先輩、片付けてもいいですか?

 学校最寄り駅から電車に乗り、主要駅で更に電車を乗り換えた後、いつもの駅から1駅先で降りた。そして、送られてきた地図を頼りに一軒家を目指す。たしかに杜中は近いけれど、ここの区域ならば隣の中学だと推測できる。やはり中学は違うのだろう。
 駅から10分ほど歩いた先、住宅街の一角にて赤葦は立ち止まった。雀田からスマホに送られてきた地図と表札を見比べて、ここが名前の家だと確信する。
 赤葦はスマホを閉じて、インターホンに手を伸ばした。

 約40分前のこと。困った顔をした雀田と白福から事情を聞いた赤葦だが、名字と家が近くであること、そして、木兎の衝撃的な発言により、3年生の主に男子がこぞって口元を緩めた。揶揄する顔である。
『へえ、お前名字ちゃん先輩のお気に入りなんだ』『よっ! 色男!』『罪深いね!』と散々な言いようである。
 揶揄はしなかったものの、鷲尾や雀田、白福と言った良心組も驚いており、結果的に、赤葦が名前の家に赴くことになった。
 赤葦自身納得はしていないが、言っても無駄だということは1年と少しの付き合いで既に分かっていたので最早諦観である。

 そうして、名前の家に着いたわけだが、木兎の発言に対しては半信半疑なものの、だからと言って玄関前に立ったままというのも不審者として見られる可能性あり。
 意を決した赤葦は、インターホンを鳴らした。
 ピンポーン、と、聞き慣れた音が響く。一応事前に雀田から名前に連絡が行っているようだが、果たして出るのだろうか。そもそも家にいるのだろうか。
 そんな赤葦の懸念を助長するかのごとく、1分経っても名前が出てくる気配はなかった。この野郎――と悪態を吐きつつ、赤葦はもう一度インターホンを鳴らす。これで出なかったらもう知らない。

 すると、鍵の解除音が鳴り、ゆるりとドアが開いた。そして、あくび混じりに名前が出てくる。上はキャミソール、下はルーム用のショートパンツという格好で「……あかーしくん……?」と紡いだ声は寝起き特有の拙さがある。
 やっぱりすげえ綺麗な人――。
 昨年の夏以来の邂逅であるが、改めて見ると本当に綺麗な人だ。格好も相まって、大人な女性を体現しているようだった。

「お久しぶりです」
「ん、久しぶり。かおりから聞いてるよ。なんかごめんね」
「いえ、家がこっち方面だったのでついでです」

 たしかに雰囲気は音駒の孤爪研磨に似ている。声に覇気がなく、ゆるゆると話す人だ。寝ていたからか、ボサボサと跳ねている髪も、話している最中なのに若干眠たそうなところも、無気力と言われれば納得してしまいそうだ。

「まあ、うん……よかったら上がってよ」
「は?」
「2階が私の部屋ね」

 名前は開いたドアを赤葦に預けると、そのまま家の中に踵を返した。招かれた赤葦が固まるが、階段を指差したあとにゆるりと登っていく名前には伝わっていない。

「まじかよ」

 残された赤葦は考える。上がっていく必要はあるだろうか、いやでもここで閉めて帰るのも失礼かもしれない、鍵だって締めないと危ないだろう、そもそも監視って一体なんだろうか、どういうことだ。全く分からない――。

「あかーしくん……?」

 あらゆることを思案していると聞こえたゆるゆるの声。ハッとして顔を上げれば、階段からこちらを見下ろしている名前と目が合った。こてんと傾けられた顔が、『行かないの?』と聞いているようで、赤葦は口の中で舌を打った。

「あー、もう……」

 なんとでもなれ。赤葦は、体を玄関の中に入れて、三和土にて靴を脱ぐ。揃えた踵も『お邪魔します』と出た声も、自分でやっておいてなんとも癪だった。

 ゆっくりと歩く名前に追いつくのは簡単だった。それでも抜かさないように2歩ほど後ろで着いていく。
 2階、廊下を歩いて奥の部屋が名前の部屋らしい。名前は部屋に入ると、特に何も言葉を発することなく乱れたシーツの上に寝転がった。危機感を持って欲しいと言ってやりたかったが、そんなことよりも眼前に広がる部屋を見て絶句する。

「きったねえ……」

 滑り出た感想である。
 飲みかけのものとか、弁当のゴミとか、生ゴミとか、そう言った類のものは落ちていないが、服や小物や化粧品が散乱している。床の一角には服や下着、テーブルには化粧品と勉強道具がごちゃりと並べられていた。
 木葉や小見が『彼女にするのはちょっと』と気が引けていたのが今になって分かった。しかしながら、赤葦京治という男、良いと思ったものにはとことん尽くしたいタイプである。

「先輩」
「んー?」
「片付けてもいいすか?」

 赤葦の提案に、いつの間にか被っていた布団から顔を出した名前は、目をぱちぱちとさせた。そして「……いいの?」と訊く。

「あ、下着とか触って欲しくないものは触らないので」
「んー、無いから大丈夫」
「いやそこはあれよ」

 無気力というか無頓着な名前に、赤葦は頭を抱えたくなったが、遠慮する気持ちも吹き飛んだ。
 まずは服――。と、一角に積まれている服へと手を伸ばす。











         ▲▽


 赤葦が名前の部屋を片付けること30分。寝転がりながらではあったが、名前の指示の元――これはあっち、あれはそっち、という腕と口の動きだけだったが――、名前の部屋は綺麗に整頓された。
 一角に積まれていた服や下着類は、丁寧に畳まれてタンスの中に眠る。カバンはクローゼット、テーブルの上にあった化粧品類はメイクボックスの中に、勉強道具は1列に重ねられてテーブルの上に置かれた。
 名前の許可の元、掃除機までかけたオプション付きである。
 綺麗な部屋を見、赤葦はちょっとした達成感と、同時に罪悪感が芽生えた。いくら許可を得たからって、初めて家に訪れたさほど関わりがない後輩がするには、行き過ぎた行為だったのではないかと自責したのだ。今更だけれど。
 いたたまれなくなって、布団の中から部屋を見渡している名前の隣にしゃがみ「すみません、勝手して」と詫びた。そんな赤葦に、名前はきょとんとする。

「ん? なんで?」
「出すぎた真似でした」
「……」

 どんな罵倒でも受け止めると言った具合に小さく頭を下げた赤葦を、名前は見詰め、そして腕を伸ばした。着地点は赤葦の頭の上、指先が優しく撫で、くるりと髪の毛を梳かす。

「嬉しかったよ、片付けてくれたことも、あかーしくんが来てくれたことも。ありがとう」

 頭に乗った温もりと与えられた言葉に赤葦が咄嗟に顔を上げれば、そこには綺麗に笑う名前がいて、至近距離にて浴びた笑顔に心臓が高鳴った。