5

翌朝、誰よりも早く起きて筋トレに精を出した後、床に爪を立ててまで嫌がるシュバルツを抱きかかえてシャワールームへ直行する。ホント、いつもはびっくりするぐらい良い子なのに、風呂だけは死ぬほど嫌がるなあ。



「(やっぱ、猫が風呂嫌いってマジなんだ)」



けれど身体の小さなシュバルツが私に抗える筈も無く。今日も無情にシャワールームに運ばれ、服を脱ぐ間、シャワールームに置いて、ドアを閉める。シュバルツはにゃあにゃあと情けない声を上げてシャワールームのドアをかりかりと引っかく。可哀想……だが、此処は心を鬼にしなければならないところである。

服を脱いで、下着を取っ払い、子猫用のシャンプーを小脇に抱えてドアをバーンと開ける。その隙間から逃げ出そうとするシュバルツを片手で抱き上げ、バスタブの中に入れる。



「さ、もう観念なさいシュバルツ。綺麗になったら、出してあげるからね〜」

「にゃぁう……」



こうして、私たちの一日は始まるのである。

お風呂から上がり、ややご機嫌ナナメなシュバルツに、首輪をつけて、トムから貰ってきた加熱処理済みの鳥肉を与えると、途端に元気になり、もりもりと肉を食していった。ちりんちりんと元気に鳴る鈴を聞きながら、現金な子だ、と、静かにそう思った。

私も着替えてさっぱりしたところ、隣の部屋がまたも騒がしくなる。隣は確か、ロンとパーシーが寝泊まりしてる筈である。喧嘩でもしたのかと思った矢先、部屋のドアが慌ただしげにノックされた。誰だろうと思いドアを開けてやれば、そこにはしかめっ面したロンがいた。



「一刻も早く汽車に乗りたいぜ、パーシーのやつ、僕が主席のバッジを無くしたって難癖つけてくるんだ」

「災難ねえ、あなたも」



どーりで昨日も夜まで喧しかったワケだ。が、ロンはただパーシーの愚痴を言いに来たわけではなさそうだ。まだ何か言いたげなロンを、とりあえず部屋に上げる。



「片付けは終わったの?」

「パーシーが煩く言わなきゃ、もっと早くに終わってたろうさ。結局バッジは双子が持ってたんだ。あいつら、主席のバッジを石頭って書き代えて―――……ん、こいつがシュバルツってやつ?」

「ええ」

「へえ。ほんとに小さいんだな」



ロンは食事中のシュバルツをまじまじと見つめる。シュバルツはもりもりとご飯を食べる割に、身体は小さく、冗談抜きでネズミのスキャバーズの方が大きい。もりもりと肉の塊を胃に入れて行くシュバルツを眺めていたロンは、ハッとしてかぶりを振ると、私を真っ直ぐ見つめる。



「じゃなくて、アシュリー。話があるんだ。僕、昨日パパとママが話してるとこ、聞いちゃって。ぼ、僕、君にどうしても言わなきゃって、」



が、その先は開け放たれたドアからフレッドとジョージが飛び込んできたことにより、遮られてしまった。双子はロンがパーシーをカンカンに怒らせたことを褒め称えに来たらしい。ええいもう、此処は乙女の部屋だぞ、出てけ。



「アシュリー!」

「後で聞くわ」



双子の目を盗んで耳打ちすると、ロンはコクリと頷いた。

みんなで朝食を取った後、駅に行く為に荷物を漏れ鍋から運び出さなくてはならなくなった為、ロンの話を聞く機会は全くなかった。シュバルツを肩に乗せたまま、私はあっちこっちに動き回った。やがて魔法省からの車が着き、その荷台に山のようなトランクたちを押し込んだ。ペットの籠は自分の膝に乗せ、私は旧型の深緑色の車まで歩いていく。



「アシュリー、さあ、中へ」



ボディガードみたいに、神妙な顔をしたウィーズリーおじさんに手を引かれ、私は車に乗り込み、ヴァイスの入った籠を膝の上に乗せる。隣に不機嫌そうにシャーシャー言うクルックシャンクスが入った籠を持ったハーマイオニー、スキャバーズを胸のポケットに入れたロンが入り、その後ろに双子が乗り込んんだ。おじさんとおばさん、ジニーとパーシーは残りの車に乗り込んで、出発した。

まともな運転でマグルの公道を通る車に、私は安堵の息を漏らした。ロンとハーマイオニーの喧嘩を耳に入れながら、これがナイト・バスでない幸福を知らないとは人生損してるな、と思いながら聞き流す。やがて何事も無くキングズ・クロス駅に着いて、魔法省の役人はわざわざ全員分のトランクをカートに乗せてくれた。みんなでカートを押して九と四分の三番線を目指す。



「よし、大所帯だし、二人ずつ行こう。アシュリー、おいで」



此処まで来て尚、監視の眼は緩まない。私はおじさんに背を押されながらカートを押して、硬いレンガの壁を超えて行った。目の前には紅色の機関車、ホグワーツ特急がモクモクと煙を噴き上げている。駅は生徒とその親たちで溢れかえっており、あっちこっちに身体が流されそうだった。壁の時計を確認して見れば、まだ出発まで二十分もある。

全員が揃ったのを確認して、後ろの方の車両を目指してカートを押す。ちょうど誰も居ないコンパートメントを発見し、みんなでその車両に乗り込んだ。ふくろうの籠とクルックシャンクスの籠を荷物棚に置いて、トランクを積み込み、家族とお別れする為、みんなで一度列車から降りる。



「あ! ペネロピーがいる!」



パーシーは髪を撫でつけ、頬を紅潮させてガールフレンドのところへ行ってしまった。あのパーシーがなあ、とみんなでニヤつきながら見送って、ウィーズリー夫人の所へ戻る。

夫人は子どもたち全員を抱きしめてキスをし、それからハーマイオニー、最後に私を抱きしめて頬にキスを落とした。懐かしく、温かな“母”の匂いに、思わず涙腺が緩みそうになるのをぐっとこらえながら、その大きな背にそっと手を回す。



「アシュリー、無茶はしないように。いいこと?」



約束は、出来ないなあ。

曖昧に微笑んで、私はおばさんからぱっと離れた。そうして子どもたち一人一人にサンドイッチを渡して、子どもたちを汽車に乗せた。私とハーマイオニーもそれに続く。うなじ辺りで丸くなっているシュバルツがいることをちゃんと確認してから、私は列車に足をかけた。ジニーと双子は友達のコンパートメントに行ったので、ロンとハーマイオニーと私で、一つのコンパートメントを占領することが出来た。

列車がシューッと煙を噴き上げ、ゆっくりと動き出した。ウィーズリー夫妻は、どこか神妙な顔つきで手を振りながら遠ざかっていくのを窓越しに見つめながら、私たちも手を振った。そして列車が駅を後にし、真っ白な煙を噴き上げて加速していく。さて、自分たちのコンパートメントに向かおう、と通路を歩いて荷物の置いた所へと向かう。

すると見知らぬ客が、私たちのコンパートメントの窓際で寝ていた。



「だれ?」

「ルーピン先生」



男の荷物を見ながら、ハーマイオニーが答えた。

おお、と私は人知れずテンションを上げた。あちこち雑なツギハギだらけのみすぼらしいローブ、まだまだ若い筈なのにあちこち白髪が見え隠れする鳶色の髪。本来は壮年、そこそこ若い筈なのに疲れきった顔からやたら老けこんで見える―――そうだ、そうだ。見間違える筈もない、リーマス・J・ルーピン。父の親友にして狼人間、重要なキーパーソンだ。

ぴくり、とうなじのシュバルツが蠢いた。珍しい、この子が誰かに反応するなんて。狼人間の、その独特の匂いを嗅ぎ分けたのだろうか。



「一体何を教えるんだろう」

「決まってるじゃない。空いてる席は一つだけ」

「闇の魔術に対する防衛術、ね」



長続きすればいいけど、みたいな雰囲気が漂う。仕方ないことだ。ルーピン先生が気弱そう、というか軟弱そうに見えるのも一因だろうけど。

今更荷物を持って席を移動するのもめんどくさい、と三人でコンパートメントに入る。その間、ずっとシュバルツは静かだがどこか警戒した雰囲気だったのでうなじから下ろして、ポケットに突っ込んだ。いきなり飛び掛かられても大変だからだ。そして、ルーピン先生が寝入っているのを確認してから、ロンが神妙な顔で囁いた。



「君に―――ううん、君たちに話したいことがあるんだ。昨日、パーシーのバッジを探す羽目になったって話したよな。その時、僕、たまたま聞いちゃったんだ、その、」

「「何を?」」

「ブラックが、アシュリーを狙ってるって」



大きく反応したのはハーマイオニーだった。

ロンは話を始めた。昨晩、主席バッジを探しに一階に下りると、ウィーズリー夫妻が言い争いをしていたこと。その内容が、私に真実を告げるか否かについてだったこと。その内容は、『シリウス・ブラックは意図してアシュリー・ポッターを殺そうとしている』ということ。シリウス・ブラックが獄中、しきりに『あいつはホグワーツにいる』と漏らしていたこと。例のあの人を退けた私を殺して、闇の勢力を復活させようとしていること、盗み聞きしたことが父親にバレると、それをアシュリーに伝えるよう頼んだこと。



「それと、こんなことも言ってた。『アシュリーに、ブラックを探させるな』って。アシュリーだって自分を殺そうとする奴なんかわざわざ探しだしたりしないよ、って言ったんだけど、パパはずっとそれだけを言ってた」



話を聞き終えて、私はふう、と息を漏らした。ハーマイオニーは手に口をあて、信じられない、とばかりにかぶりを振った。



「シリウス・ブラックが脱獄したのはアシュリーを狙う為? ああ、アシュリー、ほんと、ほんと気をつけなきゃ……ねえ、アシュリー」

「お生憎様。いくら私でも、自分を殺そうとしてくる奴を自分で探そうとはしないわよ。尤も、向こうが私の目の前に現れれば、それなりに対処するけど」



そう、基本的に私のスタンスは来る者が何かするより先に動いて、拒まずに倒し、去る者追わず、だ。色々動くのは先手を打ちたいからであって、別に正義感や使命感に燃えている訳ではない。そう説明するも、ロンもハーマイオニーもあまり安心した顔をしない。二人は私が考えているよりずっと、シリウス・ブラックという脱獄犯を恐れているようだった。



「考えてみろよ、アシュリー。ブラックがどうやってアズカバンから逃げたのか、誰にも分からないんだぜ。これまで脱獄した者は誰もいないんだ。しかも、ブラックは一番厳しい監視を受けてたのに」

「何より、マグルまで総動員して探しているのに、誰も見つけられないのよ。あなたのおじさんとおばさんの家を襲ったと新聞では報じられたけど、証拠はなかった。誰も姿を見なかった、そうでしょう?」

「ええ。分かっているのは、私ではない誰かが魔法を使っておばさんを膨らませて、それがシリウス・ブラックだとドビーが言った。それだけよ」



にしてもどうやって新聞記者どもは魔法省が隠したがってる事実を見つけ出してきたのか。まあ、恐らく、魔法省の落ち度を突きたい記者、例えばどこかのコガネムシ女とかが情報を嗅ぎつけたのだろうな。ドビーがダンブルドアに連絡し、シリウスを捕捉した事を。



「まあでも、大丈夫よ。私はこれから一年、ヴォル―――あー、例のあの人も恐れたダンブルドアがいるホグワーツに居るんだし」

「そりゃそうだけど。でも―――……何の音だ?」



ロンが言葉を切った。どこからか、何時かも聞いた口笛を吹く音が響いてくる。三人でコンパートメントを見回すと、どうやらやはり、私のトランクから鳴り響いてると分かった。ロンと二人でトランクを荷物棚から引き摺り下ろし、トランクを開ける。すると音は一段と大きくなった。なんだか荷物が光ってる気がする。光源を探して中身を引っかき回して、ようやく正体が分かった。

携帯かくれん防止器[スニーコスコープ]だった。ロンが誕生日にくれた、独楽のようなもの。私の掌の上で、激しく回転し、目覚ましのようにけたたましい音を出しながら、眩しいほどに輝いている。なるほど、あの日の朝、鳴ってたのはスニーコスコープだったんだ。でもどうして……?



