先輩、尋問はやめてください

 梟谷学園男子バレー部の朝練に於いて、一番に体育館に着くのは大抵赤葦だ。理由としては、選手陣の中で唯一体育館の鍵を持っているのが赤葦だからである。時折木兎の方が早い時もあるのだが、彼は赤葦が着くまで体育館前で待機しているので特に問題なかった。
 しかし、今日に限っては、赤葦が着いた時には既にレギュラー陣が揃っており、「ゲッ」と顔を顰めた赤葦を見、ニヤニヤと口角を上げた。鷲尾と木兎を抜いたスターティングメンバーの3年生たちが、何を得るためにこんなに朝早くから集合したのか、赤葦には手に取るように分かる。分かるからこその「ゲッ」である。

「おはよう、赤葦京治少年」
「……おはようございます」

 早速赤葦の肩に腕を回したのは木葉だ。反対側には小見が控えており、赤葦の腕に腕を絡ませている。一度振り解こうと試みたが、如何せん2本の腕が離れていくことは無かった。

「それで? 久しぶりの名字ちゃん先輩はどうだった?」
「手出した? 出しちゃった?」
「どうも何も普通です。手も出してません」
「えー!!」
「つまんねー!!」

 尋問の末の回答に、木葉と小見は喚いた。一体何を期待しているんだと言ってやりたかったが、低劣な言葉が返ってくるのは目に見えていたので、赤葦は言葉を飲み込む。そしてそのまま体育館の鍵を開けた。
 少し重たい扉を開けると、朝の体育館特有の冷気が頬を掠った。初夏を感じる6月と言えども、朝の体育館は少し冷えている。

「おーー! 今日はみんなはえーな! 気合いたっぷりかよ!!」

 赤葦たちが体育館に入ろうとしたところで、後ろから聞こえてきた快活な声は木兎だ。各々「うーす」とか「おはようございます」と挨拶をする。小見が「木兎は朝からうるせーなあ」と笑っていたが、赤葦からすれば彼らも特に変わらない。

「で!! 名字ちゃん先輩はどうだった!?」
「アンタもすか」

 エナメルバッグを振り回す勢いでこちらへと駆け寄り尋ねた木兎に、赤葦は白目を剥きたくなった。どうせ今日の練習中に揶揄されることは分かっていたが、代わる代わる行われる尋問はさすがに疲れる。
 全く何も無かったという訳ではないけれど、素直に答えてやる義理はない。そもそも、彼等が聞きたい情報は、どちらかと言えば下世話な話題だ。それこそ無い。

「何も無かったですよ、べつに」
「はー? それはおかしくね?」
「木兎さん、俺のことなんだと思っているんですか。さすがに手は出しませんよ」

 木兎が眉根を寄せて「う゛ーん」と濁点混じりに唸ったが、それに関しては嘘ではない。まさか木兎に、さほど関わりがないOGに手を出す奴だと思われていたのか。それは心外だ。いくら昨日『名字ちゃん先輩のこと好きなのか!?』と勘違いされてしまったとはいえ、後にきちんと誤解を解いている。
 しかし、ここで爆弾を落としてくるのが、木兎光太郎という男である。

「いや、赤葦がじゃなくて名字ちゃん先輩がだよ。絶対に赤葦のこと襲うと思った」
「はあ?」
「え、どういうこと?」
「おっとこれは〜?」
「木兎、サラッと名字ちゃん先輩に失礼」

 木兎の発言に、赤葦は訝しげにし、小見と木葉が目を輝かせ、猿杙が苦笑した。
 赤葦は、木兎の発言を脳内で反復し真意を考える。『襲う』という言葉の意味として、思いつくのは2パターンだ。ひとつは物理的に襲うというもの。主に強盗や暴力に当て嵌る。もうひとつは、性的に襲うというもの。いずれにしても、名前が行動に移すとは思えなかった。
 巷に言う肉食系女子からは掛け離れているし、前者の『襲う』のように力に自信があるとは思えない。仮令、『箸より重たいもの持ったことない』と言われても信じてしまいそうなほどの無気力具合だ。
 いや、ないだろ――。この間0.5秒。赤葦の思案タイムは終わる。

「そういえば昨日も言ってたよな。名字ちゃん先輩が赤葦のこと可愛いって言ってたって」

 木葉の問に、木兎が「おー」と頷いた。

「今年の春高、名字ちゃん先輩見に来てただろ? 俺試合終わったあと呼ばれてさー、名字ちゃん先輩あかーしのことちょーー褒めてたんだよね!」
「それは昨日教えてもらいました」
「マジ? だから俺も赤葦のいいとこいーーっぱい教えたんだよ」
「それは知りませんでした」
「え、なんで? あかーし良い奴だろ? って言ったら、うん可愛いよねって言ってたんだよなー」

 良い奴から可愛いになる脈絡は分からないものの、木兎が嘘をついているようには思えなかった。だからと言って、襲う云々の話に繋がるとは思えない。
 小見が「このこの〜」と横から肘で脇腹を突いてくるが、話を聞いても、やはり木兎の勘違いのような気がしてならなかった。木兎がとんでも理論を展開するのはよくあることなので、きっと『可愛いと言っていた=好き=襲いたい』という方程式を生み出したのだと推測できる。
 ここは、名前の名誉のためにも、しっかり否定するべきだろう。

「本当に何も無かったです。春高の話をしたのとしっかりとご飯を食べてくださいって言っただけで」
「母親か」
「まあでも? 何かありましたって言われたらそれはそれでムカつくよなー」
「なー。童貞卒業の相手が名字ちゃん先輩っつーのは夢がある」
「昨日彼女にはしたくないって言ってたじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ」
「はあ」

 意味がわからない――。木葉と小見の会話に対し、赤葦は内心独りごちた。口に出したところで売り言葉に買い言葉なのは明白なので、飲み込むけれど。

「えー、じゃあマジで何も無かったの?」
「はい。何も無いです」
「まあ、赤葦がここまで言うならそうなんじゃないの? 実際俺も肉食な名字ちゃん先輩ってあまり想像できないし」
「たしかに、男襲うくらいならその時間寝ていたいみたいな人だもんなー」
「んー……」

 木兎はあまり納得していないようだったけれど、猿杙と木葉のおかげで漸く「そっかー!」と身を引いた。
 本当は部屋に上がって、部屋を片付けて、ベッドの下に座り、頭を撫でてもらったけれど、それを教える必要は無いと思った。

「ほら、練習始めますよ。オーバーワークにはならないようにお願いします。あ、鷲尾さんもおはようございます」
「ああ、おはよう」

 エナメルバッグに入れていたバレーシューズに履き替えた赤葦は、登校してきた鷲尾に挨拶をして、体育館の中に入る。