御幸一也はデートしたいA

 数少ない年始のオフの日を狙って彼女をデートに誘ったら『三が日のデートスポットはどこもお休みであります!』と返事が来た。つくづく俺は野球以外何もできない馬鹿だと痛感した。

 一年の頃、些細なきっかけで何となく気になっていたマネージャーの天城凪沙とは、数か月前から付き合うことになった。一年越しの片思いの末に結ばれた、と表現すると凄まじいドラマ性があるように聞こえるが、実際はそんなこと全然なかった。寧ろ、付き合うことになるとは思わなかった。無論、あいつが嫌いなわけじゃない。寧ろこういった恋愛沙汰に慣れないなりに、俺はあいつのことが好きなんだろう、というぼんやりとした好意を抱いている自覚はあった。だが、それを告げるつもりはさらさらなかっただけで。

『野球部にいる以上、彼女ができてもロクに遊べねえぞ』

『修学旅行にも行けないんだ、愛想つかされるぜ』

 といった忠告は先輩たちから散々聞かされていたし、『野球と私どっちが大事なの』といったベッタベタな大喧嘩の末に彼女と別れた先輩も見てきた俺は、高校生活三年は野球に捧げるつもりでいた。天城への思いも、一時的な気の迷いだと決めつけて、だ。なのに、存外天城は野球部の先輩方に人気があると分かって、柄にもなく焦った。他の奴に盗られてたまるかと、本来誰の物でもない彼女に対する独占欲が先走り、うっかり告白してしまった。誰にも告げるつもりもなかったのに、だ。結果的にOK貰えたからよかったものの、恋愛は人を馬鹿にするとはよく言ったもんだと我ながら感心した。

 さて、曲がりなりにも一年以上片思いしてきた奴と付き合い始めたのだから、それ相応に生活の変化を強いられると思っていたが、俺の予想に反してそんなことは全くなかった。そもそも、キャプテンに任命されてから俺のキャパシティは限界値に近く、告白しといて何だが天城に構ってる暇が全くなかった。付き合ってから変わったことと言えば、毎日おはようおやすみのメールが届くぐらいで。しかも俺はそれすらまともに返信できていないという体たらく。なるほどこれは愛想尽かされるわけだと、理解していながら破局覚悟で俺は野球部を優先した。ここで現を抜かすわけにはいかない。俺が立ち止まってるようじゃ、甲子園など夢のまた夢なのだと、あの夏、痛いほど味わったのだから。

 しかし、俺が思っていた以上に天城は無欲だった。いっそ清々しいまでに、俺に彼氏としての役目を要求してこなかった。メールを無視しても文句を言わず、ロクに二人の時間が作れずとも怒らず、こんな体たらくに謝罪一つ言えない俺をただ笑って許していた。それを楽だと思う以上に不安になったのは、いつからだろう。曲がりなりにも告白していい返事を貰えたのだから、多少の好意はあると思っていたのだが、実際は嫌々付き合っていたのだろうか──という疑念を抱いたのが、全ての始まりだったと思う。

『ええ? 好きだよ?』

 告白してからロクに時間も取れない中、一ヶ月ほどの周期で巡ってくるマネージャーの送り迎え役を甘んじてこなしている時だけが、唯一天城と二人きりでゆっくり話せる時間だった。付き合っていながら他の男に送迎させる現状もどうかと思うが、秋大中は往復二十分の時間を作ることさえ難しかった。だから、次にこうしてローテーションで役目が回ってきた時に言おうと思っていたのだ。天城って俺のこと好きなの、と。

 ただ、返ってきた答えは、実にあっけらかんとしたもので、安堵もしたし不安にもなった。矛盾した感情に戸惑う俺に、天城はアッと息を呑んだ。

『す、好きだよ!』

『……お、おお』

『あれ?』

 こちらの不安を嗅ぎ取ったのか、疑問形ではなく断定された。照れも恥じらいもないその言葉に疑問が残らないでもなかったが、天城はこういう時に嘘言う奴ではないし、そこまで鈍感極めてる奴でもない、はずだ。こいつの言葉に、裏表などないのだから。

 天城と付き合うのは、言い方は最悪だが、『楽』だった。嘘も吐かないし、我儘も言わない。俺には何も求めないくせに、俺が求めれば文句一つ言わずに与えてくれる。こんな風に、数少ない時間の中で俺の欲しい言葉をすかさず返してくれる天城を見ていると、やっぱ好きだな、と思う。反面、だからこそ焦る。俺は与えられているのと同じぐらい、こいつに何かを返せているのだろうか、と。

