【if】御幸一也に嫉妬される

※おお振りクロスオーバー

※が、いうほど振りキャラは出てきません

※あったかもしれないし、なかったかもしれない半ifストーリー

※なので読まなくても特に問題はないです

※何でも許せる方向け

















 冬休み目前、期末テストも間近になり、青道野球部も食後の自由時間にノートや教科書を広げる者が増え始める頃。マネージャーの天城凪沙はいつものように余暇を楽しんだり苦しんだりする部員たちから少し離れ、食堂の隅っこでデータ入力という地味な作業を行っていた。その時、テーブルに置いていたスマホが着信を告げるように震え始めた。彼女は画面に表示されている名前を見て、物珍しげに片眉を跳ね上げた。画面には『着信:悠』と表示されている。珍しいその着信に凪沙は少し躊躇った後、指を滑らせてスマホを肩と耳の間で挟む。

「もしもし、悠?」

『あ、もしもし? 凪沙?』

「うん。どうしたの、こんな時間に」

 小声なら問題ないと判断し、彼女は電話を受ける。電話相手は母方の従兄弟の田島悠一郎。凪沙の一つ年下で、埼玉で野球をやっている。凪沙が知る中で尤も野球センスに溢れた選手であり、青道からもスカウトがかかったほどだ。結局家庭事情もあり、自宅からわずか五分の高校に進学したのだが。

「そっち、まだ練習中じゃないの?」

『今、テスト期間だから』

「へー、公立はテスト早いんだね。うちは来週から」

『ってことは、まだ部活やってる?』

「うん、ちょっと残って仕事してる」

『エッ、じゃあかけ直すけど』

「いいよ。何かあったんでしょ、仕事しながらでいいなら聞くよ」

 従兄弟とはいえもう互いに高校生。昔は一緒に野球なりサッカーなりに興じていた二人も、今や年に一度か二度、墓参りや正月にしか顔を合わす程度。ただ、それは互いに部活が忙しく中々会う暇がないだけで、こうしてたびたび電話をする程度の仲ではあった。毎日くたくたになるまで練習に専念して、泥のように眠るのはどの高校も一緒。そんな中で、わざわざ夜に電話を寄越すとは、のっぴきならない事情があったに違いないと、察する程度には凪沙も田島のことをよくよく知り得ていた。

『こんな時間まで仕事してんの? 遅くね?』

「毎日送ってもらってるし平気だよ。悠こそ、テスト勉強は?」

『それがさー……ヒジョージタイのせいで、テストに集中できねーんだよ〜……』

「それ、私が聞いてどうにかなる話?」

『年頃のオンナノコの意見が聞きてーの!』

「ふうん。まあ、言うだけ言ってみなさいな」

 凪沙にとって田島は、家族だ。弟のような存在でもあり、長年の友人のような存在でもあり、時にスポーツという面に限って言えば双子もかくやという息の合ったプレーを見せた。そんな在りし日を思いながら、どんな非常事態をもたらされるのか、凪沙はぱちぱちと入力を続けながら言葉を待つ。すると。

『──監督と選手のレンアイってどう思う?』

「え」

 思わず、言葉に詰まる。彼らの監督はある意味選手以上に有名人だ。彼らが『モモカン』と呼ぶその監督はまだ二十代前半の女性だ。しかも美人でスタイル抜群。物珍しさに彼女を目にした球児たちがさっと目を逸らす様を見て、ビデオを通して大笑いしたのも記憶に新しい。が。

「恋愛って──悠、もしかして好きなの?」

『オレじゃねーッ!!』

「うわっ、大きな声出さないでよ」

『オレじゃないんだけどさ〜……しかも違うかもしんないし〜……』

 珍しく困憊した様子の田島の声に、何となく事情を察する。しかし、当人も気付いていない思いに勘付くあたり流石の観察力と言ったところか。しかし相手が相手だけに素直に応援できない、といった様子だ。

