不確かな関係





あの日以降、北が私を避けるようになった。避ける、は言い過ぎかもしれへん。
とは言っても、部活ではいつも通りやし、特に問題は無い。
けれどどうしても二人きりになるシチュエーションというものはあるわけで。
誰もいない体育館の端っこで部誌を書いていると、もう体育館を閉めるからと戸締り担当の先生に追い出されたので仕方なく部室に向かった。全員帰っていますように、と祈りながら。


「あれ、春原さんまだおったん?」
「治、最後?」

部室の扉を開けると、ちょうど治が帰るところだった。

「多分まだ北さんおると思いますけど」
「でも体育館もう誰もいないよ?」
「あれ、じゃあ俺最後っぽいですね。春原さん鍵持っとる?」
「うん、私部誌書きたいから最後閉めとく」
「ありがとうございます。送っていきます?」
「え?」
「北さんおらんなら、駅まで送りますけど」

もう結構暗いし、という治に笑みを向けた。

「あー、大丈夫。今日は迎えに来てもらうから」
「じゃあ大丈夫ですね、お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様」

治と入れ違いで部室に入り、ベンチを机にして部誌を書き始めた。カチカチと壁掛け時計の音がやけに耳につく。もう少しで書き終わる、と思ったところで部室の扉が開く音がした。巡回の警備員さんやろか、そう思ってそちらに顔を向ければ、そこに立っていたのは北だった。ぱち、と目が合うと北はとても気まずそうな顔をした。そのまま扉から動く気配がない。

「もう帰ったのかと思っとったよ」

何も言わない北に、私は不安になって思わず自分から口を開いてしまった。

「……春原もな」
「おん。でもこれ書いたら終わりやから気にせんとって」

私が部誌に目を向けたままそう言えば北が扉を閉める音がした。今まで通り喋れとる。大丈夫。ちら、と北に視線を移せばロッカーを開ける北の背中が目に入った。私は北の背中を見つめながら口を開いた。

「なあ、……嫌いになった?」

びく、と北の肩が少しだけ跳ねた。こんな北を見るのは、珍しい。

「……何をや」
「私のこと。あんな態度とってもうたし、」

北はこの話をしたくないだろう。距離を取ってるくらいやから。でも、私は北のことが嫌いなわけではない。関係修復が可能ならば、元の形に戻りたい。

「……嫌いには、なってへんよ。ただ、驚いた」

嫌いにはなっていない。その言葉に私は胸をなで下ろした。

「そら驚くよなあ……ごめんなあ」

ふにゃり、と北の背中に微笑めば北はゆっくりとこちらを向いた。久しぶりに目が合う。

「……なんで謝るん?謝らなきゃならんのはこっちや」

少し苦しそうな顔を見せる北に、私は息を飲んだ。今、彼を苦しめているのは私なのだから。

「私がこんなやなきゃ、良かったんやけど」

そう言うと、北は真っ直ぐに私を見て口を開いた。

「そんな自分を卑下するようなこと言うたらあかん。春原は何も悪くない。俺が悪かった」
「北、」
「ほんま、自分で嫌になる。勝手に舞い上がって、嫌や言うてるお前に触って、ほんま最低や」

自分を拒絶した女に、ここまで向き合ってくれる人はいるだろうか。

「男が苦手って言うん、理解しきれとらんかった。ほんまにすまん」

目の前で頭を下げる北に、私は慌てて立ち上がった。

「そんな、謝らんといて……!頭上げて!な?ちゃんと伝えられんかった私も悪かってん」
「……それでも、嫌がるようなことしたことに変わりはない」

このまま切腹するんちゃうかと心配になる勢いの北に慌てて口を開いた。

「あんな、北のこと嫌なわけやないねん。……その、正確に言うと、男の人に好意を向けられるのが苦手、やねん」
「……好意、」

北はやっと頭を上げてくれた。私の言葉の意味を考えあぐねているようだった。

「せやねん。ほら男の人って、……まあ女もやけど、好きとか付き合いたいの根底には下心があるやろ?その、……性的な意味で」

北は少し驚いた顔をして、ゆっくりと口を開いた。

「……まあ、そやな」
「私はな、それがあかんねん。……トラウマがあってな、それ思い出してしまうんよ。だからこの間のも、北が嫌とかやない、と思う。自分でもよくわからへんねん」

大丈夫。ちゃんと言えている。ここで北に突き放されたらそれまでや。

「……それ、詳しく聞いてもええか?」
「それ?……ああ、トラウマ?」
「おん」
「……聞いて気持ちのええ話やないよ」
「それでもええ。それでも知りたいと思う。春原がええんやったら、話して欲しい」
「……ええけど、気分悪くしたらごめんな」