 キャプテン就任からは情けないぐらいいっぱいいっぱいで、周囲に目を向けることができず、そのせいで細々としたトラブルが続いた。結果さえ出せばと、ひたむきに走り続けるしかできない不器用な自分に辟易した日もあった。それでも、野球に向き合っている時間だけは楽しかった。そんな中で、練習を、試合を、目一杯サポートしてくれたた天城には、何度も助けられた。たまに目が合うと笑って、『お疲れ様』と言ってくれる声に、救われた。こうして帰り際の僅かな時間に触れ合えば、疲れなんか吹っ飛んだ。マネージャーとして、そして恋人として天城は文句のつけようがないほど尽力していたのを誰よりも俺が知っていたからこそ、焦燥感がじわじわと襲い掛かってくる。こいつが俺の元から離れたらどうしよう。いや、離れる以前の問題だったら? こんな思いをするぐらいなら、『野球と私どっちが大事なの』と泣き付かれた方がマシだっただろうか、なんて馬鹿げたことを考えるほどに。

『……あのさ、ほんとのこと、言うとね』

 ドキッと心臓が嫌な音を立てて跳ねた。天城はいつになく真面目な表情を浮かべている。聞きたいような。聞きたくないような。でもひょっとすると俺の望む言葉をまた、くれるのではないか。いいや、全く正反対の言葉だったら。たった一瞬の間にあれこれといい予想、嫌な予想が駆け巡る。
 
 それでも期待を捨てずにいられたのは、繋がれた手がぎゅっと小さく力を込められたから。

『御幸くんのこと、そういう目で見てなかったから、告白してくれた時、わりと、びっくりした』

『……まあ、そうだよな』

 寧ろ、OK貰えたこっちが驚いたほどだ。天城とはクラスも違うし、委員会で一緒になったこともなければ、特別プライベートで話す間柄でもなかった。せいぜい次の対戦相手の観戦に行くとか、一緒にビデオチェックをするとか、言ってしまえば野球部員同士としての関わりしかなかった。俺も口が上手い方じゃないし、天城も部活中に余分な私語をするような奴でもなかった。ただただ、あの日を境に、こっちが勝手に好いているだけだろうと、思っていたのだ。

『こ、これでも、御幸くんのことは、かっこいいなあ、とは思ってたんだよ』

『へえ〜、初耳』

『ほら、御幸くんプレッシャーに強いでしょ。ランナーいる時の方が打率いいとか、なんかもう、すごいなあーって。でも、それって恋愛的にっていうか、たぶん、ヒーローに対する憧れ? に近かったんだと思う』

 天城の素直な言葉は、聞いてて恥ずかしくなる時はあるけど、それ以上に心地よく感じるので、好きだった。余計な飾り立てのない、ありのままの天城の言葉に惹かれたんだったな、などと朧げな記憶が脳裏をよぎる。

『でもねえ、あの時──ときめいちゃったんだよね』

『……いつ?』

『告白、してくれた時』

 へへ、と照れくさそうに笑う天城を見て、今までの不安が嘘のように消し飛んだ。首を傾けて、こちらを見上げる天城の目は、柔らかだ。

『私、ボール籠落としちゃったじゃない?』

『ああ、あの時な──ぶフッ』

『そこ! 思い出し笑いしない!』

『だっておま──びっくりして籠落とすとか──ベタ、過ぎて……ッ!!』

 思い出すだけで喉の奥から笑いが込み上げてくる。そんな空気でもなかったのにうっかり飛び出した告白に、天城は面白いぐらい動揺してボールが入った籠を床に落とした。たちまち散乱するボールにギャーッという此処一番の悲鳴を上げて目を見開く天城の顔があまりに気迫迫るもので、動揺を招いた筈の俺自身が空気も読まずに笑い転げたんだったか。

 未だ笑いが収まらない俺に、天城はジトっとした視線を寄越す。だが、すぐに懐かしそうに両目を細めて微笑む。

『その時、御幸くんが笑ったんだ』

『そりゃお前、笑うでしょあんなの──』

『……あの頃の御幸くん、あんまり、笑わなくなってた、から』

 言葉が、詰まった。天城に告白したのは、三年生が引退して俺がキャプテンに就任してすぐのことだった。あの頃は本当に、余裕がなかった。思い返せば、腹を抱えて笑ったのは本当に久しぶりで──。