「好きなら好きでいい、それじゃだめ? 悠の口出す問題じゃないでしょ」

『エーッ!? 凪沙はアリ派かよー!』

 途端に田島からの不平不満の声が響く。彼らの監督は確か二十三歳という若さ。七歳差が大きいかどうかは人それぞれだろうが、凪沙はアリかナシかでいえば『アリ』だと思った。

『だってカントクと選手だぜ!? まっじーだろ!!』

「そりゃ、今はね。でも、いつまでも高校生じゃないんだし、あと二年もすれば悠たちだって結婚できるようになるんだよ。まずいことないでしょ」

『ケッコン!?』

「そうだよ、結婚。ゆずさんたちみたいに、さ」

 愛に年の差は関係ない。お互いに愛し合っていれば、という前提ありきの話だが。それよりも、他人の恋愛事情にああだこうだと言い出す従兄弟の方が凪沙には意外だった。

「悠はさ、何がそんな引っかかるの」

『……自分でもワカンネー。でもスゲーザワザワしちゃって、なんかこう、一人で抱えておけなくなって……』

「ざわざわかあ」

『昨日、部の奴に『監督を勝たせたいのって変か』って言われて……』

「なんで? 変じゃないでしょ」

『そうなんだけど〜〜〜!! それがレンアイ絡んでたら別じゃん!!』

「別かな? 好きな人の為だなんて、素敵。憧れるなあ」

『エ──ッ!? 部員に『マネージャーの為にホームラン打ちます!』とか言われたらフツー困るだろ〜〜〜!?』

「え、あー……うーん……」

 なんとなく、田島の言う『ザワザワ』の正体が分かったような気がする。言葉に詰まる凪沙に、田島はこれ幸いと畳みかける。

『そんなの自分が打ちたいから打つもんだろ! 自分たちが勝つために練習するだろー!? それがレンアイの為っていうのは、何かこー、違うっていうか……』

 言わんとすることは、分かる。君の為にホームランを打つよ、なんて言われたら、確かに凪沙も困るだろう。いやそんなの自分の為に打ってよ、と。責任を転嫁されている気分になる、という感覚に近いのだろうか。じゃあ打てなかったら、負けたらこっちのせいなのか、と。

『なんつーかさ、うちはまだ新設したばっかで、まだ一年しかいねーじゃん』

「そうだね」

『最初は全員目指してる場所もバラバラで、秋負けてようやく本気でガンバローってなったトコなわけ』

「悠は、自分が共感できないモチベーションを持つ人がいるのが引っかかってるのかな」

『……そーかも』

「むつかしい話だねえ」

 パソコンへの入力の手を止め、ぐっと伸びをしながら天井を見上げる凪沙。西浦は今年野球部ができたばかりの新設校、しかも部員は十人、全員一年生。ビデオを通して試合を何度か見たが、かなり質のいいチームだったと凪沙は記憶している。だが、やはり強豪校とは違うな、という印象はあった。あと二年あるからか、上級生たちのかける重みがないからか、よく言えば伸び伸びプレイするチーム、悪く言えば勝利への執着心はさほど感じられないチーム、といった印象だ。今まで野球部がなかった学校で野球をやろうという生徒が集まったのだから、それなりの熱意はあったのだと思う。だが、田島の言うようにみな目指す場所が違う。目指す場所へ辿り着きたいと思う理由も、また違う。それが引っかかるのだろう。

