一世一代のお誘い
 4月も残すところ僅かとなり、新入生の仮入部期間が終わった。音駒男バレは、6人の新入生と、1人のマネージャーを迎え入れて本格的に始動することになる。
 5月に入ると、早速ゴールデンウィークを使った校内合宿が行われ、5月の末にはいよいよインターハイ東京予選が始まる。5月、6月の各日曜日に行われるインターハイ予選にて勝ち進んだ2校が、7月に開催されるインターハイ本戦に出場することが出来るのだ。また、7月には梟谷グループの合宿も予定されている。
 ゴールデンウィークの合宿が終われば、インターハイ予選は目と鼻の先である。しかも今年の夏頃に、あの猫又監督が復帰するかもしれないという噂があった。黒尾は改めて気を引きしめる思いだった。

 今日も今日とて、黒尾たち2年生は居残り練習をしていた。2年生の3人と1年生の数人が早速と言わんばかりに自主練に勤しんでいる。そこに3年生の姿は無いが、彼らが練習後にそそくさと帰るのはいつも通りである。そもそも、居残り練習は強制ではない。ちなみに孤爪は、欲しいゲームの発売日だからということで先に帰った。

 黒尾はコート外でボールを持ち、手のひらの中にあるボールを右手で回転させてから改めてセッティングする。それからボールを上に放って助走をつけて飛躍した。ボールが手に当たった時の鋭い音が体育館に響き、ボールが勢いよくネットを超えていく。今日黒尾が行っているのは、ジャンプサーブの練習だった。
 スピード感は物足りない気がするが、コントロールは良い感じだ。少しずつ見えてきた手応えに口元を緩めた。しかし、

「はあ!?」
「っし! ドライブサーブいい感じじゃん」
「もー、軽々しく取るー。しかもナイスレシーブ……」

 ボールが床に着地する前に、コートの中に入ってきた夜久がレシーブをした。ボールは勢いを殺し、セッターが構えているだろう位置に飛んでいく。まさしくAパス。ナイスレシーブだ。

「つーかやっくんは1年にレシーブ教えてたんじゃねーの?」
「おう、休憩中だよ」
「……ウン、満身創痍」

 夜久の指先では、1年達が言葉通り床に臥せっていた。彼は休憩中と称したが、これでは今日の再起は難しいかもしれない。相変わらず夜久はスパルタである。

「まあ、そろそろいい時間だし自主練終わるかー?」
「そうだな」

 体育館の壁に備え付けられた時計が20時を回っていたので、黒尾が声をかけると、スパイク練習をしていた海が返事をした。夜久はどこか物足りなそうな顔をしているが、終わることに同意した。平日の居残り練習でこれだ。ゴールデンウィークの合宿で自分たちはどうなってしまうんだと、1年生達が震えたのは言うまでもない。

 一旦クールダウンとストレッチを済ませ、各々使ったものを片付ける。1年生達がネットを外してくれたので、黒尾はポールを持ち、用具庫へと持って行くことにした。1年生達が駆け寄ってきて「持ちます!」と声をかけてくれたが、代わりにボールの片付けを頼む。
 ステージを挟むようにして造られた2つの用具庫の内、右側がポールや各スポーツのボール、跳び箱などが仕舞われている部屋なので、そちらの引き戸を開けた時だった。

「あれ!?」
「あ、お疲れ様です!」
「お、おつかれ……? え、え?」

 用具庫内は電気が付けられており、中にはマネージャーの名前が色々な備品に囲まれて座っていた。名前は黒尾の姿を見、にっこりと笑って挨拶をしたが、まさか名前がいるなんて思っていなかった黒尾なので、ぎょっとしながら「もしかしてずっと残ってた……?」と訊くしかなかった。

「そうですね、練習終わりからいました!」
「一応訊くけど閉じ込められていたってわけじゃないよね?」

 体育館に部員が残っている限り、用具庫の鍵は閉めないはずだ。仮に閉められたとしても、中からは開けられるし、何より鍵はかかっていなかった。やはりそこの心配は杞憂だったようで、名前は首を横に振りながら「あ、違うんです」と前置きをして続けた。

