6

いつか見た、夢の続きを見た気がした。けれど、それがどうしても思い出せない。底に沈んだ意識か、ゆっくりと浮上していくのが分かって、重々しい瞼をゆるりと開いてみると、誰かが私の顔を覗き込んでいる。ぱちりぱちり、とゆっくりと瞬いてみると、その顔の輪郭がはっきりしていく。



「っ、わぁ!」

「アシュリー……!」



済んだ鳶色の瞳が、私をじっと見つめているのが分かると、私は驚いて座席からずり落ちてしまった。かあ、と顔に熱が集まり、心臓が大きな鼓動を奏でているのが分かる。う、うわ、顔、ちか。いやいや落ちつけ私、ルーピン先生にはトンクスがっ……!! 

ああもう、やだな、子どもじゃあるまいし、こんなことで動揺するなんて。



「あ、あの、私!」

「大丈夫かい」



ルーピン先生は心配そうに私にそう訊ねる。早く離れて欲しいが為に、首が取れるほどブンブンと縦に振ると、ルーピン先生は安心したように緩く笑って顔を放すと、床にずり落ちた私を助け起こす。私は、覚束無い足取りで座席に腰を下ろす。まだドキドキと高鳴る心臓には気付かないフリをして、周りを見回す。

どうやらまだ、ホグワーツ特急の中に居るようで、列車はいつも通り走り出していた。コンパートメントも明るさを取り戻しており、先程の冷気も綺麗さっぱり無くなっている。ロンの、ハーマイオニーの、ネビルの、ジニーの心配そうな視線が私に刺さる。



「私、一体……」

「さあ、アシュリー」



記憶がぷつりと途切れている。混乱する私に、ルーピン先生はどこから出したか、大きな板チョコをパキパキと割って、私たちに一ピースずつ配り始めた。



「食べるといい、気分が良くなる」

「あ、ありがとうございます……」



まだ熱くなる頬にルーピン先生が気付かないよう祈りながら、チョコを受け取って食べる。一口食べてみると、手足が温まるような優しい味が広がった。そうしてみんながチョコを食べるのを確認して、運転手と話してくるよ、と、ルーピン先生はコンパートメントから出て行った。

通路に消えていく先生を見送って、私はみんなを見つめる。



「何があったの、私、どうした?」

「その、さっき吸魂鬼が―――アズカバンの看守のディメンターが、僕らのコンパートメントに来たんだ。そしたら、君、君がその、」



ロンは、とても言い辛そうにしていた。ハーマイオニーもジニーも顔を青くして、震えている。ネビルに至っては半泣きで、それでも私を見つめている。私はロンに続きを促すが、ロンはあーだのうーだの言葉を濁し、言おうとしない。



「ねえ、ロン!」

「―――あなた、自分の首を絞めたのよ!」



言い淀むロンに急かせば、ハーマイオニーが叫ぶように告げた。

自分の首、を……?



「わたし、が?」

「そうよ! ディメンターがあそこに立って、中をぐるりと見渡したような動作をしたの。そ、そしたら―――あ、あなた、急に床に崩れ落ちて、じ、自分の首を、自分で―――私たち、一生懸命止めたのに、す、すごい力で振り切られて!!」

「う、うそ……」

「そ、そしたら、ルーピン先生があなたに失神呪文を使ったの。あなた気を失って、そしたらルーピン先生が、吸魂鬼に向かって、『シリウス・ブラックをマントの下に匿っている者は誰もいない、去れ!』って、でも」

「でも、吸魂鬼は動かなかった。そしたら先生が吸魂鬼に向かって何か呪文を唱えた。そしたら杖から何か銀色の物が飛び出して、吸魂鬼を追い払った。……それで、君が気付くまでずっと、ルーピン先生が傍に居てくれたんだ」



みんな、吸魂鬼への恐怖だけではない“何か”に怯えているように、身体を震わせ、暗い瞳で私を見つめている。そんな、ばかな。どうして私、妙なことしたんだろう―――ふと、窓の外に目を向けて見ると、反射して映る私の首に、妙な影が出来ているのが見えた。思わず顔を近づけて良く見ると。