 けれど、それは当たり前のことではないかと、凪沙は思う。

「違う場所で生まれ育った人間が何人も集まって野球やるんだよ。同じ場所を目指すのはできるけど、そのモチベーションは人それぞれでいいと思うけどな」

『それがレンアイの為でも?』

「……本人が思う分には、自由だと思います」

『そっか〜……』

 あまり納得していない声色だったが、凪沙の考え自体は伝わったらしい。電話の向こうで机にでもへたり込むような音が聞こえてきて、凪沙はくすりと笑んだ。

「部の事なんだし、みんなで相談しなよ」

『やっぱそうなる?』

「私はアリだと思うけど、悠は違う。でも、悠のチームメイトも、悠と同じ意見かもしれないよね。そこはちゃんと話し合うべきだよ」

『そしたら、恋愛キンシー、みたいになるかな』

「そうすべきだとみんなが思うなら、ね。西浦には西浦の、やり方を模索していけばいいんじゃない?」

 部内に恋人がいる身で偉そうなことは言えた義理ではないが──いやでもキャプテン自身に確認は取ったのだからセーフだと凪沙は声を大にして言いたい──、『禁止』というルールはある意味楽な解決策だと凪沙は思う。恋愛に対してごたごた悩んでも、『禁止だから』と逃げることができるからだ。恋愛だって十分なモチベーションになり得るのだから、凪沙には些か勿体ない気はしたが、田島のように本来頭を使って悩む性質ではないなら尚更アリだろうと思う。すると。

『因みに、青道って部内恋愛ってどう?』

「ブッ……」

 そんな、どこから余裕ぶったアドバイスをしていたからだろうか。いつか自分がどこかの誰かに言ったようなセリフが耳元から飛んできて、思わず入力欄に『bbbbb』と打ち込んでしまった。凪沙は努めて冷静に、冷静にバックスペースキーを連打して消す。

『え、何その反応』

「ごめん、うちの話になるとは思わなくて」

『──凪沙、もしかして部内にカレシいんの』

 従兄弟の、こういう鋭さは本当に面倒だ。その観察眼は野球だけに活かせばいいものを、と凪沙は頭を抱えたくなる。だが、田島相手に下手な誤魔化しは通用しないと知っているため、半ギレで白旗を振った。

「あーもーほんとこういう時鋭いよね悠はさあ!」

『マジ!? 誰、オレの知ってる選手? 名前は!?』

「あーあー聞こえない! 声が遠くてよく聞こえないなあ!」

『え、てかカレシ? あれ、おじさんに知られたらまずくね?』

「だからヤだったの! ほんと誰にも言わないでよ!?」

『分かってるけどさー。でもマジで? 凪沙が? 意外スギー』

「私の話はいいでしょ! もう電話切るよ!」

『ワーッごめんて! まだ聞きてーことがあるから待って!!』

 通話を切ろうとする凪沙を引き留めるように、切羽詰まった声が届く。パソコンの画面を睨みつけながら、数秒悩んだ末に凪沙は再びスマホを耳元に宛がった。

『なー、選手と付き合うってどんな感じ?』

「ちょっ……勘弁して……なんでそんなこと……」

 女友達ならいざ知らず、ほぼ同年代の、しかも男子、しかも血の繋がった家族相手にペラペラ喋るほど凪沙も恥はかき捨てていなかった。ついには仕事の手を止め、げんなりと机に項垂れる凪沙の耳に、マジメにさ、と思いの外真剣な声が届く。

『うちもマネージャーいるからさ。誰かがしのーかのこと好きになったり、しのーかが誰かのこと好きになるのって想像つかねーんだ』

「だから私の意見を参考にしようってこと……?」

『そ。なあー、やっぱ付き合ってるってみんな知ってんの?』

「……知ってる、と思う」

『監督とかも?』

「多分……」

『うわー』

「ねえほんともうよくない? 参考になんかなんないよ!」

『うちの部のソンゾクの危機なんだよ〜〜〜!!』

「存続の危機て大袈裟な……!!」

 望んだ形ではなかったが、付き合いが部員にバレた時の数倍恥ずかしい。同じベッドに寝かされていた頃からの仲だけに、半ば尋問じみたこの問いかけに凪沙は顔から火が出そうだった。

『やっぱ他の奴に気ぃ使ったりする?』

「そりゃ……まあ、多少は……」

『青道って部員百人ぐらいいんだろ? ヒイキだー、とか、ズルイーとか、そういうのねえの?』

「ないと思うけど……ていうか、贔屓なんかしないし……」

 デートもロクにしたことのない、清く真面目な付き合いだ。部活では徹底してマネージャーと主将、という立ち位置を揺るがしたことはない、はずだ。ただ、外からどう見えているかは、凪沙も分からない。バカップルだとか思われているのだろうか。それは流石に恥ずかしい。悶々としながら田島の質問に答えていると、煮え切らない態度の凪沙に痺れを切らした田島のどでかい声が飛んできた。