『久々に見た御幸くんの笑顔に、ときめいちゃったんだよねえ』

 あー、単純! ときゅっと顔を顰める天城の頬は、ほんのりと赤らんでいる。その顔を見て無意識のうちにそのか細い腕を引っ張って、天城の身体を腕の中に閉じ込め、力いっぱい抱き締めていた。四六時中野球やってる筋肉ダルマどもとは似ても似つかないふにゃふにゃした感触。桃っぽいフルーツの匂いと、汗と肌の匂い。落ち着くような、腹の底がずくずく疼く様な、得も言われぬ矛盾した気分になる。野郎どもはすげえ臭いさせてんのに、何で女子って汗かいてても臭わねえんだろ。同じ量ではないにしろ、同じようにメシ食ってるはずなのに。

 衝動的な行動にも、やはり天城は抵抗しない。それどころかおずおずと、胸元に額を摺り寄せてきた。たったそれだけで、自分の想いが身勝手なものじゃないと分かる。天城は、分かりにくい。分かりにくいけど、聞けばちゃんと答えるし、手を伸ばせば触れてくれる。そんなの分かってたはずなのに、改めてその事実を目の当たりにすると言葉が出てこなくなる。満ち足りている、という表現は、こういう時に使うのだろうか。くすぐったい感情が、肺いっぱいを渦巻いてるみたいに思えた。

『こうして私は、あっさりと御幸くんを好きになったのですよ』

『……俺、お前が分かんねーよ』

『んん?』

 もぞもぞと腕の中で身動ぎし、息継ぎするように顔を上げる天城の頬は今までで見たことないほど真っ赤だ。けど、その目は俺の脳内を覗き見るような──ちょうど、対戦校のビデオチェックをしている時と同じような顔だった。

『好きなら、もっと色々やりたいことあるんじゃねーの』

『やりたいこと、かあ』

『お前、何も言わないだろ。そりゃ、気ぃ使ってるのは分かってっけど、さ』

 我儘を叶えてやれる程の時間はないくせに、我儘を言って欲しいと思う自分がいる。無茶苦茶なのは分かってる。そんなことで愛情を感じたい、なんてエゴをぶつけるつもりもない。だけど、せめて、だからこそ。

『謝るぐらい──させろよ』

 悪い、会う時間が無いんだ。悪い、デートする時間も取れなくて。悪い、メール返信できなくて。謝って何が解決するわけでもない。寧ろ期待させるだけ裏切ってるだけかもしれねえ。それでも俺は、天城の本音が聞きたかった。その本音に、謝罪するぐらいの誠意を、見せたかった。

『……私、そんなに我慢してるように見える?』

『分かんねーから怖いの』

『そうは言っても、ほんとに私、不満ないよ?』

『いやいや』

『そりゃあ、欲を言えばもっとお話したいなあ、とかは思うけど』

『思ってんじゃん』

『思うよそりゃあ。好きなんだから』

『……じゃ、それって我慢してるってことじゃねえの』

『うーん、そういう訳でもなくてねえ。何て言えばいいんだろ』

 会話は穏やかで、天城も心なしかいつもよりにこにこしてる。少し顔を近づければキスできそう、とか思ったけど、流石に我慢した。

『すっごい極論なんだけどね』

『ん』

『……ひ、引かない?』

『引かねえ』

 此処に来て、珍しく天城が言い淀む。あの天城がそうまで言うってことは相当なのだろうと腹を据えて言葉を待つ。あー、うー、などと言いながら下唇を食んで、天城はややあってぼそぼそと言い出した。

『ここ最近ね、朝起きて、学校来て。御幸くんが元気に野球してる姿を見るの』

『うん』

『御幸くん、すごくかっこいいから、ついつい見入っちゃうんだよね』

『……それで?』

『そしたらいつも、御幸くんが私に気付いて、『おはよう』って挨拶してくれて』

『まあ、顔合わせりゃするだろ』

『その時の御幸くんの目がさ、すっごい──すごい、優しいから』

 照れくさそうに天城は目を伏せて、綺麗な思い出を語るように口にする。そんなの、毎日毎日の出来事だってのに。それを、とんでもなく特別なことのように、こいつは。

『──私、それだけで、『御幸くんと付き合っててよかった』って思ってる、ん、だけ、ど……』

 ──本当にこいつは、俺の想像を軽々と越えてくる。よっぽどのことなのだろうと、覚悟を決めたつもりだった。だが、こんなの予想外にも程がある。なに、こいつ。普段そんなこと思って、こいつ、マジ?

