3

トランクを運ぶドビーの後ろを、私が追いかける。ドビーは何も語ってくれず、黙々と足を進めるだけ。一体何がどうなってんだろう。展開としては奇しくも原作と同じ通りになってしまったことだけは分かるが、シリウス、ドビーという二つの介入が私を混乱させた。相変わらず、ドビーは何も言ってくれない。



「ド、ドビー……?」



暗闇に消えそうなその背中に、たまらず呼びかける。するとドビーはようやくその足を止めてくれた。此処、どこだろう。随分遠くまで来た気がする。薄暗い街灯に照らされた看板に目をやれば、『マグノリア・クレセント通り』と記されている。かなり遠くまで来たなこれ、二つ街を超えたぞ。

ドビーはくるりと私に振り向くと、ぺこりと頭を下げた。



「アシュリー・ポッター。お久しぶりです」

「え、ええ。ドビー、久しぶり。就職活動、中々難航しているようね」

「ええ、自由とはかくも生きるのに難しい事かと痛感しております。けれど、ドビーはこの身が自由であったこと、今日ほど感謝したことはありません」



マグルの街のど真ん中、しかも夜ということを考慮してか、ドビーのテンションは比較的抑え目だ。



「何があったの? シリウス・ブラックが来た、とか言ってたけど」

「そうなのです! アシュリー・ポッター、ドビーめは、一週間ほど前、アシュリー・ポッターに、友達に会いに来たのです。いえ、会う為ではありません。友達を、護るためです!」

「護る?」

「ええ。ドビーはちゃんと新聞を読みます。だから、シリウス・ブラックがアズカバンから脱獄したことを知っていました。だからドビーは驚きました、まさかアシュリー・ポッターに会う為に来たこのマグルの街で、あのシリウス・ブラックを見つけてしまうなんて!」

「ええ!? シリウス・ブラックに会ったの!?」



それは驚きだ。シリウスめ、何の為の《動物もどき》だと思ってるんだ……。まだ見ぬ名付け親に呆れ返っている私の前で、ドビーは、小さな胸をとんと張った。



「はい、ドビーはブラックを見つけました。丁度、貴女様の家のすぐ近くです、ええ。だからドビーはブラックを追い払おうと、戦いました。ブラックは弱っていました、ドビーに反撃もせずに、逃げて行きました。しかしドビーは確信していました。ブラックは必ず、また現れると。アシュリー・ポッターを狙う為に、です!」

「……え、わ、私、を?」



あ、ぶね。

私は、咄嗟にその一言を絞り出す。そうだ、今の私はその情報を知らない筈なのだ、こう返さなければ不自然に思われる。なるべく不思議そうな表情を保ちつつ、どういうこと、と聞き返す。



「アシュリー・ポッター。去年、ドビーは失敗しました」

「……?」

「ドビーは、アシュリー・ポッターの為を思い、何も告げずにあの家に留まるよう言いました。けれど、ドビーは失敗しました、間違えていたのです。あの勇敢で気高いアシュリー・ポッターを、ドビー如きの判断であの家に縛りつけてはならなかったのです。だから、ドビーは、今度こそ間違えないよう、アシュリー・ポッターに真実を伝えます!」

「真実?」

「はい。ブラックが脱獄した、というニュースをご存知ですね?」

「ええ、まあ」



それくらいは、無知である筈の私でも知っている。なんせ、ファッジがマグルにも注意喚起を呼び掛ける為、マグルの大臣に伝えたからだ。おかげでシリウスがいつ脱獄し、何故捕まり、どこから逃げ出したのか、肝心なところが全くぼかされたおかしなニュースがあちこちで流れたものだ。



「ブラックは『名前を呼んではいけないあの人』の腹心の部下でした。奴は十二年前、貴女様が『名前を呼んではいけないあの人』を打ち破った時、ヤケになり、マグルの街の真ん中で魔法使い一人と何の罪もないマグルを十人以上殺し、アズカバンに投獄されました」

「そ……そんな人が、何故、私を?」

「恐らく、復讐にございます。『名前を呼んではいけないあの人』を打ち破った貴女様を、ブラックは憎んでいます。ドビーはすぐに分かりました。ブラックが脱獄したのは、きっとアシュリー・ポッターを殺す為だろうと。だからドビーはすぐにアシュリー・ポッターの傍に馳せ参じました。友達を護る為に、ドビーは一人で此処へ来たのです!」