『ってかもうカレシに代われよー!! マネジがカノジョってどういう感じなのか、そっちの話のが聞きたい!!』

「やだよ!! ほんととんでもないこと言い出すね!?」

『だぁってカレシ側の意見の方が参考になりそーだし!! カレシー!! 凪沙のカレシー!! その辺にいねえのー!?』

「もうそれ楽しんでるでしょ!? あああもおおお!!」

 流石野球部員、スピーカーを貫く大声に耳がきんとする。だが、やってる場合じゃない。本当に此処には田島の言う『カレシ』がいるのだから。気付けば多くの部員がこちらをぎょっとしたような顔で見ており、恥ずかしさと居たたまれなさで凪沙は恋人の顔も見れぬままスマホを片手に食堂を飛び出した。外は雪が降ろうと言う寒空の下だが、全く気にならずにグラウンドを横を突っ切る。

 そうしてブルペンの近くでへなへなと膝を抱えるようにしゃがみ込む。火照った顔に吹き付ける寒風を物ともせず、カレシカレシと煩いスマホに再度耳を当てる。

「信じらんない……恥ずかしくて死ぬかと思った……」

『え、マジで近くにいたんだ。なんだよ代われよー』

「なんで親より先に悠に紹介しないといけないの……」

『青道の選手がどういう練習してんのかとか聞きたいし?』

「呆れた! 非常事態だって言うから付き合ってたのに!」

『あー、それはマジで助かった。サンキューな』

 この様子だと、彼の言う『ザワザワ』に対する向き合い方は、既に決めたらしい。悩みが解決するのは結構だが、だからって恩を仇で返すことないだろうにと、凪沙はお調子者の従兄弟に心底呆れた。

「じゃ、もういい? そっちも忙しいでしょ?」

『ええー、カレシの名前はー』

「……言いたくない」

『強情! 名前ぐらいいーだろ!』

「だって、悠、たぶん、知ってる」

 多分というか、絶対知ってるはずだ。青道の試合は何度となく中継されていた。一年から正捕手としてグラウンドに立っていた御幸の名前を、この野球バカと呼ばれる人種が知らないはずもない。珍しい苗字だし、尚更だ。となると、この野球に取り憑かれた従兄弟が次に言うセリフは一つ。『会わせろ』、もしくは『紹介しろ』だ。案の定、電話の向こうの田島の鼻息が荒くなる。

『なにっ!? そんな有名な選手なのか!? もしかして相手一軍!?』

「さあ、どうでしょうね! もういいでしょ、テスト勉強に戻りなさい!」

『ここまで引っ張ってそりゃねーよ!! 名前! カレシの名前だけ聞いたら勉強に戻るから!』

「ええいしつこい! いい加減にしないとおばさんに──」

 叱りつけるように続けようとした言葉は、そこからふつりと途切れる。右手のスマホが、するりと引き抜かれてしまったからだ。会話に夢中で、気が付かなかった。自分の背後に、立つ人間の存在を。

「どーも」

『……ダレ? 凪沙は?』

 彼──御幸一也は、今まで見たことないほど真剣な表情で、凪沙のスマホに耳を当てている。いや、違う。真剣ではない。これは、怒りだ。

「御幸一也」

『は?』

「お前が呼んだんだろ。凪沙のカレシだよ」

 さらりと呼ばれた自分の名前に、飛び上がる。この場合、ときめきよりも驚きの方が大きいが。それだけ言って、御幸は通話を終了させてしまった。見慣れたホーム画面が映るそれを、御幸は険しい表情のまましゃがみ込んだままの凪沙に差し出す。