 流石に恥ずかしいこと言ってる自覚はあるのか、耳まで真っ赤になった天城は再び俺の胸に額をぐりぐりと押し付けてくる。待ったそういう可愛いことしないで欲しい。こんな時期に送り狼になるのはまずい。真面目な話してんだから。表情筋をフル稼働させて真顔を取り繕う俺の努力が功を奏したのか、天城は顔を上げるといつも通りへらりと笑った。

『私は野球が一番の御幸くんが好き。でも、御幸くんが元気に野球に打ち込んでる中で、私のこともちゃんと大事にしてくれてるのも分かるから、すごく嬉しくて』

 繋がれた手に、ぎゅっと力が籠るの。手のひらを通して感情が伝わるなんて、随分と非科学的だろうに。だけど、不思議と天城の気持ちが、分かる気がした。なんて。

『だから今すごい幸せで、不満なんてないんだよね』

『……そんなん、あり?』

『ありだよ。だからさ、そんなに気負わないで欲しいなあ』

 気負ってるつもりはない。だが、その一言で肩の荷がどすっと音を立てて落ちていったような感覚。ああそうか、俺、そんなに思い悩んでたのか。何も言わずについてきてくれる天城の気持ちが離れるんじゃねえかって、ずっと。時間がないことを言い訳に、天城に向き合えてないのは、他でもない俺なのに。

 だからこそ、現状が決して褒められたものじゃないことぐらい分かってるからこそ、何か、何か『今』を変えたい。大会が終わったら、なんて免罪符はナシだ。今この瞬間からできることを、したい──そんな考えを、言葉少なな俺から天城はしっかりと読み取ったらしい。眉を八の字に曲げて、彼女ははにかんだ。

『じゃあさ、もし私に対して申し訳ないなーって思うなら』

『ん?』

『メールしよう。私、御幸くんから返事欲しいな』

 ──何気ないその一言に、愕然とした。

『俺、メールの返信したことないっけ』

『うーん、多分……あんまり?』

 困ったように言葉を濁す天城。この反応だ、恐らく返信した回数はほぼゼロに等しいのだろう。天城は毎日朝と晩に連絡をくれるってのに。偉そうなこと言っておきながら自分の駄目さ加減が予想以上すぎて落ち込む俺に、天城はフォローするように言葉を繕う。

『ええとね、正確に言うと返事が欲しい訳じゃなくてね、メール読んだよ、ってサインが欲しいんだよね』

『サイン?』

『そう。メールは既読機能ないから、私のメール届いてるのかなー、読んでくれたかなー、ってのが分からないんだよね。だから、一言でもいいから、お返事欲しいなあ、って』

 未だガラケーを愛用する俺にはあまり分からない感覚だった。ただ、珍しく天城が俺に何かしてほしい、と言ってくれたのは嬉しかった。メールならそんなに負担にもならないし、空いた時間に携帯を確認する癖を付ければクリアできそうだ。

『あ、あんま長いお返事はいいよ! 私もそんな筆まめな方じゃないし』

『はっはっは、それは知ってる』

 『直接話した方が早い』を持論とする天城からの業務メールは基本的に簡潔なものだ。だから個人的に送られてくるメールも、『おはよう。今日は午後から雨らしいから室内練の準備しておくね』とか、『今日も一日お疲れ様。沢村くんと降谷くんがまた喧嘩してたよ』ぐらいの、本当にささやかなものだ。それすら返信してない俺のずぼらさには呆れて物も言えないが。

『分かった。毎日連絡する』

『うん』

『俺が連絡しなかったら、ちゃんと怒れよ』

『怒らないよ』

『じゃなきゃ約束になんないだろ』

『うーん……じゃあ、連絡なかったら、次の日メール送るのやめる、とか?』

『ははっ、普通に怒られるより凹むわそれ』

 分かってる。天城は、きっと怒らない。それを寂しく思う権利は、俺にないことも。それでも、天城がちゃんと俺のこと好きで、特別不満がないと分かっただけ、よかった。正直俺には思うところが山ほどあるが、それを口に出せるほどの時間はまだない。この辺はオフシーズンで何とかするしかない、と心に決める。

『……メールを読んで、返事を書く』

『?』

『一日の一分でも、三十秒でも、御幸くんの時間が私の為に使われるんだね』

 腕の中の天城が、じいっと俺を見上げている。



『──嬉しい、なあ』



 何でもないことだ。寧ろ付き合う付き合わない以前に、人として当たり前の約束を、取り付けただけ。なのにこいつは、信じられないぐらいの奇跡を目の当たりにした、ってぐらい嬉しそうに笑う。他人にとって何でもないような小さな欠片を一つ一つ拾い集めて、それが幸せなのだと言い切る天城は本当にすげえと思う。そんな天城だから、好きになったんだろうし、そんな天城とだから、こうして付き合える。ほんと、俺には勿体ないぐらい良い奴だよ、お前。誰にも譲る気ねえけど。

