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「見て見て」

「どこ?」

「赤毛ののっぽの隣」

「小さくて見えない」

「黒髪の?」

「顔見た?」

「可愛い」

「ばかどこ見てんだよ。傷だよ傷」



翌日、私の行く先々でこんな囁き声が付きまとった。つま先立ちで私を見ようとする奴、廊下ですれ違ったらわざわざ逆戻りして私の顔をジロジロ見る奴、酷いと話しかけてこちらの行く手を遮ったりする奴さえ出てきた。一応、体裁を気にする私はにこやかに対応するが、うるせえほっとけ、と何度言いそうになったか。なんせこちとら、教室に時間内に辿り着くことさえ、一苦労なのだから。

ホグワーツは広かった。ものっそい広い。おまけに階段は動くわ、タダで扉は開かねーわ、管理人のフィルチに出くわしたらイチャモンつけられるわで、私とロンは授業開始ギリギリで教室へ滑り込むような毎日を送っていた。それもこれも、時間ギリギリまで起きてこないロンが悪いんだけど。



「おはよ、ロン」

「おはよう、アシュリー」



談話室で寝ぼけ眼のロンと合流する。今日もご立派に朝食をのんびり食べられない程度には、ぎりぎりの起床である。大あくびをするロンと共に、談話室を出て大広間へ向かい、朝食の席につく。



「そういえば、今日もジョギングしてきたの?」

「ええ。日課なの」

「よくやるよ、君も。朝五時に起きてジョギングなんて。僕は授業の復習をするのでいっぱいいっぱいだよ。ねえ、なんでそんなに身体を鍛えてるんだい?」

「……まあ、健康の為よ」



ふーん、とロンはかぼちゃジュースを飲んだ。

なお、同性の友人で無く異性のロンと一緒に居る理由は単純にロンとの方が気が合うからだ。ラベンダーとパーバティは良い子なのだが、やはりあれくらいの年頃の若々しい女の子と一緒に居ると……やはり疲れる。マグル界では散々その手の女の子と一緒に友達を演じていたのだ、ここでぐらい解放されたい。

因みに、ハーマイオニーに関しては、毎日予習復習に余念がないようで、話しかける余地すらない。なので私は日々の行動をロンやそのルームメイトと共に取っている。男の子の方が、正直一緒に居て楽だった。この年頃なら、まだ「男好き」とか噂されないだろうし……。



「まあ、まだ時間はあるし……」

「アシュリー? 何か言った?」

「ううん、なんでもないわ」



時の流れが、きっと解決してくれるさ、ウン。

待ちに待った授業は、本当に面白いものからくっそつまんないものまでピンキリだった。妖精の魔法と薬草学は面白かった。妖精の魔法はその名の通り、妖精が悪戯するような、そんな可愛らしい魔法を学んだ。薬草学では、不思議な植物やきのこの育て方、その用途を学んだ。面白いだけ、これは難なくこなせた。逆にクソつまんなかったのは噂通りの魔法史と闇の魔術に対する防衛術だ。魔法史は、教科書に書いてあることをお経のような声で読み上げられるだけの、大変眠くなる授業だった。防衛術は……うん、だめだあれは。クィレルの授業は為にならない訳ではないのだが、無駄にビクつく演技を入れてくるし、何より教室がニンニク臭くて敵わない。これは一年生だからだろうけど、実践的防衛術もあまり教えてくれなさそうなので、自主勉する必要があるなって感じ。早くルーピン先生来てくれ、頼む。

そして何より、天文学だ。これは私が一番苦手とする教科になりそうだった。星を見るのは好きなのだが、如何せん真夜中に行われる授業だ、眠くなって仕方が無く、シニストラ先生の話を聞いてられないのだ。



「君、一年から授業中に居眠りだなんて、勇気あるなあ……」

「毎日五時に起きてるから……それに、どうにも面白くないのよね」



グリフィンドール生からの冷ややかな視線の中、シニストラ先生から手厳しく減点を食らい続けているこの現状、全く、どうしたものか。そりゃ、私だって好きで居眠りしてる訳じゃないんだけど、真夜中に、暗闇の中で授業とか、眠くなって当然でしょう! しかも天文学とか大して実用的でも何でもない学問なんか、学んで何になるってんだ!! という大人げない反論は、誰からの理解も得られないのであった。ぐぬぬ。

