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そんな調子で、夏休みはあっという間に終わってしまった。隠れ穴で過ごした一ヶ月は本当に温かく、安らかであった。遊んだり勉強したり運動したりを、必ず誰かと一緒に過ごした。なんていうか、私、ほんとにあの家では一人だったんだなあ、なんてしんみり思いながら、新学期に備えて眠りについた。

翌日、誰も寝坊はしなかったけれど、みんな忘れ物をしまくって、ロンドンに着く頃には十一時と十分前だった。空飛ぶフォード・アングリアを地面に転がし、やっとのことでキングズ・クロス駅に着いた。車を人気のないところへ駐車して、みんな慌てて荷物をカートに乗っけてダッシュで九と四分の三番線へ走っていった。パーシーが最初に行き、双子が行き、ジニーと夫妻が一緒に入っていく。



「アシュリー、僕らも行こう!」

「ええ!」



私とロンも、みんなに続いてカートを押していく。歩いている時間なんてない。走って柵へと突っ込んで行く──が、ガッツーンッ、と、二つのカートが柵にぶつかり、後方へ跳ね返った。ドサドサッガタンッ、とカートからトランクが、ふくろうの籠が引っくり返り、ヴァイスがギャーギャー騒ぎだした。ロンは引っくり返ったカートを見ながらぽかんとしている。周りのマグルはジロジロと不躾な目でこちらを見ていた。

柵を通れなかった──チッ、ドビーのやつ、大丈夫だって言ったのに邪魔しに来たな……! 説得もしたし完全に大丈夫だと思っていたので、油断していた。



「え、あ、な、なんで……っ!?」

「ロン、荷物を片付けて。此処じゃ目立ち過ぎるわ」



トランクを急いでカートに乗せ、ヴァイスを黙らせて、私たちはそそくさと駅を出て行った。人目があり過ぎるので、一旦フォード・アングリアまで戻った。おじさんが人気のない場所へ駐車したのは幸いだった、人っ子一人いない。



「なんで通れなかったんだろう。このままじゃ汽車に遅れちゃうよ!」

「入口は完全に閉じていたわ。……今更だけどね、ロン、どうして私が夏に手紙を返せなかったのか説明させてもらうわ」

「今!? 後じゃだめなのか!?」

「後じゃだめなのよ、ロン」



大慌てのロンを制して、説明する。ドビーという屋敷妖精が来たこと、私をホグワーツに返さないように仕向けていたこと。そして、今回、柵を通れなかったのは、ドビーの仕業──ではないか、ということを。話を聞いているうちに、ロンは冷静さを取り戻していったようだが、不満そうに唇を尖らせた。



「なんでそんな大事なこと今まで黙ってたんだ!?」

「説明する暇が無かったの。これがウィーズリーおばさんに聞かれてご覧なさいよ、発狂しかねないわ」

「そりゃそうかもしれないけど、だからって黙ってていいのか? 誰か他の大人に相談した方がいいんじゃ……」

「私のしたことに、他の誰かは巻き込めないわ」

「僕やハーマイオニーは?」

「だからあなたに話してるんじゃない。本当のことを」

「え、あ、そうか……ありがとう」



お礼を言うロン。素直だね、可愛い可愛い。微笑む私に、そうじゃなくて、とロンは頭を振る。



「これからどうするんだ?」

「とりあえず、おじさんとおばさんを待ちましょう。柵が閉鎖されてるって分かったら、流石に誰か気付くでしょう。ここに車がある以上、おじさんたちは姿くらましで隠れ穴に帰ることも無いんだから」

「そ、そうだよな。そうだよ、こういう時こそ、冷静にならなきゃだな。去年のことに比べたら、こんなことどうってことないしさ」

「その調子よ、ロン。本当はヴァイスを飛ばしてホグワーツの誰かに連絡を取りたいところだけど、ドビーはふくろう便を押さえる術を持ってるから、無意味でしょうしね……」

「うーん、じゃあ、とりあえず荷物をトランクに詰めようか」

「そうね、車の中で待ちましょう」



二人でトランクを車に押し込めた。どういう構造なのか、車のトランクは子どもが十人は寝そべれる程度には広々としていた。それから二人で車の座席に乗り込んで、おばさんたちを待った。三十分が過ぎた。おばさんたちは帰ってこない。一時間が経った。それでもおばさんたちは帰ってこない。もう十二時になるというのに。

