前向きな不安と後ろ向きな幸福






「……え、」

角名がスマホを落とした。ガッ、と鈍い音が体育館の端に響く。北の言葉に、全員が動きを止めた。

「北さん、……今、なんて……?」
「せやから、春原と付き合うとる」

その瞬間、この世で一番の静寂が訪れた。

「「「……えっ!?!?」」」

パクパクと金魚のように口を開け閉めする部員を前に、北は真顔を貫いた。

「まっ、待っ、信介!ほんまか!?俺何も聞いとらん!」
「あ、あああアランくんおおおお落ち着きや……!」
「いや、侑も落ち着いた方がいいよ」
「まあ、誰にも言うとらんかったしな」

サラッとそう言った北にバレー部の面々は目を丸くした。

「き、北さんいつから、その、お付き合いを…?」

治が恐る恐る、といった様子で口を開いた。

「先週」
「「「先週!?!?!?」」」

表情が変わらない北にバレー部の面々は反応に困った。照れるという感情が、この男には無いのだろうか。

「そ、そうか……」
「全然気付かんかった……」
「北さんに彼女……」
「相手は春原さん……」
「すごくきちんとしたカップルだね」

尾白は息子の成長を見届けたかのように惚け、侑と治はふわふわとした様子で口をぽかんと開けていた。それに反して角名は最初にスマートフォンを落とした以外は冷静だった。

「あ、アランくんが知らんかったってことは、大耳さんや赤木さんも知らんかったんですか?」
「ああ、初耳やな」
「やな〜」

おめでとう、と三年たちは北にお祝いの言葉を述べた。

「北さん、おめでとうございます」
「おめでとうございます!」
「角名、銀島、ありがとうな」
「あっ、今春原さんは!?」
「春原さんにも話聞きたい!」

部室を飛び出そうとする二人を北が制した。

「侑、治」
「「はっ、はい!」」

その場でピシ、と姿勢を正した二人に北は少し眉を下げて口を開いた。

「春原恥ずかしいみたいやからあんまりからかわんといてな」
「えっ、あっ、……はい」

からかう気満々、と言った表情だった侑は一瞬で大人しくなった。

「いやでもめでたいなあ、信介、春原のこと大事にな」
「……ああ」

少し視線を逸らした北に、尾白は北でも恥ずかしがることがあるのだと目を細めた。










体育館で来月の部活のスケジュールを確認していると、北に声をかけられた。

「春原」
「なにー?」
「この前の試合の記録見たいんやけど」

そう言いながら近づいてきた北に向き合った。

「動画?スコアノート?」
「どっちも」

頼めるか、と聞く北に微笑んだ。

「せやったら帰りまでに用意しとくわ」
「すまんな」

それだけ言って立ち去ろうとする北を、私は呼び止めた。

「北、今からボール磨きやろ?私も付き合う」

私が二人きりになることを分かっていて進言したからだろうか。少し驚いた顔をした北をじっと見つめる。すると、すぐに北は優しく微笑んだ。

「分かった、先倉庫行っとる」
「うん」

北と付き合い始めてひと月が経った。何も変わらんように思えるけど、北が絶対に触れてこないという安心感で、私はとても心地よかった。北は私と付き合うとることを隠したりせえへんかったから、学校中に噂は知れ渡ったし、私はそれによって男子生徒から一歩距離を取られるようになった。北と付き合うことによって安息の地を見つけたとさえ思っている。北は私が今のまま存在してもいいんだと思える世界をあっという間に作ってしまった。

「なあ、北はボール磨いとる時何考えてるん?」

黙々とボールを磨いている北に興味本位でそう聞くと、キョトンとした顔をして、少し黙ってから口を開いた。

「……ちゃんとやらんとな、って」

その「ちゃんと」には、どれだけの意味が込められているのだろう。

「そっか、北らしいなあ」
「そうか?」
「うん。その“ちゃんと”が出来ん人が大半やで」

そう言えば北は少し考えてから口を開いた。

「春原は何でもちゃんとしとるよな」
「え、せやろか」
「おん。そういうとこに惚れたんや」

どき、っとした。けれどいつもと違う。嫌やない。

「あ、すまん…この言い方はアカンかったか」
「ううん、大丈夫」

好意を寄せられるのが苦手だと知っているから北はあまりそういうことを直接的に言ってくることはほぼない。だから、ぽろっと出てしまった言葉に私が一瞬動きを止めてしまったからすぐに謝ったのだろう。

「せやったらええけど…」
「ほんまに大丈夫。でも私、そんなちゃんとしとる自覚はないんやけどな」
「そうか?部活のことも、他の部の奴らの話聞くと、春原はマネージャーとして真面目に取り組んでくれとるんやなって思う。まあ、それを聞かんでもそう思うとる」
「……ありがとう」
「礼を言われることちゃうよ」

北は私のことを真正面から正当に俯瞰的に評価してくれる人だ。
今私は、男の人に好意を向けられている。“そういう”意味で。
どうしても嫌やったそれが、北の口から出ると胸がギュッとなる。前とは違う。初めて言われた時は、あんなに嫌やったのに。

北やから、なんやろな。

こんな私を知った上で受け入れてくれる人やから。
こんな私に真正面から真摯に付き合うてくれる人やから。
私は今人生で一番の幸せを手に入れたのではないだろうか。

けれど。
北は、それでええんやろか。

前向きな不安と後ろ向きな幸福
私の幸せが北の幸せとは限らないのだから
prev | next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -