御幸一也は逢引した

 冬合宿。それは野球部員にとって『地獄』とニアリーイコール。ひたすらトレーニング、トレーニング、トレーニングが続く日々。あまりのきつさに、何のために野球をするのか──そんな哲学的なことさえ脳裏に過るほど。そんな中で、十二月二十五日、所謂クリスマスだけはほんの少しだけ早く練習が終わり、マネージャーたちはチキンなどのいつもより豪華な食事とケーキを作り、カラオケ大会などのちょっとした余興が用意された。束の間の休息を全力で楽しむ部員たちは、明日からの追い込みや悲鳴を上げる身体のことは一時的に忘れることにしたのだった。

 そんな中、いつものように先輩たちからパシられた沢村と降谷は小湊春市を連れて自販機に飲み物を買いに来ていた。頬を切りつける風に小湊は震え上がるも、長野、北海道の冬を乗り越えてきた二人には大して苦ではない。重たい身体を引きずって、自販機まで辿り付いた三人は、そこに二つの人影を発見する。二人ともベンチコートを着込み、鼻を真っ赤にさせながら何やらタブレット端末を覗き込んでいる。

「あーっ!! キャップが逢引してる!!」

「栄純君シィーッ!!」

 それが誰かと視認した瞬間、沢村のどでかい声が一閃する。そこにいたのはキャプテンの御幸一也と、マネージャーの天城凪沙だった。二人の交際は周知の事実。おまけに今日はクリスマス。束の間の逢瀬を邪魔するなと小湊が引き留めるより先に、御幸と凪沙がタブレットから顔を上げた。

「ズリィっすよ!! こっちは吐くまで走らされた上にパシられてんのに、自分たちはコッソリ逢引だなんて!!」

「栄純君!!」

 沢村の声はデカいが、それは決して二人の仲を羨んでいるから──ではない、決してだ。ではなぜこんなことを言うかといえば、理由は一つ。御幸一也はこの手の話になると、途端に座りが悪そうな顔で困惑する。いつもの余裕はどこへやら、嫌味や皮肉の一つもなく照れるその顔が、普段の意趣返し代わりと化していて。とりあえず二人の姿を見たらからかうのが沢村、そして倉持たちの習慣だった。だが、今日に限っては二人は照れも恥じらいもなく互いの顔を見て、はあーっ、と大仰にため息を吐いた。

「お前らの話をしてたんだよ」

「君たちの話をしてたんだよ」

 二人同時に言って、凪沙は三人に手にしていたタブレットを見せつけた。そこには、部員一人一人のデータ──身長や体重など──が細かに刻まれれていて。

「冬合宿はみんな溶けるように体重落ちるからね、補食の相談をしてたの」

「特に沢村、降谷ぁ! お前ら吐いたろ、体重戻ってんぞ!」

「「うぐっ」」

 野球やる上でウェイトは重要だ。そういえば毎日同じ時間に体重計乗って報告しろと言われていたが、まさか逐一チェックされているとは思わず、沢村、降谷は言葉を詰まらせた。

「とりあえず一年は全員おにぎり増やすね」

「そーして。あとノリにも頼むわ」

「あー、そうだね、川上くんも──了解」

「もうちょい食にも金かけてもらえたらなー」

「次回の父母会の議題にしようか。サプリも導入したいよねえ」

「グロングとかたけーもんな。経済格差無くせるなら、大賛成」

「でも、六十人分を毎食かあ……」

「きつい?」

「だいぶね。センバツ決まったし、お願いだけはしてみるけど」

「いつもわりーね」

「いえいえ。マネージャーですから」

 そんな、色気も何もない業務連絡が飛び交い、沢村たちは呆然とする。仮にも付き合っている恋人がクリスマスにする話題じゃない、と。

「……先輩たち、中で話せばいいじゃないですか」

 ぽつりと、降谷がそう言った。確かに、部に関する話ならわざわざ人目を忍ぶような場所で、しかも寒空の下で顔を合わせることはないはずだ。だが、二人とも苦い顔をする。

「私らだって、好きでこんなとこいないよ〜」

「仕方ねえだろ、お前らみたいなのが煩ぇんだから」

「うぐっっっ!」

 鋭い返しに沢村が再び呻く。御幸も凪沙も、好きで真冬の室外で業務連絡をしてるわけじゃない。室内──人目のある場所は、どうしても一緒にいるだけでやいのやいのと騒がれる。御幸はこういった交わし方が得意ではないため、更に面白がった愉快犯たちの不毛なループが続いてしまう。そのため、面倒だから人目のないところで話をするようになってしまったのだ。

