「カラオケとか?」 「喉壊して風邪引かせたら困るし……」 「ベタだけど遊園地もいいよね」 「この時期に人混みは危ないって!」 「アイススケートは? 行きたいって言ってなかった?」 「骨折でもさせたら投手陣に殺されちゃう!!」 「あんたデート行く気あるの?」 「あるから相談してるんだよおおおお」 机に突っ伏してオイオイと声を上げる私に、マネジ仲間のさっちんとなっちゃんは大いに困惑していた。正直、気持ちは分かる。 なんでこんな相談を始めたか。事の発端は数日前。思いもよらぬ話題が上がったことがきっかけだった。 『でーと』 『うん。年始、デート行こう』 ぽかんとアホ面晒す私の横で、御幸くんは真面目な顔をしてそう言った。それがすべての始まりだった。 御幸くんと付き合いだして、数か月。秋大を制し、ようやくお互い張り詰めていた空気のようなものから解放されたような気がする。しかし、付き合う前と何か変わったかと言われれば、特記すべきことはさほどなく。せいぜい毎晩家に送り届けてくれる役が御幸くん固定になったぐらい。センバツに向けて練習に精を出す彼と、サポートする私。当然遊び歩いている暇は一日だってない。野球部の一員としては充実としていると思う。ただ、人に言わせれば『何が楽しくて付き合ってるのか分からない』、のだという。そういうものなのか。これでも朝と夜にはメールで連絡取りあうし──御幸くんは未だガラケーなので、メールでのやり取りは一周回って新鮮で楽しい──、部活に行けば必ず顔を合わせるし話もできるし──特に御幸くんが負傷してレギュラー外された際は、二人で夜遅くまで試合のビデオとにらめっこしたものだ──、夜はこうして二人きりになれる──この穏やかな十分足らずの時間を、私は何より心地よく感じていた──。 なので、御幸くんの口から『デート』なんてワードが出るとは、夢にも思ってなくて。 『えーと……気ぃ、使ってる?』 だから、素直に『嬉しい』と言えるほどの愛嬌もない私は、可能な限り気を悪くしないよう尋ねた。 勿論、お誘いは嬉しい。あの御幸くんにそんな風に思ってもらえるほど、私はこの人に大事にされてるんだ。そう考えるだけで頬がブワーッと熱くなる。でも、御幸くんがどれだけ野球に打ち込んでいるのか、私はよくよく知っている。日々の練習だって倒れるほど辛いのに、その上自主練習までするほど御幸くんは──いや、御幸くんだけじゃない。青道にきた野球部員はみな、高校三年間全てを捧げて悔いを残さないほど、野球が好きだ。大好きなのだ。だから、その、言い方は悪いが、デートをするだけの暇──ゆとり──余裕──どれも口には出して言い辛いが、要は私に割く時間は野球に当てた方がいいのではないか、と思うわけだ。 しかし、せっかく気を使ってもらったのに私の回答があんまりだったからか、御幸くんは少しだけ眉尻を下げた。 『俺とデート行くの、嫌?』 『い──嫌じゃないよ! 嬉しいよ!』 『だったら行こう』 『でも──』 『気を使ってるとかじゃない。俺が、天城と、デートに、行きたい』 一言一言、区切りながら言う御幸くん。まるで母親が子どもに言い聞かせるような口ぶりだ。怒っている──わけではなさそうだけど、試合中でもないのに声に勢いを感じて、私は無言でコクコクと頷く。それを見た御幸くんはぱっと表情を明るくさせた。けれどすぐに、むっとした表情でその場にへたり込んでしまった。 『……天城さあ』 『うん?』 何かを言いよどむ、御幸くんは俯いたまま。私はちらりと周りを見回す。夜も遅く、人通りのないこの道なら通行人の邪魔にはならないだろう。道の脇でしゃがみ込む御幸くんを正面に、私もゆっくりとその場で膝をつく。 ややあって、御幸くんは地面に向かってぼそぼそと言葉を紡ぐ。 『あのさ、告白したの、俺』 『え、あ、うん。覚えてる、よ』 『なのに当たり前のように他の男と帰ろうとするお前を引き留めたのも、俺』 『へあ、いや、その、バレたらまずいって話で、』 『野球馬鹿どもに取られないように牽制してるのも俺。部活中なんとか時間作って話しかけに行ってるのも俺。オフの日まで自主練してる俺が悪いのは分かってっけど、今デートに誘ってるのも俺!!』 ぶわっと、体の中で火を焚いたように熱くなる。御幸くんの言葉が、私の心臓をびゅんびゅんと揺さぶる。私に負けないぐらい耳を真っ赤にした御幸くんは、まだ顔を上げてくれない。 『──俺、ばっかじゃないかって、思うでしょ、そりゃ』 『そんなことない!』 白い吐息と共に消え入りそうな声に、私は全力で否定する。 正直、信じられなかった。御幸くんが、こんな、その、そういうの、言うのって。全然想像できなかった。思ったことずばずば言うとは思ってたけど、人付き合いに関してはスーパードライな人だと思ってた。