「……ッ」



首が、真っ赤だった。気管に這うように絡みついた赤い痕、それは間違いなく私の指のものだった。震える手で首の痕に両手を重ねてみれば、その形はピッタリと合致して。



「「「「アシュリー!!」」」」

「っ、ごめん。大丈夫、平気、私、平気……」



また凶行に走ったのではないかと、四人が大声を張り上げる。私はぱっと手を放して、なんでもないよ、と笑った。笑って、みせた。

私にも分からない。記憶も定かじゃない。どうして吸魂鬼相手にそんな凶行を。そういえば、何か懐かしい物を見たような気がする。見たというか、思い出したというか……なんだろう、何かこう、見た―――見た?違う、何か聞いた……声、声、だっけ?何かが私を呼んで……呼んでい、た?わたし、を?どうして、誰が、なぜ。



「(……思い出せない)」



ああクソ、思い出せない。どうにも苛々して、少し長くなってしまった髪をがしがしと掻く。みんな、私を心配そうに見つめるが、かける言葉が見つからないのか何も言わない。

落ちつけ、落ちつけ。子どもたちに心配をかけてどうする。いい年した大人が、自分勝手に不機嫌になるなんて、全くどうかしてる。落ちつけ、冷静に、クールになれ。大きく息を吸って、深く深く吐く。大丈夫、いつも通りいつも通り、大丈夫。

―――その時。



「にゃあ」



制服のフードの中で、もごもごと動く小さな生き物。黒い毛並みの子猫が、私のフードに爪を立て、かりかりと背中を這って登って、肩にちょこんと座る。



「……シュバルツ」

「にゃあー」



心地よい毛並みを、私の頬に押し付けて、シュバルツは私にすり寄る。あ、すっごくあったかい。思わず目を伏せて、少しだけシュバルツに頭を傾ける。シュバルツは私を落ちつけさせようとしてくれてるのだろうか、一生懸命小さな身体を使って、気を張った私を、ほぐそうとしてくれているのだろうか。



「……ふふ、くすぐったいよ。シュバルツ」

「うにゃあー」

「ん、ごめん。ごめん、シュバルツ。ごめん、みんな。私、どうかしてたみたい。ちょっと、動揺してた。こんなこと初めてで、取り乱してたみたい」



ゆるく微笑んでみせると、みんなはようやく胸を撫で下ろした。何だったんだろう、怖かったよう、と顔を見合わせて、それぞれ気味悪そうに、けれどどこか安心したように口を開く。

すると車掌の所へ向かっていたルーピン先生が戻ってきた。



「あと十分でホグワーツに着くそうだよ。アシュリー、大丈夫かい?」

「は、はい。すみません、ご迷惑を」

「構わないよ。ああ、失礼。自己紹介はまた後ほど」



紳士的に微笑んで、ルーピン先生は自分の荷物とくたびれたローブを小脇に抱えて、コンパートメントから立ち去っていった。思わず、先生の背中が見えなくなるまで見送る。それからすぐに、みんなが私を意外そうに見つめる視線に気づいた。



「な、なに、みんな」

「惚けちゃって、まあ」



ロンが嫌にニヤニヤしている。



「何、ホント」

「アシュリー、顔が赤いわ」

「え!」

「ああいう紳士的な人がタイプなのね!」

「ち、ちが! 違うわよ!! なに急に!!」



ボッ、と顔が爆発したように熱くなる。みんな、ニヤけ顔を隠そうともせずに、からかいの言葉をかけてくる。ああもう、さっきまでのしおらしさは何処行ったんだよ、みんな!!



「違うったら! 第一、歳が離れすぎてるし! 先生だし!」

「あら、恋愛に歳の差は関係ないわよ。ねえ、ジニー」

「そうよ! 寧ろ、障害がある方が燃えるわ!」



いつもは私に対しておどおどとしたジニーは、興奮したように頬を紅潮させて、ハッキリと自分の意見を述べる。やだ、私の知ってるジニーじゃない。いや知ってるジニーに近付いたとも言えるけど!



「違うの! ホント、好きとかじゃないの! ……ただ、」

「「「「ただ?」」」」

「……スマートな人だなあ、って思った、だけ、よ!」



その一言に、みんなワッと湧いた。ますます熱くなる顔に、もうワケが分からなくなっていた。年下の子にこんなにからかわれて、こんなに弄られて、恥ずかしくて死にそうだった。



「ほんと、みんなが思ってるような感じじゃないの、ホントよホント!! 嘘じゃないったら、その顔やめて! ネビルまで、もうからかわないで!」



言ってもみんな、聞いちゃいない。なるほどなあ、マルフォイが聞いたら泣いて家に帰るかもね、ファンクラブの子に知られないようにしなきゃ、とか好き勝手言ってる。もう、ほんと違うんだって!