「これ、スニーコスコープ?」

「ウン。だけど安モンだよ。アシュリーの手紙と一緒にエロールの脚に括りつけようとしたら、メッチャ回ったもん。こんな感じで」

「私も、夏休み中一回だけ鳴ったわね。丁度、家を出る日の朝に」

「「それって!」」



ロンとハーマイオニーが顔を見合わせた。



「ブラックが君の家を襲った日じゃないか!」

「でも、すぐに静かになったのよ?」



言われてみれば確かにそうだ。けれど、シリウスに反応したんだとしたら、あの日の夜はずっと鳴りっぱなしじゃないとおかしい。あの朝の一瞬、一体スニーコスコープは何に反応していたんだろう。誤作動じゃなかったのか?



「と、とにかく、早くトランクに戻してよ。この人が起きちゃう」

「……そう、ね」



私は私服のバルーンスカートにスニーコスコープを巻き付け、トランクの奥底に仕舞った。そしてトランクを閉じて、再び荷物棚の上に押し上げた。席に座り直し、ロンは「ホグズミードでそれを治してもらえるかも」と話を切り出した。



「あ、そうだった。私、ホグズミード行けないの。許可証にサイン貰えなくて」

「ホグズミードに、行けない!?」



正確には、貰わなくて、だが。するとロンがこんな不幸なことってあるか、みたいな顔をした。



「そんな、そりゃないぜ! ああでも、フレッドとジョージに聞けばいいんじゃないか。あの二人なら、城から抜け出す道を山ほど知ってるだろ」

「でも、アシュリーはブラックに狙われているのよ! ホグワーツを離れるなんて、危険よ。ましてや抜け道を使うだなんて、だめ、絶対だめよ!」

「だけど、僕たちが一緒に居れば―――」

「ロン、馬鹿なこと言わないで。ブラックは雑踏のど真ん中で、あんなに大勢の人を殺したのよ。私たちがアシュリーの傍に居れば、ブラックが尻込みすると、本気で思ってるの?」

「まあまあハーマイオニー。私だってノコノコ殺されるのはゴメンなんだから、無茶はしないわ。行くとしても、透明マントを被っていくわよ」

「だけど―――」



ハーマイオニーはそれでも危険だ、と言わんばかりの顔だ。が、私の顔を見て言葉を切り、何気なしに、ハーマイオニーはクルックシャンクスの入った籠の紐を緩めようとした。その時、ロンが叫んだ。



「そいつを出しちゃダメ!」



だが遅かった。クルックシャンクスはやっと狭い部屋から解放された、とばかりに伸びをすると、何気なしに、本当に何気なしにロンの膝にぴょんと乗った。その瞬間、ロンのポケットの膨らみがぶるぶると震える。ロンは怒りで顔が髪と同じくらい真っ赤になり、クルックシャンクスを膝から払い除けた。



「どけよ!」

「ロン、やめて!」

「ふ、二人とも静かに……!」



私の制止に、二人は慌ててルーピン先生を見た。が、彼は身動ぎして顔を反対側に向けるだけだった。ふう、と安堵の息を漏らし、二人がぎこちなく、席に座った。ホグワーツ特急が、ガタガタと唸りながら窓の外の色を変えるのを見やりながら、私はそっと溜息をついた。これは、先が思い遣られそうだ。

クルックシャンクスは私とハーマイオニーの間に座り、のんびりと顔を洗っており、シュバルツは私のスカートのポケットの中で丸まっている。大きさが大きさなので、ロンはシュバルツに対してはあまり警戒していないらしく、ひたすらクルックシャンクスからスキャバーズを守ろうと、ポケットを庇っていた。そんな状況でお昼になると、いつものように愛想の良いえくぼが素敵な魔女がカートを引いてやってきた。



「坊っちゃん嬢ちゃん、何かいかが?」

「僕、サンドイッチあるからいいや」

「私は糖蜜パイだけ。ハーマイオニーは?」

「私はかぼちゃケーキを。……ねえ、この人、起こすべきかしら」



ハーマイオニーがルーピン先生を見て、そんなことを言う。



「あの、先生? もしもし……?」

「大丈夫よ嬢ちゃん。目を覚ましてお腹が空いているようなら、こちらにおいでなさい。私は、一番前の運転手のところに居ますから」



お金を貰い、お菓子を手渡してから、魔女はカートを引いて今来た道を引き返して行く。コンパートメントのドアを閉めて、三人で昼食を取り始める。

しばらくしたら、外は雨が降ってきた。どんよりする空をぼんやり見上げながら、三人でこれからの授業についてあれこれ話した。すると、通路で何やら足音がした。振り返ってみると―――。