「……今の、誰」

「誰、って……」

「──元カレ?」

 目玉が飛び出るかと思った。一体何を勘違いしたらそんな発想になるのか。凪沙は慌てたように首を振る。

「まさか!! い、いとこだよ、イトコ!!」

「……従兄弟?」

「そう! 何なら、御幸くんも知ってる相手です!」

「俺、『悠』なんて男、知り合いにいねえけど」

 怒っている。御幸一也が怒っている。しかもこれは──恐らく、『嫉妬』と呼ばれる感情、ではないだろうか。確かに電話相手は男で、しかも名前呼び。御幸とは──いや、思えば凪沙は異性のほとんどを名字で呼ぶ。先輩は特に名前で呼ばれる人も多かった中で、頑なに苗字呼びを貫いたのは凪沙なりの防衛線でもあり、節度のつもりだった。故にこそ、御幸の目には異様に止まってしまったのかもしれない。人目のあるところで電話を受けるべきじゃなかったと、反省しながら凪沙は素直に答える。

「田島悠一郎、従兄弟の名前。だから『悠』」

「田島……悠一郎──」

「あ、でも御幸くんシニアだし、知らないか。結構有名なボーイズリーグの出身でね。えーと、前に私がビデオ見せたことあるんだけど、西浦高校っていう──」

「や、覚えてる。あのちっこい四番だろ、桐青戦の決勝打の」

「そうそう! ほんとよく覚えてるね!」

「……え、お前ら、従兄弟だったの?」

「うん。……えーと、一応、小さい頃の写真もある、よ?」

 元カレか、なんて聞かれてしまったのだから、田島との関係を疑われていると思った方がいいだろう。そう判断して遠慮がちに提案するも、御幸の反応は鈍い。まるで後ろから鈍器で殴られたかのような顔をしている。

「わ、割と仲良くて……野球、やってるしさ……」

「……」

「家族、みたいなもんだし、苗字で呼ぶのも、ね」

「……」

「部内恋愛で揉めそうって相談受けてて、それで……その、」

「……」

「ご、ごめん。誤解させるようなこと、言っちゃって」

 立ち上がって、しっかりと御幸の顔を見て謝る。あんな場所で電話を受けてしまった、自分の落ち度だった。要らぬ誤解を与えてしまったと、真摯に謝る凪沙。そんな凪沙を見て、ようやく事態を呑み込めた御幸が、今度はその場にしゃがみ込んで膝に顔を埋める。

「……てっきり、元カレとかそういうのかと……」

「い、いないよそんなの……御幸くんが初めての彼氏です……」

「すげえ親しそうだし、名前で呼んでるし、最初女友達かと思ったら電話から男の声するし、『好き』とか『結婚』とか聞こえるし……」

「やあ、まあ、そういう話題でしたので……」

 確かに、傍にいた御幸たちには田島の声はほとんど聞こえていないのだ。恋愛相談、しかも年頃の男女がだ。青き高校生たちが勘繰るのも無理はない。誤解を解かんと、凪沙もまた膝を落として御幸に顔を近づける。

「悠は、そういうのじゃないよ」

「……分かってる」

「好きなのは──か、かずやくん、だけ、ですので……」

 凪沙は今日この日、初めてその名を口にした。しかし、二年近く名字で呼んでいた彼の名を呼ぶだけで、全身から火が出そうだった。バッと顔を上げる御幸のその頬も赤く、大きく目を見開いたままだ。しばし見つめ合うこと数秒、先に目を逸らしたのは凪沙だった。

「ご、ごめんやっぱ名前はちょっと待って!! これ思ったより恥ずかしい!! 練習しますので!! 何卒!! 何卒時間を!!」

「あ、あー……まあ、部活中に呼ぶわけにもいかねえしな」

 御幸は少しばかり残念そうにしていたが、納得した様子で立ち上がる。未だしゃがみ込む凪沙に手を差し出し、凪沙はその手を取って立ち上がる。

「……悪い。ちょっと、苛ついてた」

「う、ううん」

 恥ずかしそうに謝る御幸に、苛立ちの理由までは訊ねなかった。淡泊な性質だと思っていたが、御幸は案外嫉妬深いのかもしれない、と凪沙は思った。嬉しくもあるが、気を付けねば、と強く思った。こんなことで御幸のメンタルを揺さぶってるようじゃマネージャー失格だと、凪沙は身を引き締める。