十二時を過ぎたあたりで、ぐうう、とお腹が空腹の悲鳴を上げた。ポケットには、いざという時のために両親の遺産をマグルのお金にしたものがある。昼食ぐらいは買えるだろうか。



「ロン、ちょっと待ってて。何か食べ物を買ってくるわ」

「アシュリー! 一人にしないでくれよ!」

「すぐそこよ、ロン」

「僕も一緒に行く!!」

「車から見える所よ、ほら、あそこ。見えるでしょう? あそこで軽食を買ってくるわ。誰かが車を見てないと、この車、魔法が掛かっているんだもの。目を離してはおけないわ」

「……分かったよ……」



不安そうなロンを車に残し、私は売店までひとっ走りしてきた。私の服装はマグルに違和感なく溶け込めるものだが、マグルに不慣れなロンを思えばもたもたはしてられない。ホットドック二つと冷たいオレンジジュース二つを買って、急いで車に戻った。



「ありがとう、アシュリー」

「いいのよ。それより、ほんとに遅いわね……」

「うん……」



おかしい、と思った。いくら柵が閉じられているとはいえ、もう汽車が出発して一時間も経った。ぱちん、と懐中時計を仕舞いながら、思う。何故、誰も帰って来ないのだろうか。何故、この不具合に気がつかないのだろうか。いや、もしかしたら駅に誰か他の魔法使いが来ているかもしれない。そりゃそうだ、此処に居たら見れるものも見れないというものだ。ホットドックを口に押し込んで、私は立ち上がった。



「私、ちょっと駅に戻ってみるわ!」

「君はじっとしてられないのか!? あと口にケチャップついてる!」

「あら、ありがとう。大丈夫、ほんとにすぐ戻ってくるから!」

「待ってよアシュリー!!」



ごめん待てない。猛ダッシュで駅まで走っていった。改札を抜け、九と四分の三番線がある柵までマグルの人々を避けつつ走っていく。見つけた、堅いレンガの九と十番線の間だ。壁に手を伸ばすも、私は壁に触れることが出来た。相も変わらず、柵は閉じたままで。

おかしい。だがここには誰もいない。いや、魔法使いと思われる人物は誰もいない。普通のマグルが、行き交っているだけの、ただの駅。気付いていない──魔法省のクソ野郎、一体何してんだ。何故、この事態に誰も気付いていないのか。



「気付いていない──まさか、」



私は大慌てで車まで戻った。車ではロンがしょげかえっていた。そんなロンの隣に乗りこんで、私はその両肩をがしっと掴んだ。



「こ、今度はなんだよ、アシュリー!」

「ねえ! 屋敷しもべ妖精ってどんな魔法使えるの!?」

「魔法? うーん、僕も詳しくは分かんないけど、しもべ妖精にもそれなりの魔力があるってジョージが言ってたような気はするけど、それが?」



それなりの魔力──少なくとも、多数のふくろう便を取り押さえ、ルシウス・マルフォイを吹っ飛ばす力があるということか。くそ、やられた……!!



「多分、ドビーがおじさんとおばさんに錯乱魔法をかけたんだわ。柵を通らずに、姿くらましで帰るように思考を変化させる魔法を。そして、あの柵を通ることが出来ないのは、多分私だけなんだわ」

「えぇっ!?」



無論、私の推測が正しければ、だが。しかし、こう考えると辻褄が合う。あの魔法の策が全ての魔法使いを弾くのであれば、流石にその不自然さに気付く人が現れてもおかしくない。だから私だけを通さないようにする。何も知らない私は後手に回り、おじさんとおばさんを待つ選択をした。それを読んだドビーが、おじさんとおばさんに錯乱魔法か何かを書けたのだ。おじさんとおばさんを車に立ち寄らせずに家に帰せば、いよいよ私はホグワーツに戻る術がなくなると踏んだだろう。

