剥き出しの拒絶






あんなことがあって、どんなに顔を合わせたくなくても、北と私は同じ部活の主将とマネージャーで。どんなに避けようとしても避けきれないのが現実だ。

7組の教室を廊下から覗けば、そこに北はおらんかった。ほっとして思わずため息をつく。北に用事があるんやからホンマはほっとしたらアカンやつなんやけど。そう思っていると、後ろから肩をぽんと叩かれ心臓が口から飛び出るかと思った。

「どないしたん?」
「……!大耳か……良かった、ちょうどええとこに!これ、北に渡しといてくれへん?」
「何のプリントや?」
「次の合宿の、」
「春原」

後ろから北の声が聞こえた。ああ、さっさと渡して自分の教室に戻っておくんやった。

「お、信介来たなら俺はええな」

大耳はそう言ってプリントを北に手渡した。

「大耳待っ、」
「何の話や?」

いつも通り。北がいつも通りなんやから、私もいつも通りにすればええだけや。

「……こ、今度の合宿の話。そのプリントに詳細載っとるから確認しといてな。いつもの施設が宿泊施設だけ改装中らしくて、体育館は使えるけどホテルを別にとったんやって。施設とホテルの往復はマイクロバスが出せるらしいけど一度じゃ無理やからその辺も調整せなあかんねん」
「分かった。ありがとうな」
「じゃあ、私はこれで」
「ちょお待って」
「私次教室移動せなあかんねん」

そう伝えて足早に教室に戻った。















土曜の部活を終えたあと、部室内の洗面台の掃除をする。まだ明るい時間やし、やれる時にやらんと、とスポンジに水を含ませた。
ところでなんでこんなに鏡がびちゃびちゃになるん?みんなどんだけ勢いよく顔洗ってんねん。鏡のウロコ汚れは綺麗にするの大変なんやで、と思いながら鏡を擦った。でも、こういう作業はありがたい。無心になれる。
ごしごしと根気よく鏡を磨いていると部室の扉が開いた。まだ残ってた部員なんておったやろか。自主練してたメンバーもどんどん帰っていったし。そう思って扉の方を見れば、北が立っていた。

「まだおったん」
「……うん。ここ終わったら帰るよ」

その言葉を聞いた北はずんずんと私の方に足を進めた。

「え、何?」
「話があんねんけど」

私は北のその言葉にスポンジを置き、手を洗った。ハンカチで拭きながら北に向き直ると北が一歩踏み出す。私は堪らず一歩退いた。それを四回ほど繰り返したところで私の背中は壁にぶつかる。

「こ、ここやないとアカンの?今日はもう遅いしまた明日にせえへん?」
「二人きりがええねん」
――二人きりになりたいな

また、だ。

「春原が男が嫌い言うんが、俺にはようわからん。あんまり言いたないのは分かってんねん。でも、ちゃんと知りたいと思うとる」
――栞ちゃんのこと、全部知りたいな

アカン。アカンねんて。

「なあ、触れてもええ?」

ゆっくりと持ち上がる北の右腕が見える。こちらに伸ばされる指先が、酷く醜いもののように見える。いつもなら綺麗なバレーをする美しい手なのに。
やめて。
その三文字を口にするだけでいいのに、声にならない。喉がきつく、きつく締まる感覚がする。息をするのも苦しい。あと数センチで北が私に触れる。分かっているのに、私の体は一向に動かない。
多分北は、私に気をつかって、私が拒否するための時間を作ってくれている。だからこんなにもゆっくりな動作で私に触れようとしているのだと思う。
けれどそんなことは今の私には無意味で。小指の先だって動かない。半分パニックを起こしているようなものだ。脳が現実を受け入れようとしない。
こんなの北からしたら、受け入れたと思われても仕方がない。
“あの時”、私が“あんな目”に遭っていなければ、私は北を受け入れられたのだろうか。

「ええんよな」

北の指が、私の腕にゆっくりと触れた。触れられた部分は熱を持つのに、全身に悪寒が走る。北はそのまま私の腕を掴み、ぐい、と自分の方に引き寄せた。抗えない私の体は引かれるままに北の方に倒れる。北の首筋に、私の鼻が当たった。北の匂いがする。


――男の人の、匂い。


私はありったけの力で北を突き飛ばした。そして耐えきれず、その場に座り込んだ。

「おえっ……、げほ、げほっ!」

胃からせり上がってくる何かを必死に堪える。気持ちが悪い。体が震える。胃液の酸っぱさを感じる。でも、ここで吐くわけにはいかない。嘔吐く私を見て、北はどう思うのだろう。絶対に吐いたらアカン。そんなことしたら、逆に北にトラウマを植え付けてしまうかもしれない。思いだしたらアカン。北は、あの人じゃない。重ねたら、アカン。頭では分かっているはずなのに、体がそれを拒否する。

「……げほっ、…んん゛、ん……、き、た」
「…………」

返事は返ってこない。でも、今はそんなことどうでも良かった。とにかく一人になりたい。

「悪い、ねんけど、出てってもらえへんかな…………、お願い、やから。鍵なら私が閉めとくし、……お願いや」
「…………わかった」

北が一歩下がる気配がした。そして何故かバッグをゴソゴソと漁る音が聞こえる。そして何かをベンチに置くと、そのまま部室を出ていった。北の足音がどんどん遠くなっていき、聞こえなくなった。一人になって落ち着いてから、洗面台の蛇口をひねり口をゆすぐ。やっと少しだけど落ち着いた。でもまだ心臓はばくばくと動いているし、自分のものとは思えないほど指先が震えている。
荒い息を整えてベンチに目を向ければ、ポケットティッシュが二つ置かれていた。
どんだけ優しいねん。アホちゃう。

こんな私に、触れて欲しくなかった。
こんな私を、見られたくなかった。


剥き出しの拒絶
こんな私を、知って欲しくなかった
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