なるほどな。話が見えてきた。



「そうしてさっき、私ではない誰かが、マージおばさんを風船にした……」

「ええ。ドビーは魔法の気配に敏感です。ブラックが魔法を使ったとすぐに分かりました。ですから仕方ないとはいえ、ああして姿を見せた次第です。ですがドビーは間違っていなかった、ドビーは友達を護れた!」



得意げなドビーに、私はようやく納得がいった。

シリウスは私の顔を一目見ようと此処に来たのだろう、なるほどそれは原作でも合った話だ。しかし、シリウスの脱獄を知り、上記の予測を立てたドビーは私を守りに、もう一度ここに現れた。運悪く見つかったシリウスは、ドビーから逃げ回った。恐らく、それからドビーは私を見張っていたのだろう、シリウスがまた現れないか、私が殺されないか。シリウスもまた、ドビーに邪魔されずに私を一目見ようと、家の周りをどうにかウロウロしていたのだろう。

が、シリウスはきっと恐らく、聞いてしまったのだろう。マージおばさんの聞くに堪えない罵倒の数々を。彼の事だ、怒りを抑えられずにマージおばさんを風船にした。そしてそれと同時に、魔法の気配を察したドビーが転がり込んできた、と。



「ドビー」



なるほど、話は少し拗れてしまったが、結果オーライだ。去年と比べるまでも無く、ドビーのしたことは文句が付けられないほど完璧だった。ちゃんと、私の良い付けを守ってくれているようだ。



「ありがとう、私を守ってくれて。ありがとう、本当のことを教えてくれて。ありがとう、私をあそこから連れ出してくれて」



ドビーの手を取って、私は真っ直ぐにお礼を言った。ドビーはぽっと照れたように笑うと、当然です、と胸を張った。

しかし、シリウスも災難なものだ。やっとの思いで脱獄し、ちょっと親友の忘れ形見の顔を見ようとしたらドビーに追いかけ回されるなんて。ちゃんと会えた時には誤解してごめんね、と謝らなければ。一昨年のスネイプの時もだが、真実を知っていても“不自然”だと思えば、私はそれを口にしないことにしている。聡すぎると誰かに気取られても、面倒だしね。



「さあ、アシュリー・ポッター。此処も何時まで安全か分かりません。早々に立ち去らねば」

「そ、そうね。でも、どうやって?」

「ご安心を。杖を掲げるのです」



ナイト・バスを使えとのことらしい。原作に記載されてた乗り心地を思うととあまり撮りたくない手段だが、私は今、マグルのお金を持っていない。去年、換金するのをすっかり忘れていたからだ。仕方ない、他に方法も無い。私は覚悟を決めて、杖腕をえいと掲げた。

その瞬間、耳を劈くようなバァァアアン、という音が響き渡り、目の前が閃光に包まれ、思わず目を閉じる。少し待って目を凝らしてみれば、巨大なヘッドライトをつけた、紫色の派手なバスが私の前に鎮座していた。三階建てなのに、どこか歪な形をしており、フロントガラスの上に、金の文字で『夜の騎士[ナイト]バス』と書かれている。



「『ナイト・バス』がお迎えに上がりました。迷子の魔法使い・魔女立つの緊急お助けバスです。杖腕を差し出せば参じます。ご乗車下さい、そうすれば何処へなりとお望みの場所までお連れします。わたしは車掌のスタン・シャンパイク!」



紫の制服を着たにきび面の男が叫ぶように能弁に喋る。あんまり大きな声なので、ほんとに誰にも気付かれないのか心配になってくる。スタンは私を見つけるなり、手を差し伸べた。



「さあ迷子のお嬢さん、こちらへ。ん? おめえ、こりゃまた随分と別嬪だな」

「……どうも、ありがとう」

「腕が鳴るもんだ、っと。へへっ、さて、おめえさん、名前は?」

「ハーマイオニー・グレンジャーよ」



額の傷を前髪で押さえて隠しながら、咄嗟にそう名乗った。いつだって、騒がれるのは面倒くさい。スタンに手を引かれ、私はナイト・バスに乗り込もうとする。



「(あ)」



ドビー、何処行ったんだ。暗闇の広がるマグノリア・クレセント通りをちらりと振り返れば、ドビーがこちらに手を振ってから、ぱちんと指を鳴らしたのが見えた。煙のように消えるドビーに、口パクで「あ、り、が、と」と告げる。



