指先の熱





「相変わらず熱心やな」

人が少なくなった体育館で、北が声をかけてきた。

「熱心て…、別に普通に部誌書いとるだけやで?」
「春原細かく見て書いてくれとるやろ。監督が、この前赤木の不調に最初に気づいたん春原や言うてたで。監督も部誌読んで気づいたって」
「ああ、なんかいつもと膝の使い方ちゃうなって思ってん。フォームを変えたのか痛めてるのか分からんかったから、とりあえず見たまんまを書いただけやし…」
「それを“だけ”って言えるんすごいと思う」
「え、あ、ありがとう」
「俺もここでノート書いてもええか」
「うん、ええよ」

体育館の床に二人で座ってペンを走らせる。私たちには人一人分の空間が空いている。無意識に北の手に目がいってしまう。
以前は酷く恐ろしいもののように見えていたのに、今はそうは見えない。その指は温かいのだろうか。その掌はどのくらい大きいのだろうか。角張って見える関節は、見た目ほどは硬そうに見えない。
その手に触れたら、私は何を感じるのだろう。
その手に、触れられたらーー

「……書かへんの?」
「…………え、」
「なんや俺のノートばっかり見とるから」

不思議そうな顔をしてこちらを見つめる北に慌てて手を振った。

「あ、ううん。ちゃうねん。いつ見ても北は丁寧に書くなって思って」
「そうか?」
「うん。綺麗に書くよな」
「半分癖みたいなもんやからな」

咄嗟に誤魔化した自分に驚いた。北は不審には思っていないようで安心した。
それに私は今、北に触れられたら、ってーー

「なあ北」
「なんや」
「北は、私に触れたいって思う?」
「え?」

バッと顔を上げた北と目が合った。

「……そりゃまあ思う、けど気にせんでええよ」

そう淡々と言われてしまえば、私は何も言えなかった。

















最近、自分でもおかしいと思うほどに北を意識してしまっている。北を見かければじっと見てしまうし、その体温を想像してしまう。

ーーはしたない。

男の人に触れられたら、と想像するなんて。あんなに触れられるのが嫌だったのに、今ではそれを確かめたいと思ってしまう。
そんなことが続くと、流石に北も不審に思うようだった。




「なあ、ちょっとええか」
「うん?」

部活が終わり、駅まで向かう途中に北がそう言って公園に誘った。ベンチに座り、バッグを下ろすと北は静かに口を開いた。

「最近、どうしたん?」
「え、何のこと?」
「何や焦ってるんとちゃう?」

流石北や。何でもお見通しなのかもしれん。でも私は今思っていることを上手く言葉に出来ず、誤魔化すことしか出来なかった。

「な、何も焦ってへん、よ」
「ホンマに?」
「うん…」
「春原のペースでゆっくり進めばええよ」
「でも、」
「なんなら俺は、進まんくても構わん」

そう言われた瞬間、“嫌だ”って思った。このままなんて、私は、嫌や。

「北、ちゃうんよ」
「え?何が違うん」
「私、……北に触りたい」
「…………は、」

ぽかんと口を開けたままこちらを見ている北に私はそのまま続けた。

「私、おかしいんやろか。最近、北に触れたくてしゃあないねん。せやから、北の手とか指とかじっと見てもうて……でもな、もし、もしやで、もしそうなった時に私またどうにかなるんちゃうかって、それも怖くて、」
「春原」
「こんなん、北も嫌やんな」
「春原」