「あ、ドラコ」

「……アシュリー」



やばい相手に会った、と言わんばかりにドラコは顔を顰めた。目の前のロンも嫌そうな顔をしたので、私はシュバルツが暴れないようしっかり掴んでからドラコの前に立つ。何時にも増して顔色の悪いドラコの後ろには、これまたいつも通り、腰巾着のクラッブとゴイルもいる。

ドラコが何かロンに難癖をつけるより先に、私は先制攻撃をかます。



「ドラコ、酷いじゃない。せっかく手紙出したのに、返事もくれないなんて」

「……すまない」

「忙しかったの? それとも、トラブルでもあった?」

「……」

「やだ、別に私、怒ってなんかないわよ? 気にしてるの?」

「……い、いや、その……」



おかしい、ドラコの様子が変だ。何を言っても、歯切れの悪そうな顔しかしない。ううん、手紙が来ない時点で変だとは思ったが、一体何があったんだろう。しばらく二人の間に沈黙が流れる。



「……いいんだ。すまない」



ドラコはそれだけ絞り出すように言うと、腰巾着二人を連れて、去って行ってしまった。何しに来たんだ、あの子は。



「……何だったのかしら」

「アシュリー、君って中々ひっでえ奴だな」



ロンが信じられない、とばかりにこちらを見つめる。なんだいきなり。



「君、去年あいつの父親に何したか忘れたのかい?」

「……あ」



私の間抜けた声に、ロンはおかしくてたまらない、とばかりに笑い出し、それにつられてハーマイオニーもクスクスと笑い出した。

そうだった。私はマルフォイ氏を失脚させたばかりか、その召使を取り上げたんだ。失脚つってもホグワーツの理事長を辞めたぐらいだが。そんな小憎たらしい小娘と溺愛する息子が仲がいいだなんて、マルフォイ氏も流石に見逃せなかった、ということか。やーねー、元はと言えば自分の所為なのに。

そんなドラコは、板挟みの真っ最中、といったところか。親を取るか、私への恋心を取るか、彼は揺れ動いているのだろう。いずれ来るとは思っていたが、もうそんな時期か。大方その話でもしに来たのだろう、僕にはもう近付くな、とかそういう感じの。ウーン、そうなるとドラコに悪いことしちゃったなあ。



「アシュリーって変なところで抜けてるなあ」

「……返す言葉もないわ」



私は、唸ることしかできなかった。

そんなこんなで私たちを乗せた汽車は北へ北へと進んで行く。その間、雨は益々酷くなり、もう夜かと見紛うくらい外は真っ暗で、空は厚い雲で覆われている。だが、汽車が速度を落としているところを見ると、もうすぐで着くのでは、と交代で着替えを始めた。私が新品のネクタイを首に通した段階で、汽車は急にガコンと動きを止めてしまった。何の前触れも無く、フッと明かりが一斉に消え、視界が真っ暗になってしまう。



「どうしたのかしら」

「事故?」

「二人とも、着替え終わった? 中入れてよ、真っ暗なんだ」

「ロン、こっちも真っ暗よ」



コンパートメントを開き、私はロンを招き入れる。そして杖を引っ張りだす。



「ちょっと、アシュリー!」

「汽車に乗ったらもう大丈夫よ。ルーモス!」



杖に明かりを灯して、辺りを見回す。不安げな顔をしたロンとハーマイオニーが、杖を掲げる私を見つめている。



「シュバルツ、おいで」

「にゃ」



床の上でぴんと背筋を伸ばすシュバルツをローブのフードに入れ、私は少しだけ、気を張り詰める。オーケーオーケー、予想通り。この後、吸魂鬼に襲われる。オーケーオーケー、原作通りの展開だ。



「アシュリー……?」

「ん?」

「あなた、その……怖い顔、しているわ」

「ええ? そんなことないわよ」



ハーマイオニーに向かって、いつものように笑って見せる。ほら、大丈夫。私、いつもの私だよ。ハーマイオニーは、何も言わない。ロンも、言葉を発しない。一体、何だと言うんだ?