「ん、忘れもんか?」

「いいえ。行き先は漏れ鍋でお願い。いくら?」

「十一シックル。十三出しゃあ熱いココアが付くし、十五なら湯たんぽと好きな色の歯ブラシがついてくらぁ」



湯たんぽと歯ブラシは必要が無いので、トランクの中から金貨の入った巾着を取り出し、丁度なかったのでガリオン金貨を差し出した。



「ココアだけ頂くわ」

「まいど! 十六シックルのお返しです」



返された銀貨の山にうんざりしながら、私は巾着に銀貨を入れて行く。その中から、私は三枚の銀貨を手に取り、スタンの手のひらに落とした。



「うん? やっぱ湯たんぽいるか?」

「チップよ」

「美人な上に気前までいいときた。良い客拾ったぜ」



たかだか百ペンスちょっとで、随分とちょろい男だと思った。私はスタンに案内され、バスの中に入った。気を良くしたスタンは、このクソ重たいトランクを持ってくれた、ありがたい。

中には座席はなく、カーテンのかかった窓際に真鍮製の二段ベッドが六つ並んでいるだけだった。ベッドの脇の腕木には蝋燭の柔らかな明かりが灯り、板張りの壁を照らしている。床はコップだの新聞だのが散らかっており、バスの運転の荒さが目に見える。やはりココアは辞退しようとスタンにその旨をつげると、スタンは残念そうに肩を竦めた。



「ここがおめえさんの席だ」



ベッドの下にトランクを押し込みながら、スタンは言う。上の段には既に誰かがいるようで、『ムニャ……ナメクジの酢漬けが……』という背筋がゾッとする寝言が聞こえる。ベッドに腰を下ろし、スタンからココア分の銀貨を受け取り、巾着に仕舞う。



「よう、アーマイオニー。こいつぁ運転手のアーニー・プラングだ。アーン、こっちはアーマイオニー・グレンジャーだ」



アーニーは分厚い眼鏡をかけた年配の男だった。こちらに向かってぺこりとお辞儀をするので、私も慌ててお辞儀をする。ちゃんと前髪で額の傷を隠すのも忘れない。



「アーン、バス出しな」



その一言と共に、再び耳を劈くような音が鳴り響き、バスが発車した。その反動に、私はバランスを崩してベッドに倒れ込んだ。床のマグカップやら歯ブラシやらがゴロゴロと床を転がっていく。いやカップだけではない、ベッドでさえも床に固定されておらず、バスの動きに合わせ、慣性でするすると動いている。だが、不思議とどのベッドも引っくり返ることだけはしない。

これも魔法か、と私はするすると動くベッドをなるべく気にしないように腰を落ち着ける。すると、スカートのポケットがもごもごと動いた。いかん、シュバルツが!



「ご、ごめんシュバルツ! 大丈夫!?」

「にゃ、にゃ……」



力無いシュバルツの返事。ごめんなあ、とシュバルツをポケットからシュバルツを出してやり、膝の上に乗せて撫でる。シュバルツは参った参った、とばかりに尻尾を振る。

それからしばらく、不安になるアーニーの運転に身を任せ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。ナイト・バスはしょっちゅう歩道に乗り上げるし、マグルの車道に出ては対向車線ガン無視で走っていくし、正直不安しか込み上げてこない。が、不思議と絶対に衝突はしない。街にはポストだの車だの家だのが所狭しと並ぶのに、まるで向こうがバスを避けているかのように進んで行くのだ。魔法ってスゲーわほんと。



「うん? アーマイオニー、寝れねえのか?」

「(この状況下で寝れる方がどうかしてる)」



スタンの気遣いに、私は曖昧に微笑むだけだ。ただでさえ発着のたびにバンバンと耳を劈く音が鳴るのに、その上ベッドもその度に大きく動くのだ、こんなところで寝れるか。シュバルツも怯えているのか、身体を縮こまらせている。

本でも読んで気を紛らわせようと思ったが、流石の私も数分で気持ち悪くなってしまった。トランクに本をしまい、スカートの裾を押さえながらベッドに仰向けになる。あー気持ち悪。シュバルツをお腹の上に乗せて、眠りはしないが目を閉じ、回復を図る。