……そう、白状しよう。私はハリポタの読者だった。今尚何も見ずとも細かい展開を、設定を覚えている程度には愛読していた、ファンだった。一オタクとして、好きな作品だった。そして、そんな私がハリポタの中で一番好きなキャラが、ルーピン先生だったのだ。



「(好きって勿論、恋愛的な意味じゃないけどさ!)」



純粋に、良いキャラだなあ、って思ってた。それだけなんだ。けどけど、実物を見て、実際に声を聞いて、自分の意思でお話しして、ああ、ほんとにこの世界に生きてるんだなあ、って思うとさあ!!しかも私は見た目はこんなだが、実年齢はルーピン先生とそう変わらないのだ。そりゃあさ、そりゃあさ、ぼろぼろで傷だらけだろうと、好きなキャラってだけでそんな些細な欠点、あばたもえくぼ。しかも、ディゴリー氏以来の、善意百パーセントの紳士ときた、テンションが上がるのは仕方ないことだった、そうでしょ!?



「違うのに……」

「うな」



縋るように肩のシュバルツを見つめれば、シュバルツはぷいっと窓の方を向いてしまった。正直、窓から飛び降りたくなるほどショックだった。

それから散々からかわれた後、ようやくホグワーツ特急がホグズミード駅で停車し、冷たい空気漂う狭いプラットホームに降りた。雨のせいか空気は夏の終わりとは思えないほどひんやりとしており、火照った頬を冷やすのには最適だった。因みにペットや荷物は列車に置いてくるのが決まりだが、シュバルツは本来持ち込んではならない二匹目のペット、一時的に首輪を外して、首輪はトランクに仕舞い、シュバルツはローブのフードに隠れてもらう。何故か不機嫌なシュバルツだが、大人しくするよう言えば、言う通りに一声も鳴かずに静かにフードの中で丸くなっていた。



「イッチ年生、イッチ年生はこっちだ!」



遠くでハグリッドが一年生を先導しているのを眺めながら、私たちは人波に押し流され、でこぼこのぬかるんだ馬車道に出た。そこには、百代以上の馬車と、天馬―――にしちゃ、随分グロいというか、おどろおどろしい生物が馬車に繋がれていた。全身骨が浮き上がった、というか寧ろ骨そのものなんじゃないか、ってぐらい細い手足に胴体、翼はドラゴンの物のように骨ばっており、白い目が暗闇の中でぼんやりと浮いている。



「……ね、アシュリー」

「うん?」



これがセストラルかあ、なんて見上げていると、後ろから声を顰めたネビルが話しかけてきた。またからかわれたらキッパリと言ってやろうと心して振り返る。



「アシュリー、その……見えてるの?」

「!」



ネビルは、少しだけ気まずそうにそう訊ねた。そっか、そうだ。ネビルにもまた、見えているのだ。そして私にも―――私、にも?



「……うん、セストラルよね」

「……そっか。ごめんよ、変なこと聞いて」

「いいの。……そっか、そうよね。私、あの時、“死”を見ていたのね」



赤ん坊だったハリーとは違い、私はママの絶命した瞬間をハッキリと見ていた。理解していた。“死”という概念を、赤ん坊の身に大人の精神を宿した私は、ちゃんと理解していたのだ。そっか、だから今の私にも、見えるんだ。



「ネビルにも、見えるの?」

「うん。……じいちゃんが」

「……そっか。今、さびしい?」

「ううん。ばあちゃんがいてくれるから、平気」



両親のことは、お互いタブーだ。私はそれを知っているし、ネビルは私を知っている。だからそれ以上は語らなかった。顔を見合わせ、苦笑すると、ロンとハーマイオニーと一緒に馬車に入った。全員が乗り込むと、馬車は静かに動き出した。ロンとハーマイオニーにはセストラルが見えていないので、一人でに動く馬車だと思っているらしく、不思議そうにしていた。

馬車は小雨の中、壮大な鋳鉄の門をくぐり抜けて駆けていく。その周りには、何体もの吸魂鬼がふよふよと浮いて、またあの冷たい空気を吐きだしているので、ロンもハーマイオニーもネビルも、また私が凶行に走るのでは、と不安げにちらちらと私を見つめた。私は吸魂鬼が近くに来ると途端に気分が悪くなったので、座席のクッションにだらりと座り、なるべく外を見ないようにした。