「……ところでさあ」

「うん」

「それ、ずっと鳴ってっけど」

「……知ってる」

 それ──凪沙の手に握られたスマホのことだ。さっきからずっとブーブーとバイブレーションが機能している。当然、着信画面は『悠』の文字。田島としても、従兄弟との通話中に突如見知らぬ男に電話を切られたのだから──いや、この場合『一方的に見知った男』だったからこそ、こうしてしつこく電話を鳴らしているのだろうが。

「悠、御幸くんと話したがるだろうなあ……」

「なんで?」

「捕手としても、部内恋愛についても、意見が聞きたいみたい」

「あれ、あいつ捕手だっけ?」

「控えのね。この夏始めたばっかで、リードは全然だけど」

「なるほどな。ま、いいか」

 そう言うなり、御幸は凪沙の手から今一度スマホを引き抜くと、指を滑らせる。突如、愛すべき従兄弟の声が爆音で響く。

『やっと出たな、凪沙!! さっきの誰──御幸一也!? ドーユーことだよ!? ミユキってあの、青道の四番でキャプテンだろ!? カレシ!? マジで!? なんで!?』

「すげー言われよう」

「『なんで』はおかしくない?」

 失礼すぎる。主に凪沙に。やいのやいのと騒ぐ田島にどうしたものかと困惑する凪沙を他所に、御幸は凪沙の手を取ったままそのままスマホを耳元にあてる。

「ちょっ──」

「ドーモ、田島悠一郎」

『……ミユキ?』

「はっはっは。ご名答」

『……ホンモノ?』

「一応な」

『凪沙のカレシ?』

「ああ。さっきはわりーな、お前のこと元カレかなんかだと思ってさ」

『……』

 さっきまでの騒ぎようはどこへやら、電話の向こうの田島は気味が悪いほど静かだ。それをいいことに、御幸は凪沙の手をぱっと離す。

「俺に話があるんだろ。話付けとくから、仕事終わらせて来いよ」

「えっ……」

「別に何もねえよ。聞かれたことに答えるだけ」

「で、でも、」

「男同士、ちょーっと話するだけ、な?」

 そんな言い聞かせるような言葉を、当然電話の向こうの田島も聞いているはずだ。だが、田島は何も言わない。困ったように、癖で左手首を引っくり返し──時間を見て息を呑んだ。もう二十一時前だ。早く帰らねば自分の、そして送り届けてくれる御幸の明日に響く。

「わ、分かった。すぐ戻るから。け、喧嘩しないでね!」

「大丈夫大丈夫」

 そう言って、凪沙は後ろ髪引かれる思いでその場を後にして食堂に戻る。食堂にはほとんど人はおらず、みな部屋に戻るか、練習に向かったかのどちらかだろう。さっきのさっきなので、人が居なくて良かったとほっと胸を撫で下ろしながら、爆速で仕事を片付けてPCの電源を落とす。身支度を整えて鞄を手に食堂から出ようとしたところで、ベンチコートを羽織った御幸が凪沙を迎えた。

「早かったじゃん」

「あと少しだったしね。……えーと、悠、は?」

「色々聞かれて、俺が答えて、それでおしまい」

 そう言って、凪沙のスマホを返す、御幸。画面を見ると通話はとっくに終わっていて、見慣れた待ち受け画面が表示されるだけだった。

「行こうぜ。寮の門限ぎりぎりだしよ」

「う、うん」

 そう言って、御幸と並んでいつものように帰路につく。御幸の機嫌は、決して悪くない。寧ろ良いように見える。この様子から従兄弟が何か失礼を働いた、わけではないようだ。では何を話していたのか、話の節目節目に何度もそう訪ねようとしたが、そのたびに御幸の笑顔が妙に深まるので、凪沙は御幸と田島がどんな会話をしたのか、どうにも聞き出せず。結局、ほんの少しの悶々としたものを抱えながら家に辿り着くのだった。

 翌日、田島から『ミユキカズヤ、すげーな』と一言メッセージが届いていた。一体何を話したのか。従兄弟に再び電話しようかしまいか、凪沙はまた頭を悩ます羽目になった。

(嫉妬されるお話/2年冬if?)


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