「スンマセン、エンジェル先輩……」

「こらこら、俺にも謝れ」

 素直に謝る沢村は、凪沙にだけぺこりと頭を下げた。御幸はそう言いつつ、大して気にしていない様子だ。

「それより、倉持たちにも言っとけよ。俺らだって遊んでるわけじゃねえんだから、あんま騒がすなって」

「ウ、ウッス……」

「兄貴にも言っておきます……」

 小湊も申し訳なさそうに頭を下げる。兄の方も御幸をからかうこれ以上ないネタと言わんばかりに弄り倒してくるため、そうしてもらえると助かると御幸は心底感謝した。自販機で人数分の飲み物を買う間も、二人の間で飛び交うのはやれ二軍がどうだトレーニングがどうだという野球部に関する話題のみ。これからはあまり茶化すまい、茶化すなら御幸が一人の時に、と沢村は一人妙な誓いを立てる。

「それじゃ、僕ら戻ります」

「はーい、おやすみー」

「クリスマスだからって浮かれすぎんなよー」

「わぁーってますよ!!」

「……おやすみなさい」

 そうして熱い缶をお手玉しながら帰っていく一年生三人を、御幸と凪沙は見送る。そうして二人して、何となく互いの顔を見つめる。

「逢引ねえ」

「逢引なあ」

 言われてみれば、クリスマスの夜に人目を避けるように顔を合わせているのだから、そう見えても仕方ないだろう。どちらからともなく笑いだす二人を、咎める者はこの場にはいない。そうしてベンチコートのポケットに手を突っ込んでいた御幸は、何でもないようなそぶりで手のひらサイズの箱を取り出して、凪沙に差し出す。グリーンのリボンがかけられたそれが、何とも分からぬほど凪沙も馬鹿ではない。

「そりゃ、逢引の一つもしたくなるっての」

「御幸くん……!」

 メリークリスマス、そう告げる御幸は照れくさそうにはにかむ。きゅーんと心臓が高鳴る凪沙もまた、ベンチコートから折りたたまれた手のひら大の包みを引っ張り出す。こちらにも、綺麗なリボンがかけられていて。

「考えることは……同じですねえ」

「ぶはっ、マジかよ!」

 ──誰に言い訳するつもりはないが、示し合わせてなどいなかった。恋人と迎えるクリスマスは、冬合宿に直撃していた。同じ部活であるため、顔を合わせられるだけましかとお互い考え、ならプレゼントぐらいは渡せるだろうかと淡い期待を胸にこっそり準備をし、『ちょっと明日のことで話があるから二人で会おう』なんてメールを送り合った時に、チャンスがあればとコートのポケットにプレゼントを滑り込ませてきたのだ。

 メリークリスマス、と二人で言い合いながら、プレゼントが交換される。むずむずとした、くすぐったいような感覚に包まれながら、互いのプレゼントを手にする。

「開けていい?」

「あー、まあ、うん」

 凪沙の手にある箱は、見かけよりも少し重い。逸る気持ちを押さえながら、リボンをするりと引き抜いて包装紙を丁寧に剥がす。オフホワイトの箱を前に胸の高鳴りは止まらず、ゆっくりと開けていく──。

「腕時計!」

「天城、いつもしてるから」

「えっ、かわい──嬉しい……ありがとう……!」

 中に入っていたのは、腕時計だ。明るいミントグリーンの文字盤に、金の数字が刻まれている。メタル製のバンドは細く、軽やかな印象を受ける。携帯やらスマホやらの普及で腕時計をしている生徒はほとんど見かけない中で、凪沙は腕時計で時間を確認する姿をよく見かけ、妙にそれが目に留まった。夏の日も冬の日も、彼女はほぼ毎日腕時計をしていた。その理由は聞いたことがなかったが、きっと送れば使ってくれるだろうと、御幸はほぼ迷うことなくプレゼントに決めた。想定以上の喜びに、御幸もまたじいんと響くような幸福を噛み締める。いつか彼女が言っていた、『プレゼントを贈る喜び』というものが、今日ほど理解できたことはない。