その時、コンパートメントのドアが思いっきり叩かれ、開かれた。転がるようにコンパートメントに入ってきたのは、ネビル・ロングボトムだった。



「アシュリー! よかった、何がどうなったの? 急に真っ暗になって、僕、怖くて……そ、そしたら明かりが見えたから、誰か居るのかと思って、」

「ネビル、とりあえずロンの隣に座って」

「ワア、ありがとう。お邪魔します」



そう言って、ロンの隣に肩身狭そうに座る。今にも泣き出しそうなネビルの丸顔を見ていたら、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。なるほど、表情を崩して分かったが、私は余程気張った顔をしていたのだろう、ハーマイオニーが心配するワケである。

だが次の瞬間、杖に灯った光が急に消えた。え、なに、私、何もしてないのに。まさか、吸魂鬼ってのは杖の明かりでさえ奪っていくのか。真っ暗になるコンパートに、ネビルはパニックになった。



「こ、こわい!」

「ネビル、僕の足踏んでる―――アイタァッ!? 誰!?」

「そっちこそ誰!?」

「その声、ジニー!?」

「あ、え、アシュリー!? なんでここに、っ!?」

「ちょっとロン、そこどいて。私、運転手の所に行ってくる」

「待って、動かないでハーマイオニー!」



コンパートメントに、どうやらジニーが入って来たらしく、コンパートメントは一気に騒がしくなった。狭い空間に子どもが殆どとはいえ七人は流石に狭すぎる。誰もが互いの足を踏み合い、痛みに顔を歪ませた。クルックシャンクスはシャーシャーと威嚇し出し、もう喧しいことこの上ない。

その時―――。



「(う、わ)」



どんどん背筋が冷たくなる。まるで背中に氷を入れられたかのように、ヒヤリとした空気がコンパートメントのドアの隙間から入り込んでくる。思わず、杖を握り締める手に、妙な汗をかく。



「静かに!」



誰の声でもない、少ししわがれた声が大きな声を張った。

誰もが振り返った。ルーピン先生だ。ついに目を覚ましたようで、みんなその声に騒ぎ声を押さえこんだ。真っ暗闇の中、カチリ、と柔らかな音がしたかと思うと、暗闇の中、温かな光が辺りを照らした。ルーピン先生の手のひら一杯に、炎を灯している。魔法器具か特殊な魔法かは分からなかったが、炎は疲れたルーピン先生の顔の皺に、重たげな影を作る。しかし目だけは鋭く、警戒心に満ちている。



「動かないで」



先生はそれだけ言うと、炎を手に立ち上がった。先程まで弱々しそうと誰もが思っていた筈なのに、今はその背中が誰よりも頼り甲斐があるように見えてしまう。これが吊り橋効果か、と思いながら、私も杖を握る手の力を緩めないでいる。

そうして先生はゆっくりとドアに手をかける―――が、ドアは先生が力を入れる前にするりと勝手に開いていった。



「……ッ」



入口には、マントを着た天井まで届きそうな黒い影がゆらりと揺れていた。顔はすっぽりとフードに覆われており、暗い闇だけが広がっている。マントから突き出した手は、まるで腐った死人のように、冷たい灰白色に光っており、幾千の小さな蟲が手の甲を這いずり回っている。

吸魂鬼はゆらゆらと柳のように揺れながら、こちらに向かって手を伸ばす。ぞっとするような寒気が襲い、肺腑まで毒するような冷気が私を包みこむ。寒い、とても寒い。けれど、それだけじゃない。耳鳴りがする。何か遠くから、音が、波が、声が聞こえる。聞き覚えのある、懐かしくて、優しくて、けれどとても冷たい声が私の脳幹を揺さぶる。



「―――」



息が、出来ない。気管を締められているように、息が肺まで届かない。酸素が欠乏していくその感覚に、思わずその場に膝をつく。だめだ、意識を保ってられない。耳鳴りは益々酷くなる。酷い二日酔いになったかのように、ガンガンと頭を殴られているような痛みも奥底から響いてくる。杖を握っていられない。自らの意思で身体を起こしていられない。がくりと、身体が崩れ落ち、冷たい床に頬が触れた。

声が、息が、痛みが、私を溺れさせて行く。





『       』





気を失う前、最後に私が見たのは

“私”を抱き、涙を流す誰かの影だった。


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