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最後に辿り着いたのは、狭くて小さな店だった。『オリバンダーの店』──掲げた看板は店の名前さえ剥がれかけ、埃っぽいショーウインドは人を寄せ付けない魔法でもかかっているかのようだった。ドア窓には、ぼろぼろのプレートが『OPEN』の文字を掲げている。店の中に入ると、どこか奥の方でベルが鳴った。積み上げられた幾千幾万もの杖の箱を眺めながら、待った。すると。



「いらっしゃいませ。おぉ……」



老人が、梯子に乗って棚の奥から滑りこんできた。いそいそと梯子から降りてカウンターの前に立ち、私の顔を見て、にっこりとほほ笑んだ。



「いつ会えるかと楽しみに待っていましたよ、ポッターさん」

「こ、こんにちは」



大きな二つの銀色の目に見られて、どこか背筋が伸びてしまう。変なの、別に悪い人じゃないのに。



「お母さんに瓜二つじゃ。あの子が最初に杖を買って行った日のことが、まるで昨日のようじゃ。二十六センチ、柳の木。妖精の呪文にはぴったりじゃ。その髪はお父さん譲りかな? マホガニーの、二十八センチ、よくしなる杖を好んだ。変身術には最高じゃった」

「……あの、オリバンダーさん」



原作じゃ、杖選びにはえらい時間がかかったと書いてあった。正直、ここにはあまり長居したくない、そう思った。私の杖は決まってる。とっとと選んで、ここを出て行きたかった。あの霧のような瞳に見られるのは、何故だか居心地が悪い。



「柊と不死鳥の羽根、二十八センチの杖を、下さい」



これでも生前はバリバリのハリポタファンだったのだ、杖の素材くらい余裕で言える。そんな私を他所に、オリバンダー老人は私の発言に、月のような瞳をまんまるにさせた。



「ポッターさん。その組み合わせの杖は、存在しません」



なん……だと……っ!?

いや待て、それは大いに困る。ハリーがヴォルデモートと対決して生き延びれたのは、杖の芯が同じ、つまり兄弟杖だったからだ。この機能が無ければ、ヴォルデモートほどの強力な魔法使いに、一介の、ホグワーツ生程度の魔法使いが太刀打ちできるわけがない。



「じゃ、じゃあ、私の額に傷をつけた杖の兄弟杖はありますか?」



横でハグリッドが思いっきりむせ込んだ。オリバンダー老人も、おっかなびっくりといった顔をしている。



「なんと……三十四センチ、イチイの木、不死鳥の尾羽の……。ポッターさん、オリバンダーの杖に一つとして同じ杖はない。芯となる不死鳥も一角獣も、一体一体が異なる存在なのですから」

「だから、兄弟杖なのです。芯は同じでも、木が違えば異なる杖となる。木が同じでも、芯が異なればまた違う杖になる、そうでしょう? だから、その杖と同じ不死鳥の尾羽を使った杖は、本当に、ないのですか?」



いやでも、不死鳥ってダンブルドアのフォークスの尾羽だったっけ。この際、ダンブルドアに土下座してでも尾羽一枚貰って、オリバンダー老人のとこに持ってって作ってもらうってのも……アリか……?



「あの杖と同じ芯ですと……──待てよ?」



オリバンダー老人は慌てて部屋の奥に引っ込む。がったん、ガッシャーンッ、どさどさどさっ、と埃が巻き起こり、杖の箱が床に落下するような、すごい音が奥から聞こえる。

横にいるハグリッドは、意味が分からないとばかりに目を白黒させた。



「アシュリー、なんでそんな物を欲しがっとるんだ? 心配せんでも、じいさまなら、必ずお前さんにあった杖を探し出してくれるわい」

「だめなのよ、ハグリッド。その杖以外は──意味が、ない」



でなければ、私は五年生に進級できない。享年十四歳だなんて冗談じゃない。

そうだ──冗談じゃない。一度ならず、二度も死んでたまるか。どういう訳か二度目の人生を送っている訳だが、もう一度“アレ”を体験しなければならないなんて、考えただけでも気が滅入る。死んだ時のことを鮮明に覚えている訳ではないが、私は死ぬことをとても恐ろしいものだと認識していた。恐らく、本能的に死を恐れているのだと思う。一度経験したことだから、その恐怖は尚更なのだろう。

だからこそ、こんな所で死亡フラグを立てるわけにはいかない。死にたくない、私は死にたくないのだ。その為なら、私はどんな努力だって惜しまない。ここで理想の杖が見つからなくても、自力で何とかしてやるんだ。