「最近あんまいねえよな、腕時計してる奴」

「そうだね。みんな携帯あるしね」

「天城、時計好きなの?」

「好きっていうか、癖に近いかなあ」

「癖?」

「親が時計する人でね。『時間は有限であることを忘れないために、こまめに確認しなさい』、っていつも言ってて」

「へえー。そういう親の教えっていうの? かっこい−な」

「そ、そうかな」

 親も凪沙も携帯やスマホを所持しているが、それでも時間を確認する時は迷わず腕を見ていた。子どもの頃も、母親の腕にしがみついて時計を見たものだと、懐かしさが凪沙の中で込み上げる。確かに言われてみれば、腕時計をしている友達は少ない。私服の時にファッションで、という子は多いが、制服やジャージ姿で時計をしている子は稀だ。そういう姿をちゃんと見てくれていたのだと思うと、凪沙はその場に崩れ落ちそうな喜びに襲われる。今つけている時計をするりと外し、緑の文字盤の時計を左手首に通す。冷え切ったメタルバンドが、今はとても心地よく。

「ど、どうかな。似合う、かな」

「いいんじゃねえ?」

「……やばい、嬉しすぎてぐちゃぐちゃになりそう」

「紙屑じゃねえんだから」

 独特の表現方法に、御幸はけたけた笑う。だが、凪沙は少しばかり焦りが生じていた。失礼ながら、まさか御幸に実用的かつ洒落たものをプレゼントするセンスがあるとは思わなかったのだ。失礼にもほどがあるが。実際は、凪沙はほぼ日替わりでいくつもの腕時計を代わる代わるつけていたため、御幸から見ても好みの傾向が絞りやすかっただけなのだが。それを知らぬ凪沙は思う。参ったな、と。

「えー、どうしよ。私のプレゼント、あんま可愛げないんですけども……」

「加湿器プレゼントしてきた奴が何言ってんだよ」

「そこは……意外性も込々で……」

 なお、御幸の誕生日プレゼントとして贈られた加湿器は、今日も部屋で元気に蒸気を吹き上げている。下手に身に着けないアクセサリーなんかを送られるよりはありがたいのだが、可愛げがないと凪沙は少しだけ凹んだ様子。どうやらこのプレゼントも、そういったものなのだろう。手渡された包みは布製の物だろうか、見た目よりはずっと軽い。何が入っているのかは想像ができないが、マフラーや手袋、といったベタなプレゼントではないのだろう。一体何が出てくるのかと、半ばビックリ箱を開けるような気分で包みを開ける。

「……なにこれ?」

「ホットアイマスク……」

 包みには、シンプルなデザインのアイマスクが入っていた。凪沙らしい、実用性に振り切ったアイテムだと、御幸は笑みが込み上げる。

「こういうの試してみたかったんだよ、嬉しいわ」

「ほ、ほんと? これ、USBで充電してあっためて使う奴なんだよね」

「すげえ高性能じゃん、助かる。解析中ほんと目がしんどくてさ」

「だよね。私もたまに使ってる。これすごいのが、なんとタイマーついてるの! 寝る前は勝手にオフになってくれる優れものってわけですよ!」

「へえー。てことは、天城とお揃い?」

「あ──う、うん、色違いの奴……持ってて……」

 ただ自分が使っていてよかったものをお裾分け、とばかりの考えだった凪沙は、そこまで頭が回らなかった。御幸の指摘に、今日一番顔に熱が集まっていく。そんな顔に御幸もまた照れが伝播し、二人して顔が赤らんでいく。

「ありがたく、毎日使わせてもらうわ」

「わ、私も! 時計! いつもつけるから!」

「……おー」

 想像する。互いに贈った物が、いつも彼らの傍にある姿を。凪沙は朝起きて必ずこの時計を腕につけて、御幸は夜寝る前にこのアイマスクを手に取る。何でもない日常の風景に、自分たちの贈り物が溶け込んでいくのだ。そうしていつも、互いを思い出すことができる。例えこれから二人だけの時間が十分に取れなくとも、日が昇るたびに、日が落ちるたびに、自分たちはそこに確かな繋がりを見出すことができるのだ、と。

 肩だけが触れ合う距離の中で、二人はただ並んで寒空の下そこに立ち尽くす。言葉も、行動も必要ない。今はただ、二人の間に流れる静かな時間を、数少ない時間を享受していたいと、願ったからだ。



 なお、そんな光景は主に三年生たちにしっかり目撃されており──小湊春市による必死の説得は『糠に釘』状態だったことはもはや言わずもがな──スマホや携帯を構えて真冬の夜にデバガメしていた彼らの苦労、もとい好奇心は徒労に終わった。おかげで部屋に戻った御幸は『キスぐらいしろ』『つまんねー男』『お前らプラトニックすぎねえ?』などという謂われない罵倒を散々に浴びせられる羽目になったのだった。

(クリスマスのお話/2年冬)


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