「アシュリー……」

「平気、まだ平気……」



やがて馬車はホグワーツ城の巨大玄関に辿りつき、セストラルは揃って足を止める。みんながいっせいに馬車を降りると、セストラルたちは馬車を引っ張って今来た道を引き返して行った。

そして人波に流されるように巨大な樫の木で出来た扉が開かれ、あの見慣れた玄関ホールと動く肖像画たちが私たちを迎える。ああ、やっと帰ってこれた、そんな安堵に包まれ、ほうと溜息をついた。すると、聞き慣れた声が、私を呼び止めた。



「ポッター! グレンジャー! 二人とも私についておいでなさい!」



ハーマイオニーと肩を震わせて振り返ると、そこにはマクゴナガル先生の姿が。やばい、もうシュバルツを連れ込んだことがばれたのだろうか。マクゴナガル先生には何故か、自分の悪事を顧みさせられる力があると思う。



「そう心配そうな顔をしなくてよろしい。私の事務室で話があるだけです」



あ、私が倒れたからか。じゃあ、ハーマイオニーはあの無茶な時間割をこなす為の秘策の話かな。合点いって、またあとで、とロンと別れ、二人でマクゴナガル先生についていく。玄関ホールを横切って、大理石の階段をたったと登っていく。昨年もみんなで訪れたマクゴナガル先生の事務室に着くと、先生は私たちに座るよう促した。



「ルーピン先生が前もってふくろう便を下さいました。ミス・ポッター、汽車の中で―――」



先生でさえ言い辛いのか、一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに繋げる。



「吸魂鬼の気に当てられ、自らの首を絞めた、と」

「……気、ですか」

「あれには、人の幸福を吸い取り絶望を与える力があります。貴女は人一倍感受性が強いのかもしれません。でなければ、貴女がそんな愚かしいことをする筈がありません、そうでしょう?」



マグコナガル先生は、ぴしゃりと言い放つ。そういうもんなのかなあ、と私が答えに困っていると、ドアを軽くノックする音がした。マクゴナガル先生が答えると、校医のマダム・ポンフリーが忙しなく入ってきた。



「あら、あなた! その首―――!」



思わず、はっと自分の手で首を覆った。そんなに目立つのだろうか、マダム・ポンフリーはかつかつと私の所に来ると、隠すなとばかりに私の両手を拘束し、まじまじと見つめる。ちょ、なんか迫られてるみたいで怖い。



「ポッピー、吸魂鬼よ」

「吸魂鬼を学校の周りに放つなんて、正気とは思えません!」



マダム・ポンフリーはぷりぷりと怒っていた。



「それで、この子にはどんな処置が?」

「わ、私、元気です! 処置とか、平気です!」

「ではチョコレートだけでも」

「チョコも食べました! ルーピン先生から頂いてます!」



その言葉に、マダム・ポンフリーもマクゴナガル先生も意外そうに目を見開いてから、少しだけ満足そうに頷いた。



「それじゃあ、闇の魔術に対する防衛術の先生がやっと見つかったということね。ちゃんとした治療法を知っている先生が」

「ミス・ポッター、本当に大丈夫なのですね?」

「はい。また気分が悪くなるようでしたら、自分で医務室に行きます」

「いいでしょう。ミス・グレンジャーと少々時間割の話をする間、外で待っていらっしゃい。それから、一緒に宴会に参りましょう」



その言葉に、私とマダム・ポンフリーは静々と廊下に出る。マダム・ポンフリーはまだブツブツと何か言いながら医務室へ戻っていく。一人、ぼんやりと待つこと数分、心なしか嬉しそうな顔をしたハーマイオニーが現れ、その後ろにはマクゴナガル先生もいた。そして三人で大理石の階段を降り、大広間へと向かって行った。

大広間に入って見れば、もう組み分けは終わってしまったらしく、あの三本の丸椅子と小憎たらしいボロボロ帽子が片付けられた後だった。ハーマイオニーと二人、こっそりグリフィンドールの席まで歩いていき、ロンの所へと向かう。二人分の座席を確保してくれていたらしい彼の向かいに、二人して座る。



「あ、おかえり。何だったんだ?」

「それが―――」



説明しようと口を開きかけた時、教員席のダンブルドアが立ちあがった為、私は口を噤んだ。ダンブルドアは見慣れた立派な白ひげをピンクのリボンで束ねていること以外は。数カ月前に会った時と変わらぬ姿をしていた。



「(そういや、あの時はニコラス・フラメルもいたっけ)」



彼は今、何処で何をしているんだろう。気になってしまうのはやはり、今の所一番、彼が予期せぬ“キャラクター”だったからだろうか。しかも、また会えそうなことを言っていたし。

ダンブルドアは吸魂鬼を学校の周りに配置していること、悪戯にディメンターに近付かないこと、いざこざは起こさないようにすること、としっかりと注意喚起を呼び掛けた。監督生や主席はキリッとした顔でそれを聞き、お調子者はへらへら笑い、小心者は吸魂鬼というワードにさえ震えた。



「楽しい話に移ろうかのう」



そう言って、ダンブルドアは言葉を続けた。



「今学期から、嬉しいことに新任の先生を二人お迎えすることになった。まずはルーピン先生。ありがたいことに、空席になっている闇の魔術に対する防衛術の担当をお引き受け下さった」



立ち上がり、きびきびと一礼するルーピン先生に、ぱらぱらと気のない拍手が起こったが、あのコンパートメントにいた私たちだけは、気合いを込めた大きな拍手を打ち鳴らし、周りから怪奇の視線を集めていた。が、そんなことは気にも留めない。見た目が全てじゃないのだから。

……しかし、あのスネイプでさえ、お洒落に気を遣ってる訳ではなさそうな彼でさえ、今ものすごい顔でルーピン先生を睨みつけている彼奴でさえ、汚れ一つない綺麗な服を着ている中、一人ツギハギだらけのローブはやはり悪い意味で目立ってしまう。この一年の給料で良いローブが買えると良いね、先生……!



「……ハッ!」

「「……」」



違う意味でルーピン先生を凝視していると、前から横からいや〜な視線が飛んできて、私は誤魔化すように俯いた。違うって、今のはそういう奴じゃないって。っていうかそもそも、そういう感じじゃないんだって。違うんだって。ああもう、早く前向けよ二人とも!

心の中で悪態をついた甲斐があったのか、それともダンブルドアが話の続きを切り出したからなのか、二人は漸く前を向いた。



「魔法生物飼育学のケトルバーン先生じゃが、残念ながら前年度末を以て退職なさることになった。手足が一本でも残っているうちに余生を楽しまれたいとのことじゃ。そこで後任じゃが、他ならぬルビウス・ハグリッドが現職の森番役に加えて、教鞭を取って下さることになった」



この発表に、レイブンクローやハッフルパフ、そして一際大きな拍手がグリフィンドールから起こった。ロンもハーマイオニーも、先程のからかい顔を忘れて互いに顔を見合わせてぽかんとしながら、割れんばかりの拍手を送った。ハグリッドは酒でも呑んだかのように真っ赤になりながら、恥ずかしそうに一礼していた。



「噛みつく本が教科書なわけだぜ!」



ロンが嬉しさ半分、複雑な気持ち半分で叫ぶように言った。

私も嬉しい気持ちでいっぱいだが、流石に依怙贔屓がすぎるのでは、と少し思ってしまう。後々のことを考えると、やはり彼に教師としての適性はあまりないような気がする。勿論、魔法生物の知識は確かに高いだろうけれど……やっぱ身内に甘いよなァ、ダンブルドア。

とはいえ教師としての適性を考えるなら、スネイプなんぞこの中で最も教鞭を取るに相応しくない男になる訳だし、ダンブルドアの城ともいえるこの場所じゃ、身内に甘いだのなんだのは御法度なんだろうな。そりゃあスネイプも身内であるわけだしね。魔法界に教員資格という概念が無いのが、すこーしだけ悔やまれる。



「(でも結局、ハグリッドは最後まで先生を辞めなかったよなあ)」



他に適任がいなかった、とも取れるかもしれないが。危険が伴う職務だし、ダンブルドアのお眼鏡に適い、ダンブルドアにとって信頼が出来、それでいてダンブルドア自身を何よりも信頼してくれる人物、という時点で敷居は高すぎるのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、目の前の空っぽの金の皿が、いつの間にか食べ物と飲み物でいっぱいになった。フードの中でシュバルツがもごもごと蠢いたので、匂いに反応してお腹を空かせたのかもしれない。あとでトムから貰ったシュバルツ用のごはんを上げなくちゃな。あれが無くなったら、厨房に忍び込んで肉や魚を貰えばいいかな。そうして素晴らしい御馳走がカラになり、デザートが現れ、消えるまでの間、どのテーブルも笑い声とナイフとフォークが響き合う音が大広間いっぱいに広がった。