「ポッターさん、おおポッターさん」



しばらく待っていると、オリバンダー老人が薄汚い小箱を抱えて転がるように戻ってきた。目はキラキラと輝いており、とても嬉しそうに見えた。



「ありましたとも、ありましたよ、ポッターさん。滅多にない組み合わせじゃが、サクラの木、不死鳥の尾羽、二十三センチ、頑丈で気難しい」

「桜の……木?」

「杖の材質としては、非常に珍しいものでしてな。極東の国では、この杖を持つ者は特別視されると聞く。サクラ材からは、『どんな芯材を用いても死をもたらすほど強力な力』を宿す杖が出来ることが多いといいます。この杖は、わしが若い頃にその国に訪れた時、手に入れたサクラの枝を、加工したものじゃ……あの日見た光景は、本当に、美しいものじゃった……」



オリバンダー老人は、杖を抱いて懐かしげに眼を伏せる。

桜自体は、別に珍しい木ではない。日本人が特に好むだけで、イギリスにだって桜の木はある。だけど──そう、土地が変わればなんとやら。あの儚げで、神秘的な桜は、あそこにしかない。イギリスの桜とは、やっぱり少し違う。文化が、そうさせているのか。花を愛で、四季と共に過ごす日本だからこその、風景なのか。なんて、感傷的になりながら、老人から杖を受け取る。



「(……なあ、頼むよ。お前が私を認めなければ、私はこの世界では生きていけないんだ)」



誰にも聞こえないように、そう呟いた。その声に呼応したかのように、指先がぽっと暖かくなった、ような気がした。思い切り杖を振り上げ、埃っぽい店内の空気を裂くようにヒュッと振り下ろした。すると、杖先から金色の閃光が飛び出して、店内に弾け飛んだ。ひらりひらりと、弾け飛んだ光が店内に降り注いだ。よく見ると、その光一つ一つが桜の花びらだった。



「な、なんということじゃ……杖が魔法使いを選んだのではなく、魔法使いが杖を選ぶなど……ましてや、杖が魔法使いに応えるなど……なんということじゃ……」



茫然としたオリバンダー老人が、ぶつぶつと呟いている。

つ──つまり、この杖は私を選んでくれたってこと、で、いいんだ、よ、ね? よかった……こんなところで死亡フラグが立つなんて思ってもみなかった。ほんと、私の知る原作と同じ筈なのに、どこか少しだけ違うのが、私をどうにも不安にかき立てる。



「ポッターさん。あなたが何故、あの人の兄弟杖を求めたかはあえて聞きますまい……だがあなたは、わしが売った杖の客の中で、初めて“自ら杖を選び取った魔法使い”じゃ……かの、『名前を言ってはいけないあの人』ですら、杖に選ばれた者じゃというのに……」



オリバンダー老人は、杖を箱に戻して、紙で包みながらそう言った。そして、箱を差し出して、あの月のような瞳で、私を覗き込む。



「ポッターさん。きっと、あなたは偉大な事をなさるに違いない……『名前を言ってはいけないあの人』も、偉大な事をしたわけじゃが……恐ろしくも、偉大には違いない」



月の様な瞳は、いつの時代に思いを巡らせているのか。私の目を見ながらも、オリバンダーさんは遠くを見つめているように見えた。それから、杖代に七ガリオンを支払って、オリバンダー老人に送られて店を出た。



「(サクラの杖、か)」



この世界は私の知ってる世界と同じで、私の知る彼と同じ立ち位置に生まれ育った筈なのに、世界はこんなにも、同じなようで、少しずつ、どこかがそう、歪に異なっているような、気がする。

同じようで、違う世界が私の眼前に広がっている。それが、不安でもあったが、嬉しかった。私は、ハリー・ポッターの代替品ではなかった。彼の軌跡をなぞっても、それは私が上手く生き抜くための手段でしかない。私は、私の人生を生きたいし、世界もまた、私を受け入れている──世界にたった一つしかない、私だけの杖。私にだけ懐いた、白ふくろう。それが、何よりの証拠だ。本当は、少し不安だった。私は、ハリーの立ち位置を奪ってしまったのではないかと。彼が生まれるべき座を、私が居座っているのではないか、と。そんなことはなかった。なかったんだ。ハリーはメスのふくろうを得た。ハリーは柊の木の杖を得た。私とは違う。私ではない。この世界の『生き残った子ども』は、私という存在で良いのだ、と。

ありがとう、と杖をふくろうを抱えながら、小さく呟いた。


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