逆に、変身術は最も得意になれそうな科目だった。



「変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中で最も複雑で危険な物の一つです。いい加減な態度で私の授業を受ける生徒は出て行ってもらいますし、二度とクラスには入れません。初めから警告しておきます」



威圧感たっぷりに、初回の授業でそう言い放ったマクゴナガル先生。生徒たちはみんな萎縮してしまったが、先生が机を豚に変えてまた戻して見せたのを見て、感激して試してみたくてウズウズした。だが、警告通り、容易な授業ではなかった。散々複雑なノートを取った後、生徒一人につき一本のマッチ棒を渡されて、それを針に変える練習が始まった。



「ウーッ、全然銀色にならないよ。アシュリー、どう?」

「ロン、こういうのはね、イメージが大切なのよ」



実際授業を受けて分かったのが、魔法に必要な物は魔力と、正しい発音と、腕の振り、イメージ、そして、魔法のロジックが理解できているか、ということだった。ただ呪文を唱えてればいい訳ではない。その魔法はどういう原理で動いて、どういう変化を物質に与えるのか、そのロジックを理解しなければならない。数式の無い化学のようなものと、私は感じた。

勿論、中身は三十路超えの私だ。小学生が理解できるようなロジック、私に理解できない訳が無い。ずるいかもしれないけど、誰もその事実を知ってる人がいないんだから、別にいいよね。なんて思いながらマッチ棒に向かって、針のイメージをハッキリと描きながら杖を振り下ろすと、マッチ棒は一瞬震え、そして鋭く尖った銀色の針に変化した。



「すごい! アシュリー!」

「言ったでしょ? イメージが大事なのよ。こんな風にね」



ロジックが理解できるなら、応用だって幅広く利かせられる。もう一度、イメージを変えながら杖を振ると、針がライオンの金細工が入った金の針に変化した。



「素晴らしい、ミス・ポッター! あなたには変身術のセンスがあるようですね。御覧なさい、みなさん。ミス・ポッターは、この術をもう応用してみせましたよ。よろしい、グリフィンドールに十点差し上げましょう」



マクゴナガル先生の言葉に、ロンは自分のことのように喜んだ。結局、この授業でマッチを針に変えられたのは私とハーマイオニーだけだった。ハーマイオニーは、私のことを始終睨んでいた。なんだか嫌な予感がする。

まあでも、変身術が得意なのは幸いだった。



「(《動物もどき[アニメーガス]》、閉心術、守護霊の呪文、武装解除、粉々呪文、あとは……)」



夜、寮で密かに学びたいことをリストアップし、その為の下準備を羊皮紙に書きこんで行きながら、深い溜息をついた。書き慣れない羽根ペンをインク瓶に突っ込み、肩をゴキゴキ鳴らして天井を仰ぐ。

大まかに授業を受けてから、私は今後の戦闘に備え、目標を密かに立てていた。まず一つは《動物もどき》の習得だ。何になるかは分からないけど、会得しておいて損することはないだろうと判断したからだ。勿論、非合法になるが、パパが出来て私に出来ないのは癪……いやいや、娘として不甲斐ないし、ね。それから、原作の情報の漏洩を防ぐための閉心術だ。この二つはなんとしてでも習得しなければ。幸い、変身術は得意になれそうだし、頑張ろう。



「(っと、早く寝なきゃ)」



何せ毎日五時起きだ、時間は惜しいが夜更かしは身体に悪い。私はさっさとネクリジェに着替えると、真紅のビロードの中にあるベッドに潜り込む。そして驚くほど簡単に、眠りに落ちた。

朝五時に起きて、湖の周りをジョギングして、腕立て、スクワット、背筋など筋トレした後、シャワーを浴びて、ロンと談話室で落ち合って、食事をとり、授業へ行き、授業が終わったら夕食をとり、ロンとパパっと宿題をし、その後は、ひたすら戦いに役立ちそうな知識を叩きこんだ。武装解除、失神術、ルーモス、アロホモラ……便利そうな術を、どんどん吸収した。これが、ホグワーツでの私のルーチンワークとなっていた。

