いいこと尽くめと刺客
 集合場所は、スポーツ用品店が数多く並ぶ一角の駐車場である。スポーツ用品店が1件、ドラッグストアが1件、紳士服店が1件、ファーストフード店が1件、そしてすぐ近くに大型のデパートがあるという消費者にとっては便利な場所だが、同業者にとっては激戦区と呼ばれる一角だろう。
 黒尾が、この集合場所に到着したのは、今から10分前のことだった。要は、約束の時間から20分も早い到着である。この10分間、意味もなく携帯を開いては閉じてを繰り返し、1分1秒が刻まれるのをそわそわとしながら待っていた。これから更に10分間、緊張で口から心臓が出そう≠体感しなければいけないのかと思うと気疲れしそうだが、その先に待っている幸甚を考えれば、耐えられそうな気がした。
 しかしながら、黒尾が待ち望んでいた幸甚は、予想以上に早く訪れてくれた。

「黒尾さん、すみません! お待たせしました!」

 3分も経たずして、名前が訪れたのだ。集合時間7分前のことである。十分早い到着だと言うのに、黒尾の姿を見、名前は慌てて駆け寄って「遅くなってすみません!」と深深と頭を下げた。その姿に、申し訳なさを感じたのは言わずもがなである。ここはフォローに回りたいところ。

「俺も今来たところだから」
「本当に?」

 覗き込んできた愛らしい顔に「ほんとほんと」と答えれば、名前は不承不承納得した。
 それはそうと、やり取りが恋人のそれである。いつものローファーや上履きではなくて、4センチほどのヒールを履いているおかげで身長差が若干変わるのも新鮮で良い。なにより、今日の格好はジャージではなく私服である。
 平素では拝むことができない格好に、黒尾は胸を弾ませていた。もちろん、『可愛い』と素直に褒められる口は持っていないけれど。













            ▲▽

 まず2人が入ったのは、本日のお目当てである大型スポーツ用品店だった。テーピングやコールドスプレーなどの雑貨は入口近くにあるレジ横の雑貨コーナーに置かれている。
 「あ、カゴ……」「俺が持たせていただきます」「え、でも……」「さすがに女の子に持たせる訳にはいかねーのよ」というやり取りを経てからカゴを手に取った黒尾は、さっそく雑貨コーナーへと赴いた。後ろから名前が着いてきてくれるので、いつもよりも歩幅を狭くし、ゆっくりと歩く。
 そうして辿り着いた雑貨コーナーには、テーピングやリストバンドの他に、様々な部位のサポーター、エクササイズ用のゴムバンド、タオルといった物まで置かれている。全国展開する大型スポーツ用品店の名をほしいままにする品揃え具合に、黒尾は舌を巻いた。
 そもそもこの店を提案したのは名前だ。実際彼女は、勝手知ったると言わんばかりに、必要な雑貨を手に取っている。その姿は随分と手慣れたものであり、この店の常連であることが窺えた。

「品揃えすげえな」
「ありがとうございます。私のお気に入りの店なんです」
「中学時代からの?」
「そうです。よく買い物に来ていました」
「へえ」

 名前曰く、家が近いというわけでもないのに、品揃えの良さからこの店を贔屓しているのだとか。
 早速2人はテーピング前でしゃがみ、幾つかのサイズを手に取った。

「今後のためにも捻挫用のテーピングとアンダーラップは10個ずつ欲しいです。あとエラスティックテープは5個ですね。指用は何個いります?」
「指用もそれくらいは欲しいな」
「じゃあ箱売りしてるので箱で買いましょう」

 バラ売りの隣にて積み重ねられている箱から名前が1箱手に取った。同じようにアンダーラップもカゴに入れていく。その姿は、敏腕マネージャーだ。
 黒尾が、俺これ役立ってる? と思ってしまうほど、名前は、テキパキと買うものを手に取っていった。

「カート必要そうだから持ってくるわ」
「あ、すみません」

 せめて荷物を持つくらいは役立とうと、入口まで踵を返してカートと新しいカゴを手に取った。再度雑貨コーナーへと戻ると、名前の傍に置いてきたカゴの中には更に物が増えていた。
 名前はカートを持ってきた黒尾の姿を見、にっこりと笑って「おかえりなさい」と言った。

「ん、ただいま」
「ありがとうございます、助かりました」

 今のやり取りが新婚みたいだと自覚すると、途端に顔に熱が集まった。それを隠すようにドリンクの粉へと視線を落とす。

「ドリンクの粉も箱で買った方がいいな」
「あ、ちょうど今キャンペーンをやっていて1箱買うごとにスクイズボトルが1本付いてくるのでそれにしたいです。予備のスクイズボトルも欲しかったので」
「了解」

 スクイズボトルは、選手陣が各自1本ないし2本持参するようにしているが、予備として数本ストックを用意している。せっかく貰えるのならば、その中の一つにしたいところだ。

「あとは買うものは?」
「とりあえずこれで大丈夫かなと……黒尾さん的にはどうですか?」
「……いいんじゃねーかな」
「ありがとうございます」

 最終確認をしてからしゃがんでいた足を伸ばすと、ぱきりと小さく膝の奥が鳴った。このままレジへ直行するべく足を向けた時、名前が「黒尾さん」と呼んだ。足が止まる。

「バレーコーナー見に行きませんか?」
「お、いいね」

 名前の細くて白い指が店内の奥を指した。断る理由は元から無い。









          ▲▽

「すっげえな」

 国内外問わず様々なブランド、サイズ、色のシューズが豊富に揃う売り場に、今日何度目か分からない感嘆が零れた。学校の近くにもスポーツ用品店はあるけれど、ここまでシューズを揃えているところはなかなかない。勿論、シューズだけではなく、ボール、インナー、パンツ、日本代表選手のナンバーと名前が印字されたTシャツなども陳列していた。

「俺もここの店お気に入りにしていい?」
「もちろん! 黒尾さんのお役に立てて良かったです」

 お気に入りへの打診に下心が全くなかったというわけではないが、気に入ったのは本当だった。今はシューズを変える予定は無いけれど、普段ならば2、3店舗回らないと揃わないものがここだけで事足りるのは大変魅力的だったのだ。
 部活のための買い物とはいえ、こうしてデートまがいなこともできたし、新規開拓もできた。いいこと尽くめで、今日はゆっくりと眠られそうだ。

「それにしてもよくこんなすごい店見つけたな? さすがマネージャー経験者」
「杜中時代の元カレが教えてくれたんです」
「も、元カレ?」
「はい、あ、すみません変な話でした!」
「いえいえ……もしかして元カレもスポーツやってた感じ?」
「……そうですね、同じ男子バレー部でした」

 いいこと尽くめだと思っていたこの瞬間は、好きな女の子の元カレの存在によって崩れることになる。



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