やがて就寝時刻になると、一斉に大広間から出ようとする生徒たちの波に逆らい、三人で教職員のテーブルに駈け寄った。



「おめでとう、ハグリッド!」

「すごいわ、先生になれるなんて!」

「私たちも魔法生物飼育学を受講してるの、授業が楽しみ!」



私たちのお祝いに、ハグリッドはまたもやオイオイと泣き始めた。コガネムシのようなキラキラした瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ、テーブルクロスを濡らして行く。



「みんな、みんな、お前さんがたのおかげだ……! 信じらんねえ……お偉いお方だ、ダンブルドアは……! あの方はな、ケトルバーン先生が『もうたくさんだ』と言いなすってから、まーっすぐ俺の小屋に来なさった……」

「すごいわ。とっても名誉なことよ、ハグリッド」

「これもぜーんぶ、お前さんたちが俺を助けてくれたおかげだな」



ハグリッドは感極まって、私たち三人をぎゅうっと抱き締めた。確かに、一昨年のドラゴンといい、去年の秘密の部屋といい―――そして今年といい、私たちは何かとハグリッドを助けることになるなあ、と思いながら、ロンとハーマイオニーに挟まれ、息苦しくもがきながら思ったのだった。

その後、ハグリッドと別れ、私たちはグリフィンドール生に混じって大理石の動く階段を登り、廊下を渡り、グリフィンドール塔を目指す。大小様々な視線が私に絡みつくのを感じながら、私は気付かないフリをする。有名人も、三年目になれば慣れたもんである。

そしてみんな一緒に、太った婦人の肖像画の前に辿りついた。



「合言葉は?」

「『フォルチュナ・マジョール』」



合言葉を主席のパーシーが言い、後ろでネビルががっくりと肩を落とす。また合言葉を覚えなければならないのが憂鬱なのだろうと思いながら、私たちはぞろぞろとグリフィンドールの談話室へ向かい、ロンと別れて女子寮へ向かう。

私たちの部屋に行くと、いつものように先に荷物が届いてて。



「ヴァイスー!」

「ホーホー!」



籠に入れられているヴァイスを解き放つ。嬉しそうに翼を羽ばたかせ、私の腕に止まるヴァイスは可愛い。くっそかわいい。しかし腕にずしりとくる重さに、やはりそろそろ心を鬼にするべきかな、とも思ってしまう。そんな私のジト目に気付いたのか、ヴァイスは開け放たれた小窓から悠々と飛び立ってしまった。

ふくろうフーズ、減らさなきゃと心に決め、とさり、と柔らかなベッドに腰かける。そうだ、シュバルツも出してやらないと。フードの中に手を突っ込み、シュバルツをつまみ上げて膝に乗せる。そしてトランクに仕舞い込んだ首輪をつけ直した。



「よし出来た。お前は小さいんだから、あんま変なとこ行っちゃだめだよ?」

「うな」

「オーケー。あと、あんま見つかんないようにね。バレたら怖いしさ」

「にゃあー」



まるで返事をするように鳴いて、シュバルツはぴょんと膝から飛び降り、トコトコと歩いて行ってしまった。まあ、賢い子だし、ある程度は放っておいても大丈夫だろう。

ハーマイオニーも同じことを思ったのか、クルックシャンクスを籠から出してやりながらシュバルツをにこやかな顔で見送る。



「この部屋も、益々賑やかになるわね!」

「ラベンダーたちに知られないように気をつけなきゃなー」



恐らくまだ下の談話室にいるであろうルームメイトの顔を思い浮かべながら、私は緩く笑うと、ハーマイオニーも笑った。クルックシャンクスは眠そうに欠伸を漏らしたが、ゆっくりと起き出し、まるでシュバルツの後を追うように、とことこと歩いて行ってしまった。



「仲が良いみたいでよかったぁ」

「そうね。ホント、兄弟みたい」

「あれ、クルックシャンクスって男の子なんだっけ」

「そうよ。名前で分かるでしょ」

「確かに」



そんな緩い会話をしながら、互いに寝落ちるまで語り明かしたのだった。





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ルーピン先生大好きな夢主、大ハッスル


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