘は言う。なるほど、向こうも向こうで御幸の態度に思うところがある様子。ならばと、御幸は掴んでいた凪沙の手をぱっと放し、少しスマホを口元から遠ざけた。

「俺に話があるんだろ。話付けとくから、仕事終わらせて来いよ」

「えっ……」

「別に何もねえよ。聞かれたことに答えるだけ」

「で、でも、」

「男同士、ちょーっと話するだけ、な?」

 おろおろする凪沙に、御幸はただ笑うだけ。そんな御幸を見て、『ちょっと』に様々な意味を含めているのは彼女も察しているのだろう。だが、彼女は迷う時間を作らないと、御幸はよくよく知っている。案の定腕時計をさっと見て、もう帰宅の時間であることを悟るや否や、凪沙はくるりと踵を返す。

「わ、分かった。すぐ戻るから。け、喧嘩しないでね!」

「大丈夫大丈夫」

 そう言って、猛スピードで食堂へ戻っていく凪沙。あの足の速さも家族故か、なんて思いながら御幸は再び彼女のスマホを耳にあてる。

「で、俺に聞きたいことってなんだよ、田島悠一郎」

『……大丈夫っすよ。大体、分かったから』

「何だよ、一人で勝手に納得すんなって」

『部内恋愛はよくねーなって改めて思ったんで』

 先ほどまでバカ騒ぎしていた人物とは思えない程、冷静な声に御幸は内心驚く。道化のフリ──というタイプではないだろうが、御幸は少しばかり田島悠一郎を侮っていたらしい。

「そりゃ、面倒事の方が多いに決まってんだろ。二人でいるだけで部員どもにはぎゃーぎゃー騒がれるし、なまじ毎日顔合わせてる分、ロクに時間取れねえのきついし」

『……』

「けど、よかったこともあるぜ。今みたいに、自分の心の狭さを思い知ったり、な」

 恋愛は人を成長させる、なんて言うが、諸説あるだろうと御幸は思う。けれど、凪沙に思いを寄せていなければ、こんなにも露骨に嫉妬して、勝手に苛立つ自分が存在したことすら、御幸は知らなかっただろう。それが良いことだったのか御幸には分からないが。

「それに、どんなに忙しくても毎日会えるっちゃ会えるし、しんどくてもやっぱ好きな奴が傍にいんのはモチベーションに繋がるぜ。そういう意味じゃ、部員とマネジって割とアリだと思うけどな」

『……そっすか』

 決して嘘は言っていない。見知らぬ相手に対し、御幸は真っ向に自分の意見をぶつけていく。そんな御幸に、田島の反応は少し鈍い。

「なんだよ、そっちが聞いてきたんだろ。『部内恋愛のカレシ側の意見』、だっけ?」

『そうなんスけど……なんか、親のソーユー話聞いてるみたいな気分になってきて……』

「はっはっは。もっと聞かせてやろうか?」

『結構デス……』

「そう遠慮すんなって」

『凪沙と仲いーのは分かりましたんで!』

「んじゃ、もうちょい聞いてもらおっかな〜」

『オレもういとこのそういう話聞きたくねーんすけど!』

「従兄弟だからって、油断ならねえからさ」

『……エ』

 電話の向こうで、田島が息を呑むのが聞こえて御幸はほんの少しだけ気分がよくなった。自分でも馬鹿馬鹿しいと分かっている。けれど。

「天城──凪沙に、こんな仲良い親戚がいるなんて知らなかったからな。カレシとしちゃ、焦りもするってワケ」

『オレらイトコっすよ!? そーゆーんじゃねっすよ!!』

「従兄弟同士だって結婚はできんだろ」

『エッそうなの!?』

「確か。何かのドラマでやってた気がする」

『へえー──じゃなくて! ありえねーっすよそんなの!』

「何が起こるかは分かんねーだろ。牽制、ってことで」

『マジかあ〜……』

 ショックを受けたような田島の声に、当然かと御幸も独り言つ。半分は冗談だが、もう半分はわりと本気だった。御幸は未だ、凪沙とあれほど親しげな、気の置けないやり取りはできないだろう。家族だからと彼らは言うだろう。しかし、家族とはいえ親兄弟ではない。従兄弟同士なら結婚はできる。好き合って、付き合うことだって何ら問題ない。なら、牽制の一つもしないで何が恋人かと御幸は開き直る。

『ミユキサン、凪沙のこと大事にしてんスね』

「まーな」

『……最初、こいつもロクでもない奴に引っかかったのかと思ったけど、そんだけ言う人ならダイジョーブか』

 それは御幸に語ったというよりも、田島の独り言に近い言葉だった。だが、どうにも引っかかりを覚えるその一言に、御幸は眉を顰める。

「──こいつ、『も』?」

『ア、ヤベッ。詳しくは凪沙から聞いて!』

「何の話?」

『凪沙のネーチャンの話! オレはよく知らねーし!』

 凪沙の──姉。確か家を出た姉がいる、とは帰り際の会話の中でさらりと告げられたことがあったように思う。その際は特に気になるようなことは話していなかったが、田島の口ぶりからすると中々どうして、厄介な事情を抱えているらしい。とはいえ、それは彼女の姉の話であって彼女自身ではないため、さほど興味も惹かれない。

 しばらく、二人とも無言だった。向こうも大方聞きたいことは聞けたのだろう。御幸としても十分なぐらい牽制はできたと判断し、こう告げる。

「田島悠一郎」

『……なんすか』

「お前らの試合、見たぜ」

『エッ、マジで!? オレら、青道でもチューモクされてる!?』

「おー、特にあのピッチャーな。あのストレートなんだよ」

『──さあ、なんでしょう』

「はっはっは。教える気ゼロかよ」

『オレらも甲子園優勝、目指してるんで』

「……へえ」

 甲子園をではなく、甲子園優勝──か。一年ばかりの、新設野球部員にしては、随分な大口を叩くと御幸は思う。だが、不思議とハッタリには感じられなかった。少なくとも田島は本気でそれを目指していることが、その一言で十分に伝わったから。

「だったら来年の夏、甲子園で会おうぜ」

『おお! 臨むところっすよ! ところで青道の投手って──』

 それ以上話すつもりはない御幸は、言葉を待たずに電話を切った。念のためしばし待つが、どうやら折り返してくる様子はない。時刻も二十一時前。彼女の仕事も片付いた頃だろうと、御幸は一度自室に戻ってベンチコートを羽織り、食堂に向かう。彼女を家まで送り届けるという、ミッションが残っているからだ。

 下らぬ嫉妬に苛まれ、身勝手な怒りを覚えた。しかし今は、不思議と気分が晴れやかだ。恋愛に関するトラブルは面倒だと未だに思う。御幸だって何度も何度も憂き目に遭うのはごめんだった。けれど、普段顔見知りの相手には零せない彼女への思いを心置きなく吐露できたのは、中々どうして悪くない体験だったと御幸は一人笑みを深めながら、困惑した様子の凪沙を連れ立って歩き出したのだった。

(嫉妬するお話/2年冬if?)

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