諭すような北の声に顔を上げる。北はいつもと変わらぬ様子で口を開いた。

「言うたやん、春原のペースでええよって」
「それは、…そうやけど……」

私のこの右にも左にも、前にも後ろにも進めることが出来ない気持ちを北も何となくわかっているようだった。

「せやったら、俺は何もせえへんから好きなとこ触り」

北はそう言ってベンチから立ち上がると、こちらを向いて棒立ちになった。

「触り、って」
「どこでもええよ」

ベンチの前にこちらを向いて立ち尽くす北に思わず笑ってしまった。

「ふふ、その言い方はどうなん?」
「何がや?触りやすいやろ?あかんか」
「あかんくない、けど」

私も立ち上がり、北の正面に立った。ふう、と息を吐き、ぐーぱーぐーぱーと何度も手を握っては開くを繰り返した。

「あのな、待ってな。その、ゆっくり、いくから」
「おん」

一歩進んで距離を詰め、ゆっくりと腕を伸ばす。動かない北に安心して、迷わせていた手を伸ばし、北の服の袖に触れた。ちょん、と布の感触が指に伝わる。これだけでも、すごくドキドキする。北の服に触れられた。

「…大丈夫か」
「うん、多分」

そのまま袖を掴んだ。動かない北に安心しつつ、私は北の手に意識を向けた。1センチにも満たない距離に北の肌がある。少しだけ指をそちらに伸ばした。大丈夫、この人は北や。あの人やない。そう分かっていても、男の人に触れるという事実に、私は身を固くした。

「……春原、」
「っ、ごめ、」
「ううん、謝ることない。大丈夫やから、深呼吸しいや。ゆっくりな」

過呼吸になる可能性もあったからか、北が優しく諭してくれる。すう、と息を吸ってゆっくりと吐いた。袖は掴んだままだ。その手に力が入る。触れたいのに、触れられない。もどかしさに情けなくなる。
私が焦っているのがわかったのか、北が小さく口を開いた。

「春原、今日やなくてもええねん」
「っ、え」
「俺は明日でも、明後日でも、一年後でも、気にせんよ」
「北…」
「毎日ちょっとずつ、こうして練習しよか」

ここで北の優しさに甘えることもできる。でも、今の私はーー

「……あかんねん」
「なにが?」
「私が、そんなに我慢できひん」
「うん?」
「さっきも言うたやん。北に触りたくてしゃあないって」
「……その言い方は、アカン」

目を丸くした北が顔を赤くした。

「北はなんでそんなに待ってくれるん?」
「お前とおる時間なんてこれからもたくさんあるやん」
「………」
「せやからそんなに気にならんよ」
「……北は、気ぃが長いなあ」

この人はどこまで優しいんだろう。微笑む北に私はまた指に意識を向けた。

今なら、このまま。

袖を掴んでいた手を離し、北の手の甲に触れた。ちょん、とつけた指先に北の熱が伝わる。

「…なあ、私いま、北に触っとる」
「ああ、…せやな」
「私、っ、北に触っとるんやね……」
「そんな泣かんでもええやん」

今は指先にしか意識が向かなくて、自分が泣いているのかどうかもわからない。

「多分、嬉しくて泣けてきてん」
「そうか。俺も泣きそうや」
「なんで北が泣くん?」
「そんなん、俺も嬉しいからに決まっとるやろ」

涙でぐしゃぐしゃで前がよく見えない。でも、北の優しい声はちゃんと耳に届いていた。

「北の手の甲、あったかいな」
「そうか?」
「うん。あったかい」

本当は多分私の手とそう変わらないと思う。でも今は、私にとっては北の全てが温かかった。

「……あんま泣かんとって」
「っ、なんで?」
「ほら、俺は拭ってやれへんやん」

そう言ってポケットティッシュを差し出した北に、私はさらに涙を抑えられなくなってしまった。

「うう……」
「ほら、自分で拭き」
「……うん」

北の手から指を離し、ポケットティッシュを受け取った。

「私、」
「うん?」
「北に好きになってもらって、幸せモンや」
「………」
「今すっごく幸せやし、嬉しいし、北のことめっちゃ好きやって思う」

そう言って涙を隠しもせず微笑めば、北は少し目を丸くして立ち尽くしていた。

「………」
「……北?」
「…すまん、なんて返事したらええかわからんかった」
「え…」
「俺も今、めっちゃ幸せや」


指先の熱
体温が、溶け合う
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