「明日、合宿で使うものの買い物に行こうと思っていて、そのリストを作ってました」
「リスト?」

 首を傾げた黒尾に、名前は立ち上がって「これです」と1冊のノートを差し出した。一旦ポールを片付けてから覗き込む。
 そこには、ドリンクの粉やテーピング、コールドスプレーなどが項目ごとに分けられており、今ある数と合宿中に使うだろう数の過不足を予想した表が書かれていた。
 よく見れば、名前の周りに置かれている備品やバッグはバレー部が合宿に使うものだ。

「まさかこれをずっと纏めてた?」
「はい。やるなら今日だなと思っていたので! あ、もしかして残る時って許可が必要でした?」
「いや、許可とかは全然要らないんだけど……」

 通常練中は得点板を操作したり、ドリンクを補充したり、タイムを測ったりとマネージャーの仕事は多い。だからこそ、練習終わりに残ってやっていたのは納得だが、だからといってこれはあまりにも――。

(――仕事が出来すぎる)

 黒尾は内心独りごちて、頭を抱えそうになった。
 たしかに合宿中は普段よりも備品の消費量が激しいし、合宿前に補充をしなければいけない。昨年は入部したての黒尾たちが買いに行っていた。しかし、それは先輩に指示されてからだ。自主的に気づき、準備をするなんて『仕事が出来る』の一言に尽きる。
 明日は、体育館を使った教育委員会の集まりがあるらしく、土曜日にしては珍しい1日オフである。きっとその休みを利用して買い物に行く算段なのだろう。

「黒尾さん?」

 黙ってしまった黒尾に名前は不思議そうにしたので、黒尾は、気を取り直して「偉いな」と素直に伝えた。すると名前は嬉しそうに「ありがとうございます!」と目尻を皺ばめる。それがまた可愛くて、黒尾は「ウン」と返事をした。

「ただ、やはり合宿に参加してみないと明確な数が分からないので、本当に足りるのかちょっと不安です」
「まあな……」

 昨年の黒尾たちも、本当に足りるのか不安になりながら買い物をしたものだ。どうせこれからも使うだろうしと少し多めに買った物もある。こればかりは、合宿を経ないと分からないのだ。
 それに、用意する備品は沢山ある。華奢で細腕のマネージャーが持つには大変な量だ。
 そこで黒尾の脳裏に浮かんだ一つの案。だが、浮かんでいながらも『いやいや、さすがにそれは引かれない?』と迷うほどには、それを言葉にするには少々勇気がいる。
 しかしながら、ここまで話を聞いておいて、『はい頑張って』と言葉をかけるのは薄情すぎやしないだろうか。そんな葛藤繰り広げること数秒。

「あのさ、明日の買い物……俺も行ってもいい?」

 黒尾鉄朗、一世一代のお誘いである。
 名前は瞠目し「いやでも黒尾さんはお疲れでしょうし、お休みになった方が……」と泡を食った。もちろん想定内だ。

「疲れてるのは名前も一緒でしょーが。俺たちのために頑張ってくれてありがとうな」
「いえ、私なんて選手の皆さんに比べたら全然……。それに黒尾さんのお手を煩わせるのはさすがに申し訳ないですし……」
「謙遜しないの。あとはほら、買う量とか領収書の書き方だってある程度教えられるし。もちろん荷物持ちもさせていただきますよ。あ、黒尾さんと買い物とか嫌なんですけどーって言うなら大人しく身を引くけど」

 戯れを忍ばせて提案すれば、とうとう名前が笑み混じりに「ありがとうございます、よろしくお願いします」と折れてくれた。

 我ながら必死だな――と反省したのは、夜久と海がもう一本のポールを持ってきた時である。
 残っていた名前に、2人がびっくりしたのは言わずもがな。残っていた理由を聞いて、夜久が名前の頭を撫で回していた。



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