完全にしてやられた。もう少し早く気付けば九と四分の三番線に残っていた魔法使いや魔女に異常を知らせることが出来た。けれど、あの駅は無人駅だし、もう出発から一時間も経過してる。あそこに一時間も残っている物好き魔法使いなんて、誰もいない。してやられたと手のひらを拳で叩きつける私に、ロンは名案とばかりに膝を打つ。



「だ、だったら、ダンブルドアが気付いてくれるはずだ! ダンブルドアじゃなくてもいい、ハーマイオニーでもマクゴナガルでも、僕たちが学校についていないって分かったら、きっと探しに来てくれるよ! それまで、ここで待っていればいい!」

「ロン、ドビーは私を学校に返したくない為に、こんなことをしているのよ。もし、この場に留まっている間に、私が不慮の事故にあって入院することになったら──どうなると思う?」



ひゅっと、ロンの喉が鳴る。そしてちらりと車の外を見やる。駅に来る道中にさんざん見てきたはずだ。多くの車、工事中のビルや家々、絢爛なストリートの裏地にひっそりと息づく人々の、“目”を。

私の安全の為ならブラッジャーで半殺しにすることも厭わないドビーだ。ここで突如車の大群が押し寄せても、空から鉄筋コンクリートが降り注いでも、或いはもっともっと邪悪な事故に遭ったとしても、何ら不思議ではない。

ぶるり、とロンが震える。



「……冗談だろ?」

「だといいんだけどね。お金も大量にあるわけじゃない。漏れ鍋まで行く電車賃だってないし、“そういう危険”があるって考えれば──やることは一つしかないわね」



当然、そんな事故を笑顔を湛えて待つ私ではない。危険な賭けには出たくなかったが致し方ないと腹をくくって、ロンをじっと見つめる。ロンは、しっかりと私を見つめ返す。



「……この車を飛ばす?」

「そう。……できる?」

「任せとけって。その代わり、先生たちへの言い訳は頼むよ」

「当然でしょ」



二人で拳をこつんとぶつけ合う。

まず、杖でエンジンをかける。誰もいないか回りを確認してから、透明ブースターを押した。乗っている車が消え、自分たちも透明になったのが分かった。透明マントで慣れてはいたが、なんだか変な感覚だ。



「行こう」

「とりあえず、進路は北でいいのよね。何があってもいけないし、最初は一気に高度を上げましょう。できる?」

「ああ。しっかり捕まってて」

「オーケーよ、ヴァイスも静かにしててね!」

「ホッホー……」



後ろの座席からなんとも情けない声がした。ブオンとエンジンが一鳴きし、座席がガタガタと揺れながら、得も言われぬ不安定な浮遊感が襲う。そうして車はぐんぐんと上昇して行く。高いビルの屋上が遠く離れて、数秒もすれば、眼前はロンドン全体が見渡せるぐらいだった。



「まだ上昇させる?」

「雲の上までよ!」

「わかった!」



低くかかった綿雲の中に車が突っ込むと同時か、少し前ぐらいにポンッという軽い音がして、透明化が解けてしまった。



「う、わ──イカれてる!」

「あなたは前を!! この、このっ!!」



拳でだんだん透明ブースターを叩くと、再びブースターが起動した。ブウン、という音と共に再びこの車が透明化したのが分かった。



「まずいわね……見られたかもしれないわ」

「大丈夫、マグルの連中はみんなノロマだから」

「だといいんだけど……とりあえず、進路を北へ。ずうっとね」

「分かった」



雲の付き抜け、上昇して行く。しばらくすると車は焼けつくような太陽の光の中に飛び出していった。雲の上の筈なのに、車内はストーブを炊いてるのかと思うくらい暑かった。恐らく、車の冷暖房装置がイカれているのだろう。窓を開けるわけにもいかないし、私たちは水分補給を絶やさず車を進めた。とはいえ、雲の波をすいすいと進んで行くという幻想的な光景には、思わず胸が膨らんだ。こんな光景、中々見られる物じゃない。

しばらくは、眼前の光景を楽しむことにした。


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