なんせ、私の戦いはこれからなのだから。



「ほんと、君も良くやるよなあ。早起きして走ったり勉強したり」

「好きでやってることだもの。それに、日課なのよね」

「そりゃそうだけど。頭も良くって美人でお上品、おまけに有名人ときたもんだ。君ってほんと、超人みたいだよ……なんていうか、ウン、すごいよホント」



ロンは、ただただ感心したように呟き、朝食のソーセージを胃にかき込む。

こういったことを言われるのは、初めてではない。アシュリーは凄いね、何でもできるのね、美人で頭いいし運動できるし、天才みたい──この身体に生まれてから、そんな称賛を一体いくつ受けてきただろう。けれど、私はそれを、素直に喜ぶことが出来ない。

だって、顔は生まれつきだし、立ち振る舞いはおじさんたちに叩きこまれたものだし、そもそも勉強だって私に前世の記憶があるからそのアドバンテージがあるだけだし、有名なのも自分の実力でなった訳じゃないし。私は、みんなが思っている程、万能じゃない。けれどみんなは、そんな謙遜して、と私を囃し立てるのだ。



「(私は、自分の出来ることをただ行っているだけなのになあ)」



全てはそう、自分が生き残る為だけに。

焼き立てのトーストにバターを塗って口に含み、そんなことを考えていると、上空でふくろうたちがいつものように翼を羽ばたかせ手紙を運びにやってきた。すると、その中に一際目立つ白ふくろうが混じっているのが見え、思わずトーストをお皿に置いて上を見上げる。



「あら、ヴァイス」

「君のふくろうだよね?」

「ええ。でも変ね、何も持ってないみたいだけど」



私が腕を伸ばすと、実に優雅な動きで私の腕に掴まる。見た所手紙を運んで来た様子もなく、どうしたの、と尋ねる。するとヴァイスはホー、と一鳴きして、私の指を甘噛した。



「甘えてるんだ。ご主人様が恋しかったのかな」

「ヴァイス……あなた、なんて可愛い子なの……ッ!!」



ふかふかした身体を抱きしめるよう顔を埋めると、ヴァイスは嬉しそうにホーホーと鳴いた。なんだこれ、胸がきゅんきゅんする。



「へえ、人懐っこいんだな」

「ううん、私限定みたいよ。ホラ」



ずい、と腕ごとロンの方へヴァイスをやると、ヴァイスはあからさまにびっくりしたように一鳴きすると、すぐに嘴を突きだして警戒するように鋭くホーホー鳴き始めた。



「ほらね」

「君に手紙が届かない理由が、分かった気がするよ」



それに関しては、私も同意見である。

ポケットに忍ばせていたふくろうフーズを与えると、ヴァイスは美味しそうに私の手から食べてくれた。しばらくするとお腹も一杯になり、満足したのかヴァイスは飛び立ち、大広間の天窓から大空に向かって飛び立っていった。



「はー、癒された。そういえば、今日は何の授業だったかしら」

「スリザリンの連中と一緒に、魔法薬学さ。担当のスネイプは、いっつもスリザリンを贔屓するんだって」

「それはまた、綿密な予習が必要そうねえ」



なんて言ってるけど、予習をバッチリである。アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギ足して煎じた物は生ける屍の水薬になる。ベゾアール石はヤギの胃から取り出す。モンクスフードとウルスベーンの違いは無く、同じ植物、別名アコナイト、とりかぶとのこと。

ふっふっふ、完璧。この顔だ、多分苛められることはないだろうけど、念には念を入れておく。そうして渋るロンと共に、地下牢へ向かった。地下牢は教室より寒く、これは冬になった時来るのが億劫だなとへこたれた。イギリスの冬は日本と比べ物にならないほど寒いんだ。そんな薄ら寒い教室にはホルマリン漬けにされた何か良く分からない物が瓶詰めされて壁にずらっと並んでいて、ほんとに不気味だった。



「なにか出そうね」

「や、やめてよアシュリー!」



前方を歩いていたネビルが泣きそうな声で言った。出そうも何も、ゴーストがそこらに闊歩してるような世界で何を言ってるんだって話だけど。ごめんごめん。と誤っていると、そこに腰巾着を携えたドラコがやってきた。授業に予習に戦いの準備にと、あれこれ忙しかったのもあって、久々に見かけた気がする。