全然他人を頼らないし、付き合う前にいい雰囲気になった、ってこともなかったし、何でこの人私に告白したんだろうって、思う日もあった。でも、私、馬鹿だ。こんなに、こんなに大事にしてくれてたのに。顔、熱いし、どきどきと心臓の音が耳から聞こえてくるほど。でも、言わないと、私。 『う、嬉しい。すごく。デート、行きたい。ずっと、行きたかった』 『……そっちこそ、気ぃ使ってない?』 『使ってないよ!』 『ほんとかねえ』 『ほんとだよ!! わー、自分で言ってアレだけど、言われると存外傷付くもんだねえ!』 本心からの気遣いも、行き過ぎれば相手への無礼に当たる。だってそれは、その人の言葉を信用してないってことと、同じだから。猛省する私を前に、御幸くんはようやく顔を上げてくれた。さっきとは打って変わってにやにやと、意地悪そうないつもの笑顔だったので安心した。 『俺の気持ち、分かった?』 『ごめんなさい。御幸くんの言葉を、疑うなんて』 『いーよ別に。野球やってる俺を大事にしてくれてるのは、分かってるし』 流石キャプテン、器が広い。後輩にタメ口利かれても笑って許せる度量は──本人は自覚ないみたいだけど──やっぱ上に立つ人間って感じがして、かっこいい。こういうところを間近で見るうちに、好きになっていったんだろうなあ。そんなことをほくほくと考えながら、二人でゆっくりと立ち上がる。頭一つ分遠くにある御幸くんの顔は、投球練習をする降谷くんや沢村くんを眺めているときのように、穏やかだ。 『自分で言うのもなんだけど、天城俺と付き合ってて楽しい?』 『え? なんで? 楽しいよ。じゃなきゃ毎日メールしないよ!』 『……『今日は沢村くん調子よさそう』とか『Bグラで一年が揉めてた』とか『午後は買い出し行く』とか、業務連絡ばっかじゃねえか』 『や、だって他にメールって……何、する……?』 『そりゃあ……日常会話とか……?』 『そういうのは、会った時にしたいなあ。毎日会えるわけだし』 『それ部活中をカウントしてるんじゃねえだろうな』 『……よ、夜! こうして送ってもらえてるし!』 『たかだか十分そこらなのに?』 ……なんというか、考えれば考えるほど御幸くんこそ何が楽しくて私と付き合ってるのか、と言いたくなる。御幸くんを不安がらせてしまうのも納得の彼女失格っぷりだ。確かに、告白された時はびっくりした。御幸くんの勝負強いところはかっこよくて憧れるなあ、というぼんやりした好意はあったけど、それは好きだとか付き合いたいとかじゃなくて、自分もああなりたいなあ、という夢物語に登場するヒーローに向ける感情と同じだったから。 でも、今は違う。私はちゃんと、御幸くんが好きで、お付き合いをしてるのだから。 『あ──あのね。ほんとに、私、ほんとに、嬉しい』 『はっはっは。そんな何度も言わなくても、分かってるって』 『そ、そうじゃなくてね。その、御幸くんがデートしたいって言った、理由』 『理由?』 『うん』 目の前にいる御幸くんを見る。マフラーに首を埋めながら、こちらをじっと視線を向ける御幸くんをかっこいいな、と感じるようになったのはいつからだろう。いつからどきどきするようになったんだろう。あんまり覚えてないけど、確かなことが一つある。私、今日ほど御幸くんにときめいた日はない、って。 『御幸くん、自分がしたいから、デート、しようって』 『それが?』 『……付き合ってるから、とかさ。恋人として、とかじゃないんだなあ、って』 『──、』 『御幸くんがしたいから、っていうのが、すごく、嬉しくて』 そもそも、野球部に所属していてオフの日なんて、一年通して数えるほどしかない。普段美容院に行くことさえ儘ならないほど忙しいのに、その貴重な休みに私と一緒がいいと、彼が言ってくれたことが、何より嬉しかった。お休みにできることはたくさんあるのに、その中でも私を選んでくれた。義務や責任感ではなく、自分がしたいから、という理由で。野球以上に私を大事にしてほしいなんて言うつもりは毛頭ないのに、その日だけは野球じゃなくて私のことを見てくれるんだと思うと、嬉しくて、嬉しくて、涙が込み上げてくるほど、愛しくて。 御幸くんがどういう意図でその言葉を選んだのか、分からない。無自覚かもしれない。でも、それでもよかった。その一言を引き出しただけで御幸くんと付き合ってよかったと思えるぐらい、私は幸せなんだから。 『お前さあ』 『うん』 『……俺のこと、すげー好きなんだな』 『う、うん……』 改めて当の本人から言われるのは、いささか面映ゆい。でも、これで御幸くんの不安が少しでも晴れれば、なんだっていいや。俺ばっか、なんて。悲しいことは言わせちゃだめだ。うー、でも、御幸くんが、あの御幸くんがこんな風に心乱してくれるのは正直すごく嬉しかったりするので、私はほんとに悪い彼女だ。