 そして天城をいつも通り送り届けて、また明日と笑う彼女に後ろ髪を引かれる思いで背を向けて走り出す。今日、天城を送れてよかった。色々分かったし、色々不安も解消した。何より、天城が何で我儘を言わないかが分かったのが、一番の収穫だった。おかげで次の課題も見えてきた。

 ──今の俺たちはバランスが取れているようで、全く取れていない。

『(楽な相手だと感じてるようじゃ、俺たちは駄目になる)』

 以前、同室の先輩がぼやいていた。『彼女』という生き物はとても、面倒だと。聞けば何でもないことで連絡を取りたがるし、たまにはデートに行きたいと言い、記念日は一緒に過ごしたいと言う。それを聞いて俺は素直に『めんどくせえ』と思ったし、先輩も同じことを口にした。青道で野球をやる以上、その欲求を全て呑むのは不可能だ。それでも先輩は練習時間や勉強時間の合間を縫って彼女との時間を作っていたし、『俺は彼女も野球も大事にするからな』という先輩の言葉には感心していた。確かに、俺なら絶対真似できない、と。

 だが、それが如何に怠慢だったかは、先輩は身を以て知ることになり、俺もまた考えを改めざるをえなくなった。先輩はあの後、彼女に浮気されて破局した。理由は単純、『寂しかったから』とのこと。先輩はちゃんと彼女との時間を作ってたし、要求があれば可能な限り応えていたはずだ。なのに何故、と疑問に思ったが、今なら分かる気がする。先輩はただ、恋人っぽい振る舞いをしていただけなのだ、と。連絡もデートも全て彼女から持ち掛けられて、先輩はそれに乗っかっただけ。きっと先輩は一度たりとも自分からアクションを起こさなかったのだ。それがどれだけアンバランスで危険なのか、先輩は最後の最後まで気付かなかった。だから関係は終わった。そしてそれは、俺たちにとっても他人事じゃないと分かった。一見すれば、天城は非常に理解ある恋人だと言えるし、先輩の恋人とは真逆の存在だ。トラブルらしいトラブルもないし、我儘だって全然言わないから、俺への負担も皆無と言っていい。だが、問題の本質は同じだ。

 天城は俺の一挙一動だけで満足するみたいだけど、俺はそんな省エネ思考じゃいられない。

『(あいつ、俺とデートしたいとか思ったことねえんだろうなぁ……)』

 そんな暇はないのは百も承知だが、あいつにとって不満じゃない現状を俺が不満に思ってる、このバランスの悪さに既視感を覚えた。そりゃ不満にも思うだろ。可能ならもっと会いたいし、デートだってしてえし、もっと言うとキスやセックスもしてえ。毎日天城を送り届けるのは俺の役目であってほしいし、トスも天城に付き合って欲しい。ビデオチェックする時は俺の横に座って欲しいし、欲を言えばメールじゃなくて電話がしたい。時間があれば、俺みたいな男でさえあれこれやりたいことが山ほど出てくるのに、あいつには多分、そういう考えが、ない。気を使ってるとか以上に、天城が俺に恋人として求めるレベルがあまりにも低すぎる、ってのが根本的原因だ。裏を返せば楽な相手ではあるが、俺は天城と付き合うのが楽だから好きになったわけじゃない。

 ただ、『もっと話がしたい』と言っていたように、天城にだって多少の欲求があるのが分かったのは幸いだった。それが叶わず不満に思わないあたり天城らしいけど。だが、俺と同じようにあいつにだって思うところはあるはずだ。それを声に出すことを許していないのは、他でもない俺。野球を一番にと選んだ、俺自身だ。だからこそ、俺自身が示さなければならない。このくらいまでなら求めていいのだと、これぐらいのことなら時間は作れるのだ、と。

 そうとも、何も先人と同じ轍を踏むことはない。解決までにはだいぶ時間がかかるだろうが、天城は言えばちゃんと伝わる相手なのは知ってる。要は俺がどんだけ主体的に動けるか、に全てがかかってるわけだ。問題点も、解決方法も、見えている。時間が無限にある訳じゃないが、天城のあの感じを見るに焦る必要はなさそうだ。まずは秋を制す。春に向けて調整を進めていきつつ、天城とちゃんと向き合う。それだけだ。俺はキャプテンも、四番も、正捕手も、天城の恋人の座も、何一つ手放す気などないのだから。

 ──と、言うは易し、とはよく言ったもので。

「なー、倉持」

「んだよ」

「年始デート行きてえんだけど、どこがいいと思う?」

「どこも空いてる訳ねーだろ死ね」

「……俺の恋愛力は倉持クン以下か〜」

「口を開けば喧嘩しか売れねえのかテメェは」

 現実は──そして倉持も──厳しいと、思い知る羽目になった。

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