「ドラコ、久しぶりね」

「なっ──……ッ、ミス・ポッター、僕はスリザリンだ。グリフィンドールに入った君と、慣れ合うつもりはないんだが?」

「え? 仲良くしちゃいけない校則なんてあったかしら?」

「き、君な……!」

「いいじゃない。みんなはみんな、私たちは私たちよ。ああ、それにしてもポッターだなんて他人行儀な呼び方されるなんて……ショックだわ……」

「わ、分かったよアシュリー! だから、こんなところで泣くな!!」

「まあ泣いてないけれどね」

「君って奴は……!!」



ほんとにおもしろいなドラコ。ネビルや他の生徒が信じられない、と言った顔でこの光景を眺めているがまあ知ったこっちゃないね。特にスリザリンとの合同授業は今んとこ魔法薬しかないんだ。中々会えないドラコとの交流を深めて何が悪いのか。ロンは私に対して諦めたのか、もう何も言ってこない。ロン、大人になったのね……。

なんてことを話してる間に、スネイプが部屋にやってきた。慌ててロンと一緒に席に着く。スネイプはまず、出席を取った。私の名前まで来たところで、少し止まった。



「アシュリー・ポッター……」



だが、難しい問題を出されることも、嫌に絡まれることもなく。そのまま何事もなかったように、次の生徒の名前を呼んだ。私に一瞥もくれないまま、スネイプは私の横を通り過ぎる。



「(ママ似の顔、 大  勝  利 ! 」)



その後も、なんの展開も無いままスネイプは生徒を二人一組にして、おできを治す簡単な薬を調合させた。私はロンと一緒に、干しイラクサを測り、蛇の牙を砕いた。調合を間違えてはいけないとか、なんだかお菓子作りのようで、この授業もやっていけそう──と思った矢先、角ナメクジを茹でる段階になって、私の手は止まった。



「ウッ……」

「アシュリー、どうしたの?」



うねうねとした角ナメクジが、粘液を垂らしながらテーブルの上でうごめいているのを見て凍りついたように動けなくなった私の横かは、ペアのロンが不思議そうに尋ねてくる。



「む、虫──苦手、なのよ……」



寧ろ好きだという人間の方が稀有だと思う。昔から──それこそ生前から、どうしても虫は好きになれなかった。それがゴキブリだろうとナメクジだろうと蝿だろうと、果てはカブトムシや蝶に至るまで、私は虫という生物が苦手で仕方が無かった。見ているだけで嫌だ、触るだなんてとんでもない。想像しただけで、背筋に冷たいものがゾッと駆け上がってくる。

あからさまにいや〜な顔をしたのが見えたのか、ロンはおかしそうに吹き出した。



「ぷっ、アシュリー、君にも苦手な物があったんだね」

「わ、私をなんだと思って……っ!」

「なんか、安心したよ。大丈夫、僕が茹でとくよ」

「あ、ありがとう……」



この授業はこういうのが多いんだった……前言撤回、やっていけそうな気がしない。キモいなあ、なんて思いながらナメクジが茹であがるのを、私たちはじっと待った。その間スネイプは生徒を見て回っていたが、ほぼ全員が注意を受けていた。私は、受けなかった。というか、目さえ合うことはなかった。

その後、お約束通りネビルが大鍋を溶かしてねじれた小さな塊にしてしまった。こぼれた薬が床を伝って広がり、教室は大騒ぎになった。ネビルは薬を頭からかぶって、手足におできが吹きだし、うめき声を上げていた。ご、ごめんネビル、スネイプの反応に夢中でそんな展開になるって忘れてた……。



「……」

「アシュリー、どうしたの? スネイプばっかり見て」

「ううん……何でも無いわ」



結局、何の絡みも無く、授業が終わってしまった。そりゃあ苛められるよりはいいけど、あんだけ徹底して無視されるのは、それはそれで気に食わないなあ。



まあでも、忘れられないんだろうな

自分を苛め抜いた男の面影を

自分が愛した女の生き映しを


どちらとも、もうこの世にはいないと言うのに



──可哀想なヒトだ


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