二人でベンチに座った。人一人分開けられた距離に北の優しさを感じる。

「私な、中学の時に家庭教師がおってん。その人は関東からこっちに来とった大学生で、最初は優しいお兄さんやなーって思っとったんよ。でもな、途中から違和感があって」
「違和感?」
「うーん、やたら隣に座る距離が近かったり、彼氏がおるか聞いてきたり。それまで大学生と話したことなんてなかったからあんまりおかしいとは思わへんかってん。でも半年くらい経ってな、告白されてん。急に肩を抱き寄せられて、太もも触られて、……好きやから付き合って欲しいって。私中学生やで?ありえへんやんそんなん。そんで抵抗したんやけど、その、キスされてな、まあ思いっきり突き飛ばしたんやけど……、」
「…………」

北の沈黙が怖い。たったそれだけの事で、そう思われたらどうしよう。そう言われたら、私は平静を保っていられるだろうか。真面目なトーンで続けるベき?それともおちゃらけた方がショックが少ない?何も考えずに話し始めてしまったせいで終わり方か分からない。

「……、ってことがあってな!それ以来色々あかんねん」

努めて明るく振舞おうとしたけれど、そんなの北にはお見通しやったみたいで眉間にしわが寄っている。私は太ももの上で握っていた手を、さらに強く握った。

「それで、親には塾の方がええ言うて家庭教師はやめてん。あのことは誰にも言えへんくて……無理矢理忘れて生活してたんよ。でも、その後クラスメイトの男の子に告白されてな。その時にあの時のことが頭をよぎって、気持ち悪くなってしまって。ああ、もう私はあかんのや、思てん。違う人やってわかってるのに、この人もあの人と同じようなこと言うてる、とか、私のことそういう目で見てるんやろか、とか」
「…………」
「そらな、私やってドラマや少女漫画見とったら彼氏ってええなあ思うよ。けど……、無理やねん」

そう言って口角を上げれば、北が口を開いた。

「辛かったんやろ。笑わんでええよ」
「北……」
「知らんかったとは言え、ほんまにすまんかった」

北は真っ直ぐに私を見てそう言った。

「……私が普通の子やったら良かってんけどな」
「……」
「ごめん」

謝る私に北はすぐに口を開いた。

「なんで謝るん?」
「だって、北のこと傷つけた」

好意を持っている相手に突き飛ばされて嫌な思いをしない人なんていない。

「それにな、私あの事がなかったら北のこと受け入れてたと思うんよ」
「……え」

北が大きく目を見開いた。

「やって普通に好きやもん、北のこと」

私がそう言って微笑めば、北は少しだけ泣きそうな顔をした。私にはそう見えた。

「人として、北のこと好きやで。卒業しても気軽に会えるような友達でおりたいって思っとる。今、頑張って話しかけたのも前みたいに戻れるなら戻りたいって思ったから。そのくらい好きやねん。でもそれは、北が思っとるのとはちゃうと思うし……」

上手く言葉にできない。もどかしい。気持ちには応えられへんけど、私なりに北を思っとる。
少しでも伝わればいい。そう思いながら北の目を見つめた。

「……一緒におりたいとは、思ってくれとんねんな」

ぽつり、と北の口からこぼれた言葉が耳に届いた。どう返事をすべきかと改めて北を見ると少し硬い表情でこちらを見つめていた。

「せやったら、絶対触らん」
「……ん?」
「手も繋がん。キスもせん。それ以上もナシや」
「え、」
「せやったら俺と付き合うてくれるか?」

私は多分、口を開けてこれでもかと間抜けな顔を晒しているだろう。北は、何て言うた?

「触らん……?」
「せや、絶対に嫌がることはせんよ」

この男は何を言っているのだろうか。北にとって、私はそんなにも譲歩する価値があるのだろうか。

「そんな、付き合うなんて無理や」
「なんでや」

一歩も引かん、という表情の北に、今度は私が泣きそうになる番だ。

「そ、そもそも、そんなん付き合うてるって言わへんのとちゃう?」
「俺は春原の彼氏になれるんやったらなんでもええ」
「なっ、……そんな、触れられへん彼女なんていらんやろ」
「俺は欲しい」
「ぜ、絶対に他の子に流れる……」
「一丁前に独占欲はあるんやな」

そう笑った北に私は何も言えなかった。

「春原」
「な、なに……?」
「俺と、付き合うてください」
「……私は北に触れられんし、北も私に触れられんのよ」
「それでええよ」

私はこの人を今後何度傷つけることになるのだろう。そう思った瞬間、やっぱり断ろう、と口を開いた。

「俺は、」

私より先に、北が口を開いた。その声に北の目を見る。

「お前には触れられへんけど、その強く握り込んだ手を、解いてやりたいって思う」

ハッとして自分の手元を見た。強く握りこんでしまった手は真っ白になっていて、すぐに力を抜いた。手のひらには爪の痕が赤く残っている。

「痛いやろ」

北のその言葉に目の奥が熱くなる。この人は、私を変えてくれるかもしれへん。

「……北はすごいなあ」

首を傾げる北に私は声を震わせた。

「どういう意味や?」
「……ううん、意味なんてない。そう思っただけ」

私はベンチから腰を上げた。

「北」
「なんや?」
「……不束者ですがよろしくお願いします」


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