前途多難でどうしようもない
「しゅうごーう」

 主将の掛け声で、アップのために持っていたボールを脇に抱え、ステージ前へと駆け足をする。集合先には、普段の部活中ではあまり見ることがない青色の学校指定ジャージを着た新入生が、緊張した面持ちを浮かべて並んでいた。さて、どんな1年生が入ってきただろうかと、フレッシュさが滲み出ている面々の顔を一人一人見据える。そして、一番端にて立っている女の子に、俺は恋に落ちた。――音駒高校2年ミドルブロッカー黒尾鉄朗の独白である。

「1年3組、名字名前です。マネージャー志望です。杜中男バレでもマネージャーをしてました! よろしくお願いします!」

 軽やかで鈴のような声である。新入生特有の緊張を顔に滲ませながらも、にっこりと笑って自己紹介をした名前に、黒尾はまたもや恋に落ちた。雷で心臓を一刺しされたような衝撃だった。
 一度目から30秒も経たずして再び恋に落ちたわけだが、要は、名前がなにをやっていてもときめいてしまうのだ。黒尾は一瞬、自分の頭がおかしくなったのではないかと思い、隣に立っている夜久衛輔に視線を移した。

「……何も起きない」
「はあ?」
 
 ぽつりと独りごちた言葉はしっかりと夜久の耳に届いており、夜久が訝しげに眉を寄せるが、言葉を返すことなく、次に黒尾は、新入生列にて肩身狭そうに立っている幼馴染の孤爪研磨を見つめた。やはり何も起きなかった。
 さては気のせいだったかと、再度名前へと視線を戻す。

「うっ……」

 しかし、名前を見た途端、心臓は雷に刺され、ぎゅうっと手のひらで掴まれたような感覚に陥った。あまりの苦しさに黒尾は心臓部分を抑えて前屈みになった。「黒尾大丈夫か!?」と切羽詰まった夜久の声が聞こえる。それを片手で制して改めて姿勢を正したが、心配そうにこちらを見ている名前と目が合って本末転倒である。いよいよ、監督兼コーチの直井が「どうした黒尾」と駆けつける始末だ。

「保健室行くか?」
「いや……大丈夫ッス」
「少し休め。そういえば新入生の中にお前の幼馴染がいるんだったか? ついでに部室や給湯室について案内してあげてくれ」

 直井からの指示に、黒尾は苦笑しながらも頷いた。新入生の自己紹介が終わったあとの練習メニューはレシーブ練だったはずなので、多少抜けても問題は無い。しかしながら、今こうして心臓を攻撃している理由は新入生の中にいるので解決には至らなさそうだ。











          ▲▽


「ここが部室棟な。俺達男バレはここの1階を使っている。あー……今の3年がいる間は使わない方がいいぞ」
「うっす」

 黒尾からのアドバイスに、山本猛虎が返事をし、孤爪がくしゃりと顔を顰めた。福永招平は表情を変えずにこくりとだけ。
 設備の案内と言われて真っ先に思いついたのが男子バレー部が使っている部室だったので、こうして1年を連れてきているが、今の3年は、バレーに熱が入っていないだけではなく、後輩への当たりが良くないので、3年がいる間に1年が部室を使うことは無いだろうと黒尾は予想している。
 そういった面では、直井が案内役を黒尾に選んだのは適材適所とも言えるし、黒尾もわかっているからこそ首肯したのだ。

「ちなみに名前は体育館横の女子更衣室を使って」
「はい! 分かりました!」

 眩しい、眩しすぎる――。
 にっこり良いお返事の名前に、黒尾は頭を抱えたくなった。もしこれが海や夜久、梟谷の面子の前だったら大袈裟に『可愛い』と叫んでいたかもしれないが、本人の手前、笑い返すことしかできない。むしろ、きちんと笑えていたかも怪しい。表情筋は動いていたので、引きつった笑みを浮かべている可能性が大だ。あまりにも格好つかない。

「用具入れは体育館内にあるから後にして……あとは給湯室だな……よし、給湯室行こうぜ。ウチはマネージャーが1人だから1年生達は積極的に手伝ってあげてな? 俺たち2年も手伝うからさ」
「ありがとうございます!」
「いいえ〜」

 にっこり良いお返事2回目の名前に、黒尾の胸はきゅっと締め付けられる。心臓が痛い、あまりにも痛い。たまらなくなって「ちょっと忘れ物とって来るからここで待ってて」と言い、部室の中へと入った。扉を閉めたあと、しゃがみこんで「は〜〜〜〜〜〜〜〜」と深く嘆息する。