「にゃあ」

「ダイジョブ、すぐ良くなるから……」



そんなやりとりをしているうちに、一人、また一人と乗客が降りて行く。みんなどこか足取りは軽いのは決して気のせいではないだろう。ついにバスの乗客は私だけになってしまった。どうやらこのバス、すぐに何処にでも行けるからと、客が乗った順に目的地に送り届けているらしい。



「ほいきた、アーマイオニーの番だ」

「安全運転で頼むわ……」



バーン、と同じようにバスが発車し、ベッドがずるりと動く。くっそ、聞いちゃいないってか。来年は、絶対換金忘れないようにしよう、そう心に決めた。

夜の暗さが薄れ、窓の外の空が白くぼやけてきた頃、ようやくバスはまた大きな音を立てて着地した。外を確認して見れば、間違いない、小さく古ぼけたパブ、『漏れ鍋』に着いていた。シュバルツはポケットに入るのを嫌がったので、シュバルツを肩に乗せた。うなじの辺りをシュバルツの黒毛が掠るのでくすぐったくて仕方がないが、自業自得、ということにしとこう。

そうしてスタンの手を借り、トランクを先に下ろしてからバスを降りる。



「ありがとう」

「またのご利用お待ち―――」

「(絶対しないけどな。……ん?)」



能弁なスタンが言葉を詰まらせる。どうしたのだろうとスタンの目線を辿って納得した。漏れ鍋の入口の前には、なんともちんちくりんな格好をした初老の男―――見間違える筈もない、コーネリウス・ファッジ。去年、ハグリッドの小屋で見た、魔法大臣その人だった。



「おったまげ。アーン、来いよ。魔法大臣だ」

「アシュリー、やっと見つけた!」



スタンの声に被せるように、私を見るなりファッジはそう叫んだ。ア、アチャー。



「大臣、アーマイオニーのことなんて呼びなすった?」

「アーマイオニー? アシュリー・ポッターだが?」



疲れ切った様子のファッジは、何を馬鹿なと言わんばかりにスタンにそう言い返した。シリウスの脱獄により、責任追及が全てファッジに押し寄せているのだろう、えらく顔色が悪い。ディペット校長といい、責任者ってのは大変なものである。

私の正体を知ったスタンが興奮気味にアーニーに呼び掛けるのを尻目に、ファッジは大きな溜息をついた。



「まあ、ナイト・バスがアシュリーを拾ってくれて大いに嬉しい。だがわたしはもう、アシュリーと二人で漏れ鍋に入らねば……」



さあ、と道を示され、私はトランクを手に取る間もなく、漏れ鍋に押し込まれた。見慣れたそのパブの中で、カウンターの後ろからランプ片手にしわくちゃのくるみみたいな顔の老人が現れた。漏れ鍋の亭主のトムだ。



「大臣、捕まえなすったかね! やれよかった。何かお飲み物は? ビール? ブランデー? ポッターさんはココアで宜しいか?」

「え、ええ」

「私は紅茶をポットで」



バタン、と背後で扉が開く音が聞こえた。振り返れば、アーニーとスタンが私のトランクを漏れ鍋に運んできてくれたようで、ゼイゼイと肩で呼吸をしている。だが、それがトランクを持ったことによる疲れではなく興奮であることは、その顔を見れば分かる。



「な、なーんで、本名、教えてくれなかったん、だ?」

「騒がれるのが苦手で」



困ったように笑うと、有名人も大変だ、とスタンは帽子を被り直しながらそう言った。アーニーはスタンの肩口から、興味深々です、と言わんばかりに私を凝視している。だから嫌なんだっての。



「それとトム、個室を頼む」



ファッジは切羽詰まったようにそう言う。お礼を言う間もなく、またのご利用を、とナイト・バスの二人はさっさと漏れ鍋から出て行き、ファッジは私を促しながら、トムに続いて二階の個室へと連れて行く。やがて明かりもない小さな部屋に通される。が、トムが指を鳴らすと、暖炉に火が灯った。部屋は八畳ほどの広さで、寝心地のよさそうなベッドとソファが二対、ミニテーブルが一つ置いてある。どれも磨き上げられた樫材製で、パブの外観からは想像できないほど可愛らしい部屋だった。トムはにっこりと笑い、恭しく頭を下げ、部屋から出る。

