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「な、な、なん──」



なんでスネイプが、こんなところに……っ!? 

っていうか、え、スネイプなにやってんの。いくら腹立たしい詐欺師とは言え、一応教師同士だというのに──や、まあ胸がすっとしたとかなんだ失神呪文かいいぞもっとやれとか色々思ったけど、だけど、なんだってこんな……。

ちょっと予想外の人物の登場に、どう反応していいのか分からずに茫然としていると、スネイプは杖を握り締めたままつかつかとロックハートの部屋に入ってきて、私の腕を掴んだ。



「、えっ!?」

「馬鹿者!! 早く来い!!」



そう怒鳴り、私の腕を引き、ロックハートの部屋から引き摺りだした。それだけでは止まらずに、スネイプは殺気を抑えないまま私をどこかへ引っ張っていく。ロックハートの部屋に入って何時間経ったかは分からないけれど、人っ子一人いない廊下を見るに、もう消灯時間を過ぎた頃であるらしい。“そう”は見えないだろうけど、スネイプに腕を引かれている姿を誰かに見られなくてよかったと思いながら、スネイプの黒い背中を見つめる。

スネイプは何も言わずに私をどこかに連れていく。未だに殺気がだた漏れしているスネイプは中々迫力があるな、なんて変な事を考えているうちに、辿りついたのは地下にあるスネイプの研究室。中に入るなり、スネイプは私の腕を離して、私に背を向けたまま、ちらりと私を見て、前を向く。



「──」



スネイプは、何も言わなかった。ただ、殺気立った雰囲気は、緩やかに霧散して行くのが、その背中を見て分かった。ああ、なるほど、そういうことか──。



「今度は──助けて、くれたんですね」



成人男性が二人きりの密室で、未成年の少女の手を握り締めて、少女はうろたえていた──その状況は、なるほど、どう見ても無理矢理迫られている力無き少女と力に物を言わせる男その物だっただろう。本当はそんな雰囲気ではなかったのだけれど。いやまあ、ロックハートがどう思っていたかは、知らないけれど、ね。

思わず笑みをこぼしながらそう言うと、スネイプは私をもう一度ちらりと見た。その顔は、酷く不機嫌そうに歪んでいた。



「“今度は”、という言葉は余計だと思うがね、ミス・ポッター」



決して目を合わせず、その言葉も冷たいものだったけれど、スネイプはスネイプなりに私を案じていたようだ。まあ、私って言うか、私によく似た“誰か”の影を──なんだろうけれども。まあでも、やや雰囲気と言うか、あの空気に呑まれつつあった私を助けてくれたのだ。ここは素直に、礼を言うとしよう。



「可愛い生徒の皮肉ですよ、笑い飛ばして下さい。でも、助かったのは本当です。ありがとうございました、スネイプ先生」

「……フン。クィレルを打ち負かした君が、ロックハートは手に負えないとは、何とも情けない話だ。英雄の名前が泣きますな、ミス・ポッター」

「厄介さのベクトルが違いますから、そこは何とも」



そこは一緒にしないで欲しいところだ。



「でも、何故先生があんな──失礼、ロックハート先生の部屋へ? 部屋で談笑する仲には見えませんけれども」

「……」

「先生?」



じっとスネイプを見つめる。視線の先で、スネイプは相変わらず目線を逸らし、気まずそうに顔を歪めている。よくよく考えれば、目線を合わせたら開心術を使われてしまうかもしれないのだから、ある意味これは私にとっていいことなのかな。腹立たしいことこの上ないんだけどさ。

なんて考えながら、しばらく待つと、ややあってスネイプが答えた。



「……夕食の席で、あれだけ自慢げに語られては、嫌でも耳に入ると言うものだろう。あれが君を甚く気に入っているのは、周知の事実だからな」

「……あの人、教師としてほんとに大丈夫なんですか?」

「親愛なる我らが校長に問い質してみるのだな」



あいつ自らロリコンって公言してるのか。あほか。ほんとに消されるぞ、社会的に。だが、その話を聞いただけで部屋に乗り込んでくるスネイプのロックハートへの信頼のなさと言ったらないな。まあ実際何かありそうな感じだったんだけどさ。助けに来てくれたのはわりと助かったし、嬉しくは思う。思うけれど、さ──ほんと、その心配が“私個人”に向いていたら、私もこんなにスネイプ個人を忌避すことは、なかったのにね。