「可愛すぎる……」

 腕で頭を包んで、ガシガシと掻き回す。
 部室に行くまでの道すがら、名前とは何度か言葉を交わしたが――山本は名前に対して緊張しているようだし、孤爪も人見知りを発揮し、福永も寡黙であるために、話し相手が黒尾しかいないのだろう――、その度にぎゅんぎゅんと心臓が締め付けられた。ちゃっかり名前を呼び捨てしたが、特に気にしていなさそうなところもいい。
 今までだって、可愛いなと思う女の子はいた。中学時代、告白されて付き合った子もいる。バレーばっかりって言われてフラれたけど。
 それでも、話す度に心臓が痛くなったり、キラキラして見えたりなんてことは無かった。こんな経験初めてだ。

 黒尾はもう一度溜息をつき、気合を入れるように自身の手でビンタをすると、1年生の元へと戻るべく立ち上がった。












          ▲▽

 黒尾と新入生4人は、体育館近くにある給湯室へと向かった。給湯室には、製氷機、2台の洗濯機、浄水機付きの水栓、湯沸かし器などが完備されている。基本、部活中のみ使用できるという決まりだ。

「ここが給湯室。ドリンクはここの水道で作るんだけど、作り方は分かりそうか?」
「はい! 中学の部活でも作っていたので大丈夫です」
「よし。製氷機はここだから氷嚢とか作る時はこの氷を使って。洗濯機はどっちを使ってもいいけど、時間によっては他の部と被るかもしれないからそこは臨機応変に」
「了解です!」

 黒尾は、メモを取りつつビシッと敬礼をした名前の頭を撫で回したくなったが、さすがに引かれるだろうと抑えた。初日早々嫌われるのは避けたい。

「あとなにか質問ある?」
「ドリンクの粉とかはどちらに?」
「あー、あれは用具室。救急バッグとかシューダスターシートとかと一緒に置いてるからあとで教えるわ。テーピングやアンダーラップなどもそこにあるし、備品購入の領収書とかそういった事務的なことも追追な」
「わかりました、ありがとうございます!」

 さすがマネージャー経験者なだけあって、話が進むのが早い。マネージャー志望の新入生が1人と知った時は同情していたものの、今は、この子なら大丈夫だという信頼に変わっていた。

「あとはある?」
「えっと……質問って訳では無いんですが……」
「なになに?」

 名前は、メモをとっていた手を止めて、黒尾を見つめた。その顔はなんだか言いづらそうである。見詰められた視線にきゅんっとときめきながはも、もしや自分に向けられている恋情に気づいてしまったのではないかと、黒尾が身構えたところで、名前は口を開いた。

「さっき心臓を押えていた気がしたんですが、大丈夫でしたか?」

 誤っていたらすみません――。そう名前が申し訳なさそうに付け足すが、如何せん付け足した部分は黒尾には届いていない。黒尾といえば、名前からの心配を脳内で復唱するのに精一杯である。「え、あ、ハイ」という細切れな返答は、無意識に滑り出たものだった。

「よかったです」

 にっこりいい笑顔3回目。うん、すげえ好き。
















          ▲▽


 その日の部活は19時に終わった。いつもならば黒尾たち2年が自主練をするけれど、今日はこれから体育館点検があり、自主練禁止令が出ている。
 黒尾と孤爪は、学校最寄り駅から丸ノ内線を使って家路に就く。帰宅ラッシュが過ぎたあとの電車内は比較的空いており、2人とも座ることが出来た。孤爪は早速カバンからゲーム機を出してピコピコと操作する。

「部活どうだった?」
「べつに」
「そうかよ」

 だろうな――。とは思ったが、口には出さなかった。そもそも今日新入生が出来た練習メニューはサーブ練くらいである。孤爪からの返答に、入部してくれただけでもありがたく思えってことだな――と、黒尾は内心独りごちて、携帯を開いた。届いていたメールを眺める。

「クロ」
「んー?」
「マネージャーに惚れたでしょ」
「は、はあ!?」

 そこで突然の言葉のパンチ。思わず孤爪の方へと向けば、当人は相変わらずゲームに勤しんでおり、こちらに一瞥をくれる気配もない。

「なんで分かって……」
「見てたらわかる。視線揺れすぎ、鼻の下伸ばしすぎ」
「え……うそ、まじかよ……え? 名前、いやマネちゃん気づいてそう?」
「いや、気づいてないと思う。多分。そもそもおれしか気づいてなさそうだし」
「それは良かった……」

 本日何度目か分からない溜息を零し、両手で顔を覆った。まずは、なるべく表情に出さないことを身につけなければいけないようだ。



prev | next
戻る