シュバルツが、もごもごと首の後ろで動くのをくすぐったく感じながら、改めてファッジと対峙する。



「アシュリー、掛けたまえ」

「……し、失礼します」



こんなのでも、曲がりなりにも魔法大臣。失礼のないよう頭を下げ、腰を下ろす。ファッジは私が椅子に掛けるのを見届けて、細縞のマントを脱いで脇にぽんと放り、黄緑色の山高帽を取ると、どかりとソファに腰を下ろした。その顔にはやはり、疲れが浮かんでいる。



「さて、アシュリー。まずは、手荒な真似をしたことを詫びよう。すまなかったね。私はコーネリウス・ファッジ。魔法大臣だ」

「は、初めまして。アシュリー・ポッターです」



その時、控えめなノックがされ、扉が開く。シャツ襟の可愛い寝間着に、これまた可愛らしい白とオレンジのエプロンをつけた亭主のトムが紅茶とクランペット菓子、そして温かなココアを乗せた盆を持って現れた。トムは私とファッジの間にあるミニテーブルに盆を置くと、もう一度恭しく頭を下げ、下がった。

トムが退出したのを見計らって、ファッジは話を切り出す。



「さてアシュリー、大変な目に遭ったね。魔法省側の不手際で、あんなのを脱獄させてしまったこと、深くお詫び申し上げる」



おや、なんだか展開が少し違うような。私に向かって深々と頭を下げるファッジにどうしていいのか困惑していると、ファッジは頭を上げ、困ったように微笑んだ。



「いやなに、ダンブルドアが手紙を寄越してくれてね。アシュリーの知人の……えー、なんといったか、確かドビーという少年が、例の脱獄犯を君の家の近くで見かけたと連絡をしてくれた、と。確かに、君が逃げ出した後、君のおじさんの家には魔法が使われた痕跡があった。何故奴が君ではなくおばさんを狙ったかは分からな―――ああいや、あいつは狂人だ。誰であろうと人を襲う、うん、その、あー、なんだ、いやなに、ともかく君が無事でよかった」



完全に口を滑らせているファッジに、魔法界の未来に一抹の不安を覚える。とりあえず、なけなしの優しさで後半部分は聞こえなかったことにしておこう。

しっかし、ドビーという少年、で吹き出しそうになったてしまった。なるほど、ドビーめ、アフターケアも万全ということか。考えたものだなあ。たかだか屋敷しもべ妖精の証言だけでは、魔法省は決して動かなかっただろう。ドビーはダンブルドアに連絡をつけることで、間接的に魔法省を動かしたのだろう。やりおる。



「さて、事後処理だが。安心したまえ、ミス・マージョリー・ダーズリーの不幸な事件は我々の手で処理済みだ。数時間ほど前、『魔法事故巻き戻し局』二名と闇払い数名をプリベット通りに派遣した。隈なく検査もさせてもらったが、何の後遺症も無く、ミス・ダーズリーはパンクして元通り。記憶もバッチリ修正された。それで一件落着、実害なし、だ」



マージおばさんがどうなろうとあまり知ったことではないが、まあ、シリウスが変な呪いをかけなくてよかった、とだけは思った。本物の犯罪者になってはたまらないし。



「君のおじさんやおばさん、いとこは『シリウス・ブラックが来た!』とパニック状態だったが、こちらも記憶を修正済みだ。君はミス・ダーズリーとの晩餐の後、一人魔法界に返る為にロンドンに旅立った、と思い込んでいるだろう。十全十全、何の問題も無い」



お、そっちの記憶も修正してくれたとはありがたい。わりと良い子を振る舞ってたのに、おじさんを逆上させたばかりか、そのまま置いてきてしまったから、次帰ったらどんな目に合わされるかと密かに考えていたからだ。いやーよかったよかった。助かるわあ。

安堵の息を漏らす私を、ファッジはまるで、自分の可愛い姪を見るような優しい瞳で見つめている。これから敵―――正確には敵とも呼べないが―――に回る人間にそんな顔されるのは、なんともむず痒い。



「君は去年も一人で漏れ鍋に泊まったそうだね?」

「は、はい、大臣」

「結構、しっかりしたお嬢さんだ。では、今年も残りの二週間を漏れ鍋で過ごしてもらうことになるが、構わないかね?」

「え、ええ。それは勿論、願っても無いことです。ですが、大臣、お尋ねしてもよろしいですか。どうして、こんな……たかが、十三歳の魔女一人の為に、大臣自ら応対して下さるんですか。大臣も、その、大変多忙な方と聞いております」