でもだめだ。こんなことで喜んでちゃ、いけない。そうやって自分への気持ちを確かめるなんて、御幸くんに対して不誠実すぎる。邪な考えを振り払って、私は御幸くんに宣言する。 『デート、楽しみ!』 『ん、俺も』 そうして、どちらともなく手を取った。ミットを付けて、ボールを取る手が、私を握りしめている。同じ手とは思えないほど硬くて、ごつごつしてて、そしてちょっぴり冷たい。そんな触れ合いだけでもくすぐったくて、むずむずして、照れ隠しにへにゃへにゃ笑うと、御幸くんはすごく優しそうな表情で目を細める。もう十二月にもなろうって時期なのに、その顔見るだけで寒風すら吹き飛ばせるぐらいあったかい気持ちになるんだから、恋ってすごい。 『デート、どこ行きたい?』 『そう言われるとぱっと出てこないね……御幸くんは? 希望ある?』 『俺もそういうのよく分かんねーんだよなあ』 『じゃあ私、デートスポット調べる!』 『俺も考えとく。んで、今度二人で作戦会議な』 『おお! なんかカップルっぽい!』 『こらこら』 カップルだろーが。知ってる知ってる。そんなくだらないやり取りをしながら、冬の寒さに負けないぐらいあったかな気持ちになって帰ったのが数日前。そして私はデートスポットなる場所をあれこれ探し始めた。最寄り駅から電車で三十分もあれば遊び場所に困らないのは西東京のいいところだ。そうしてあれこれいい感じのデートスポットをピックアップするまではよかったし、楽しかった。ウッキウキで御幸くんと二人で肩を並べる日を想像し、一人にやついていた。 しかしふと気付いてしまうのだ。あれ、デートって意外と危険がいっぱいだな、って。 「そもそも冬場の人混みってのが危なすぎてさあ……」 「あんた御幸くんのお母さんか何か?」 「さ、流石にその辺は織り込み済みじゃない……?」 「でもさあ、ただでさえマネジと主将っていうビッミョーな関係なのに、その上デートに連れてってインフル罹って練習一週間参加できませんじゃ、部員からヒンシュク買うって絶対……」 映画館、遊園地、動物園、水族館──そりゃあ、行きたいところはたくさんある。けど、もし私がデートに連れ出したことで御幸くんが変な病気拗らせたらどうしよう、そう思うとサアーッと全身の血の気が引いた。彼の練習時間を削ることになるのは勿論だけど、一番心配してるのは部への、正確には御幸一也キャプテンへの求心力が揺らぐのではないか、という点だった。お世辞にも御幸くんは気が利くタイプじゃない。前主将の結城先輩と同じで『黙って俺についてこい』といった指針だ。ただでさえマネージャーと主将が付き合ってるって結構アレな感じなのに、その上デートで風邪貰ってきましたなんて言われたら、下級生たちは、同級生はどう思うだろう。 野球に三年捧げるような子たちだ、そんな意地悪な人はいないって分かってるけど、それでも理性だけじゃ物を語れないのが人間だ。女の子と遊んだ挙句風邪引いて練習を休む──事実を文字として並べただけだけど、私自身が客観的に見たっていい印象は抱けない。無論その逆も言える。オフシーズンだろうが、マネージャーだってやることは山積み。遊び惚けて風邪拗らせる、なんて印象が悪すぎる。監督になんて弁明すればいいのか。 「人混みはNG、交通機関も使いたくない、運動系は論外」 「この辺散歩でもしてれば?」 「さっちん冷たい!」 「デートスポットに人が集まるのは当然だろ! みんなデートしに来てんだから!」 「分かってるけどおお……」 そうなってくるとほんとにこの辺を散歩する以外の選択肢がなくなってしまう。流石の私でも一日中学校近辺を散歩することをデートとは呼ばない、ぐらいの良識はある。いや別に散歩だって御幸くんと一緒ならきっと楽しいとは思うけれども。寒空の下一日歩き回るのはヘビーすぎるし、久々のオフなのだから御幸くんの身体に負担をかけるようなことはしたくない。 しかしこれといっていい案も思い浮かばず頭を抱えている私の前で、なっちゃんがあっと小さく息を呑んだ。それから素早くスケジュール帳を引っ張り出して、ぱらぱらと捲り出す。 「凪沙ちゃん、そのデートっていつ?」 「え? 年始のオフの日だけど。去年と同じで──」 「去年と同じ年始のオフの日って、 あ、と私の間抜けな声と、あの馬鹿、とさっちんが呆れたように顔を顰めたのはほぼ同時だった。すぐさま携帯を取り出してメールを打ち込む。無論、御幸くんへ送るメールの件名は、『エマージェンシー』である。 『隊長! 三が日のデートスポットはどこもお休みであります!』 そんな文面を見たかどうかは定かじゃないけど、さっちんもなっちゃんも何とも言い難い優しい眼差しで、私を慰めるように頭を撫ぜるのだった。 (初デート騒動のお話/2年秋〜冬) |