無視した感情





「匠海くん!」


ーー聴き慣れた声が、知らない男の名を呼んだ。


「栞ちゃん」
「この本ありがとう、すごく面白かったよ」
「ほんと?栞ちゃん好きそうかなって思ったから勧めて良かった」
「また、おすすめ教えてね」
「もちろん。あとやっぱり、名前で呼ばれるの照れるね」
「ええ、匠海くんが名前がいいって言ったのに」
「それはそうなんだけどさ、」

少し離れた場所なのに、アイツがすごく遠くにいるように感じた。

「あれ?岩ちゃんどうし、……ああ」
「なあ、アイツ、」
「田崎?2組じゃなかった?多分テニス部」
「へえ」
「多分、栞に四回告ったのアイツだよ」
「……」
「優しいって評判だし、いいんじゃない?」
「…そうかよ」
「岩ちゃんいいの?」
「あ゛あ゛?」
「そんな怖い顔しないでよ!」
「うるせえ」

頭にこびりついた先程の光景を振り払うかのように、教室に戻った。









土曜日の部活。グラウンドがいつもより騒がしい。ウォーミングアップのためのランニング中、足を止めた。それを見た時、体が勝手に止まったと言う方が正しい。
学校の外周を走っていると、体育館からは見えないものがたくさん見える。グラウンドの端に、栞が立っているのが見えた。柵越しに何かを見ている。

「あれ、岩泉なにしてんの」

後ろを走っていた松川が立ち止まる自分を見て、同じように足を止めていた。

「ん?…春原さん?」
「……みたいだな」
「あっちって、テニスコートしかなくない?」

栞がテニスコートを見ている理由。そんなものは一つしかない。

「…アイツに告ってきた奴が、テニス部らしい」
「ふーん、休み日に応援?もう付き合ってんの?」

栞が自分の知らない男と付き合っている。改めて他人の口から突きつけられた瞬間、心臓がどくん、と大きく動いた。

「……知らね」

少しでも心臓の動きを正常に戻したくて、気づけば走り出していた。

「あ、ちょっと待てって」

後ろから聞こえてくる松川の足音に集中した。なにかおかしい。それは、自分自身が一番わかっている。

「匠海くんナイスー!」

遠くから聞こえる、聴き慣れた声にまたイライラした。
今まで、アイツの声を疎ましく思うことなんて一度もなかったのに。







「匠海くん、お疲れ様」

部室棟から少し離れたところで彼を待っていると、彼は走ってこちらに向かってきてくれた。
名前で呼ぶようになったのは、彼にそう呼んで欲しいと言われたからで。徹とはじめ以外、男の子の下の名前で読んだことはなかったけれど、これもいい機会だと自分に言い聞かせて名前で呼ぶことにした。

「部活終わるの待っててくれてありがとう」
「ううん、大丈夫。図書室に用事もあったし」

期末試験に受験勉強にと春からの忙しさに私は追いつけていなかった。けれど目の前の彼はそれに加えて部活までしているのだ。

「テニス、どうだった?」
「へ?」
「ほら、栞ちゃんってバレーしか試合見たことないのかと思って」
「あ、……うん。ちゃんとテニスの試合見るの初めてだったかも。あんな小さなボールに当てられるのすごいね。私なら絶対空振っちゃう」
「当てられなきゃ始まらないからね」

そう言って笑う匠海くんはとても眩しい。

「栞ちゃんが見てた及川たちのバレーってレベルが高いだろ?」
「レベル?」

匠海くんは、本当にこの2年間私のことをよく見ていたようで徹とはじめの応援にバレー部を見に来ていたことも知っている。

「うん。青葉城西の男子バレー部って言ったら県内の強豪じゃん。及川とか人気すごいし」
「徹の人気はまた別物だと思うけど…」
「でも岩泉とかもすごいじゃん」

はじめの名前にドキ、としたけれど顔には出さずに済んだ。

「あー、まあエースだしね。松川くんや花巻くんもすごいよ」
「そうなんだ」
「匠海くんもすごいよ。今日圧勝だったでしょ?」
「まあ格下相手だったからね」
「すごくかっこよかったよ。もっと匠海くんの試合見たいなって思ったもん」

そう微笑めば、匠海くんは気恥しそうに目を合わせてきた。

「…あのさ、」
「うん?」
「それって俺、期待していいのかな」
「……え、」

ああそうだった。この人は私のことが好きなんだった。

「えっと、その、」
「ごめん、調子乗った!」

そうおちゃらけて言う匠海くんに申し訳なくなる。

「私こそ、その、ごめんなさい」
「いや、もっと俺の試合見たいって言ってもらえたの嬉しかったし、気長に待つよ」
「……ありがとう」

私はこの人と付き合いたいのか、付き合いたくないのか。
どちらにせよ、私は最低だ。

















部活が終わり、いつものように及川たちと帰っているときだった。

「ねえ、あれ栞っぽくない?」

及川のその言葉に、少しだけ肩が跳ねた。

「んー?本当だ。男といんじゃん」

及川の視線の先を見た花巻が目を凝らしてそう言った。

「あ、テニス部の、ってやつ?」
「あれ、まっつん知ってんの?」
「さっき岩泉と見かけた」
「…ふーん」

及川から意味深に向けられた視線に、自分の眉間に皺が寄るのが分かった。

「んだよ」
「どう?幼馴染を盗られた気分は」
「黙れうんこ野郎」
「煽ったのはごめんだけどその言い方はひどい!」

ギャーギャーと騒ぐ及川を横目に、少し離れたところにいる二人に視線を向けた。

「……アイツら、付き合ってんのか」
「いや、まだなんじゃない?なんも聞いてないけど」
「…そうか」

それを聞いて少し安心した自分がいた。この安心に意味はない。例えば今この帰り道で二人が付き合い始める可能性だって否定はできないのだから。


無視した感情
そもそも、なんで俺は安心してんだ
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