逃げていた気持ち
インハイが終わった。私はプレーをする部員ではないけれど、ちょっとインハイを引きずっていた。けれどみんなはもう目標を春高に切りかえて部活に勤しんでいる。みんないつも通り調子もいいし、目に見えて士気も高まっていた。
そんな頃だった。
「私、先輩のこと、入学してからずっと応援しとって、」
日直で少しだけ遅れて体育館に向かうと、可愛らしい声が耳に入り、思わず立ち止まってしまった。
このまま角を曲がったら告白現場に出くわしてしまう。人気が無い場所とはいえ、もっと場所選んでよ、と思いながら体の向きを変えた時だった。
「北先輩のことが、好きです」
とても小さな声だった。けれど、私にとっては凄く力強く、芯のある言葉に聞こえた。
告白されとるの、北やん。このまま聞くのはまずい。けれど、彼がなんて答えるのか知りたくて、葛藤の末私は足を動かさなかった。
「気持ちは有難いねんけど、付き合うてる人おるから」
そう言った北に、私は胸を撫で下ろした。でも、その後に続いた顔も知らない女の子の言葉に私は凍りつくことになる。
「本当にあの人と付き合うてるんですか?」
衝撃だった。
傍から見て、疑われる関係って、そんなの、私ーー
「付き合うてるの、マネージャーさんですよね」
ぐるぐると考えていても、北とその子の会話は続いていく。
「せや。なんや知っとったんか」
「はい、知ってて告白しました。その、信じられへんくて」
「何が?」
私と北は傍から見ても、ちゃんと恋人同士に見えると思っとった。
「私、北先輩のこと、ずっと見てました。でも、どう見ても部長とマネージャーという関係だけな気がして」
「……どういう意味や?」
「だって先輩たち呼び方も変わってへんし、部活中も…前となんにも変わらへんし、私の周りでも偽装カップルやないかって噂になっとって」
偽装カップル。周りからはそんなふうに見えとったんや。申し訳なさに、胸の辺りを強く握った。Tシャツが寄れてしまうと分かっているのに握る手を離せなかった。
確かに私たちは、「形だけ」の関係なのかもしれない。だって、私の「ワガママ」を北が受け入れてくれた結果成り立っているのだから。
「そんなことあらへん」
北の凛とした声が耳に届いた。はっ、として握りしめた手を弛めた。
「呼び方は慣れてしまってるから変えてへんだけやし、部活中やって付き合うてるからって理由でマネージャーが特定の奴を優遇するのもおかしな話やろ。まあ気持ちは分からなくもないけど、皆に変わらず平等にしてくれとって俺はあいつに感謝してる。何かおかしなところがあるか?」
「…いえ、でもっ」
「俺が好きなのは春原だけやから。すまんな」
「あ、先輩!」
北が立ち去ったのであろう。遠のいていく足音と、知らない子のすすり泣く声を聞いて私もその場を後にした。
▽
「なあなあ春原さん」
「うん?どうしたん?侑」
空のドリンクのボトルをカゴに入れていると侑が声をかけてきた。
「そろそろ北さんと付き合い始めて、三ヶ月くらいですやん」
「え、あ、うん。そうやね」
急にこちらに身を寄せてきた侑に、少し距離をとった。
「北さんと付き合うってどんな感じですか?」
「え?…いや、別に…普通やと思うけど」
「春原さんも真面目やからなあ、あんまラブラブしてる感じに見えへんくて」
「あ……」
侑のその言葉に、先日の光景が頭に浮かんだ。
ーー本当にあの人と付き合うてるんですか?
「…さん?春原さん?」
「え、ああ、ごめん。他のこと考えとった」
「え!酷いやん!」
ごめんごめんと、笑いながら侑に謝った。それでも少し不貞腐れている侑に尾白が声をかけた。
「侑、春原困っとるやん。やめえや」
「やってアランくん!北さんの恋愛事情知りたいやん!」
「ほんま怖いもん知らずやな。信介にからかうな言われたやろ」
え、そうなん?北そんなこと言うてくれてたん?こういう所で不意に触れる北の優しさに胸がきゅんとした。
「別にからかってへん!」
ね!春原さん!と大きな声を出した侑に苦笑した。
「でも確かに謎に包まれてる感じはしますよね」
「ほらな!角名やって気になっとるやん!」
「まあね」
そんなに他人の恋愛事情って気になるものなのだろうか。
「北さんとはどこまで進みました?」
「サム!ええこと言うた!」
「ど、どこまでって……」
どこまでも進んでない、とも言えず最適解も分からず、濁すしかない。
「ちゅーは?ちゅーはしました!?」
楽しそうにこちらを見ている二年生と、ため息をついている尾白の前で私は黙り込んでしまった。普通なら、そうなのだろう。三ヶ月も付き合えば、多分、キスのひとつくらいするのが当たり前なのだと思う。
「春原さん?」
「え、あ、えーっと…」
「コラ!春原はピュアやねんからそんなこと聞いたらアカン!」
尾白が侑と治の頭をはたいた。
「えー」
「ちゅーも聞いたらダメなん?春原さんほんまもんのピュアピュアやん…」
「なんやほんまもんのピュアピュアて」
目の前で繰り広げられる漫才に私は無理やり口角を上げた。
「多分、だけど、月並みな関係だと思うよ」
本当は、全然違う。そんなことは、自分が一番よくわかっている。だって、「触れない」ことを条件に付き合っているのだから。
でも最近は、それをもどかしく感じる時もある。
二人でいる時も、北は私に気を遣ってくれているのがわかるし、それをどうにかしたいとも思う。
でもまた、あんな態度を取ってしまったら。
また北を、拒絶してしまったら。
今度こそ、北は私のもとから離れてしまうだろう。それは、絶対に嫌だった。
つまり、私は。
逃げていた気持ち
北のこと「好き」なんや