まあ、それはそれ、これはこれ。礼は言ったし、私はとっととここを退散したい。最近ではスネイプより私の方が露骨に避けてるのではないかとすら思うが、いやまあ仕方がない。何者であれ、私の心は覗かれては困る。スネイプとの決着は、私が閉心術を身につけてからにしたい。それまでは露骨に無視されたり、私にママを重ねるのには目をつぶるとしよう。



「では、消灯時間も過ぎていますし、私はこれで失礼しま──」

「待ちたまえ」



退散しようとする私を、スネイプが引きとめる。相変わらず、私に背を向けたまま。なんて失礼な奴だ。私もスネイプに背を向けたまま、ドアノブに手をかけて──まあ、一応相手は教師だし、減点されては困るし、一応、立ち止まることにする。



「……何か?」

「──」



スネイプは、一瞬、何か言いかけたようだった。だが、互いに背を向けている状態なので、その表情は見えなかった。



「……気をつけたまえ。無害とは言え、アレには近付かないことだ」



またまた──お優しい言葉だことで。それが私個人に向けられた言葉であったのなら、それなりに喜んだんだけれどね。いや別にスネイプ個人を気に入ってるとかそういうことではない。だって、誰だって、自分の心配されたらそれなりに嬉しいものだ。けれど、その優しさは私個人に向けられたものではない。私でも、“私”でもない別の誰かに向けられた、愛情。もう遥か永遠に手の届かなくなった人への、未練。

誰よりも近くにいながら、自らの過ちに気付かずに手放してしまった愚かな人。その愚かさに今更気付いたって、もう何も、戻りはしないのにね。



「私は、私ですから」



例え──そう、例えどんな嘘を塗り固めていても。いくら私の中に“私”がいようとも。私は“私”であって、けれど“私”ではない存在だけれども、これだけはハッキリと言えることだ。私も、“私”もママじゃない。リリー・ポッターその人の影は、どこにもない。

そういう意味では、まだロックハートの方が勘がいいと言えるだろう。奴は少なくとも、ロンやハーマイオニーのように“私”の存在に、手を伸ばそうとした男だ。勿論、そんな手を握り返してやるつもりは微塵もないけれど。それでも、それでも──あんたよりは、ずっと今を生きてる奴だったよ。



「大体、似てないって仰ったのは──教授、あなた自身じゃないですか」



ドアノブに、力を入れて、ドアを押し開ける。地下に流れる生温かい風が、頬を撫ぜる。そのまま身体を部屋から押し出して、振り返り様にドアを閉める──すると。



「──!」



部屋の中にいたスネイプが、こちらを振り返った。その瞬間──扉が閉まる、その僅か一瞬の間だけ、私と、スネイプの仄暗い瞳が、交差した。この二年、一度も目を合わせなかったスネイプと、偶然にも、視線を交わし合った。それは、とても奇妙な気分だった。その瞳の中に、私の姿が映し出されていて。でもスネイプには、その姿は別の影にすり替わっていて──なんとも、馬鹿げた空想を、その目に見たのだった。

バタン、と扉が閉まる。スネイプは、追っても来ないし、部屋の中で動く気配もしない。ポケットに手を突っ込んで、懐中時計を引っ張りだす。二十三時と三十分を回ったところだ。この時間では、図書室も空いていないだろう。せっかくの勉強する時間が、無為に終わってしまった。残念なことだけれど、まあ仕方がない。そういえば、今日は初めて姿無き“声”を聞く日だった筈なのに、何にも聞いてないな。原作とはちょっと違う展開になったからか。仕方が無いけど、特別なフラグってわけでもないし、まあいいだろう。ぱちん、と懐中時計を閉じてからポケットに滑り込ませ、私は生ぬるい風が吹く地下室を抜けて、寮へと戻っていく。



「──もしも」



もしも、私が閉心術を身につけて、スネイプが何もかもを振り切って、一人の教師として、私の前に立ったとしたら──その時は、先ほどのように、皮肉を交えながら、会話できるのではないかと思った。一人の教師と、一人の生徒として、私たちはそれなりに楽しくやって行けたのではないだろうか。



「ま、無理だろうけどね」



だってあなたは、誰よりも愛に生きる人で、そして私は──その愛に、生かされる人間なのだから。なるほど、一生分かりあえそうにないな、なんて一人で暗い廊下で笑みを零してしいまう。と、同時に、複雑な気分になる。私は、最後の最後まで、あいつのママへの愛で生かされるんだもんなあ……複雑だなあ、ほんと。


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