流石に至れり尽くせりでは不自然かと、なるべく不安そうな顔を余所いながら、ファッジを見つめる。ファッジは私の言葉に一瞬ぽかんとするが、ハハハッ、と豪快に笑い飛ばし、紅茶のカップを手に取った。ようやく、疲れの無い表情となった。



「全く、子どもながら君は気を遣い過ぎだ! 我々は大人だ、未来ある君たちを護る為に働いているのだ。そんなことを気にするもんじゃあないぞ。まあでも、その心意気は、いい、実に素晴らしい心意気だ、アシュリー。君は立派な魔女に育つことだろう」



姪どころか孫にかける言葉じゃないか、ってぐらいファッジは私に都合の良い、優しい言葉をくれる。少しだけ、目をぱちくりとさせた。後半の迷走具合が目立つが、本来ファッジは基本的に人当たりがよく、親切な人なのだ。それを忘れていた、見失っていた。



「(少なくとも今は、こんなに親身になってくれてる)」



確かに去年から自分の地位や権力に固執した発言が見てとれたが、今、私の目の前に居る男は、間違いなく本心から私を心配していた。あのブラックに襲撃されたと聞き、心を痛めていた。それがどうにも私を変な気持ちにさせた。

……ええい、未来の話ばかりしていてどうする。“今”のコーネリウス・ファッジは間違いなく私の味方なのだ。だったら、礼節のある態度を取らないとならないはずだ。



「ありがとうございます、大臣。本当に―――助かります」

「うむ。ただ、外はあの通り、いつ変なのに襲われるか分からない。それに比べて魔法界は、必ずどこかに魔法使いが居る。此処は安全な世界だ。だから間違っても、マグルのロンドンへは出て行かないでくれたまえよ? でなければ、わたしの仕事が増えてしまう」

「はい、大臣の眉間の皺を増やさないように努めますね」

「いい子だ」



皮肉を交えた台詞に聞きわけの良い子を振る舞えば、ファッジは機嫌が好さそうに屈託ない笑顔を浮かべる。そう、か。そうだったね。本来のあなたは、こういう人だったんだ、よね。時と権力が、人格を狂わせただけで。

だったら今は味方の好意に、素直に甘えることとしよう。



「さあ、アシュリー。疲れたろう。この部屋はもう魔法省が君の名前で予約を取ってある。ゆっくりしたまえ。ああそれと、暗くなる前には部屋に戻るんだよ。では、わたしは行くとしよう」

「はい。何から何まで、お世話になりました」

「うむ」



最後にもう一度笑顔を浮かべ、私はファッジと握手を交わした。そうしてファッジはコートと帽子を身につけると、部屋を出て行った。そしてファッジと代わるように、今度はトムが部屋に入ってきた。



「ポッター様、お荷物はこちらに用意しております。それと、この子があなたが到着して五分ほど経った後、お見えになりましたよ。賢いふくろうをお持ちなようで」



そう言ってトランクを部屋の隅に設置するトム。その右手の大きなかごには、白いオスふくろうである、私のヴァイスがカチカチと嘴を鳴らしていた。



「ヴァイス! お前帰って―――そっか、一週間って約束だったからかぁ! ワア、私のこと探してくれたんだね!? ありがとう、ヴァイス!」

「ホーホー!」



ヴァイスは嬉しそうに羽根をはためかせた。トムは一段と嬉しそうに笑みを浮かべると、「ではごゆっくりどうぞ、ポッターさん」と言い残し、ドアを優しく閉めた。ぽつりと部屋に残された私は、ヴァイスを籠から出してやり、自由にしてやる。



「つっかれたぁ……」



私はそのままベッドに倒れ込んだ。なんだかんだ、ナイト・バスでは一睡も出来なかった私は貫徹した計算になる。時計を見てみればもう朝の六時を超えていて。そりゃそうだ、ナイト・バスを降りた時点で朝焼けが見えていたのだから。ファッジもこんな時間までお疲れ様である。

ベッドの温かさに身を任せていると、眠気がどんどん襲ってくる。にゃあ、とシュバルツの鳴き声を最後に―――着替える間もなく、私は意識を手放した。


*PREV | TOP | NEXT#

- ナノ -